第4話 聖女の叡智はトンデモナイ!

「……んん?」


 魔王の聖女への溺愛にひとしきり感心したあと、何かが引っ掛かって首を捻る。


 とにかく、この領域を作り出したのは、最終的には魔王ということよね。

 魔王はこの世界で最強の存在よ。その魔王の結界に、どうして私はすんなり入れたのかしら?

 だって、話を聞いていたハティとスコルですら、この地にはずっと入れなかったって言うのよ?


 ハティとスコルは、聖女のお供で一回だけ初代フォンティーヌ公爵に会ったことがあるらしい。

 わたしに何かあったら頼むよ、と言われていたから、公爵が亡くなってこの屋敷に誰も住まなくなっても、二人は度々この地を訪れていた。

 つまり彼らは、本当に『フォンティーヌの護り神』だった訳だ。


 魔王の結界に阻められ中に入ることはできなかったけど、万が一どうにかしようとする人間でも現れたら大変だ。

 何しろ初代魔王はもう既に地上を放棄していて、結界の力は失われるばかりだったのだから――。


「ん、ちょっと待って?」


 引っ掛かった理由に思い当たり、思わず声が漏れる。ハティが『なーに?』と言ってつぶらな瞳で私を見上げた。


魔王?」

『ウン。魔王、寝てる』

「えーと、ハティ? と言うからにはがいるってことになるんだけど?」

『……???』


 よくわかんない、というようにハティが首を傾げる。

 ハティは博識だけど、聖女シュルヴィアフェスや王獣アッシメニアが言っていたことをそのまま伝えてくれているだけなので、内容についてはあまり理解していないらしい。


 ちょっと待ってよ。魔王って普通、唯一無二の存在じゃないの? まさかこの世界では、継承システムがあるの?


 巷で言われている『魔王が蘇る』って、あの千年前に地上を蹂躙した本人が再び現れる、という意味だと思ってたわよ。多分、私だけじゃなくて、この世界の人はきっとみんなそう思ってるはずよ。


 えーと、魔王ってどうやって生まれたんだったっけ? 確か神が作った、と言われてるんだっけ?

 聖女を失って腑抜けになった魔王はいらん! 代替わりだ! 

 ……なーんてことになって、全然別の、新たな二代目魔王が作られた、とか……。


 アハハ、考えたくないわねー。その二代目魔王がものすごい暴君だったらどうするのよ。

 多分この世界の人達だって、聖女さえいれば魔王は抑えられる、と思ってるわよ。だからリンドブロム大公国では『聖なる者』の選抜をすることにしたんじゃないの。

 でもそれは、初代魔王がそれで引いてくれたというだけで、二代目までそれで上手くいくかどうかはわからないじゃない。

 

 ちょっとお! まさか、こうして結界に入れたのは、初代魔王が完全に力を失ったから、とかなんじゃ!

 すでに二代目に継承されて、もう『魔王復活』のカウントダウンが始まってたらどうしよう!


「ハティ! こうしちゃいられないわ!」


 グイーンとロッキングチェアで反動をつけて、びょーんと立ち上がる。足元にいたハティがビクッとして体を起こした。


「ヴァンクを暴れさせるわけにいかないわよ。どうにかしないと!」


 魔獣ヴァンクが地上で暴れることで土の魔物が活性化、結果として魔王復活が早まる、なーんていう図式が成立してしまうかも!

 仮説だらけで全然確証はないけど、可能性があるなら確実に潰さなきゃ!


『ウン、だから、ソコ』

「そこ?」

『赤い、扉』


 トコトコと目の前を通り過ぎ、ハティが赤い扉をついっと見上げた。

 魔王の結界が消えかかっていたので、ハティがどうにかこじ開けて私をここに連れてくるつもりだったという。

 それが、私が一人でここを見つけて入り込んでいたからとてもビックリした、と。


『マユ、すごいのー』

「場所だけは覚えてたからね。……さて」


 ここには聖女シュルヴィアフェスの叡智があるのよね。

 どうか私にも使える、起死回生の一手をください!


