◉ゲーム本編[8]・ミーアは暗い炎を灯す
“それでは、『聖なる者』の最終候補者を発表します”
大講堂に響き渡るディオンの声を、ミーアは隅の方で、顔を真っすぐに上げて聞いていた。
一瞬だけ、正面のディオンと目が合う。
上流貴族は一番前の二人掛けのソファにゆったりと座っている。下流貴族はその後ろの、衝立を挟んだところにあるずらりと並べられている木の椅子に座ることになっている。
その中でもさらに奥の奥、出入り口付近がミーアのお気に入りの席だった。
一番後ろならば、目立たなくて済む。余計な声も聞こえては来ないし、自分の挙動を気にする必要もない。
そして今は、人目を気にすることなくディオンの姿を真っすぐに見つめることができる。
“呼ばれた者は、返事をしてその場で起立してください。――創精魔法科、ミーア・レグナンド”
「っ、はい!」
真っ先に呼ばれ、喉が詰まる。慌てて立ち上がると、大講堂に集まっている学院生たちの視線が集まり、余計に気恥ずかしく感じた。
令嬢達から投げかけられる視線はというとこれまでは侮蔑混じりのものだったが、今日だけは違っていた。全く無いという訳ではないが、純粋に尊敬の念が込められた眼差しもちらほら見受けられる。
魔法実技試験において全員の前で圧倒的な力を見せつけたのもあって、多少は『聖女の再来』の呼び名は伊達ではない、と印象付けることができたようだった。
“模精魔法科、アンディ・カルム”
「はい」
アンディがピンと背筋を伸ばしてすっくと立ち上がる。「そうよね」「さすがよね」というような声がちらほら聞こえてくる。
どうやら爵位の下から呼ばれているらしい、とミーアは気づいた。
“創精魔法科、ベン・ヘイマー”
「……はい」
少し間を置いてベンは返事をし、ゆっくりと立ち上がった。極めて長身の彼がチラリ、と後ろを振り返る。――ミーアと、ライバルであるアンディの方を。
そして同時に、下流貴族席からは溜息があちこちで漏れ、どよめきがさざ波のように広がった。
上流貴族であるベン・ヘイマーが呼ばれたということは、アンディとミーア以外の下流貴族は『聖なる者』の選抜から漏れたことになる。特に魔導士学院から聖者学院に上がった生徒は本気で目指している者もいたため、落胆してしまったのだろう。
“創精魔法科、クロエ・アルバード”
「はい」
クロエが頭のてっぺんで一括りにした長い黒髪をさらりと靡かせ、当然とばかりに立ち上がる。
クロエは『聖なる者』を目指していた訳ではないが、最終選考には残らなければならなかった。それが女性の身で侯爵位を継ぐ条件だったからだ。
“特別魔法科、マリアンセイユ・フォンティーヌ”
「はい」
それまでどよめいていた下流貴族席が、ぴたりと静かになった。
魔法実技試験でのクロエとマリアンセイユの実技は圧巻だった。
木、毒、氷、雷。
普通の魔法学のテキストには載っていないような、使える人間はなかなかいないと言われる上級の複合魔法。
クロエもマリアンセイユも、授業内では魔法実技をしてみせてはいたが、だいぶん手加減していた。
それは勿論、魔法実技試験で圧倒的な力を見せつけるため。
きっちりと考えられ制御されたアンディとミーアの魔法実技はただただ雄大で華麗で完璧だったが、クロエとマリアンセイユが見せた魔法実技には有無を言わせない迫力があった。
そしてマリアンセイユは、この実技試験を通じて
「さすが魔精力を見込まれて大公世子ディオンの婚約者となっているだけはある」
と全学院生に知らしめたのだった。
“この五名には最終選考である『野外探索』に参加してもらいます。その後――リンドブロム大公宮闘技場にて貴族・民衆の前で、『聖なる者』を決定します”
パチパチパチ……と拍手が沸き起こる中、ミーアはキュッと唇を噛んだ。
四属性の魔法を高レベルで使いこなすマリアンセイユ。
彼女の能力の高さを一番思い知らされたのは、ミーアだっただろう。
――きっと私は、マリアンセイユ様に負けている。
ミーアはそう思い込んだ。最後の『野外探索』で、何としてもマリアンセイユの評価を上回らなくては、と。
魔法実技試験での実技は、マリアンセイユの想像以上にミーアを焦らせていた。
* * *
「……ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ」
レグナンド男爵家の扉を開けたミーアを出迎えたのは、サルサだった。ミーアつきのメイドで、ミーアが唯一心許せる存在。
「お父さまは?」
「もうすぐ戻られるのではないでしょうか? そろそろ大詰めだと仰ってましたし」
「そう」
形通りの主従のやりとりをしつついくつもの扉の前を通り過ぎて、ミーアの部屋の前へ。
扉を開けその四角い空白をくぐり抜けた途端、サルサの雰囲気が豹変する。
「どうしたの? ちゃんと最終候補に選ばれたんでしょ? 随分と暗いわね」
ミーアの冴えない様子に、サルサが声をかけた。心配そうに、というよりはからかうように。
