◉ゲーム本編[5]・ミーアは自己嫌悪する

 大講堂で大公世子ディオンから誕生パーティの開催を発表された日の夕方。

 ミーアは期待と不安が入り混じった思いを抱えながら、トボトボとロワネスクの街を歩いていた。


 つい三ヶ月ほど前まで孤児院にいたミーア。当然、貴族令嬢としての礼儀作法などはまともに習っていない。

 レグナンド男爵家に引き取られてから一カ月は城下町での人気取りに行かされており、十分な令嬢教育は受けていなかった。

 その後の一週間は、グレーネ湖の畔にある男爵家別邸で魔導士としての修行。

 そして学院が始まるまでのわずか一週間で付け焼刃的に家庭教師をつけてもらい、最低限の立ち振る舞いを教わっただけである。


 5時間目にあるという、『舞踏・礼儀作法』は間違いなく受けなければならない。そちらは二週間で何としてもクリアすればいい、のだが。


「ドレス……どうしよう?」


 レグナンド男爵はある程度のものをミーアに揃えてやってはいたが、それは孤児院時代のみすぼらしい恰好をさせておくわけにはいかないから、という非常に体面的なもの。

 サイズも色も、とてもではないが彼女の容姿につり合ったものではなく、仮に家にあるドレスでパーティに参加しても笑われるだけであろうことは容易に想像できた。


 馴染みの仕立て屋に相談しようかとも思ったが、娘のエレナにひどい嫌がらせをされたのはつい二週間前のこと。彼女のあの様子では、その両親である仕立て屋の夫婦だってミーアのことをよくは思っていないだろう。


「……ただいま戻りました」


 下流貴族の邸宅が建ち並ぶ通りの一番端にある、レグナンド男爵家。あちこち塗装が剥げかけた扉を開けると、この辺りでは見かけない浅黒い肌をした女性が笑顔でミーアを出迎えた。


「お帰りなさいませ、ミーア様」

「……サルサ」


 ミーアがグレーネ湖から帰って来てから傍に付くようになった、すらりと背の高いメイド服の女性。その肌といい、蒼い髪、銀色の瞳といい、身につけているメイド服とはいまいちそぐわない。


「お父様は?」

「エドウィン伯爵領にお出かけです。しばらくはこちらに帰ってこないと聞いておりますが」

「……そう」


 ミーアを男爵家に迎え入れるために、そして大公家に認めてもらうために力を借りたのが、上流貴族八家の一つ、エドウィン伯爵家。

 それもあり、レグナンド男爵はエドウィン伯爵に頭が上がらなくなり、半ば手下のようになっているらしい。

 ミーアにとっては男爵が不在の方が心休まるのだが、今回ばかりはタイミングが悪かった。二週間でドレスを用意しなければならないのに、新しく仕立ててもらうことができない。


