第13幕 収監令嬢は彼に逢いたい

第1話 時はマデラギガンダに遭遇した場面に戻ります

“さて……こたびの聖女は二人、か。これは、面白いことになったな”

“約定は、破られた。魔王はその眼を開いたぞ”


 そう畳みかけ、巨大な岩山のような体躯のマデラギガンダは、抱き合っている私と美玖を見下ろし、不気味な笑い声を漏らした。


“――さぁて、どうする? 小娘ども”


 どうする、と言われても……。

 ちょっと待って。マデラギガンダと言えば、魔王の使者。

 まさか、ストーリーが大幅に狂って魔王侵攻が再び始まってしまうのかしら。

 これは、あの千年前の約定のシーンの再現なの!?


「ま、魔王に言われてこちらにいらっしゃったのでしょうか?」


 なけなしの勇気を振り絞って聞いてみると、マデラギガンダは“いや?”と妙に軽い口調で返した。


“ワシの縄張り付近で派手な魔法合戦をした挙句、ピーチクパーチクと五月蝿いから覗きに来ただけだ”

「す、すみません……」

「申し訳ないです……」


 美玖と二人でペコペコと謝り、それでも雰囲気が和まないので全力で土下座する。

 何しろ圧が凄すぎるのよ、マデラギガンダって。


“全く、酔狂な人間もいたものだ。聖女と解って納得もしたがな”


 そう言うと、マデラギガンダが「ん?」と声を上げた。


“それは、フェルの銀の環か?”

「え、あ……はい」


 私の右手首の銀の腕輪に気づいたらしい。

 マデラギガンダは「ふ……ん」としばらく考え込んだ後、「あー?」とやや上空を見上げ、渋い顔をした。


“勝手にちょっかいをかけたとなれば、ワシが魔王に叱られるか”

「えっ……」

“どうなさるかお伺いを立ててみよう。日を改めるから、おとなしく待っておけ”


 待てるか――!と心の底から大絶叫したかったけど、マデラギガンダを前にして叫べる訳がない。

 私と美玖は

「はぇい……」

「は、はひ……」

と空気の抜けた音を出すことしかできなかった。


 マデラギガンダは私達の返事を聞くなり立ち上がり、ドゥワ!みたいな勢いでジャンプした。揺れる大地と地響きにビビリつつ宙を見上げたけれど、あの巨大な姿はどこにも無かった。


 しばらくの間、沈黙が流れる。

 タッタッタッと地割れを避けて大回りしてきたハティは、私の傍まで来るとピタリと足を止め、じっと見上げていた。

 何となく、喋っちゃいけない空気だということは分かっているらしい。


「……待ってろ、だって」


 どうにか言葉にしてみると、ようやく頭が回り始めたらしい美玖が

「嘘でしょ!?」

と叫び出す。


「まさか、ここで!? ずっと!?」

「いや、日を改めると言ってたけど」

「改められても困るじゃん! 私はぁ、ディオン様と結ばれるためにここまで頑張ってきたんだよぉぉぉぉ……」


 精神的に限界に来たらしい。あっという間に水色の瞳から涙が滝のようにあふれ、わーんと子供のように泣き始めた。


「ちょっとうるさいわよ! マデラギガンダが帰ってきたらどうすんのよ!」

と慌てて右手で美玖の頭を掴んで左手で口を塞ぐと、美玖は

「ふぐぅぅ……ぶふぅ……」

と唇を噛みしめながら、声を漏らさないように我慢している。だけど涙が止まる様子はない。

 あーあー、鼻水まで垂らしちゃって……これが本当にヒロイン・ミーアだろうか。


“マユ、じぃちゃんに、頼む?”


