■ゲーム本編[11]・フォンティーヌ家とレグナンド家の事情
「フォンティーヌ公爵。大変申し訳ありませんが、内々にお話があります」
エリック・フォンティーヌ公爵は、会議には一番遅く現れる。上流貴族八家筆頭の公爵が真っ先に会議場に入っていると他の侯爵や伯爵に気を使わせてしまう、というのがその理由だった。
こうしていつものように会議が始まる10分前に会議場への廊下を歩いていた公爵は、角を曲がったところでリンドブロム近衛部隊『司法部』のヌール部隊長に呼び止められた。
「会議は?」
「本日は1時間遅らせまして、4時からとなります」
「そうか。……で?」
「こちらです」
廊下を引き返し、いくつかの角を曲がる。
そうして案内された部屋には、息子のガンディス子爵が待ち構えていた。
フォンティーヌ公爵に続けてヌールも入り、パタン、と扉を閉める。メイドも近衛部隊の面々も誰一人いない、三人だけの空間。
「……例の件か」
密猟事件は、フォンティーヌ隊のガンディス子爵直属の部隊が追っていた。報告だけは受けていたフォンティーヌ公爵だったが、内容が内容だっただけにずっと素知らぬフリをしていた。
ガンディス子爵は、今日の午前中にレグナンド男爵から話を聞いたこと、それから男爵の証言をもとにエドウィン伯爵の関与の証拠を集めたこと、それらを『司法部』に提出したことを説明した。
「そして我々は、本日2時過ぎにエドウィン伯爵を確保いたしました」
「……そうか」
ヌールの報告に、公爵はそれだけ応え、頷いた。エドウィン伯爵家の内情は耳にしていたが、それでも同情する気にはならんな、と思いながら。
しかし、その報告のためだけに自分をこの部屋に連れてきたのだろうか、と不思議に思い、ついっとガンディス子爵に視線を寄越す。
ガンディス子爵がヌールに目配せするのを見て、フォンティーヌ公爵もゆっくりとヌールへと視線を戻した。
「クリス・エドウィンについては、関与は濃厚であるものの確証が得られず、後になってしまったのですが……」
そう言いながら、ヌールが珍しく口ごもってしまう。フォンティーヌ公爵の眉間に二本の皺が寄った。
「それで? 今は確保したのだろう?」
「クリスは『野外探索』でマリアンセイユと一緒にいたらしい」
「何だと!?」
口ごもるヌール部隊長の代わりに口を開いたガンディス子爵へと振り返ったフォンティーヌ公爵は、みるみる顔色を変えた。
これまでの報告を鑑みれば、密猟が明るみに出たのはマリアンセイユがきっかけであることは間違いない。
しかもその武勇伝は『蘇りの聖女』として、『聖女の再来』と噂されるミーアに対抗すべくロワネスクの民に広く流布された。
誰かが魔物の大量虐殺なんてするから、魔物が怒った。何て馬鹿なことを。
マリアンセイユ様がいなければ地上は滅茶苦茶になるところだった。
魔王の復活を阻止したマリアンセイユ様こそ聖女だ。『蘇りの聖女』だ。何と素晴らしい。
そんな民の浮かれた声を広く何度も聞く羽目になったエドウィン伯爵は、さぞかし腸が煮えくり返る思いだっただろう。
そして、もしクリスがその密猟に深く関わっていたのならば、計画が失敗に終わったことを根に持ち、マリアンセイユを恨んでいてもおかしくはなかった。
「マリアンセイユはクロエ・アルバードと組んだと聞いていたが!?」
「クロエ嬢によれば『内緒で』とクリスに頼まれていたらしい。森に入った後、三人になったようだ」
クリスに「内緒で」と言われていたマリアンセイユは、律義にもアイーダ女史やヘレンにも漏らさなかった。
そしてクロエも、特に誰かに聞かれることもなかったのでわざわざ話すことはしなかったのだ。
結果として、クリスがマリアンセイユと一緒にいることが分かったのは、実際にクリス確保に向かってからだった。
ロワーネの森に向かった近衛部隊が、森の中で監督していた試験官に聞き込みをした結果、判明したのだ。
「クリスは木に叩きつけられ、全身が骨折した状態で見つかりました。現在治療中ですが、意識はありません。そして、一緒にいたはずのマリアンセイユ様はどこにも見当たらず……」