 あるものでどうにかするしかない、と急いで自分の部屋に戻り、クローゼットを開けてみる。

 普段着やちょっとしたお茶会を想定したドレスはあるが、大公宮の舞踏会に着て行けるようなものは見当たらなかった。


「どうしよう、サルサ。舞踏会に着て行くドレスが無いの」

「ドレス?」

「二週間後、大公宮でディオン様の誕生日パーティがあるの。そこに着ていくためのドレスよ」

「へぇ?」


 ミーアの部屋に入った途端、ガラリと態度を変えたサルサが両腕を頭の上で組み、おどけたような口調でニヤリと笑う。


「それは困ったわねぇ」

「……どうして笑うの? 本当に困っているのに」

「あたしならどうにかできる、って言ったら?」

「えっ!」


 役に立たない数多のドレスを眺めていたミーアは、驚いて振り返った。サルサは相変わらず、ミーアをからかうような目つきをしている。


 サルサはミーア付きの召使のようなものだったが、実際には二人は姉妹のような関係を築いていた。

 あまり物を知らず内気で臆病なミーアと、ハッキリと物を言い賢く快活で大胆なサルサ。

 ミーアが悩んでいるとサルサが思いもよらない作戦を提案することがあるものの、臆病なミーアはそのどれにも乗ることはなく、自分の考えでこれまで動いてきた。

 しかし今回ばかりは、本当にピンチだ。自分一人の力ではどうにもならない。


「どう? あたしに任せてくれたら、どうにかするわよ」

「……本当に、舞踏会に行けるようなドレスを? サルサが?」

「勿論よ。ミーアに恥なんてかかせないわ。こう見えて主には忠実よ、あたし」


 しばらく考え込んだミーアは、諦めてサルサを頼ることにした。

 コクリと頷くミーアに、サルサが満足げにニヤリと笑った。



   * * *



 翌日、5時間目の『舞踏・礼儀作法』の授業。大講堂には、十人ぐらいの生徒が集まっていた。

 いずれもミーアと同じ下流貴族だが、十二、三歳ぐらいとミーアより年下の少女ばかりだった。色とりどりの練習着を身につけ、ソワソワしている。年若い少女たちの集まりらしく、お喋りに夢中でおよそ『淑女』とは言い難い。


 それも無理からぬことだった。リンドブロム大公国では、遅くとも十四歳には何らかの舞踏会にはデビューしているのが一般的である。

 十六歳で未経験というのは、ついこの間貴族の仲間入りをした自分ぐらいだろう、とミーアは考えた。しかし逆に言えば、この中にミーアを虐めるような人間もいないはずである。

 ミーアはホッと息をついた。とりあえずドレス問題が片付いたミーアは、かなり気が楽になっていた。


 後は自分の努力次第。これまでと同じ、習ったことはしっかり身につけて合格をもらわなければ。


 改めてそう決意したところで、講師らしき人物が大講堂の上手から現れた。四十代ぐらいの小柄な女性。背筋をピンと伸ばし、集まった令嬢たちを見回す。

 いち早く気づいたミーアは、講師に向き直った姿勢を正した。すでに査定が始まっているのかもしれない、と気を引き締め直す。


 しかし、講師はミーアを見ることはなかった。その肩の向こう――大講堂の入り口付近を見つめ、あんぐりと口を開ける。


「マリアンセイユ様!?」


 その場にいた全員がギョッとし、一斉に振り返った。


 公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌ。本当に練習着だろうか、と疑いたくなるような美しい緑のドレスを身に纏い、悠然と少女たちの方へと歩いてくる。何の飾りも付いていないその練習着は、マリアンセイユのボディラインの美しさをいっそう際立たせていた。

 その進路を塞ぐように、女性講師が立ちはだかる。慌てる講師にマリアンセイユがにっこりと微笑み、挨拶をしている。


「キレイ……」

「練習着が?」

「バカね。そりゃ練習着もすごいけど……何かもう、全部!」

「確かに」

「上流貴族ってすごいよね」

「でも、どうしてここに来たんだろ?」

「デビューしてないからでしょ?」

「ええー?」


 少女たちの会話はミーアの耳にも届いた。

 約五年間眠り続けていたマリアンセイユは、確かに社交デビューはまだだっただろう、と気づく。

 しかしわざわざ練習のために公の授業に足を運ぶとは――と、少女たち同様、ミーアも不思議に思った。耳が、必然的に二人の会話に集中する。


「先生から合格を頂かないといけませんし」

「と、とんでもない! 合格、合格です!」

「先生、それではいけませんわ」


 マリアンセイユが講師を諭すように、ゆっくりと首を横に振る。


「この学院においては、わたくしも一生徒です。しかも長い間眠っていたために、知らないことも多いですし、至らないこともあるかと思います。早く皆様に追いつくために、基本からきちんと学びたいのですわ」

