第12幕 収監令嬢は運命に抗いたい

第1話 いろいろと間違えていた

 『野外探索』を終えた私達は、リンドブロム聖者学院ではなく大公宮に連れてこられた。

 何しろ、ロワーネの森に魔獣が現れたのだ。大公宮としても事実確認が必要な訳で、私達は一人一人小部屋に入れられ、『司法部』『内政部』『外政部』の部隊長・副部隊長から色々聞かれた。


 部隊長の方々は初対面だったけど、副部隊長のアインス、ツヴァイ、ドライはすでに顔馴染みだ。そんなに緊張することもなく、言っていい事、言ったらマズい事を考えながらちゃんと対応できたと思う。


 加えて、私はクリス・エドウィンについての事情聴収も受けた。密猟犯の黒幕はエドウィン伯爵で、クリスもそれに加わっていたのだ。

 クリスが私を殺そうとした理由は分かったけど、分かったところで全然気分はすっきりしないわね。


 いや、すっきりしない理由は他にもある。というより、それが大半を占めていた。

 どこか上の空だったのは、そのせいだ。

 だって……ミーアとディオン様はもうちゃんと両想いなんだって、分かってしまったから。



 大公宮に連れてこられたとき、出迎えたのはディオン様と近衛部隊の人達だった。

 アンディに支えられるようにして歩いていたミーアは、ふと顔を上げてディオン様と目が合うと一瞬だけ身体が動いた。足がディオン様のもとへと駆けだしそうになっていた。

 後ろから歩いていた私には、その動きはよく見えた。

 そしてディオン様も、ミーアの方を見ていた。彼女が躊躇し、諦めて足を止めたのを見て……一瞬だけ、目元が揺らいだ。苦しそうな表情だった。


 結局、二人は何の言葉を交わさないままだったけど――そこには、二人だけの世界があった。

 

 ミーアが私と同じ世界から来たのかもしれない、しかもこのゲームの攻略法も知っているのかもしれない、と思ったとき、ミーアは本当にゲームを楽しむ感覚でディオンルートに進んだのだと思っていた。

 だから、

「ここはもう私にとっての現実で、ゲーム感覚でやられちゃ困るのよ。絶対にディオン様の婚約者としてミーアに負けない。付け入る隙なんて与えないわ!」

と必死だった。

 そう思っていたからこそ、最後の『野外探索』だって無茶じゃないかってぐらい頑張った。


 だけど……もしミーアとディオン様が本当に愛し合ってるなら、私は完全なるお邪魔虫だ。

 私は、ディオン様の婚約者であり続けなければこの物語が弾かれるから、隙を見せれば寝首をかかれるかもしれないから、だからムキになって対抗していただけで、別にディオン様と結婚したい訳じゃない。


 大公子妃を――未来の大公妃を目指していた。

 でもそれは、フォンティーヌ公爵家の人間としてそうでなければいけなかっただけで、私個人の望みじゃない。


 ぶっちゃけ、私は大公子妃になりたい訳じゃないのよ。私の身の安全さえ保障されるなら、婚約破棄を申し出たっていいぐらいなんだから。まぁ、臣下から大公家に申し出るとか、きっと不可能なんだろうけど。

 仮に可能だとしても、誰も許してはくれないよね。それに、今まで私のために動いてくれていたアイーダ女史やヘレンだってガッカリさせてしまう。それは本当に心苦しい。


 じゃあ、ディオン様から婚約破棄してもらう?

 でもそれは、私に落ち度があったことになる。公爵家の体面を潰すことになるわ。

 それに、私はそもそも婚約破棄なんてされないために、これまで必死で頑張ってきたのよ。それだけの実績を積み上げてきた。

 今もしディオン様がそれを実行したら、むしろディオン様の身勝手、我儘だと捉えられるわ。

 それに私を廃したところで、ミーアを正妃にする理由にはならない。上流貴族だって黙っちゃいないわ。年頃の令嬢がいっぱいいるんだもの。


 どう考えてみても、八方塞がりだった。

 私は好きでも何でもないディオン様と結婚して、二人の仲を邪魔し続ける存在としてこの物語の中で生き続けるの?

 それしかないの、私の生きる道は?


 私には、自分の好きな人との未来はない。でも、それについては我儘は言わないわよ。だって、どう足掻いても無理なんだもの。

 だけど神様、私に一生悪役を演じ続けろというのは、それはあまりにも私に辛く当たり過ぎじゃない?



