後編

 聖女の住み処、名付けて『聖女のはこ迷宮』。

 セルフィスは目覚めてからもしばらく魔精力の放出を押さえていたというし、よくこれだけの規模のものが短期間で用意できたわね、と感心する。

 そのことを言うと、セルフィスは

「わたしではありません」

と首を横に振った。 


「ここは、初代魔王が聖女シュルヴィアフェスのために作った領域です」

「え、そうなの?」

「はい。聖女がいなくなり、役割を失ったこの領域は魔物もろとも初代魔王によって封じられていました。マユを迎えるためにわたしが彼らを起こすまで、みんな時を止めて眠っていたんですよ。この巨大な檻の中で」

「え……」


 じゃあ、ハッチー達や上の層にいるカバロン達(いま名前をつけてみたわ)は、もともとは聖女シュルヴィアフェスに仕えていたんだ。


「彼らはかつて地上のコロニーを追い出されて彷徨っていた、言うなれば魔物としては落ちこぼれの者たちなんです。それを聖女シュルヴィアフェスが救い、初代魔王が力を与えてここに棲まわせたのです」

「へえ……。じゃあ、聖女シュルヴィアフェスを慕っていたわよね、きっと」

「はい。それに彼らはそもそも女王蜂、女王蟻のために働く習性があるので、主がいないと逆に衰弱して死んでしまいます。だから初代魔王は眠らせていたのでしょう。――自分も眠るために」


 ハッチー達に初めて会ったとき、どこかソワソワしながら働いていたっけ。私の様子を窺ってたのかな。

 セルフィスからシュルヴィアフェスとは違う人間だとは聞いていただろうけど、不安だったのかもしれない。


「最初に言ってくれればもう少し丁寧……というかそれなりに配慮して接したのに」

「マユは何も知らない方が面白いですから」


 そう言うと、セルフィスはひょいっと私の手から巻物を取り上げ、もう一度広げてしげしげと眺めた。

 ちょっと、面白いってどういう意味よ。なーんか引っ掛かるわ。


「いろいろ書き込んでありますね……。ちゃんと地図ができているじゃないですか」

「まぁね、マップには慣れてるのよ」

「よくこんな詳しく聞き出せたものです。これだけコミュニケーションが取れていれば大丈夫でしょう」


 再びくるくると丸めると、すっと私の手に返される。

 

「女神から直接力を授かった聖女シュルヴィアフェスと比べれば、マユは数段、いえ数百段格下です。『聖女の素質がある』というだけですからね」

「悪かったわね……」

「ですので、まずは彼らに慣れてもらおうと。でも、マユならすぐに彼らを懐柔するだろうとは思いました。魔物と心を通わせる力だけは、マユは強いですから。名付けの魔法効果と合わせて考えると、聖女シュルヴィアフェスにも引けを取らないかもしれませんね」

「うふふ」

「だから危険なんですけどね」


 ズケッと言われてガン、と金タライが頭に落ちてきたような気分になる。

 あんたねぇ、持ち上げたいのか落としたいのかどっちなのよ。


「くれぐれも気をつけてくださいね」

「何に気を付ければいいのかわからないけど、まぁいいわ。ついでに聞きたいことがあるんだけど」

「何ですか?」

「『聖女の素質』ってなに?」


 美玖も言っていたけど、思えば詳しい説明は聞かなかったのよね。これを理解しておかないと、気をつけようがないんじゃないかしら。


「地上で言われていた『聖女の素質』というのは、魔界の風、魔界由来の魔精力に対する強い耐性があることを指します」

「へえ……」


 だから耐性が無い人間は会話することはおろか、近寄ることもできないのか。

 そういえばクリスもガクブル状態だったわね……と思わずうんうん頷く。


「魔獣を見て人間が恐れるのは、その姿や言い伝えが恐ろしいというのもありますが、魔界由来の魔精力を肉体も精神も受け付けないからです」

「へぇ……」

「ミーア・レグナンドは肉体耐性、精神耐性が共にあり、加えて癒しの力の鎧でもって身を守ることができたんですね。だから、カイ=ト=サルサとも対等に話ができ、ある程度の期間、行動を共にすることもできた」