 ぺっぺっと美玖の涙と鼻水がついた手を払いスカートで拭っていると、ハティが思念で話しかけてきた。美玖の前で喋っていいかどうか分からなかったのね。


「そうね。アッシメニア様なら……でも、魔王となると……」


 マデラギガンダ相手ならとりなしてくれるだろうけど、魔王の命令には逆らえないわよね。

 つまり、魔王が目覚めた以上、遅かれ早かれ魔王の使者としてマデラギガンダは地上にやってくるのだ。


 ふと、右手首の銀の腕輪が目に入る。

 そう言えば、この問題もあったんだった。十日後にはフェルワンドが私を食べに現れる。

 その前に『聖なる者』になれればどうにかならないか、とか考えてたんだけど。


「魔王も、聖女は二人も要らないんじゃないかしら」

「え……」


 魔王がどういう人かは分からないけど、マデラギガンダの様子からいくと聖女には敬意を払っている気がするのよね。

 魔王の下へ行ったからっていきなり拷問されたり殺されたり、ということは無い気がする。話をする機会ぐらいはあるんじゃないかしら。


 ……となると、魔王の下へ行ってどうにかお願いすれば、フェルワンドの銀の腕輪を解除してくれるかもしれない。だって、フェルワンドは魔王の配下なんだから。

 まぁ、そのあとは魔王の奴隷かもしれないけど……でも、魔獣フェルワンドにバトルで勝つ、よりは勝算がありそうよね。


「――仕方ないわね。私が魔王の下へ行くわ」

「ええっ!」


 美玖は大きく目を見開くと、涙と鼻水塗れの手でバグッと私の両手を握った。


「繭! フラれたからってヤケッパチになっちゃ駄目だよ!」

「フラれてないわよ、失礼ね!」


 手を離しなさい!とブンと振り回す。

 そもそもコクることもできずに逃げられたわよ。……って、あー、心の中で言ってて凹んできた。


 もう一度スカートで両手を拭っていると、美玖がこてんと首を横に倒す。

 とりあえず涙は止まったらしい。


「じゃあ、何であんな風に泣いてたの? 気になるわよ」

「あんたねぇ……今は私の恋バナをしてる場合じゃないでしょ?」

「何を言ってるのよ!」


 美玖が左手を腰に当て、右手の人差し指をビシイッと私に向ける。

 だから指差すな、人を。


「ここは乙女ゲーの世界よ! 話を動かすのは『感情値』、つまり『愛』よ!」

「……」


 そう言われると、妙に説得力がある。

 えー、でも、私ってモブなんでしょ? このゲームに全く出番のない。

 関係ない気がするんだけどなぁ……。


「マリアンセイユは、設定だけはすごくしっかりあるのよ。その割に、ゲーム中だと暗殺されるとか魔獣に襲われるとか魔界に連れ去られるとか、そういうイベントでしか登場しないけど。せいぜい1カットってところかな」

「ひどい……って、美玖もやろうとしたじゃない」

「それはごめん! でも、繭だと分かったらさすがに無理だわ」


 美玖は「はあああ」と長い溜息をついた。


「仕方ないから側妃で我慢しようってちょっと思い始めてたのに……ああああ、魔王が目覚めるとか! もう、どうなってるの!?」

「あんた、本当にミーア・レグナンドよね?」


 思わず半目で美玖を見てしまう。

 ミーアは本当に可愛らしくて、内気そうだけど芯は強そうで、しっかりしてて。

 こんな風に喚き散らしたりはしなさそうよね。きっと鼻水も垂らさないだろうし。

 容姿は変わらないはずなのに、こんなに印象が違って見えるのは不思議ね。


「普段はちゃんとミーアよ。やっぱり十六年ミーアとして生きてきたんだし。ただ、繭と喋ってたらどうしても美玖になっちゃうのよ」

「……ミーアの記憶、あるの?」

「当たり前じゃない! 核はミーアよ! 繭だってそうでしょ?」

「私はないもの。マリアンセイユとしての記憶は、何一つ」

「はあ?」


 今度は美玖の方が半目になっていた。そしてやれやれ、といったように両手の平を空に向ける。


「何言ってるの? こう、今の記憶と前の記憶が混じっちゃって混乱しちゃう、みたいなことはあるけどさ」

「全く無いんだってば。目覚めたら場違いなベッドに寝かされててすごく焦った。全然見知らぬ光景ばかりで」

「……本当に?」

「本当よ」

「繭100%ってこと?」


 人をどこぞの芸人みたいに言うな、と思ったものの黙って頷く。

 美玖は私の姿を上から下までジロジロと眺め、んー、と考え込んだあと

「いや、あり得ないわよ!」

と叫んだ。


「マリアンセイユの記憶がなかったら古代語をすらすら読んだり、あんな美しい貴族令嬢の身のこなしとかできる訳ないじゃない。騙そうったってそうはいかないわよ」

「騙してないわよ。二年間みっちり仕込まれればどうにかなるわよ」

「二年間!? 何それ!?」

「あ……」


 しまった。とうの昔に目覚めていたことは内緒だったんだった。

 でもまぁ、もういいわよね。


「二年前にもう目覚めてたの!?」

「実は。ついでに言うと、元の世界の記憶もあんまりなかったけど」

「それでどうやって……」

「この世界のこととか魔法、作法とかは本当に一から勉強した感じね。ゲーム世界だってことは何となくわかってたんだけど」

「……」


 美玖はうーん、と腕組みをすると熟考し始めた。

 目が右・上・左・下とぐるぐる動く。何か頭の中でシミュレーションしているのかしら。


 しばらく待ってはみたものの美玖が全く動かなくなったので、傍にいたハティと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「ハティ、長くなりそうだからいったん帰る?」


 じいっといい子にしていたハティの頭を撫でる。


“んー、待ってる”

「でも、退屈でしょ?」

“大丈夫ー。心配、なの”


 そう言うとハティはすりすりと私の方へと擦り寄ってきた。胸がきゅうんとして、ワシャワシャワシャ、とハティの首の後ろや体を撫でる。


“マユ、魔王、怖くない?”