   * * *



 長い事情聴収が終わり、別の部屋でガンディス子爵が待っていると聞き、私はそちらへと向かった。

 私が部屋に入った途端、ついていた近衛武官や部屋にいたメイドが、すっと立ち去った。人払いだ。

 よほど大事な話があるらしい、と心を引き締める。

 今日は本当にいろんなことがあり過ぎて、ヘトヘトだったけど。


 ガンディス子爵は、あのハティの布切れがエドウィン伯爵を捕らえる決め手になった、と感謝の言葉を述べたあと、父のエリック・フォンティーヌ公爵が倒れ、大公宮で治療中だと教えてくれた。


「そんな、お父様が……」


 すごく驚いた。一度だけ簡単に挨拶したけれど、フォンティーヌ公爵は姿勢が良くスマートだし背筋もスッとしてて、不摂生しているようには見えなかったし。

 心労が祟ったのかしら。まさかそれは、私のせいなのかしら。


 さすがに、父親として慕っているとは到底言えない。

 だけど、見知らぬ他人の話でも心臓発作で倒れて昏睡状態だと聞かされれば心配するわ。私の態度に、おかしなところはなかったと思う。


 だけどガンディス子爵は「ん?」と首を傾げた。私を訝しんでいるようだった。


「お前は、父上を憎んでいるかと思ったが……」

「なぜですの? あり得ませんわ」

「ずっと本邸とは離れたパルシアンに閉じ込められ、本邸に来てもロクに顔を合わさないまま塔へと押しやられていたんだぞ?」

「パルシアンで生活することになったのは私を護るためだと聞いていますわ。それに目覚めてからも生活に必要な援助はずっとしてくださっていましたし、感謝こそすれ恨む理由などありません。本邸での扱いについても、まだ令嬢としては覚束ないところがあるわたくしが固くならないように、気楽に過ごせるようにと離れを与えてくださったのだと考えていましたし」


 実際はそうではないだろうけど、まぁ記憶がないマリアンセイユが考えることとしては、そう外してはいないと思う。

 そう考えて淀みなく答えたけれど、ガンディス子爵は

「まぁ、間違ってはいないんだが……何というか、うーん」

とまだ納得していない様子で唸っている。


「憎むほどの情も持ち合わせていない、という感じがするんだが」

「……そんなことは、ありませんわ」


 オニーサマは、時折鋭くてヒヤッとするわね。

 努めて冷静に否定すると、ガンディス子爵はふう、と一つ息をつき、ひどく真剣な――というより深刻な眼差しで私を見つめた。


「ただ、お前も知らない真実があるんだ。俺も今日初めて知って、驚いたんだが」

「何ですの?」

「どうしても、お前に知っておいてほしい。――父上の心を」


 もう父上自ら話せないかもしれないから、とガンディス子爵はやや目元を潤ませ、呟くように言う。

 傭兵のような屈強なガンディス子爵の身体が、一回り小さく見える。

 父上の心? いったい何だと言うんだろう。


「母上が遺言を遺していたんだ。父上だけに」

「……どんな?」

「この娘は、魔物を愛し愛される『聖女』になる、と」

「えっ……」


 魔導士の予言。今わの際に為されることがあると、学院の魔法心理学で習った。

 神に召される直前に遣わされた言葉だから、軽んじてはいけない。

 魔導士なら誰にでも授けられるものではない。魔導士にとって一生に一度あるかないかの貴重な機会――神聖な言の葉。


「父上は――それを『呪い』だと捉えた」

「呪い? なぜ?」

「……『聖女』は魔王への生贄だ、と」

「え……」


 どうしてそうなるの? え?

 ガンディス子爵の言っている意味がわからず、何度も瞬きをしてしまう。


 ああ、そうだ。世間の認識ではそういう見方にもなるかもしれない。

 私だって考えたじゃない。聖女が魔王の下に行ったから魔王はおとなしく魔界に引き下がったのだ、と。だから大公家は――いえ、この世界の人々は、聖女さえいれば魔王はどうにかなると考えているって。

