城砦綺譚

猫に鬼灯

〜賭博師〜

 半年ほど前だったかな、遂に最後の賭博場の出入り禁止を喰らった。合法も違法も全て関係なく。その理由は俺の振る舞いが悪かったからじゃ無い、俺以外の奴が弱いのが悪いのだ。それだけは胸張って言えるね。だが、最後の一件にしては出禁は百歩譲って許すが、出来事が腑に落ちず思い出した今でも腹が立つ。

 場の奴らも俺以外の客も皆んなで結託してイカサマを働いて俺に大負けを喰らわそうとしたんだ。勿論、直ぐに見抜いたから懐が痛くなる事は無かったが、その代わりにイカサマの指摘に逆上した店の彼奴等から強引に店から放り出されて「二度と来るな」って大声で言われた。出入り禁止にする対応にしてはあんまりだろう、腹に来た俺は賭博場の出入り口についている護衛に向かって、何を言ったかはポッカリと忘れちまったが、兎に角激を飛ばした。まともに取りあってはくれなかったよ、ただ殴られてその時買った分だけの金を投げつけられて終わった。その時口元に出来た傷は痛かったなぁ。如何せん煙草を飲む度に染みるし、折角の煙には若干の鉄臭さとその味がした。

 人間生活する上での収入は賭博で稼いでいたから生活に困る事になった。とはいえ滅多な事じゃ負けなかったし賭博場へ行く度に盛大に儲けていたから直ぐは大丈夫だったろうが、先を見越越せば苦しみ喘いでいただろうな。しかしそうなっても心機一転汗水流して働こうなんて微塵も思わなかったね、それが性に合わないのは誰よりも一番俺が知っていたからな。でも何もせずそのまま、少なく見積もっても三ヶ月後には有り金が全部消えてそこらに落ちてる浮浪者になっていただろう。


 食い扶持である所から出禁を喰らったという事実は非常に厳しく、最後の一件に腹が煮えくりかえって仕様がなく、金の心配のことをすっかり忘れて目先の苛立ちをぶつけるため只管に酒を呷る日々が続いた。

混账东西ちくしょう!どいつもこいつも頭使ってやらねぇから負けんだよ。」

「落ち着きなって旦那、それ以上飲むと本当に体壊しちまうぞ。」

 その時足繁く通っていた屋台の親父は、俺が飲もうとしていた酒を敢えて取り上げて代わりに氷水のたっぷり入ったコップを渡すのが癖になったいただろうな。

 取り上げられたことに多少不服ではあったが、根っこに孕んだ怒りと親父は無関係。荒くれみたく投げ付けはせずに、酒と同じ様に水を一気に飲み干した。酒と違って飲むたび感じた咽せる様な苦しさも喉の焼ける様な痛みも何ひとつなくて、あれはあれで良い物だったな。氷だけになったコップを叩き置くと、店の親父はまだ酒を飲ませまいとしてまた冷えた水を注いできた。

「落ち着いていられっか、こっちは博打で生計立ててんのに。」

「それ一本で生きてんのかい、随分腕があんだな。」

 それ一本で、この言葉で荒れ狂っていた頭に静寂が戻ってきた。一本、つまり賭博以外に生きる術が全くと言っていいほど頭に入っていない俺からすれば、さっきも言った通り貯蓄が存在するとはいえそんな物は直ぐに消え去り、瞬く間に道に落ちている浮浪者となってしまうだろう。それを嫌って真っ当に生活したとしても性に合わず碌な問題しか起きないに決まっている。

 それとは別の案も一つだけ浮かんだ、賭博場は香港以外にもあるのだから海外の賭博場を宛にすれば良いと。しかしそう簡単にはいかないと思い直ぐにその考えを捨てた。如何せん違法賭博場ではしゃぎすぎたせいで、不成者共の尻尾に値しているであろう俺は警察から目印として扱われている可能性があったのだ。変に動けば真っ当な生活よりもより面倒が起こるに違いない。

