聖女の魔獣訪問Ⅰ -神獣・王獣編-
0・月光龍
魔王城、謁見の間。
魔王セルフィスは眉間に深い三本の皺を刻み、目を閉じている。
そんなセルフィスを、睫毛が意外に長いわね、とか思いながらじっと見下ろす私、聖女マリアンセイユ。
例によって、セルフィスの膝の上。相変わらず私用の椅子は無いのよね。いつの間にか控えの間のテーブルと椅子も無くなってるし……。
まぁ、今はそれはいいわ。とっても大事な話をしてるんだから。
「ちょっと、ちゃんと聞いてる? 私の話」
「聞いています。……が」
セルフィスがゆっくりと瞼を開け、その金色の瞳でちらりと私を見上げた。
「了承しかねます。魔獣訪問など、必要ありません」
「何でよ!」
「もう聖女はわたしの伴侶だと。きちんと周知徹底しましたから、彼らには」
「そういう問題じゃないでしょ!」
私が魔界にやってきてから一カ月以上が過ぎた。働いてくれているハッチー達やカバロン達とも一通り顔を合わせたし、コミュニケーションも取れてるし、『聖女の匣迷宮』の探索は十分に出来たと思う。
そろそろ、次のステップに進みたいところだわ。
そこで、思い出したのよ。
聖女シュルヴィアフェスは、いきなり魔王の下へ来たわけじゃない。その前に、まず王獣に会って聖女の魔法陣を授かり、それを護符として八大魔獣を一体一体説得しに回った、ということを。
私は聖女の魔法陣はすでに入手している。そしてすでに魔王の傍にいる訳で、その工程が不要と言われれば、それはそうなんだけど。
でもそれは、何か違うと思う。
『社長の妻だから社長夫人よ、だから私もエラいの。さぁ言うことを聞きなさい!』
みたいな傲慢さを感じるのよ。
わかるかなあ~。ほら、『何もしてないくせに』ってやつね!
「ちゃんと挨拶したいの。会ったことのない魔獣もたくさんいるし」
「それなら、一度全ての魔獣をこの場に呼ぶのでそこに同席すればいいことです。それで十分でしょう」
それも本当は嫌ですけどね、とセルフィスがひどく不機嫌に言い捨てる。
「そういうかしずかれた状態じゃなくて、個の付き合いをしたいんだってば」
「個の付き合いはわたしとだけで十分です」
「そんな訳ないでしょー! 私を洗脳するつもり!?」
「そういう訳では……」
「あのね、一方向の情報しか与えないのを洗脳っていうのよ。だいたいねぇ、最初のあのときだって、初対面のセルフィスに頼ろうと思ったのは客観的かつ偏りのない情報を仕入れたかったからだからね!」
結果的には、かなり偏っていたような気もするけど。まぁいいわ。
とにかく、もし私がセルフィスの望むような狭い世界で満足する人間だったら、あのとき警戒しまくって拒絶してるわよ、きっと。
私の言葉に、セルフィスはひどく意外そうな顔をする。その表情はどこか残念そうというか、淋しそうというか、そんな感じで。
「そうなんですか?」
「そうよ。……って、何でそんなにガッカリしているの」
「てっきり運命を感じてくれたからかと」
「違うわよ、悪いけど」
そっちは単に話してみたかっただけ、とか軽ーいこと言ってたくせに……。勝手なものよね。
「とにかく一度、魔王以外の魔の者に会いたいの。彼らは魔界から繋がる世界各地に棲み処を構え、時には地上を眺めているんでしょう? 他の魔獣の生の声を聞いてみたいのよ」
「……しかし」
“――いいのではないか?”
開け放たれた扉から、
「
“その報告に来た。マイヤは『聖女はどうしているのだ』と心配している”
月光龍がフン、と鼻息を漏らす。扉を開け放しておいて入って来るなはおかしいだろう、とボヤいた。
そうよね、
マイヤ……フィッサマイヤのことかしら?