 それは――見方を変えれば、聖女一人の犠牲でこの世界は存続した、ということになる。


「言われてみれば、確かにそうだ。俺は考えてもみなかった。我が家から『聖女』が出れば安泰だと、ひどく、安易に……」


 ガンディス子爵の拳がわずかに震える。その震えが腕、肩、顔へと伝わり、目元と口元に歪みが生まれた。

 ひどく後悔しているようだった。公爵の反対を押し切り、私を表に出して聖者学院に入学させたことを。

 『聖なる者』を争わせる立場にしてしまったことを。


「そんなの、考え過ぎですわ。リンドブロム大公国は聖女を崇め奉る、聖女の子孫を中心とする国。そんな発言は……」

「だから父上は誰にも言わなかった……いや、言えなかったのだ。国への反逆とも取られかねないから。母上の遺言を、ずっと独りで抱えていた」

「でも、こたびわたくしが表に出たのは、わたくし自身の意思ですわ。わたくしが、『聖なる者』に――『聖女』になりたいと願ったのです」

「そう……そこだよ」


 父の公爵も気にし過ぎだし、ガンディス子爵も気に病みすぎだと伝えたかった。

 だけど、ガンディス子爵は頑なだった。

 後ろめたさでもあるのか、ずっと目を伏せたままでこちらを見ようとしない。


「お前がそう望んだのは、なぜだ? 魔法の勉強を始め、この国の歴史を知り、聖女の功績を知り、この世界の在り方について考えたからじゃないのか?」

「ええ、それは……」

「だから父上は魔法の修行を禁じた。聖女に関わる一切の事から遠ざけた。魔導士でなければ、聖女にはなり得ないのだから」

「……」

「これが、どういうことだか分かるか?」


 ガンディス子爵がガバッと顔を上げ、私を見つめた。その瞳には、少しだけ光るものがあった。


「父上は、お前を愛している。どんな状態でもいいから、この世界で――生き続けてほしかったんだ」

「……」

「お前がディオン様の婚約者になったのは、大公家から請われたからだ。ウチが望んだ訳じゃない。父上がすぐに了承したのは、名誉の為じゃなかった」

「……」

「ただ――お前を守りたかったんだ」


 大公妃は、国にとっても大事な存在。大公家も守ってくれるだろう、そう考えた。

 ガンディス子爵の言葉が、私の耳から私の中へ。強い眼差しが、私の瞳から私の奥へと。

 そうして、熱いものが喉から胸の中へと落ちていく。


 眠りにつく前のマリアンセイユ。

 良かったわね。あなたの父上は、あなたを大切に思うあまりに閉じ込めたんですって。余計な知識を与えず、ひたすら籠の鳥にしようとしていたんですって。それが父上の愛だった。

 結局――それは、間違いだったのだろうけど。


 顔を合わせなかったのは、自由を奪うのが心苦しかったから? 父上の中の『聖女の真実』を話したくなかったから?

 今となってはそれはわからない。でも……疎まれていた訳じゃないのよ。

 マリアンセイユは、ちゃんと愛されていた。

 私の中のどこかに彼女がいるのなら、伝えたい。


 そして――それならもっと早くに、父上にも伝えたかったわね。父上の間違いを。

 本邸に連れてこられて、

「ディオン様の婚約者として恥じない振舞いを」

「とにかく『聖なる者』にならなくちゃ」

と、忙しさを理由に父上と和解することを早々に諦めた。


 ――だけど。

 私がもっと頑張って歩み寄っていれば、父上が倒れることもなかったんだろうか?

 現状は、今とは変わっていただろうか?


 今度は私が後悔する番だった。胸の中に広がった熱いものは、今度は苦しいものに変わって私の喉へと上がってきた。

 喉から鼻の奥へ、目の奥へと伝わり、涙が目頭からこみ上げてくる。


「ごめんなさい……」


 口をついて出たのは、詫びの言葉。同時に、一筋だけ涙が鼻の横を流れ落ちる。


「なぜお前が謝る? お前が誤解していたのは無理もない……」

「いえ、違うんです。私が……私だけが知っている、『聖女』の真実があるんです」

「え?」

「こんなことなら、もっと早くに言えばよかった。諦めなければ、よかった……」


 秘密だから誰にも言わない。そう思っていた。

 つまり私は、最終的に信用していなかったのかもしれない。


 涙を拭いて心を落ち着けると、私は旧フォンティーヌ邸の開かずの図書室のこと、そこにあった初代フォンティーヌ公爵の日記のことを説明した。

 それを読んだからなおさら聖女に憧れ、『聖なる者』になりたいと願い、リンドブロム聖者学院に入学させてもらったのだ、と。


「そんなものがあるのか?」

「はい。私にしか触れることができなかったために持ち出せず、ずっと隠していました。そして今は、護り神様に預けてあります」

「護り神……」


 ただ、あの日記を表に出すのは危険かもしれない。聖女の痕跡を隠したのは魔王なんだから、日記が表に出ることは魔王の意に反するかもしれないわ。

 だけど本物の日記は出さず、私が書き写したものなら許されるんじゃないかしら。いざとなれば私の戯言、夢で見た話とでも片づけられるもの。初代フォンティーヌ公爵の本物の日記だと、そういう訳にはいかない。


「ただ、私が書き写したもので良ければ、黒い家リーベン・ヴィラにあります。取りに行ってもよろしいでしょうか?」

「ちょっと待て。さすがに今日は、もう遅い」


 慌てたように手を振って制止され、窓から大公宮の外を見る。

 確かに陽はすでに落ち、辺りは真っ暗だった。


「お前もかなり疲れているだろう。今日はゆっくり休んで、明日にしろ」

「……はい」


 確かにどんなに気が急いても、事態は変わらない。その日記の写しを持ってきたところで、父上の目が開く訳じゃない。

 だけど、もし許されるなら、眠る父上に読み聞かせてもいいだろうか?


 そんなことを考えながら、目尻に残っていた涙を拭い――胸の奥底に石を投げ込まれたような気分で、私は大公宮の小さな部屋を後にした。

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