 どう足掻いたって地獄しかない様な己の今後に、思わず爛れた溜息を吐いて頭をモジャモジャと掻くと、見兼ねたのだろうか屋台の親父が小さく手招きをする。様子から察するに大きな声で話せないことだろうと感じ取り、文字通り耳を親父の方に傾けた。

「旦那、あれが見えるだろう。」

 そう言って親父が指したのは、塔というにはあまりにも不格好で城と呼ぶにはあまりにも粗末な違法建築で何かと悪名の高い九龍城砦だった。一暼してまた親父に目を戻すとニタリと笑って話を続ける。

「そこの光明クォン・ミン通りってとこに、香港の外からの奴らが法外な賭博場を何十と構えてるって話なんだよ。」

「成程ね。そこ行きゃまだまだ儲けれるかもな。」

「しかしだ、九龍城じゃ外からの人間は大概碌な目に合わん。外からの人間が九龍城の治安を言い訳に使って自分と同じ外からの人間相手に悪さしてんだ。そのお陰で城内の人間は警戒心が強い。まぁ偶に城内の奴も悪さしてんだがな。そこでだ心置きなく九龍の賭博場を使うってんなら警戒されない城内の人間になるために引っ越しするってのはどうだい。旦那の様な人なら魔窟みたいなあそこで十分やっていけそうだ。」

「成程ね。にしたって警戒心が強いんなら伝手の一つでもなきゃ引っ越せそうになさそうだが。」

「もし旦那が引っ越すんなら俺が仲介するぜ、実は九龍のものなんだ。場所は確か、城内で家として使ってる奴の多い東頭村トウ・タウ・ツェン通りってところだ。光明通りから少し遠い部屋だが、今の旦那にとっちゃ好物件だろう。」

 浮浪地獄に落ちる事なくまた賭博三昧の日々に浸れる、後先考えず俺は親父の話に気安く乗った。




「ってわけで、そこから一週間と経たないうちに、殆どが違法で出来た摩天楼の一住人と相成った、ってわけだ。」

「食い扶持の一つであるとはいえ、本当に自分の欲のままに生きてるね。まぁ君らしいけど。」

 九龍城砦に来た経緯を知りたいと言った、やけに生っ白い友人は見た目にそぐわない紫煙を燻らせて俺に向かって言い放った。大きな御世話ではあるが本当の事なので深くは突っ込まなかった。

 もうすぐ日付を跨ごうかという時間帯にも関わらず、酒場であるここは外の昼間みたく騒々しくて華やかだ。どいつもこいつも清潔感に欠ける厨で作られた料理を口に運んでは酒を浴びるほどに飲んでいる。酒の勢いで呵呵大笑かかたいしょうと笑う者もいれば九腸寸断きゅうちょうすんだんと泣く者、酒に当てられてぐうぐうと机に伏せて寝てしまう者と様々であった。そんな中で、俺と友人である梓睿ズールイは場に似合わず神妙な顔で膝を突き合わせていた。話を持ちかけたのは俺、何せ最大級の危機がまた俺の身に降りかかってきたのだ。暫く二人だけで静寂を作った後、梓睿は紫煙と共に態とらしく大きな溜息を吐いた。

 「それで何でもありの此処の賭博場でも出禁を一つ喰らいかけるなんて元も子もないけどさ。」

 耳が痛い、ぐうの音も出ない。しかし俺にだって言い分はある。

「何奴も此奴も頭使わねぇから負けんだよ、外よりもう少し骨のある奴ばかりかと思ったんだがねぇ。」

「それもあるかも知れないけど、君噂じゃブラフも上手くてそれにまんまと騙される人が多いみたいじゃないか。試しに一度それ辞めてみたら。」

「博打にハンデは必要ねぇよ、真剣勝負なんだから。」

「そうかい。」

 若干の呆れの色を見せながらも、相談に乗る辺り親切な奴だと思う。否、俺の金を充に飯を食う為に渋々乗っているのかも知れないが。

 此処で梓睿はすっかり黙って了いかち合っていた視線が強引に逸らされた。一見は機嫌でも損ねたように見えるだろうが、俺は「嗚呼いつもの癖が始まった」と思い彼の気が済むまで放っておく。