「マイヤは心配性なだけですよ」
“それに、ルークも『我々に見せられないというのはいかがなものか』とブツブツ言っているようだぞ”
「ほらぁ! 私がひどく礼儀知らずみたいになってるじゃない!」
「ルークは堅物なだけです」
セルフィスは不愉快そうに言い捨てると、四本に増えた眉間の皺を見せつけるように私を睨み上げた。
「おかしいと思いました。マユが独りでこの謁見の間に来るなど。ソールワスプが手引きしたにしては大胆すぎますし……なるほど、ムーンが協力したんですね」
「たまたま会えたから、お願いしたの」
「そんな訳ないでしょう」
まぁ、そんな訳はないけど。
ハッチー達が
「しかもそんな恰好で……」
「魔王と聖女の約定のもとに、お願いしたかったからよ」
今日の私の衣装は、セルフィスが用意してくれた『匣迷宮』のカラフルなドレスではなく、真っ白なワンピース。
銀糸で刺繍された腰布を巻き、薄いレースのショールを肩にかけ、そして頭には二連の銀の環と長くたなびくベールを身につけている。
極めつけは、左手の薬指に填められた金色の蔦が絡んだような指輪。
そう、あの日の『聖なる者』の出で立ちよ。今の私はマユではなく、リンドブロム大公子ディオンの正妃、『魔物の聖女』マリアンセイユ・フォンティーヌとして魔王セルフィスに謁見に来たのです。
「――魔王」
左手でセルフィスの右頬に触れ、私の方に顔を向けさせる。そっと右手で、眉間の皺に触れた。
セルフィスの目元からゆるゆると力が抜けていく。
「わたくしにちゃんと、聖女の役目を果たさせてください」
一言一言、思いを込めてセルフィスに告げる。
「わたくしは――胸を張って、あなたの隣に立ちたいのです」
* * *
“……なかなか、面白い見世物だったな”
私を背に乗せた
一方の私は、肩にずっしりと重しを載せられたようにひどく疲れていた。はあ、と溜息がこぼれる。
「面白くするつもりはなかったのですが……」
“あんなに感情を剥き出しにする魔王は、かなり珍しい”
「ですわよね……」
思わず宙を見上げ、さきほどのセルフィスとのやりとりを思い返す。
私の渾身の聖女演技もセルフィスには全然通用しなくて、
「だいたいその指輪は何ですか」
「正妃の証、言うなれば約定の証よ」
「要はディオンの妃ということでしょう。不愉快です」
「名ばかりの妃よ。それに正妃だからこそあの場を収められたのよ?」
「そんな事態になった事が腹立たしいんです。だいたいマユは深慮が足りません」
「失礼ね! よく考えたからセルフィスの傍に来れたんじゃないの!」
「だからこのままわたしの傍にいればいいんです」
「それこそおバカそのものじゃない!」
「もうおバカでいいんですよ」
「いい訳ないでしょ、むしろこれからでしょ!」
「暴れないで……とにかく、おとなしくわたしの膝の上にいてください」
「それもどうかと思うの! いい加減、椅子を用意して!」
「では、椅子を用意しますから魔獣訪問などやめてください」
「じゃあ椅子は要らないから魔獣訪問に行かせてちょうだい!」
という訳のわからない口論に発展した挙句、
「もう、認めてくれないなら本当に勝手にやるから!」
「やれるものならどうぞ」
「あ、そう、言ったわね。じゃあやるわ。こちらからお伺いできない以上、聖女の魔法陣で呼ぶしかないわね。そうだ、クォンを……」
「やめてください!」
という最後は脅しのような感じになって。
そしてようやく、セルフィスは眉間に五本の皺を刻みつつも渋々認めてくれたのだった。
そして出かける前に、
「ムーンの傍から離れないでください」
「防御魔法はかけますがそれでも魔界の風にあてられる場合もありますから、長時間外に出ないでください」
「魔獣を呼ぶ際は真の名ではなく、必ず通称で呼びかけてください」
「話を聞くことを主眼に、あまり根掘り葉掘り質問しないようにしてください」
「魔獣達との距離に気を付け、不用意に近づかないようにしてください」
「マユと呼ばせるのはわたしと聖獣だけにしてください」
とやたら注意事項を並べられ、
「きちんと守ってくださいね、マユ」
と最後に『怒髪天/右半身ビキビキ魔王モード』の笑顔で言い渡されたのだった。
……ところで、最後の注意事項は身の危険と何か関係あるのかしら。あまり意味がない気がするのだけど。
「お見苦しいところをお見せしましたわ。申し訳ありませんでした」
“それより、なぜ言葉を変える?”
「は?」
“先ほどと随分違うが。取り繕う必要はなかろう”
先ほどって、セルフィスと口論になってたときのこと?
