第6話 いよいよ舞踏会本番よ

 瞬く間に一週間が過ぎて、大公宮舞踏会の日を迎えた。

 噂によれば、5時限目の『舞踏・礼儀作法』の授業を受けていた人は全員合格が貰えたそうだ。ミーア・レグナンドは最後の三日間たった一人の生徒となってしまったそうだが、見違えるほど上手になったらしい(と、シャルル様が自分の手柄のように語っていた)。


 ――リンドブロム城。

 聖地・ロワーネの谷を守るように立ちはだかる白を基調とした荘厳な城。中央には薄い水色のドーム型天井のひと際大きい建物があり、その両サイドには同じ水色ドームの塔が建ち並んでいる。

 シンメトリーとバランスを重視した造りは、『人間と魔の者の仲裁者』として世界各国を見張る役目を担うリンドブロム大公国の存在意義を示したものである、と歴史学の授業で習った。


 その城へと繋がる唯一の道、湖上の石橋の向かって右側には、下流貴族の馬車による渋滞ができていた。日はもう西に傾いていて、これらの馬車が大公宮に到着するまではだいぶんかかるだろうなあ、と思いながら、橋の左側をゆっくりと進む。


 私が城に着いた頃にはもう客を迎え入れるための応接間は開かれていて、貴族令嬢や子息たちもかなり集まっていた。

 大公世子ディオンの婚約者である私は、優先的に大広間へと入場できるため、より入口に近い一角へと案内された。

 あちこちでいわゆる社交が始まってはいたけれど、学院内でもずっと一人ぼっちだった私のそばに親し気に近づく人などそうはいない。大概は形ばかりの挨拶をして終わりだ。


「――こんばんは、マリアンセイユ」


 琴の弦が鳴り響くような凛とした声。他でもない私の秘密の親友、クロエ・アルバードだ。

 エメラルドグリーンとオフホワイトが波のように広がるバッスルドレス。フリルやリボンは控え目、その代わりに身につけているネックレスやイヤリングが大振りで豪華になっているけれど、嫌味じゃない。

 とてもクロエらしい、洒落たチョイスだ。


「こんばんは、クロエ。凄く決まってるわね」

「ふふ、当然よ。……申し訳ないけど、今日は挨拶だけね。回らないといけないところがたくさんあるの」


 後半は扇で口元を隠しながら早口で言う。まぁそうだろうと予想はついていたので、微笑むながら頷く。


「ええ。また明日、例の場所で」

「ふふ、例の場所ね。解ったわ」


 小声でそう言葉を交わしたあと、目くばせして離れる。

 クロエは侯爵家としての仕事もこなしているし、この場でお婿さん候補も絞ると言っていた。やらないといけないことは山積みなんだろう。

 私はと言うと、ディオン様と踊ることぐらいしかすることが無いから、本当に暇よねぇ。


 その後、他の上流貴族の令嬢とベン・ヘイマーも挨拶に来たけれど、本当に挨拶だけだった。ベンは完全にミーアにターゲットを絞ったようだけど、最近はシャルル様も頑張ってるようだし、どうなのかしらね?

 その肝心なミーアは、まだ来ていないのか見当たらない。馬車の渋滞はとんでもなかったし、優先権もないからあの中のどれかだったはず。


「やあ、マリアンセイユ。夜空の月のようだね」


 そう声をかけてきたのは、クリス・エドウィン。最初はおどおどしていたクリスも、模精魔法科の授業で言葉を交わすことが多くなったのですっかり馴染み、必要以上に緊張しなくなっていた。


「ありがとう、クリス。あなたも素敵よ」

「でも意外だな。マリアンセイユがその色を選ぶとは」


 今日の私の出で立ちはと言うと、夜空のような深い藍色の胴衣ボディス・ペティコートに黒のレースとリボンがあしらわれたもの。いわゆるゴシックファッション、かしら?

 裳裾トレーンは細かな刺繍が施された黒いレース。重くなり過ぎないよう、ほどよく透け感があり、歩くと黒鳥が翼を広げたように優雅に広がる。

 髪に差したリボンも藍色で羽根は黒。そして指輪、ネックレス、イヤリングはシルバーで統一し、すべて球形を基調としたデザイン。


 だからクリスの『夜空の月』という表現は言い得て妙。私が意図したことを汲み取っているとも言えるわね。


「ふふ、そうですわね。普通なら、ピンクや黄色といったもっと明るい色を選ぶでしょうから」


 辺りを見回すと、令嬢の裳裾トレーンはたいがい白で、合わせるドレスもパステルカラーが殆ど。そういう意味では、私はかなり目立っているかもしれない。

 でもこの色には、ちゃんと意味があるのよ。


 当初はヘレンが悩んでいたように赤か黄色、暖色系でいく予定だったのだけど。裳裾トレーンも当然白でね。

 ディオン様の呼び出しの件があって、もう少し彼に寄り添う姿勢も見せた方がいいということになって、

「ディオン様といえば、藍色の髪に真っ黒な瞳。こう、落ち着いた雰囲気ですから、それに合わせるのはどうでしょう?」

とヘレンが提案してきたのだ。


 そもそも今回のはただの舞踏会ではなくディオン様の誕生日パーティ。主役はあくまでディオン様で、だからその隣に立った時に調和がとれるようなファッションにするべきではないか、と。