 梓睿は何かを深く考えこむときには必ずこうなるのだ。現に考えている時の癖のもう一つでもある、両手を合わせて音も出ないぐらいの弱い力で”ぽんぽん”とリズム良く手を叩いている。ので、俺も彼の気が済むまで何も喋らず、此方も黙って彼の様子を伺うのが常なのだ。

 ・・・相談は真面目に聞いてくれていたみたいだ。

 

 彼が真剣に考え込んでいる間、特にやる事もないので普段より全く動く事のない友人の顔を不躾に眺めた。

 梓睿と初めてあった時の事であるが、俺は彼を女だと思って下心をふんだんに込めて声を掛けた。幾らか時間が経って男だったと判明し、最初こそ梓睿に呆れられたが、妙にウマがあったので今じゃ親友と言っても過言ではないぐらいの仲だ。と個人的に思っている。

   ---改めて見ると、本当に此処で生活しているのが不思議な奴だ。---

 先にも言った通り、梓睿は女と見まごうぐらいの見目をしている。細い体躯に白い肌がそうさせているのだろうが、更に顔も何処か中性的な線を描いているので一層どちらか分かり難い。内面から溢れ出ている所もあるのだろう、清潔な色気というのが備わっていて妙に近寄り難い雰囲気もある。

 またその見た目に反映された、欲塗れの此処じゃ珍しい理性的で禁欲的な性格の持ち主でもある。娯楽関係の店には一切立ち入ったことも無ければ近寄ることさえ嫌っている。以前、彼を騙くらかして春売り屋に行った時、憤慨した梓睿に細い体躯のどこから出たのか理解出来ない程の力で鳩尾を殴られて刹那間呼吸が止まった。以降は今みたく一緒に飲みに繰り出すか、たまに城外に出掛けるかぐらいしかしていない。それ程までの真面目が服着ているような人間だ。

 一計何か思い浮かんだのかリズムを刻んでいた手を止めて、強引に逸らされた視線が再び俺のところに戻ってきた。

「何か浮かんだのか。」

「君の身の安全が保障されるかは分からないけど、まぁ一番良い方法だとは思うけど聞く?」

 「あぁ。」

 梓睿は小さく手を招いてくる、少しだけ顔を近づけ耳を貸すと彼もまた少し体をこちらに寄せる。小さ過ぎずかと言って他の奴等には聞こえないぐらいの声量で一計とやらを静かに、淡々と語り始めた。

「いっその事、君が賭博場を開いてしまえば良いんじゃないか。否定は早いよちゃんと最後まで聞きなって。賭博場と言っても光明通りの店みたいに大っぴらに開くんじゃなくて、君がやりたい時に人を募り場を設けて、賭けなんかせずに手遊び程度にやろうって誘うんだ。正気で言ってるよ、だから最後まで聞けって。その反応みたいに君や君みたいな人なんかは、刺激の一つもない飯事レベルの場なんて段々ツマラナクなってくるだろう。そこを狙うんだだよ。君以外の誰かが痺れを切らして『賭けをやろう』と言い出すのを待ってそれにヒョイと乗っかって了うんだ。あくまでも君以外の奴だよ、君が持ち掛けては話にならない。誰かが言い出したのであれば、仮にどこぞの賭博場から因縁つけられた時の逃げになるんだから。場を設けたのは浩然ハオラン、君だけどあくまでも手遊び賭け無しで開いただけ、賭けになってしまったのは言い出した奴の口車に乗ってしまったから君は悪くない。と言った具合になる様にね。」

「・・・。」

「如何?やはりイカサマ嫌いの君にはお気に召さない案だったかな。」

「その案貰った。」

 見た目で惑わされちゃいけないみたいで、やはり梓睿はここで暮らせるだけの強かさは持っていたみたいだ。即答で返すと、普段からあまり動かない表情が目に見えて動いた。どうやら驚いたらしい。