「うん」

「マユは精神耐性が極端に強く……というより逆に魔物を魅了してしまう分、肉体耐性は殆どないんです。だからここでおとなしくしてもらうしかないんですよ」

「そんな訳にはいかないわよ。今の話でいったら、セルフィスが私に防御魔法をかけて鎧を作ってくれれば済むことじゃないの」

「……」


 あ、今小さく舌打ちしたわね。そんな簡単に騙されないわよ。

 魔王はこんな大きな領域を守り、維持することができるんだもの。外に出るときだけ私に魔法をかけるぐらい、簡単でしょ?


「できますが、わたしが魔王である以上、マユに全く負担が無い訳ではありません」

「そうだろうけど、私が全く外に出れないということも無いはずよね」

「今はとにかく、眠っていた間の状況把握で忙しいんです」

「だから、手伝うわよ」

「マユに手伝えることはありません」

「何でよ! それに気になることもいろいろと……」

「マユはわたしのことだけ気にかけていてください」

「ちょっ……」


 ひょいっと抱え上げられ、あっという間に居間の天井の穴から連れ去られる。


「きゃーっ! ちょっと、話は終わってないわよー!」

「久しぶりに会えたのに、そんなつまらない言い争いはしたくないです」

「つまらなくないわよ!」

「気分転換に、ロワーネの谷の奥にある『魔精樹ましょうじゅの森』にでも行きましょうか。結晶化された魔精力が何百色にも輝いてとても綺麗なんです。ほら、デートでしょ?」

「デートだったらこんな荷物みたいな運ばれ方はしないと思うの!」

「マユの足に合わせていたらいつまで経っても辿り着けませんよ。わたし専用のルートを通っているので仕方がありません」

「転送装置か何か作ってよ!」

「ムチャ言わないでください。この世界はファンタジーであって、SFではないんですから」

「そっ……きゃあああ――!!」」



 ……こんな感じで、この日も結局うやむやになってしまったわ。魔精樹は確かに綺麗だったけどさ……。

 だけどいつまでもこんなところに閉じ籠っている訳にはいかない。いつか絶対に、聖女らしい働きをしてみせるわ!




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪オルヴィアの魔物事典≫


●ワスプの性質

 地上に生息するニクバチ(肉食系の蜂)が魔界の風に汚染された餌を取り込み魔物化したもの。

 一匹の女王蜂と多くの働き蜂で構成されており、社会性が高い。女王蜂は雌雄同体であり、自ら次代の女王蜂および働き蜂を生む。働き蜂はすべてメス。

 数百から数千単位の群れで生活し、女王蜂が産卵する場所を見つけるまでは各地を移動しながら地上の生物を食い荒らす。働き蜂を従えて移動しているときの女王蜂はかなり凶暴で、働き蜂を軍隊のように指揮し、対象を確実に仕留める。

 女王蜂一体で大規模な集団を作ることができることから、度重なる討伐でも根絶させることができず、古からその形状が殆ど変わらないまま現在まで生き残っている。


●ソールワスプ

 <生息域> 陸上(移動時・世界各地)、土中(巣)

 <耐性>  土

 <弱点>  なし

 

 女王蜂は体長50cmほど、働き蜂は体長20㎝ほどとワスプの中では小さめ。腹部が鮮やかなオレンジ色をしていることと、夕刻に餌探しのために外に出ることが多いことから、『夕陽の蜂ソール・ワスプ』という名がつけられた。

 攻撃手段は腹部の先端にある毒針と、発達した前脚によるひっかき攻撃。特に女王蜂の毒は毒性が強く、一刺しで牛をも殺してしまう。人間の場合、まず助からない。


 ワスプの中では珍しく土の中に巣を作る。各地を移動している間は凶暴だが、産卵するための棲み処を決めると土の中に巣を作るので、掘り返したりして女王蜂を刺激したりしなければ、危険はない。