「んー、どうだろうね」


 怖いことは怖い。でも、殺されるんじゃ、とかそういうことじゃなくて、もし話が全く通じなかったらどうしよう、とは思う。


 そうやってしばらくハティとじゃれ合っていると、

「ちょっと繭。遊んでる場合じゃないだけど」

という妙にドスの効いた声が飛んできた。美玖が両手を腰に当て仁王立ちし、私をギロリと睨みつけている。


「あのねぇ、私はあんたを待ってたんだけど?」

「とにかく、情報交換しようよ」

「情報交換?」

「うん」


 美玖が地面にペタンと座る。まぁもう泥だらけだし、いっか。

 向かい側に座ると、美玖は落ちていた石を拾い、地面に大きな丸と小さな丸を並べて書いた。


「マリアンセイユ・フォンティーヌは、ミーア以外で唯一聖女の素質がある人間、という設定があるの」

「へえ……」

「だから展開によっては魔物に狙われるんだけどね。それでね、実際のところマリアンセイユに大事なイベントをいくつか奪われてるの。水色のカエルもそうだし、近衛武官と親しくなるイベントとか、クロエ様のイベントとか」

「そうだったんだ」


 大きな丸から小さな丸へ矢印が引かれ、ミーアは小さな丸を包むように大きな丸を描いた。左の大きな丸と、ほぼ同じ大きさ。


「となると……この世界はもう、ミーアとマリアンセイユのWヒロインの世界に改竄されてるんじゃないかなって思うの」

「改竄?」

「まぁ、改竄って言うとオーバーだけど。ちなみに私が美玖の記憶を取り戻したのはほんの五カ月前よ」

「ええっ!?」


 五カ月前、つまりゲーム『リンドブロムの聖女』の開始と同じ頃、ということだ。


「だから、繭が先に二年前に目覚めてるとか、マリアンセイユの記憶が一切無いとか、明らかにおかしいしね。そこから自然に話がずれていったというか……」


 美玖が首を捻りながら話し続ける。

 まぁ、いないはずの人間が存在して勝手に動けば、そりゃかき乱しもするわよね。


「マデラギガンダが言っていたフェルって、魔獣フェルワンドのことでしょ?」

「あ……うん」

「フェルワンドを召喚したって聞いたけど……」

「何で知ってるのよ、そんなこと?」


 大公宮にはハティ達が追い払ってくれた、と説明したし、クロエにはユーケルンの影が助けてくれた、と説明した。

 だからフェルワンドを召喚したことは、誰にも言ってないのに。アイーダ女史やヘレンにだって言ってないのよ?


「サルサが教えてくれたからよ」

「サルサ……」

「まぁ、それは後で話すわ。とにかく、私が知ってる限りじゃフェルワンドはゲームには出てこないの。つまりね、マリアンセイユ絡みで本来のゲームのストーリーから外れてる部分が多い気がするのよ。それにどう考えても、物語に関与している割合が大きいし。だから乙女ゲーである以上、もしマリアンセイユが裏ヒロインだったら、ちゃんと恋愛が成就する方法もあるんじゃないかな、と思うんだけど」

「……そうかなあ」


 何も言わずに消えちゃって、もうどこで何してるかもわからない。

 手掛かりなんて、全くないんだけどな。


「いや、だから私の恋愛はこの際どうでも……」

「そんな訳にはいかないわよ。どこにヒントがあるか分からないんだから。とにかく話してみて。二年間、何をしていたのか。私もちゃんと知ってることを話すから。お互い、意外な発見があるかもよ?」


 確かに、現状はどう考えても手詰まりだった。

 さっきは『私が魔王の下へ行けばいい』とは言ったけど、じゃあ正妃の話はどうするの、フォンティーヌ公爵家としてはそれで大丈夫なのか、とか、そういう社会的に難しい面がまだ残っている。

 この世界における基本設定的なものは、恐らく美玖の方が詳しい。ゲームで示されていないことまで網羅しているし。


「わかったわ。ハティ、本当に長くなりそうだから、一度帰って」

“ウン、わかったー”


 ハティはコクンと頷くと、タタタッと走っていき、やがて夜の闇の中へと消えて行った。

 さすがに美玖の前で余計な事を言われたら困ると思って帰しちゃったけど、今日は満月に近いから明け方までは呼べばきてくれるはず。

 はぁ、スコルやハティも本当に振り回しちゃってるよねぇ。ごめんね。


「灰色の狼の護り神かあ。ちょろっと噂程度に話に出てきた気もするけど、まさか本当に会えるとは思わなかったなあ」


 美玖はそう言うと、「じゃ、始めようか」と言ってキリッとした顔を見せた。

 それはどちらかと言えばミーアの表情に近くて、やっぱり美玖はミーアで、この世界のヒロインなんだなあ、と感心したのだった。

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