「どういうことだ?」
「その場所は探索エリアからは随分と外れていて、魔物除けも起動しないエリアでした。近くには大穴が開いており――大型の魔物が現れたもの、と」
ヌールが深く頭を垂れる。
「マリアンセイユ様は、現在行方不明です」
「……っ!!」
フォンティーヌ公爵は右手の拳を握りしめると、ダン!と壁を激しく殴った。
「フォンティーヌ公爵!」
「だから……だから、表に出したくはなかったのだ!」
公爵は壁を殴った拳をぶるぶる震わせる。そして両手でガッと白髪交じりの藤色の髪を掴むと、狂ったように掻きむしった。
「あの娘は呪われているのだ! だからあの地にいなければならなかったのに!」
「父上!?」
ガンディス子爵が慌てて公爵の両腕をグッと掴む。髪は乱れ、掻きすぎて頭皮を傷つけたのか、公爵の爪には赤いものが滲んでいた。
普段は背筋をピンと伸ばし、凛とした佇まいの紳士。父のあまりの取り乱しように、ガンディスはただ驚くしかなかった。
「父上、聞いてください。マリアンセイユの痕跡は一切残っていなかったそうです。魔物にやられた訳では……」
「魔物に魅入られたかもしれんだろう!」
「魅入られる?」
ブンッと両腕を振り払い、フォンティーヌ公爵がガンディス子爵をギロリと睨みつける。
「オルヴィアが死ぬ直前に言っていた。『この子は聖女になれる』と」
「……!」
「『魔物すら愛し愛される聖女になれるに違いない』と」
魔導士は死の直前、神に近づくことで予言のようなものを授かることがある。確実に実現される、という訳ではないが、魔導士の今わの際の言葉はおいそれと無視できるものではない。
マリアンセイユを産み落としたものの、このままではもうもたないとアイーダ女史に言われ――オルヴィアとエリック・フォンティーヌ公爵、二人きりになったときに囁かれた言葉。
「『聖女』だったら、」
「なぜ、わが娘なのだ!」
むしろ喜ぶべきことでは、と言いかけたガンディス子爵の言葉を、公爵が悲鳴にも似た声で遮る。
「オルヴィアが遺した娘が! なぜ呪われなければならないのだ!」
「父上、それは呪いなどでは……」
「『聖女』など……魔王への生贄ではないか!」
聖女――ひいては大公家への冒涜ともとられかねない発言。ヌールが慌てて防御壁を構築する。
白いレースのような幕が部屋を取り囲む中――フォンティーヌ公爵はその中央で、両目からボロボロと涙を溢した。嗚咽を堪えることもせず、床に膝をつき、その場で泣き崩れる。
「ガンディス、わたしが間違っているか!? 聖女が魔王の元へ下ることで、魔王は地上から魔獣を引き上げた。聖女は魔王に仕え続け、地上に平和が訪れた。――これがどういうことか、お前には分かるか!? 分かっているのか!?」
フォンティーヌ公爵が血走った目でガンディスを見上げ、睨みつける。
「聖女シュルヴィアフェス一人が犠牲になることで――魔王の奴隷になることで、この世界は救われたということなんだぞ! 我が家から『聖女』を出したところで! いくら、その功績を讃えられたところで! 我が家に……わたしに、何が残るというのだ!?」
「父上……」
「それならばずっと眠り続けていればよかった! 不思議な力に守られていると言われる、あのパルシアンの地で! 生きて……この地上で、生きてさえいれば! それが……こうして魔物に魅入られ……。これが、生贄でなくて何と……ぐううっ!」
叫び続けていた公爵が苦しそうに心臓を抑え、床に倒れ込む。
「父上!」
「す、すぐ、大公宮医師を呼んできます!」
ガンディスが慌てふためいてフォンティーヌ公爵に駆け寄る。ヌールは真っ青になると、魔法を解除し、必死の形相で部屋を飛び出した。
* * *
「……ただいま戻りました」
一日目の『野外探索』を終えてミーアが家に帰ると、レグナンド男爵はひどくグッタリとした様子でソファに寝そべっていた。
「お父様、どうされましたの?」