 祈りを込めて、赤い扉のノブに手をかける。

 えいやっ!と気合を入れて思いっきり扉を開けた。


「……ん!?」


 むあっとした油の臭いが鼻をついて面食らう。

 てっきり聖女の透き通るような魔精力が行き渡った、美しく洗練された空間かと思ったのに。


 油と埃と土の臭い。そして目の前に広がるのは、ガチャガチャと色々な物が置かれた倉庫のような空間だった。

 奥の壁には本棚が二つ。隙間だらけだけど、いくつかの本が並んでいる。

 そして右手の壁は、一部分だけ切り抜かれたようにアーチ状の穴が開いていた。その先は真っ暗だ。


「あ、穴があるわ。ひょっとして図書室に繋がってる?」

『ウン。でも、戻れない』

「……」


 なるほど、一方通行の通り抜けられる壁だったのね。

 試したいけど、またぐるっと回ってくるのは大変だから今度にしよう。


 落ち着いて、もう一度部屋の中を見回す。

 ……あ、これ、アトリエだ。


 やや端に置かれた机の上には、使い古されたたくさんの筆やブラシ、ペインティングナイフ。木の箱には使いかけの油絵の具が乱雑に入っていて、机の上にもいくつか転がっている。

 他にも、パレットや筆を洗う道具と思われる壺や瓶。それらが散らばっている木の机には、赤や青といったカラフルなねちっこそうな汚れがこびりついていて、ひどく汚い。


 そして、そこかしこにイーゼルが置かれていた。イーゼルの上には、畳一畳分ぐらいはありそうな大きなキャンバスが縦長に置かれている。


「絵が趣味だったのね、初代フォンティーヌ公爵は」

『ウン。マユの部屋の、絵も』

「私の部屋? ……ああ、あのすごく大きい、魔王と聖女の絵?」

『ウン』

「へぇ、あれもそうなんだー」


 茶髪の病弱イケメンの魔王にかしづく、銀髪の聖女の姿。

 アイーダ女史によると、オルヴィア様がフォンティーヌ邸の倉庫で見つけた物で、とても気に入って黒い家リーベン・ヴィラに飾ることにしたらしいけど。


 ……となると、あれが真実の魔王の姿なのかしら。だって実際に聖女シュルヴィアフェスと会ったことのある初代フォンティーヌ公爵が描いた絵だものね。

 初代魔王ったらカッコいいー。いや、でも、聖女のラブラブ補正ですっごくカッコよく描かれてるのかも。

 あー、そう言えば、セルフィスは「魔王は姿を自由に変えられると言われている」とか言ってたっけ。魔王が聖女好みに変身したのかもしれないなあ。聖女に気に入られたくて。やだ、うふふ。


 ……とと、そんな呑気な妄想をしている場合じゃなかったわ。魔王と聖女のイチャラブはこの際どうでもいいのよ。

 さて、本題。

 そういった、ちゃんと表に出された絵とここにひっそりとしまわれている絵の違いは何だろう。

 不思議に思い、机の一番近くにあったイーゼルの表側に回ってまじまじと眺める。


「――えっ、これって!」


 黒のウネウネとした模様を背景として、中央には燃え盛る紅蓮の炎が。その炎を吐き出しているのは、今にも吠え掛かるように天を仰ぐ灰色の獣。

 身体には黒と赤が入り混じった太い紐が三重に絡みつき、碧の眼光は空をも射抜くように鋭い。炎を吐く大きく裂けた口からは、鈍く光るいかつい白い牙がはみ出している。


 火の魔獣、フェルワンドよね。それはまぁいいとして、この右下に描かれているのは……魔法陣!?