 さて、梓睿の提案を行う上で一つ問題がある。賭博遊戯にしたって両手じゃ足りないほどの種類が存在するのだ。遊戯道具の一式を、しかも飽きる事がないよう様々な種類を集めるのは骨が折れる。外から買い込んできても良いが、変に勘ぐられて先手必勝とばかりに九龍湾の海底へ引っ越す事だけは避けたい。鈍く頭を捏ね回しながらも、それをどうするのかと目の前にいる梓睿に問えば意地悪く笑ってまた一つ案を出した。

「少し前に大金を掠め取られた賭博場あったろう。」

「あったな。あそこ場も客もイカサマばかりであまり好きじゃねぇけど。」

「そこから貰えばどうだい?以前から君の話を聞く限り吹けば消えるぐらいの弱小の場、君のその天性の手腕を持ってすればなんとでもできるんじゃない。」

「なるほどね。」

 すっかり温くなった啤酒ビールを飲んで、俺たちは店を出た。




 思いたったが吉日、既に次の日にはその弱小賭博場の一角に座って金を巻き上げていた。相変わらずしょうもない手を使って勝とうと目論んでいる奴等ばかりで気持ちの良いものではない。そろそろ頃合いだろうと思い、店主に向かって妙に芝居がかった口調で話しかけた。

「俺は前にもここで金を巻き上げたが、相も変わらず何奴も此奴も下らない事でもしないと勝てない様な雑魚ばっかだな、勿論アンタも含めて。その下らない事を持ってしても俺に負けてんだから世話ねぇけど。正直ここは張り合いがなさすぎて欠伸が出る程にツマラナイ。ここで一計、面白い賭けを思い付いたんだが一つ乗ってみないか?規則ルールは簡単、アンタが買ったら俺が持つ一切の有り金と体に詰まっている金になりそうなもん全てアンタにやる。しかし俺が買ったら此処にある全ての遊戯道具と賭博場の金を全て頂く。如何だ?最近大金掠め取られたアンタにしてみればとんでも無いチャンスだ、掴めるかどうかは運次第。さぁ伸るか反るか言ってみな。」

 少々クサすぎるのではないかと自分でも思ったがここにいる殆どが昼にも関わらず酒が入っているせいか、或いは酒以上に体に悪い物が入っているせいか、まるで映画のワンシーンみたくワァっと声が上がった。そして店主はまたとない大金が手に入るチャンスと、見下す様に言い放った俺の煽りに腹を立て簡単に乗ってきた。きたる大一番に向け急拵えで場の中央に仰々しく席が設けられた。が、対戦相手である店主は懲りもせずに妙な動きを見せていた。この空気のに妙な快感を覚えた俺は今度こそ映画スターにでもなった気分でまた一つ店主に向けて話す。

「今から大事な一番ってのにイカサマとは見過ごせんなぁ旦那。己の今後を賭けたこの一番なんだお互い天稟に任せてなきゃ楽しくないだろう。協力しようとしたお前さん等もそうは思わないか。」

 また、三下映画のワンシーン見たく声が上がり手が打ち鳴り、だらしなく握られた拳が天井に向かってゆらゆらと揺れている。俺にイカサマの準備を暴かれたことで茹で蛸みたく真っ赤になった店主は乱暴に席に着くと、癇癪持ちの子供の様に机を叩いて俺を急かした。


 足取り重く自分に充てられた部屋へ向かう。手までも鉛の様に重たくてドアノブを捻るだけでもいつも以上に時間が掛かった。部屋に入ると、雑然と広がる荷物の山の中に平生通りに真顔の梓睿が静かに座っていた。重い体を休ませるため散らかっている小物を雑に足で退かしてそこに座ると、梓睿は態とらしく溜息を吐いて目に見えてわかる様に不機嫌を形作った。