そんなことを言われても……。魔王の相棒、神獣・
今だって、魔王に言われたから私をフィッサマイヤの元へ連れて行ってくれているのだし。
「え、でも……」
“普段通りで構わん。アレを見たあとでは体がむず痒い。それと、『ムーン』でいい。長い”
「なが……」
まぁ確かに、セルフィスとのおかしな口喧嘩を見られたあとじゃねぇ……。なに気取ってんだ、って感じになるわよね。
恥ずかしくなって紅潮した頬を誤魔化すように、コホン、と一つ咳をした。
「では、お言葉に甘えるわ。ところで魔王は目覚めたとき、ムーン以外には隠していたそうだけど……」
気を取り直して、そう切り出してみる。
だって神獣だしね。ある意味、魔獣の頂点。なかなか会える機会は無いし、この際だから話を聞いておきたいわ。
“たまたまわたしが魔王を見舞っていた時に目を開けた。でなければ、わたしも気づかなかっただろう”
「そう……。じゃあ、どうしてあのときマデラギガンダは魔王が目覚めたと知ったのかしら」
セルフィスが本当に目覚めたのは、私がホワイトウルフを討伐したとき。
物語への関与を禁止されていたセルフィスは、本来なら物語を終えるまで隠したかったはずよ。
でも実際には、物語の幕が閉じる前に魔王の覚醒は魔獣達に知られていた。
“なぜわたしに聞く? 魔王に聞けばよかろう”
「いま急に気になったからよ。他意はないわ」
それに許可が無い限り魔王城には入れない魔獣達がどうやって知ったのかも疑問だわ、と続けて言うと、ムーンはフン、とやや馬鹿にしたような吐息を漏らした。どうやら“フン”はムーンのクセのようだ。
“魔獣達――いやすべての魔の者は、魔王の復活を願っていた”
「……」
“入れずとも、魔王の領域を見上げることはできる。あのとき、魔王城から魔王の魔精力が辺りに放たれ、真っ黒だった世界に金と銀の光が現れた”
「ああ、あの……」
魔王直轄エリアの天空には金と銀と黒の斑模様が浮かび上がっている。あの金と銀が、魔王健在の証なのね。
“地上から急に魔界に戻る羽目になり、抑えられなかったと言っていた”
「魔精力を?」
“そうだ。初めて目覚めたときは、魔王の身に何か起こったかと咄嗟にわたしが結界を張ったから事なきを得たが”
というと……やっぱり、あの最後に口喧嘩をしたときかしらね。ヘレンとアイーダ女史が現れて、セルフィスの影が忽然と消えてしまったとき。
あのとき、セルフィスもかなり慌てていた、ということよね。そうよね、嘘をついて私の前に現れていたんだから。
セルフィスは、物語の幕さえ下りればいつでも私に会えるとわかっていたんでしょうけど、私はなんにもわかっていなかったし。
セルフィスの影が消えたあの瞬間は、絶望しか無かったわよ。
“ところで、聖女よ。――『セルフィス』とは何だ?”
あのときの少し切ない気持ちも思い出して感慨にふけっていると、ムーンが心なしか小さな声で問いかけた。どこか私の様子を窺うように、そっと。
「え? セルフィス?」
“魔王をそう呼んでいたようだが”
「ええ。だって、魔王の名前じゃないの?」
“魔王は魔王だ。名前などない。名を持った瞬間、他に支配される危険を孕む”
「あー……」
そう言えば、『セルフィス』はマリアンセイユ付きの執事だと嘘をついて名乗った名前だものね。
そうか、偽名なのかも。そこまで考えたことが無かったわ。
「最初に私の前に現れた時に名乗った名前なの。そのまま訂正も否定もされていなかったからそのままになっていたわ」
“聖女にのみ許された、魔王の愛称のようなものか”
「ええっと……そうなのかしらね」
そういえば、ムーンも愛称なのかしらね。だけどかなり繊細な問題みたいだし、聞くのはやめておいた方がいいか。
セルフィスにも聞かない方がいいのかしらね……。
そんなことを考えているうちに、宙が赤く染まっていく。
火の領域だ。赤い靄と黒の渦が蠢く空間。
この奥に、火の王獣フィッサイマイヤはいる。
聖女シュルヴィアフェスの味方についた、最初の魔獣。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
≪設定メモ≫
●神獣『
透き通った水晶のような体躯を持つ巨大な龍。
女神が魔王を生み出したとき、魔王の相棒となるべく同時に生みだされた存在。
魔王同様、真の名は無い。
あらゆる攻撃を無効化する結界を張ることができる。地上の人間が殆ど姿を見たことがないとされるのは、結界の内側に自らを閉じ込めることで姿も気配も魔精力も隠すことができるため。
→ゲーム的パラメータ
ランク:SS
イメージカラー:無色
有効領域:全(空中・地上・水中)
属性:無
使用効果:全属性無効
元ネタ:クリスタルドラゴン(※マンガのタイトル)
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