仲直り

 手紙を書いた人物は結局分からず仕舞いだ。

 史織のあと、大輔と圭人にも同じように探りを入れてみた。しかし、これといった手応えがなかった。

 犯人を絞り込んでいく中で、怪しいと思われる人物はいた。それは、塔弥のことをネット上でひどく書き綴っていた莉央だ。彼女なら、塔弥を恨む理由は十分にあった。さらに、手紙が届いた十二月八日は、莉央が激怒して授業を放棄した日でもあった。授業を受けているはずの時間に塔弥の家を訪れて手紙を投函した、ということは考えられる話だった。

 ところが、その推測も、スマートフォンに送られてきた彼女からのメッセージによって、誤りの可能性が高くなった。

『私が悪かったです。ごめんなさい』

 突然、彼女側から手の平を返してきたのだ。

 まさかと思い、ネット上の莉央の投稿を確認すると、塔弥に関する過去の発言が全て削除されていた。そして、十二月十六日の新たな投稿に、こんなものがあった。

『分かりました』

 その次の日の午後、彼女と面会した。とはいっても、約束をしていたわけではない。塔弥の帰宅途中、待ち伏せをしていたかのように十字路の対面から彼女が現れたのだ。

 開口一番、彼女は「ごめんなさい」と言った。しかし目は合わせず、どこか不機嫌な様子が残っていた。

 塔弥は少し気まずかった。人と仲直りをするということに慣れていなかった。どう返すのが正解なのか分からなかったが、また刺激しないようにはしたかった。

「俺の方こそすまなかった。莉央と仲直りできるのは嬉しいよ」引きつったような笑みになったが、柔らかい顔を心がけようと思った。

「……ネット、見てた?」莉央は俯き言った。

「少しだけ。正確には、舞が見せてきた」

「そう……。ひどいことしちゃった……」

「大丈夫だよ。全然気にしてない。ちゃんと消してくれたんだったら、それでいいから」

「……あり得ないよね。私はちょっと言われただけなのに……それなのに……」莉央の肩が震えた。彼女は泣いていた。「でも……言い訳するわけじゃないけど、時々自分が制御できないことがある。怒りたくないのに気づいたら怒ってたり、言っちゃダメって分かってるのに口に出ちゃったり……こんなことだから私、嫌われるんだよね……」

「そんなに思い詰めなくていいから。頼むから泣かないでくれ」

「……私とこれからも喋ってくれる?」

「当たり前だろ。俺はずっと話したいと思ってたんだから。話したくないなんて、よほどのことがないと思わないさ」

「ほんと、ごめんなさい……」

 道の真ん中で啜り泣く莉央を、幼稚園帰りと思われる親子が不思議そうに見ながら通っていった。塔弥は早く泣き止んでもらえることを望んだが、嗚咽は激しくなる一方だった。

 道路の脇に彼女を寄せ、時折肩を優しくなでたりしながら落ち着くのを待った。彼女が目をこする度に、その周辺が黒く滲んでいった。化粧品の類には詳しくなかったが、マスカラというもののせいだろうと塔弥は思った。

 結局、彼女の涙が止まったのは五分ほど経ったあとだった。

「もう大丈夫か?」

「うん。ありがとぉ……」

 まだ声に若干の弱さがあったが、気は持ち直したようだった。顔がしっかりと上がっている。

「よかった。これからも、よろしくな。もうお互いひどいことは言わないし、しないと誓おう」

「そうだね。……でも、私が間違ってた。そもそも、道具作りに手伝わなかったのは私だし、それに――」

「もういいよ、そういうのは。悪いことばかり見てても仕方ない。これからうまくやっていく、それでいいじゃないか」

 塔弥は笑顔を作った。今度は強張りのない自然なものになった。そして、それは莉央に伝播した。久々に見る彼女の笑みだった。

 二人は夕暮れの道を横並びに歩いた。向かう先は莉央の家だ。塔弥は、男として送らないわけにはいかないと思った。

「不仲のまま卒業っていうことになったら、どうしようかと思ったよ。でもいい教訓になった。些細なことでも大きな不和に繋がりかねないから、注意しないといけないってな」塔弥は言った。

