1949年 「戦中最大の猟奇殺人鬼 潤土の魚人の謎に迫る」 (『實話特集』〇四号)


■暦1945年夏、潤土うるんど村では12人の男性が殺害された。事件は当時細部の報道が為されなかった程に酸鼻を極めるものだった。何の変哲もない漁村に一体なにが起きたのか、 全てを知る犯人は未だ捕まっていない。


 12人の被害者の亡骸はいずれも男性器を切除された状態で発見された。

 第一の被害者B.N氏(72)の窒息死した遺体が発見されたのは不運にも記録に残る猛暑日であり、最高気温41度を記録していた。未明に行方を晦ませたB.N氏が再び発見されたとき、直腸内と口腔に詰め込まれた魚は凄まじい高温により既に腐敗が進行していた。ねじ切られた男性器は翌日、1100m離れた地点で発見された。尿道には源氏物語の和歌を結んだ造花が挿されていた。『袖濡るる恋ぢとかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞ憂き』。B.N氏は漁業者仲間の総代ではあるが傲慢な性格で知られており、恨みを買う事の非常に多い人物であった。

 甥のG.N氏(40)が第一容疑者として挙げられていたが、彼もB.N氏の葬儀の晩に同様の悲惨な死を遂げる。

 その晩殺害された11人はB.N氏の親族と姻族の男性である。いずれも死因は窒息死であり、口腔に魚を詰め込まれた事が影響していると思われる。T.N君(14)、F.U君(12)、T.U君(11)を除いた被害者は肛門にも魚を挿入されている。

 これは事実上不可能な犯罪だった。他の女性親族は同じ家で葬儀の支度と炊事を行なっており、互いの所在を確認している。侵入者がいたとしても、誰もそれを目撃しないという事は考えづらい。被害者に抵抗の形跡がなかった事から女性達が共犯になって薬物を盛ったのではないかという疑惑もあったが、遺体からは何も検出されなかった。


 捜査陣から「潤土うるんど魚人ぎょじん」と渾名をつけられた真犯人の手がかりは未だに発見されていない。N家に非常に強い恨みを持つ人物として唯一名前の挙がったM.N嬢は癲狂院に送られている。

 

 地元住人からはこの事件はオカルト的な見方をされているようで、取材を拒否された。

 しかし取材班は信じがたい事実を突き止めた。

 文献によれば男性のみを標的にした連続殺人事件が、1601年から現在に掛けて複数回記録されているというのだ。

 

 1601年には87人が死亡。

 1689年には4人が死亡。

 1764年には9人が死亡。

 1890年は16人が死亡。


 1601年の死亡事件を元にしたと見られる伝承ではまず盛遠という男が人魚を犯すも、陰茎を捻り切られ、腹に魚を詰め込まれる。盛遠の一族の男衆は人魚を殺して海へ投げ込む。すると彼らは人魚に呪われ、盛遠の通夜で全員が陰茎を切られて死んだ。──そして、最終的には人魚の祟りにより集落の男性全員が死亡したと言うのだ。

 

 平穏な集落の裏には我々が考えている以上の血塗られた歴史があるのではないか。

人魚の祟りに似せた儀式を行うカルト教団か。あるいは本当に、想像もつかぬようなおぞましい怪物が





──(後略)──



 

 


 

 

 

  

 

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