 働き蜂は、蜂の魔物としてはおとなしく、攻撃性は低い。女王蜂が死亡すると、統制が取れなくなり自滅する。

 ソールワスプは巣の中に自らの魔精力を液状化して溜めこむ性質があるため、巣の欠片はかなり高値で取引される。


* * *


●アントの性質

 地上に生息するオオアリ(=大型の蟻)が魔界の風に汚染された土壌に長く棲んだことによって魔物化したもの。

 一匹の女王蟻と多くの働き蟻で構成されており、社会性が高い。ワスプと生態が似ているが、働き蟻はすべてオス。その中の一体が女王蟻に選ばれ、交尾することで次代の女王蟻、および働き蟻を生む。

 数十から数百単位の群れで生活するが、殆ど地中にいるため危険性は低い。

 しかし一部の種は兵隊蟻と呼ばれる蟻が存在しており、発達した顎や飛翔するための翅、刃と化した前脚を持つ個体もある。また腹部に毒袋を持ち敵に飛びついて自爆して殺す種や、物体を溶かす酸を水魔法で生み出す種など、多岐に渡る。


●カバロアント

 <生息域> 土中(世界各地)

 <耐性>  土

 <弱点>  なし

 

 褐色の体を持つアントで、女王蟻は体長1mほど、働き蟻は体長50cmほど。

 アントの中で一番大きな種類だが性質はおとなしい。身体の大きさに合わせ、かなり巨大な巣を作り上げることから『大工の蟻カバロ・アント』と名付けられた。

 女王蟻はその体の大きさから殆ど巣穴から動かないため、働き蟻が食糧を運んだり巣の中を整えたりと忙しなく動く。アントの中でも、飛び抜けて働き者。


 攻撃性は低いが、地中に巨大な巣をつくるため、地表付近にまで到達すると人家が地下に埋没してしまうことがある。その際は女王蟻への攻撃とみなし、発達した前脚で敵に掴みかかり噛みついてくる。毒は無いが一度噛みついたら食い千切るまで離さないため、鉄の棒など容易にかみ砕けない物を噛ませれば安全に倒すことができる。


   ◆◆◆


≪設定メモ≫


●聖女の匣迷宮

 魔王城の『聖女の匣迷宮』には、ソールワスプのメイドが十人、カバロアントの使用人が五人いる。

 いずれも、聖女シュルヴィアフェスがまだ魔王の元へ赴く前に見つけた魔物で、当時はまだ幼体だった。

 フィッサマイヤを通して魔王に預けられたが、歪み(=人間への憎悪)もあまり育っていなかったことから「いつか聖女が魔界に来た時のために」と聖女の領域で飼われていた。


→ハッチー達

 マユのことは最初は戸惑っていたものの、魔王セルフィスの命令と本能に従いおとなしく働いていた。

 今では元気で明るく優しい主と、すっかり心酔している。


→カバロン達

 こんがり日焼けしたような茶色い肌を持つガタイの良い男性の姿。頭から黒い触角が二本生えているが、顔も人間に近い。糸目の人の良いアンチャン風。ハッチー達と同様、喋ることはできない。

 マユとはまだ会っていない。後にハッチー達に案内されて第2層・第3層に現れたマユにお礼を言われ有頂天になり、よりがむしゃらに働くようになる。


●ロワーネの谷

 神の聖域。地上に溢れる魔精力の源。魔界と人間界の境界でもあり、魔界側には魔王城が、人間界側にはリンドブロム城が建っている。

 人間界からは入ることができず、魔界でも入れるのは女神にロワーネの谷を守るように言い渡された魔王だけ。

 魔物や魔獣達が出入り口として使っている『魔界の入り口』とは全く別のもの。


●魔精樹

 ロワーネの谷の奥にある、魔精力が溢れる森に生えている大樹。高密度の魔精力が凝縮され結晶化したものが、大量の木の実のように生っている。

 かつて人間は、この魔精力の結晶を手に入れるためにロワーネの谷への侵入を企て、女神の逆鱗に触れた。

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