 莉央の噛み締めるような頷きは、彼女も心から反省しているということを教えてくれた。

「あの、一つだけどうしても気になることがあって……。聞いてもいいかなぁ……?」彼女は言った。

「ああ。何でもどうぞ」

「あのメッセージは、どういうことだったのぉ……?」

「ん? どれだ?」

 塔弥は言って、すぐにぴんときた。彼が送ったメッセージで意味を尋ねられるとすれば、それは莉央を怒らせたあのメッセージしかない。

「あれは……あまり掘り返したくないが、正直に言うと久美のアドバイスが元だ。昔、久美が莉央にそうやって言って、仲直りに持ち込んだっていう話を聞いたんだ」

「久美? 何の話?」

「だから、久美と喧嘩したことがあるだろ? その時に……」

「久美と喧嘩なんかしたことないけどぉ……」

「え?」

 顔を見合わせた。鼻筋の生む影に半分覆われた莉央の顔は、冗談を言う時に必ず見せる笑みを伴ってはいなかった。

「久美が確かにそう言ったんだぞ。それから、物を隠されたりしたとか何とか……」

「ええ? 知らないよぉ、そんなこと。それに、物を隠すなんてそんな小学生みたいなこと、さすがの私でもしないよぉ」

「それか、久美が喧嘩と思ってて、莉央が思ってない出来事なのかもしれない。ないのか? 久美との間で何かぎくしゃくしたこと」

「ないよぉ、一度も。あったら忘れるわけないでしょう?」莉央は強く言い張った。

「待てよ。それじゃあ、久美が嘘をついたってことか?」

「だからぁ、私に聞かれても分からないよぉ。塔弥が冗談を真に受けちゃったんじゃないのぉ? 塔弥ってば、すぐだまされるんだからさぁ」

「冗談? 確かに、あんな意味の分からない言葉で莉央をどうにかできるなんて、冗談みたいな話だとは思ったよ。でも、それを実際にメッセージとして送ってしまったことで、莉央の気を損なわせ、結果的に冗談で済まない話になったんだ。もし冗談だとしたら、結果論とはいえひどい話だぞ」

「陥れられたんじゃない?」

「莉央を怒らせる言葉と分かって、俺に言わせたってことか?」

 莉央が静かに頷いた。

 久美の顔が頭に浮かんだ。確かに彼女は冗談が好きだ。だが、それで故意に人を陥れるような悪い人間ではないと、塔弥は思っている。その辺りの分別は有しているはずだと。

 それでも、現に莉央と久美の話は食い違っている。どちらかが嘘をついている以外、あり得ないのだ。

 莉央の住むマンションに到着した。彼女は襟を正すと、改めて仲直りができてよかったことを言い、さらに握手を求めてきた。塔弥の出した右手を、彼女は両手で包み込んだ。その小さな手には体温以上の温かみがあった。

 莉央の切実な喜びを肌で感じた塔弥の口元は次第に綻んだ。誰が嘘をついていたとしても、もう構わない。結局こうして仲直りできたのだからそれでいい、と思うことにした。

 莉央が自動ドアをくぐるのを、両手を頭の上で大きく振りながら見送った。だが刹那、塔弥は閉まる扉を強引に手で押さえていた。危うく忘れるところだったと額を拭い、こう言った。

「俺に手紙なんか書いてないよな?」

 手紙という言葉を包み隠さず出したのは、彼女がその書き手だとは到底思えなかったからだ。また、仮に書き手だとしたら、彼女はそれを吐く。なぜなら、彼女にはもう塔弥に対する恨みはなくなっているからだ。手紙の狙いはきっと塔弥を困らせることにある。恨みがなくなった時点で、困らせる必要もなくなるわけだ。

 塔弥の予想通り、莉央は、何を言っているのという顔をした。その反応だけでも十分だったが、彼女は加えて言った。「何かあったとしても、いまどき手紙なんか使わないよぉ」

「……だよな」

 莉央はメンバーの誰よりもデジタル派だ。それはネット上の投稿数の多さからも容易に分かることだ。手紙を書くなんてあり得ないなと思いながら、塔弥はマンションをあとにした。

 自宅に帰り、何気なく台本を見ていた時だった。莉央が言った、「いまどき手紙は使わない」という言葉を、塔弥は逆の意味に解釈し始めていた。すなわち、「昔は重要だった」ということである。

その「昔は重要だった」ということが、シェイクスピアの『十二夜』のある場面でしっかりと証明されていることに、塔弥は台本を繰る中で気づいたのだ。それは手紙なくしては成立しない場面であると言ってもいい。

 塔弥がずっと疑問だったのは、彼の元に送られてきたのが手紙であるということだった。今はデジタルという便利な手段が存在するのだ。手紙にあった文章を、匿名のアカウントでスマートフォンから送りつけるなどは容易なことである。にもかかわらず、わざわざ手紙を投函したのだ。その意図が塔弥には理解できなかった。

 だが、ようやく分かった気がした。「今は使わないが昔は重要だった」手紙を利用したのは、それ自体にメッセージ性を持たせるためだったのかもしれない。すなわち、〝昔〟の演劇であるシェイクスピアの『十二夜』にヒントがある、ということの強調ということだ。

 弘毅が手紙の分析を行った際に、『十二夜』と関連する事柄が出てきたのはそういうことかもしれない。だとすれば、手紙が示唆する企みを暴くためにすべきことは、一つしかない。それは、『十二夜』という演劇の内容をもう一度理解し直すことだ。

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