「上手いこと勝ったのは別に良いんだけど、体を動かすのが嫌いな僕を荷物運びに使うなんて良い度胸だね。」

「悪いって、分捕った金の半分やるからさ。」

「要らないよ、そんな出所の分からないお金なんて気味が悪い。」

 あまりにも潔癖な彼を見て何故か心の底から安堵し、重く感じていた体は羽の様に軽くなった。己の命を賭けるなんて大口を叩き全てを運に任せようだなんて、自信はあったとはいえやはり内心怖いものはあった。

 結果としてチャンスの尻尾は俺が掴み取った。極度の緊張のせいで大一番の出来事はすっぽりと抜け落ちているが、負けを背負った店主の必要以上に開かれた目とだらしなくあんぐりと開いた口にそこから流れる細い唾液の川の光景は覚えている。一歩間違えれば俺がああなっていた、いやそれ以上に呼吸すら出来なくなる所だった。

 床一杯に広がる賭博遊戯の道具たちを見下ろして梓睿は煙草を取り出す。彼に続いて俺も煙草を取り出して火を点けた。少なからずあった紙幣の束と大量の遊戯道具を運んだせいで、俺も梓睿もこれ以上動く気にはならなかった。心地の良い静寂は続いたが、梓睿が灰皿を使って丁寧に火を揉み消してやっと口が開かれる。

「この際お金はいいとして、こんなに沢山道具要らないだろ。如何するの。」

「イカサマの跡がやたらあるし、結構ボロボロだから使えそうなのだけ置いて残りは捨てる。」

「・・・確かに、この扑克牌トランプも麻雀牌も傷の位置とかでなんの札か判りそうだ。」

「そこも考えると殆ど使えねぇから買い直しだな、金も巻き上げといて良かった。」

 梓睿が手に持っていた扑克牌を取り、何かやろうと誘うと苦虫でも噛んだ様な顔で渋ってきた。勿論、真っ白い彼相手に金を賭けたことをする気は毛頭無い、そのことを伝えると「それなら」と言って向かい合う。二人だけしかいない扑克牌遊びは何時もの賭博に比べれば随分と生温い物であったが、流れる時間の穏やかさは先程まで興奮と恐怖で滅茶苦茶になっていた自分の体を冷たく落ち着かせるのに充分な心地良さだった。二、三回ほど遊戯ゲームをすれば、お互いに紙牌カードに付けられた傷だけで何か判断できる様になってしまい、茶番にしかならなくて苦笑いが出た。




 それから。主には光明通りの賭博場が主な拠点だったが月に数度だけ自室で身銭を稼ぐ日々になった。一度だけ界隈の頭に睨まれたが、梓睿の言った通りにある意味真実だけの言い訳を述べてしまえば案外あっさりと鵜呑みにされ、九龍湾のど真ん中への引越しはなんとか免れた。ごく稀に本当にただの遊びだけの場になる事もあったが、新しい攻め方の考案を思い付く切っ掛けになった事が多々あったので、それはそれで俺にとって良い結果になった。

 幾度か場を開いて一つ面白い事に気付いた。それは、刺激の無い賭博に焦れて賭けを言い出した奴ほど信じられないぐらいに負け、裏腹飯事の賭けを楽しんでいた奴と鴨を待っていた俺の方が綺麗に勝っていくのだ。仮令、言い出した奴が勝ったとしてもしょっぱい結果になり大勝ちだけは見受けられなかった。

 なんであれば今もそんな状況が出来上がっており、言い出しっぺは机に顔を伏せ上手いこと勝たない己の状況に対し怒りで肩を震わせている。そろそろお開きにしようと言うと真新しく買い直した雀卓をひっくり返し、折角俺と梓睿で片付けた部屋の床に麻雀牌を散らして帰って了った。

 残された俺と先に帰った男に引っ張られてきた残りの二人は、誰一人として彼を追いかける事なく機械的に決められた配当金を取る。その二人の帰り際に、今度は正式に賭博場でやろうと言うと「アンタは強すぎてやろうとも思わねぇ」と苦笑いで言われてしまった。


