下水道街の天使
旅人は地上から、下水が流れる地下街にやってきた。
生活排水や工業廃水が入り乱れて流れる場所だ。強烈な臭気によって、マスクなしでは数分で体調を崩す。旅人は皇国製のマスクをつけていた。
下水が流れる川にそって存在する遊歩道に、小屋が這いつくばるように並んでいた。小屋では下水で取れた虫や魚、蒸気機関の分品に、怪しげな薬、など様々なものが売られている。そこに住む者たち――主に子供が寄ってたかって旅人のもとの足元により、押し売りをしてくる。旅人は彼らから逃げるように進んだ。
ふと下水道街に住む人々には共通する特徴があると気が付く。
彼らは皆背中から羽のようなものを生やしていた。
排水により薄汚れていて、灰色や黒に染まっているが、その姿はまさに天使のようだ。だがしかしこのような地下では使う機会がないのか、様々な奇形へと変化した個体も見られる。汚水を泳ぐために進化したのか、鱗のような形をしたもの。かと思えば、本当に飛べそうなほど大きな羽を携えたものもいた。
旅人は泊めてくれた男の言葉を思い出す。
むかしむかし。
かつて天の上には天使が住み、地の上には人が住み、地の底には悪魔が住んでいた。
地には天から汚物が流れ込み、地下には地上の汚物が流れ込んでいた。
人と悪魔は天を羨んだ。そこで悪魔は人をたぶらかす。
「そうだ、時計塔を作ろう。天まで届く巨大な時計塔を。大丈夫。天使は寛容だ。きっと許してくれる」
実際天使は寛容だった。塔が空に届こうとも、人や悪魔を許し、天に足を踏み入れることを許した。
そこで悪魔は時計塔を軸にして、天と地をひっくり返した。
海が雨と変わり、山が天の底へ降り注ぐ。多くの人が叩きつけられ、死に至ったが生き残りは存在し、それらが私たちの先祖となった。
天使の住まう場所は地の底へと変わり、汚水が流れ込むようになった。神聖さは失われ、かつての悪魔と同じ生活を余儀なくされた。
天の上には悪魔が住まう。
この地は悪魔が統べる地。
悪魔に謁見したいのなら、時計塔を上るといい。
時計の悪魔が待っている。
この国にいくつもある神話の一つだそうだ。
信じている者が少ないのは地下から出られない天使たちを人が見下しているからだという。このような卑しき者たちが、かつて天の上に立っていたはずはないと。ならば何故天の使いと呼ぶのだろうか、と旅人は疑問に思う。ただの翻訳による違いなのだろうか。
ふと少し開けた場所に出る。一人の男が、中心に立ち天使を集めていた。
男の服の汚れ具合から、彼もまた地上からきていることを 旅人は察した。
この国の空軍に所属する男のようだ。説明をするために身振りをして大きく動いていたが、油が刺されていないモーター音を響かせていた。両手両足は機械のようだが、少なくとも頭から上は生身だ。フライトキャップの隙間から、赤い髪がはみ出ている。奇妙なことに首をあらぬ方向に向けて、演説をしていた。
『天国へ行きたくないか?』
喉も生身ではないようだ。わざとらしい人口音声が口から発せられた。
天使たちはヤジを飛ばす。
「薬を売りに来たのか? ならばくれよ」「夜の相手を探しに来たのなら、ここから西へ歩くといい」「王の命令で私たちを殺しに来たのか?」
男は天使たちが静かになるのをじっと待った。そしてまた無機質な声を地下に響かせる。
『そのどれでもなく、そのままの意味だ。時計塔病は天使達を地の底に落とした罪悪感によって引き起こされる。だから天国へ天使を送る。そうすれば、時計塔病は改善される。それが王の考えだ』
その言葉に天使たちは興奮し始めた。
もし行けるのなら行ってみたいという天使。だまして売り飛ばすつもりだと疑う天使。悪魔のいる場所なんて言っても碌なことにならないと冷静な天使。
皆の声が入り交じり、よく聞こえなくなったため、盗み聞きに限界を感じた旅人が
彼らに近づいていった。
「すみません。私は皇国から来た旅人なんですが、今言ったことは本当でしょうか? だとしたら私の見聞録に書かせてもらいたいのですが」
時計塔の国を侵略しようとする国はいない。病んだ土地をわざわざ自国の領土に入れたくはないし、ゴミ捨て場の管理は自分でしたくないと思っている。だからスパイだとあらぬ疑いをかけられることはほぼない。
『書きたいのなら勝手に書くがいい。だがわざわざ説明するつもりはない』
そういうと男は数位の天使を連れてその場を後にした。
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