最高の記憶術

早海 獺

01

 ぼくがいま住んでいるのは、記憶術に登場する架空の街だ。


 ほら、聞いたことがあるでしょう? たくさんの事物を覚えるために、頭のなかで街を思い出すっていうやつ。郵便局、ドーナツ屋、銭湯、神社……。自分が実際に住んでいる街をもとに、実在する施設のひとつひとつに覚えておきたいものを結びつけて、イメージを定着させるというあれだ。


 この記憶術の創始者は、古代ギリシャで詩や音楽を作って暮らしていたシモーニデースだと言われている。ある日、祝宴に呼ばれて詩歌を披露していたシモーニデースは、ふたりの男が自分を訪ねてきたと聞いて宴席をはずして外に出るんだ。すると激しく地面が揺れ、ついさっきまでいた建物が崩壊してしまう。建物にいたひとたちは、あわれ、ぐちゃぐちゃのぐちょぐちょ。だけどシモーニデースは宴に参加していたひとが事故前にどこに座っていたのか、家具や食器の配置と結びつけて覚えていたので、犠牲者たちの身元確認がスムースにおこなわれたっていうんだ。


 古代ギリシャと言ったら、イエス・キリストが生まれるよりも何百年も前の話だ。だからもうかれこれ2,500年以上? それだけの長い歴史に裏打ちされた、信頼できる記憶術のひとつなのだ。YouTubeのお勉強系動画の広告に表示される怪しげな記憶術とは、もう年季が違ってます。


 さてさて。こういった街を作るのは、もちろん何かを覚えたいと思っている人間なんだけど、ぼくはそういうひとたちのことを個人的に「ジョニィ」と呼んでいる。もちろん、出典はギブスンのあれだ。必要なそのときその場所まで、覚えておきたい情報を都市ごとまるまる運んでいく運び屋であるわけだからね。


 で、ぼくの住む街を作ったジョニィさんは、タモさんが『笑っていいとも!』でこの記憶術を披露してたのを観て、この街を作ったんだ。え? 架空の街の一介の住人が、どうしてそこまで詳しく知っているのかって? まあ、それについてはあとで話すよ。ともかくジョニィさんはそのとき高校三年生で、大学受験生だった。そしてジョニィさんがぼくの街を使って覚えようとしていたのは、元素の周期表だった。


 だからぼくの街には、郵便局の前にいつも水素自動車が停まっている。ドーナツ屋のアルバイト店員は、声がかなり高くて海外アニメのアヒルみたいな声。銭湯のせっけん箱にはリチウムイオン電池が置かれているし、神社には大魔王ベリリウムが祀られている。


 普通とはちょっと違って奇妙に思うところもあるかもしれないけど、住民の行動はいつも決まりきっているし、犯罪もジョニィさんがあらかじめ設定したもの以外はないから、昨年の「住んでみたい記憶術の街・ベスト30」にも選ばれたくらいなんだ。


 さて、ぼくの街についてだんだんわかってくると、いよいよこの街に住んでいるぼくがいったい何者なのか、きみは気になってくるだろうね。


36番街の大統領府で執政をしているクリプトン大統領? 56番街の牛乳屋で200ミリリットル瓶入りのバリウムを販売している横流しの薬剤師? それとも113番街の高級生食パン屋で行列を作っている新しいもの好きの日本人?


 残念だけど、どれもハズレ。


 実はぼくは、いままでこの街で確認されている118の施設のどことも結びついていない。いわばフリーランスのキャラクターだ。だからこうやって好きに街のなかを歩き回れるし、この街の仕組みをきみに自由に話すことができる。そんなこと、記憶の手助けをするために作られたイメージの産物にはできやしない。彼らは自分が何者かなんて、まったく疑問にも思いやしないんだからね。


 そろそろ正体を明かしてしまおう。ぼくこそがこの街を作ったジョニィ。この街のジョニィさんはぼく。夏休みに昼食のそうめんをすすりながら、『笑っていいとも!』を観てこの街を創造することを決意したのは、このぼくなんです。だけどここのほうがあまりに居心地が良すぎて、塾の年末年始特訓が終わったあと、センター試験の一週間前にこっちに引っ越してきちゃったんだ。


 いまはちょっと声がアヒルみたいなガールフレンドと、夜になると赤・黄・緑のけばけばしいネオン管があちこちで輝く第10大学でキャンパスライフをエンジョイしています。

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最高の記憶術 早海 獺 @junicci

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