 すごく複雑な図形だし、周囲に古代文字が描かれている。クリスが描いていたものと同じような感じだわ。


 よく見ようと近づくと、背景の黒いうねうねしたものも古代文字だった。あの、基本の属性魔法の呪文に使われている言葉よ。

 その古代文字が、びっしりと背景を埋め尽くしている。呪文に使われる言葉だからアイーダ女史にみっちり仕込まれたので、読めることは読めるわね。


「ディー=エイタ=フル……」

『マユ、駄目ー!』


 読み上げようとすると、ハティがどーんと私にぶつかってきた。思わずよろけて、ドンと机に激しく腰をぶつけてしまう。


「キャッ!」

『マユ、ごめん! ごめんなの! でも駄目なの!』

「イタタ……何? どうしたの?」

『それ、誓約呪文! 魔法陣、解読した、呪文!』

「……ええっ!?」


 ガバッと振り返り、もう一度フェルワンドの絵にぐぐっと顔を寄せる。

 確かに、詩になっている。

 大地に降り立つは……みたいな始まりで。


「えーと? つまり、魔法陣と同じ効果がある、と」

『ウン』

「……聖女の魔法陣だけでなく、誓約呪文まであったなんて……」


 こんなところにフェルワンドの魔法陣は隠してあったのね、と一瞬納得しかけたけど、この場所はフォンティーヌ公爵が亡くなったあと誰も立ち入っていないはず。

 例の、上流八家で魔法陣を管理するようになったというのは、もっと後の話のはずだわ。


 ふと、他のキャンバスを次々と見てみた。キャンバスの数は、全部で八個。

 そしてそこには、八大魔獣の姿と魔法陣、誓約呪文がそれぞれ描かれていた。


 何てことだ。ここに八大魔獣の魔法陣プラス誓約呪文が、全部揃ってる。

 これが、聖女の叡智……!

 

 そのあまりの凄さに呆然としていると、ハティがくいくいっと制服のスカートを咥えて引っ張った。


『マユ、フェルワンド、呼ぶの』

「えっ?」


 ハティが言っている意味が分からず、しゃがみ込んで視線を合わせる。

 

「どういうこと?」

『夜が明ける頃には、ヴァンク、来る。そのとき、フェルワンド、呼ぶ』

「ええっ!?」

『ヴァンクより力の強い魔獣、呼ぶ。ヴァンク、マユ食べるの、約定違反。きっと、魔界に逃げ帰る』

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 クォンがいるから、本物が現れるってことよね?

 でも、そのあとはどうするの? 今度は間違いなく、私が召喚者よ。フェルワンドが私を認める訳ないわ。


「でも、フェルワンドに食べられ……」

『ハト、頑張る。スコも、頑張る。お父さーんって、お願いする』

「えっ」


 まさかの親のコネ作戦! 冗談だったのに!


「でも、フェルワンドは知らないんでしょ? ハティ達のこと」

『多分、知ってる。でも、知らんぷり』

「そうなの?」

『魔獣に、なったら、簡単には地上に降りられない』

「……」


 魔王の配下の魔獣として認められ、組み入れられたら、約定に従い迂闊には地上に降りられなくなる。太陽とか月とか関係なく。


『もう……月、沈む』


 ハティがぷるるっと身体を震わせた。


『ここ、安全。誰にも見つからない』

「あ、うん……」

『マユ、魔法陣、呪文、覚えて』

「……ええっ!?」

『夜明け、スコ、迎えにくるから』


 それだけ言うと、ハティは開け放したままだった赤い扉からあっという間に外へと駆け出して行った。慌てて追いかけたけど、魔界に帰ったのかどこにも姿が見当たらなかった。


 今日は上弦の月。月が沈んでしまったら、ハティは地上にいられない。

 そして太陽が昇らない限り、スコルは地上に降りてこられない。夜明けまで、独りきり。


『キュン……』


 うなじに張り付いていたクォンが小さく鳴く。


「あは、そうだった。クォンはいたわね」


 無理に笑い声を出して、そっと首筋のクォンを撫ぜる。


 確かに、ヴァンクを退けるには上位の魔獣を使うしかない。そしてどうせ使うなら、最強の魔獣を。


 ここには、もう二度と来れないかもしれない。フェルワンドだけじゃない、八大魔獣の魔法陣と誓約呪文をすべて覚えよう。

 描くことも読み上げることもできないから、かなり大変だけど。


 途方もない賭けになる。

 でも――もうそれしか、私を救う手はないのだから。

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