 まぁそれには全く異存は無いし、今日のドレスはとても素敵に仕上がっているとは思うけれど、こうしてあまたの令嬢の中に入ってみると目立つ目立つ……。

 暗い色調といい、悪の女首領ボス感がすごいわね、本当に大丈夫かしら、と思っていたのだけど。

 クリスがそう言ってくれたので少しホッとして、自然に柔らかい笑みがこぼれた。



   * * *



 パーティでは大公殿下や大公妃殿下にきちんと挨拶できたし、ディオン様のご機嫌もそう悪くはなかった。

 ディオン様とのダンスでは、ディオン様の手が思ったより冷たくて結構びっくりしたのだけど。この人、テンションだけじゃなくて体温も低いのね。


「……驚きました」

「何がですの?」

「あなたのことだから、ご自分の容姿に合わせた出で立ちでいらっしゃるかと思っていました」


 それは、これみよがしなメチャクチャ派手な格好でやって来るかと思ってた、ということかしらね。そこまで自己顕示欲は強くないわよ。


 ピキピキとこめかみに青筋が浮かびそうになりながらも、

「ダンス中は親し気に。お互いの顔を見ながら多少は語らいもしないと駄目ですよ」

とアイーダ女史に言われたことを思い出し、どうにか笑顔を作る。


「今日の主役はディオン様ですわ。わたくしはその隣に立つ、ということを考慮したまでです」

「わたしの引き立て役に徹した、と」


 そこまでは言ってないけど。なーんか棘があるわね。


「お気に召しませんでしたか? 婚約者としてはどうあるべきかを考えてみたのですが……」


 気丈に振舞ってみたものの、当の本人にウケてないと分かってさすがに凹む。

 ディオン様より目立つことなく、されど華やかさは失わない装いをしたつもりだったんだけど……。


「あ、いえ。とても美しいですよ。あなたが手を抜いたとは思っていません。わたしのためにと色々考えてくださったのだな、ということは伝わります。父上も母上も大変満足していましたし、貴族の方々もあなたの出で立ちと立ち振る舞いをたいそう褒め称えていました」


 さすがに言い過ぎた、と思ったのかディオン様がやや慌てたように言葉を続ける。


「ただ……やはり、わたしを男とは思っていないのだな、と感じただけです」

「は?」


 いや、男でしょ? どこからどう見ても。

 さすがその辺のモブキャラとは違う、何というか『優等生・正統派イケメン』よ、ディオン様は。


「えーと……」

「気にしないでください。あなたは何も悪くありませんし、立派に務めを果たされたと思いますよ」


 いや、気にするなと言われても……と思ったけれどそこで曲が終わってしまい、私達はそのまま離れてしまった。

 何しろ今回のディオン様の目的は『学院生と会する』なので、婚約者特権を振りかざして独り占めする訳にはいかない。


 煌びやかな宝石を身につけた赤いヒラヒラドレスのイデア・ヘイマーがディオン様に挨拶しているのを横目で見つつ、ミーアの姿を探す。

 このパーティでの私の役目は、これで終わり。適当なところで帰ってもいいんだけれど、やはりミーアがこの場でどう振舞うのかは気になるわ。


 しかしどこを探してもミーアの姿は見つからなかった。入口を見ると、まだ新しく会釈をしながら入ってくる子息や令嬢の姿が見える。ミーアもまだ到着していないのかもしれない。何しろ馬車渋滞はとんでもなかったし、後から後から最後尾に連なっていたし……。


 これはしばらくどこかで時間を潰した方が良さそうね。

 確か、軽食を出している部屋と画廊、そして東西の小部屋とそれに続くバルコニーは解放されていたはず。

 とは言え、軽食は男性にエスコートされて初めて行ける場所だし、絵や美術品を眺める気分でもない。

 とりあえず月が見える西側のバルコニーを目指そう、とゆっくりと歩き始めた。

 壁の花となりつつある令嬢や、誰を誘うかと吟味している子息たちを横目に、颯爽と広間を通り過ぎる。


 リンドブロム大公国は、結婚に制限がある分アバンチュールには寛容らしい。

 噂によると、アバンチュールを楽しむための部屋もいくつか用意されているらしいんだけど、そちらに足を踏み入れるとレーティングに引っ掛かるのでやめておくわ。

 ふふふ、ごめんあそばせ!

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