堕ちた天使は

あの……助けていただきありがとうございます。

 下水道街に帰ろうと思っていたんですけど、地上臭いって言われて、追い出されたんです。かといって地上ではもちろん天使は受け入れてもらえないんですよ。

 何故って? そう決まってるからです。ですからこのような地下室を与えてくれたあなたには、感謝してもしきれません。そもそもの話、仮に地上に受け入れてもらっても、私が地上で長く済むことに耐えられないんですよ。

 ですから時計塔の攻略に当たっては、国の研究機関が作った薬を毎日注射してしのいでいました。

 はい。はい。そうです。たしかに。私は国の支援を受けて時計塔に飛んで上りました天使の一位です。

 隊長について聞きたいと?

 彼はこの国の空軍に所属するパイロットでした。両手両足を失い機械の手足で歩くひと。もはや体の一部となった義手義足を直接戦闘機とつなぎ、大空を飛ぶという彼の飛行スタイルは、自分の翼で飛ぶ私たちには共感を抱きました。そして彼は時計塔病にかかっていました。視線が固定され体が動かないのならば、機械の体をつけて無理やり動かせばいい、というのは、国が考えた最も愚かな時計塔病対策の一つですが、彼もまたその奇策の被害者でした。かつての内紛での飛行中に、時計塔病にかかり、墜落し体の大部分を失ったようです。まだ実用化段階でなかった自動義手及び自動義足は奇跡的に隊長の体に適正があったようです。しかし反転崩壊以前の失われた遺産技術を無理やり見様見真似して作られた自動機械故、メンテナンスが恐ろしく困難で、生前数年程度しか動かし続けることができない。さらには同じものを作るには恐ろしくコストがかかるので、まだ人間を使い捨てたほうが安くなるという失敗作でした。

 コストをかけすぎた一兵をそのまま廃棄するにはなかなか体面が悪いと思ったのか、国は彼を豪華な装飾にくるんでゴミ箱に入れるということを選びました。すなわち成功確率が低い英雄的行動をさせそのまま帰ってこないことを願うという、政治的発想で塗り固められた作戦。一度死したよみがえった半機械兵と失われた神話に住む被差別階級の冒険譚。

 笑っちゃいますよね。でも使い捨てとして選ばれ、誰からも失敗すると思われている作戦を成功させるのって燃えますよね。本当に成功させられたらですけどね……

 先ほど自分の翼、と言いましたがそれは間違いです。私たちの先祖はこの背中の翼で大空を飛んでいたといいますが、地下で暮らす天使たちの翼の役割は、体を温めたり、汚水の中を泳いだり、手で何かものを取ったりするのに使うだけです。

 ですから作り物の翼をつけてもらったんです。

 大空を飛ぶ訓練は過酷でした。普段使っていない筋肉を使えるようになるまで鍛え、背中の肉がはがれたこともありました。地上にいるうちは拒絶症状に苦しめられ、薬を使っても副作用に悩まされました。そんな血のにじむような毎日の中です。絶対に成功させたいって思うじゃないですか。

 私は糞と死体の流れる川で毎日を過ごしていました。地上から投げ捨てられるごみや糞や死体やそれを食べている虫や魚を食べて毎日を生きている。もう慣れていましたけど、ふと天井の隙間から見える空を見て、これ以外の暮らしもあったのかなって思うことがありました。だから隊長が地下に来た時真っ先に志願したんです。私も先祖様みたいに空を飛んでみたい。そして何かを成し遂げてみたいって。


 旅の途中は過酷だったかって?

 確かに……そうですね。幾位もの仲間たちが狂いましたし、死んだ天使たちも少なくありません。なんとなく、ずっと搭の外を飛んで行ったと思われてそうですが、実際は半分くらいは内部を歩きました。塔を中心に嵐が吹いている所もあったので、ずっと外を飛ぶというわけにはいきませんでした。例の戦闘機は歩行携帯に変態することが可能なので。

 ただ外を飛ぶという工程を混ぜたことで、旅にメリハリがついて狂いづらくはなっていたはずです。

 印象的な場面といえば……月の内部まで時計塔が貫いていたんですが、塔の内部もまたそこだけ階段が崩れており、通ることができませんでした。そのせいで月の上に降り立って、かなりの遠回りを強いられることになったんですよ。

 ほかにも星雲から降り注ぐ光る雨を見たときは、流石に内部に避難したほうがいいんじゃないかと思われましたけど、そろそろ時計の針の音が頭から取れなくなっていたころだったので、これ以上の塔内の進行はより危険と判断され、やむなく雨中行軍となりました。

 そしていくつもの壁を乗り越え、私たちは天上の門を開くことに成功しました。

 螺旋階段の果てにある時計塔の最上階にして最下層、天元にして深淵、そこには部屋を埋め尽くすほどの巨大な異形のウサギが陣取っていました。首から上が懐中時計の形をしていて、「私が時計の悪魔です」と言わんばかりのわかりやすい外見です。そしてその頭には大きな剣が刺さっていたんです。

 隊長が言うにはあれは第7期探塔者の『哀患あいわずらいのイナベル』の剣だそうです。よく見れば首輪がつけられており、それは第3期探塔軍の『開闢将軍ライガ』のもの。焼きごてで燃やしたような文字がありましたが、あれは第5期探塔者『死刑囚541番』のつけた呪いだそうです。

 これまでに数々の探塔者が時計の悪魔に挑んで死んでいったようです。その前任者のおかげで、私たちは悪魔に勝つことができました。

 弱っていたとはいえ、簡単だったとは言えません。

 最後に残った天使はたった3人だけ。

 天国の門を開けられる状態になったものの、まだ問題はありました。

 このまま全員が入ってもいいのかと。

 もし入ったら悪魔が待ち構えていて全滅ということもありえました。しかし最初の目的が天使を天国へ入れるというものです。誰かが入らなければならなかったのです。結論として私一人が成果を報告するために引き返してきた、というわけです。このまま再度天使を天国へ送り続けるのか、または別の方法をとるのか。そのどちらにしても成功報告をする必要はあったのです。

 でもですね

 でも……帰ってきたときにはもう王は死んでいて、研究所や軍も代替わりをして、私たちのことなんて、誰も覚えてなかったんですよね。

「ふざけるな」って叫びたかったです。でも思ったより怒りはわかなくて、「やっぱりな」って気持ちも大きかった。本当に長い間旅をして、最初の目的なんか忘れるぐらいにいろいろあって、自分のやってることが無駄になるんじゃないかって疑ったことが何度もあって。だから「やっぱりなって」

 そんな怒りの気持ちがわかなかったことが悔しかったです。すべて無駄になってもそこまで傷つかなかったことに傷ついて……

 ですから

 ですから!

 あなたに話を聞いてもらえて本当にうれしかったです!

 私の! 私たちのことを知っていてもらえて!

 時計の針に糸をかけて首を吊ったあの子のことも! 

 狂った前任者の刃から仲間をかばって死んであの子のことも!

 隊長の首を抱えて、天国へと旅立っていったあの子のことも!

 私たちのことをせめて誰かに覚えていてほしい、それが望みでした……

 すみません……取り乱してしまって……

 はい、ありがとうございます。おいしい紅茶ですね。

 奥さんが入れてくれたんですか? ふふ、きれいな人でうらやましいですね……

 目元の黒子が魅力的で

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ねじまき天使計画 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