 閑古鳥が鳴くほどに静まった部屋、散らばった麻雀牌を片付ける気にもならずそのまま煙草を取り出して深々と吸う。気管辺りに焼けた様な仄かな痛みを広げて一気に吐き出す、軽いノック音が静まった部屋に響いた。鍵を開けたままにしていたので、勝手に入る様に促すと短髪の美しい女性、ではなく梓睿が顔を出した。

 元々細い身体つきではあるが、以前呑み交わした時よりも更に細くなりどこか窶れた顔をしていた。屹度また禄に何も食わず、己の心の中を書き出すのに没頭していたのだろう。彼が近くまで来ると動かぬ表情そのまま、少しだけ眉間に皺を寄せて部屋の惨状を見回していた。

「この間あの大量の荷物片付けた筈だが。」

「負けた奴が怒りに任せた結果。」

 俺の答えを聞くと「そう」とだけ呟いて、散らばる牌を軽く退かして床に座った。暫く会っていなかったので、お互いに軽い近況と四方山話に花を咲かせた。簡単な話題も無くなりかけ、痩せ細った梓睿に何か栄養を入れてやろうと思い飯に誘おうとした時、若干野太い女性の怒鳴り声とやけに情けない男の大声が聞こえてきた。

 野次馬心が騒いだので二人して顔を見合わせた後、玄関先から顔だけを出して声のする方を見る。そこには先刻怒りに任せて人の部屋を汚した男とその奥さんと思しき人が、廊下まで躍り出るほどの乱闘と口論を繰り広げていた。

 口論といっても主に奥さんが一方的なまでに怒鳴り付けている。その顔は以前、梓睿の部屋の本棚に入っていた資料の一つで見た般若と呼ばれる鬼のお面の様な形相になっており、男の方もこれもまた以前、梓睿の部屋にあった資料の一つで見た地獄を模した絵にいた亡者の様な情けない形相であった。

 俺ら以外にも野次馬がチラホラといて、自室の扉や窓から顔を覗かせ夫婦の様子を眺めいていたが、渦中の二人はそんな視線をお構いなしに片や烈火の如く片やしとどに振る雨の如く口論を続けていた。

 殆ど言葉になっていない奥さんの声を聞き取ってみると、どうやら男は彼女が必死に働いて稼ぎ子供にお小遣いとしてあげる筈だった金を盗み、挙句辞めたと言っていた賭博をしに場へ行った事が怒りの発端らしい。しかし男の言い分は、子供への金を使ったのは事実だが賭博場へは行っていない、と泣きじゃくりながら繰り返していた。黙ってその光景を見守っていると

「確かに行っていないんじゃ無いかな、賭博場自体にはだけど。」

「言うなって。」

「返さないの。」

「残念ながら彼奴の金は俺と他の二人で分けちまったからな、元の金額なんて検討がつかん。」

「ものは言い様だね。」

「男の自業自得だろ、殆どは。」

 小さく笑って顔を引っ込めた。


 微かに夫婦喧嘩の声が聞こえる部屋のど真ん中に再び腰を下ろす。改めて飯に誘おうとした時、自室での賭博の際に起こる不思議な出来事を思い出して軽く梓睿に話してみた。彼はその話を非常に面白がり、酒場で詳しく聞かせてくれと至極楽しそうな声音で喰いつき、今後そういう奴がきた時はそいつの身の回りの事情を知ってる限り話してくれとまで頼まれた。厄介な面倒事に聞こえるかもしれないが、梓睿にとっては大事な事なので快諾した。

 その返事に無表情な満足気を見せた彼は、機嫌がいいのか普段は決して触ろうとすらしない麻雀牌を一つ二つと手に取って絵柄を眺めだした。無知の子供みたいな雰囲気で牌を観察をする梓睿に、勿論冗談で、飯の後に一発賭けてみるかと笑顔で言うと額のど真ん中目掛けて麻雀牌を投げつけられた。

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