「ミーアか。『司法部』の連中がドヤドヤとやってきおって、根掘り葉掘り聞かれてな。ほとほと疲れたわ」
「……そうですの」
「お前の言う通りにしておいてよかったわい。はぁ、全く……危うくエドウィン伯爵共々沈むところだったわ」
一週間前。ミーアはメイドのサルサから得た情報をレグナンド男爵に突きつけ、
「エドウィン伯爵が魔物の密猟に手を出しています。今の内に手を切るべきです」
と真っ向から父に言い放った。
レグナンド男爵はエドウィン伯爵の下請けの仕事をこなしながらも、幸いまだ魔物取引に直接は関わっていなかった。
やったことと言えば、エドウィン・ロンバスの荷物に紛れ込まされた魔物の皮を知らず知らずのうちに運んでいただけ。
ある日そのことに気づいた男爵は、より儲けるために一枚噛ませてもらうか、悩んでいたところだった。
そんな極秘の話を、娘にすら知られている。どうして知ったのか驚いて問うと、
「調査の手が方々に伸びていて、もう時間の問題ではないか、という噂を聞きつけました」
とミーアは答えた。
どこでそんな噂を、とミーアに問い詰める勇気は、男爵には無かった。問い詰めた時点で自分が後ろ暗いことをしようとしていたことがミーアにバレてしまう。
それに、確証はなくともそんな噂が流れるようでは危険すぎる。
ミーアの聖者学院での評判は上々で、『聖なる者』に選ばれるのも夢ではなく、上流貴族やはては大公子シャルルにまで気に入られている。もうエドウィン伯爵のコネに頼らずとも、どうにかなりそうなところまで来ている。
危険な橋を渡ってすべてをぶち壊してしまうより、今はミーアにレグナンド男爵家の未来を託した方がいい。
ミーアの説得もありかろうじて賢明な判断ができたレグナンド男爵は、エドウィン伯爵から無理難題を押し付けられる前に、調査隊の主であるガンディス子爵に密告したのだった。
今ならば、レグナンド男爵は魔物密売に関しては一銭も受け取っていない。エドウィン伯爵からそんな話も持ち掛けられておらず、知らぬ存ぜぬでやり過ごせる。
「今度はお前の番だぞ。しっかりとやれ」
「……はい。わかりました」
今度も何も、罪に問われずに済んだのはミーアのおかげなのだが、そんな殊勝な考えはレグナンド男爵にはない。
しかしミーアは特に逆らうことも無く、従順に男爵に頭を下げた。
実質、レグナンド男爵家の主導権は、ミーアに移っていた。
男爵の功績と言えば、ミーアを娘と認め、聖者学院に入学させたことだけだ。
そのあとはミーアがすべて自分で考え、行動し、道を切り開いてきた。
密猟事件がエドウィン伯爵によるものだと分かったのも、噂などではない。
ミーアが最初から知っていたからだ。
その前提の下で、サルサに情報を集めてきてもらったに過ぎない。
ディオンに心を寄せるミーアが取った行動の数々は、何一つ間違っていないはずだった。シャルルがミーアの『野外探索』に現れるのも、クリスが『最終候補者』から外れるのも、ミーアがディオン攻略ルートにきちんと入っている証。
――不安材料は、ただ一つ。マリアンセイユが、聖者学院に現れたこと。
ミーアの知っている『リンドブロムの聖女』に、マリアンセイユはいなかった。
僻地パルシアンで眠り続ける、大公世子ディオンの婚約者。藤色の髪と碧色の瞳が印象的な、豊富な魔精力を蓄える美少女。
そんな、設定だけの存在だったのに。
明らかに、ゲーム『リンドブロムの聖女』とは違う物語を紡いでいるこの世界。
ミーアは自分の信じる選択肢を選び続けたものの、本当に自分が望む結末を迎えられるのかどうか、つねに不安だった。
この世界は既にミーアにとっての現実で――二度と、やり直しはきかないものだったから。
しかし、ついに『聖なる者』まであと一歩のところまで来た。
絶対にディオンとの幸せな未来を掴んでみせる。
ミーアは胸の奥の暗い影を振り払うように、キュッと唇を噛みしめた。
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