姉のようなサルサと、妹のようなミーア。二人は本当の姉妹のように仲が良い……というより、お互い忌憚なく言いたいことを言える間柄となっている。
「選ばれたわ。でも……形勢は悪いわ」
「ふうん?」
ミーアはサルサに最終選考の『野外探索』について説明した。
森での宝箱の探索、属性魔法による解錠。『金の箱』にいたっては魔物のイミテーションとの戦闘もあること。
ベン・ヘイマーが真っ先に一緒に組もうと言ってくれたが、彼は自分と同じ炎魔法の使い手。探索の幅は広がるが解錠手段が広がる訳ではない。
そのあとすぐに水魔法のアンディも名乗りを上げてくれた。彼はすでに聖女騎士団として遠征経験もある。森の探索ならお手の物だろう。
とても心強い、とミーアは手放しで喜んだ。
そこまでは良かったのだが、それ以外、近衛部隊や聖女騎士団への入隊を希望する下流貴族の魔導士は誰も近寄ってこなかった。
ミーアとしては、風魔法と土魔法の使い手も仲間に入れたかった。そのために学院では頑張って愛想よく振舞い、親交を広げていたのに。
クリス・エドウィンが『聖なる者』の選考から落ちたことも大きかった。彼は土魔法の使い手だ。
それでも聖女騎士団に入団する身ということで『野外探索』に参加することは可能なはずなのだが、どうもベンが事前に断ったらしい。下流貴族が近寄ってこなかったのも、彼が睨みをきかせていたからだろう。
「男の嫉妬はめんどくさいわね。もう少し上手くやれなかったの、ミーア?」
「平等にふるまってたつもりなんだけど……でも、ベンは……」
「まぁ、もともと目立ちたがりだもんねぇ。その他大勢の一人にされるのは我慢ならなかったのかもね」
「……」
しかしミーアの中では、もうディオンに心が決まっていた。その気持ちを大っぴらにすることが憚られるから、言わないだけで。
クロエ・アルバードと親しくなれなかったことも痛手だった。彼女はただでさえ学院に現れる時間は短い。図書館でニアミスしたときが唯一のチャンスだったのに、マリアンセイユに潰されてしまった。
しかし、あれもこれもと欲張る訳にはいかない。人生で選べる道は、つねに限られているのだ。
孤児院での下働きから這い上がってここまで来たミーアは、そのことをよく知っていた。
「で、どの箱を狙うつもりなの?」
サルサが腕を組み小首を傾げてミーアを見やる。その珍しい蒼い髪が揺れるのを見ながら、ミーアは溜息をついた。
「『銀の箱』を集めるつもりと皆には言うけど『金の箱』も狙うわ。でないと、マリアンセイユ様には勝てないもの」
「ベンとカブるじゃない」
「……そこは譲らないわ」
そうは言うものの、いざ魔物を目の前にしてミーアは戦えるだろうか、とサルサは疑問に思った。
その点で言うと、のちに聖女騎士団に入りその当主となるつもりで修業をしているベンの方が、素早く反応できるだろう、と。
ミーアの武器が炎魔法だけというのは、非常に心許ない。
「いよいよ、あたしの出番かしらね」
「……」
サルサの言葉に、ミーアが黙って目を向ける。水色の瞳が暗く潤んでいる。
「わかってるんでしょう? 自分一人の力じゃ無理だって。あの、マリアンセイユに対抗するには」
「……」
「ああ、マリアンセイユも独りじゃないものね。フォンティーヌの森の護り神とやらがついてるんだっけ?」
「……!」
ミーアの肩が、ビクリと震える。チカッと、右耳の桃水晶のイヤリングが光る。
その護り神とやらの正体を見たことは無い。しかし、アルキス山の魔物討伐をしたのは、その護り神のおかげだという。マリアンセイユがたった一人で成し遂げたことではない。
彼女なら、『金の箱』の魔物などどうとでもなるだろう。いざとなれば護り神がやってくれるに違いない。
ロワーネの森とフォンティーヌの森は地続きだ。きっとマリアンセイユのピンチには駆けつけてくるのだろうから。
「卑怯よね。一人で三人、いや百人ぐらいいるようなものじゃない。ミーアがあたしを傍につけたって、ズルでも何でもないわよ」
「……そうかな」
「そうよ。ミーアだって護り神、欲しくない?」
組んでいた両腕をほどき、サルサがすっとミーアに右手を差し出す。
この手を握れば、ミーアにはもう、恐れるものは何もない。
「欲しいわ。でも……」
ミーアの視線がサルサの顔から右手、そして床へとゆるゆる落ちる。
その手を取るべきかどうか、思い悩んでいる。
「このままだと勝てないわよ? マリアンセイユに」
サルサの声に、ミーアの肩がビクリと震える。再びゆるゆると視線がサルサの顔に戻る。ギラギラと輝く銀の瞳に、水色の瞳が吸い寄せられた。
「――あくまで、念のため、よ。私がサルサを本当に必要とするまで、絶対に何もしないで」
「ふふ、分かってるわ。主のやりたくないことはやらないわよ」
ミーアの細くて白い小さな手と、サルサの茶色い大きな手が重なり合い、十本の指が絡み合う。
ミーアの水色の瞳の輝きがみるみる増すのを、サルサはその銀色の瞳を細め、面白そうに見つめていた。
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