「え、あ、はい……」


 まるで立場が逆転したような、二人のやりとり。

 どうやら本気で授業を受けに来たらしい。真新しく美しい練習着も、彼女がそれだけ舞踏や礼儀作法について家では練習していなかったからに違いない。


 少女たちがそう囁くのを聞いて、ミーアの口角がわずかに上がった。

 それが「自分だけではない」という安堵からくるものなのか、「これだけは自分が上かもしれない」という期待からくるものなのか、ミーアには分からなかった。


「それでは、マリアンセイユ様から披露をお願いいたします」


 どうやらマリアンセイユも授業を受ける、ということで落ち着いたらしい。

 学びたい、と主張していたマリアンセイユは自分がまず作法を見せることにやや不満気な様子ではあったが、そこは講師に押し切られ渋々了承した。

 講師の指示に従い、舞踏会に来た想定で配置につく。


「それでは、始めてください」


 講師がパン、と手を鳴らした瞬間、マリアンセイユの表情が変わった。


 さきほど講師と話しているときは、どちらかと言えば親しみさえ感じる柔和な笑顔だった。

 しかし音が鳴った瞬間、凛とした佇まい、高貴で気品溢れるな微笑みに変わる。

 辺りにまさに上流貴族、という近づき難いオーラが放たれ、少女たちは呆気に取られた。知らず知らずお互いの顔を見合わせている。


 それはミーアも同じだった。同じかもしれない、いやひょっとしたら自分が上かもしれない、などと思った自分が恥ずかしくなった。

 公に出る以上、マリアンセイユが公爵令嬢としてみっともない姿を晒す訳が無いのだ。自分は何と浅はかだったのだろう、と自己嫌悪に陥った。


 一方で、じゃあなぜこの場に現れたのだろう、という疑問も生じた。

 それだけ振舞えるのなら、いくら社交界デビューしていないとはいえわざわざこの授業を受講する必要などないだろう。それこそ特別魔法科にいるのだから、話を上に通せば済むことだ。

 自分の力を誇示したかったからだろうか――そんな意地悪な考えが思い浮かんで、ミーアは慌てて振り払った。

 陰口を叩く令嬢たちと同じような考え方はしたくない。


 ミーアは自分の感情が表に出ないように無表情を貫くのが精一杯だった。

 マリアンセイユは当然ながらすぐさま合格を貰い、ディオン大公世子に呼ばれているから、と大講堂を後にした。


 その美しい後ろ姿を見つめながら、ミーアは唇を噛みしめた。いつの間にか練習着をギュッと両手拳で掴んでいることに気づき、慌てて離す。

 手で何度も撫でつけて直そうとしたが、練習着についた深い皺はなかなか消えなかった。



 その後、モニカ講師による授業が始まったが、ミーアはなかなか言われた通りにはできなかった。一週間程度しか家庭教師を付けられなかったミーアが身につけていることは本当に最低限のもので、自分より随分と年下の少女たちよりもずっと低レベルなものだったということを身をもって知った。


 一人だけ別のカリキュラムをすることになり、基礎の基礎の動きをひたすら鏡に向かって繰り返す。少女たちが背中で嗤っているような気がしたが、仕方がない。

 つまらないプライドは捨てて、なりふり構わず努力するしかなかった。



「――ミーア・レグナンドっていうのは、お前か」


 急にそんなぶしつけな声が飛んできて、ハッとして顔を上げる。あちこち飛び跳ねた金色の髪、赤い瞳――大公子シャルルだった。大公世子ディオンの弟。

 これだけ強い魔精力を纏わせている人物が近付いていることに気づけなかったことに、ミーアは愕然とした。どうやらかなり視野が狭くなっていたらしい、とまたもや反省する羽目になる。


「はい。初めまして、シャルル様。ミーア・レグナンドと申します」


 ミーアが男爵令嬢として認めてもらうためにリンドブロム大公宮に参上したとき、シャルルはその場にいなかった。大勢の生徒の中の一人として大講堂ではその姿を確認していたものの、個人的に名乗る機会はなかった。


「平民上がりとは聞いていたけど、本当だな。全然なってない」

「そう……ですね……」


 どうにか笑顔で応対しようとしたが、今のミーアには厳しすぎる一言だった。

 胸の奥から突き刺すようなものがこみあげてきて、あっという間に涙腺が緩む。


「申し訳、ありません」

「え、あ、いや」


 ミーアはグッと堪えたつもりだったが、潤んでしまった瞳はどうにもならなかった。シャルルの慌てたような表情に気づき、自分の失敗に気づく。


「いえ、これは、私の不甲斐なさ、ゆえですので……。本当に、申し訳ありません」


 頭を下げたときにそっと右手で雫を拭う。再び顔を上げた時には、ミーアの瞳にはもう涙は無かった。


「……悪い」

「いえ。少し、思い詰めてしまっていたようです。声をかけて頂き、ありがとうございました」


 ミーアがホッと息をつき、ふんわりと微笑む。

 それは、実際にそうだった。いろいろな感情が胸中を渦巻いていて、何も見えていなかったことに気づかされた。そんなことでは身体だってガチガチで、ちっとも美しい礼儀なんてできていなかったに違いない、とミーアは思った。


「さきほど、マリアンセイユ様の作法を見せて頂いて、その素晴らしさに圧倒されてしまって……」

「え、いたのか。何しに来たんだ、あの女は」

「まだ社交界デビューをされてないので、モニカ講師の合格を貰いにきた、と仰っていましたが」

「はぁ? 融通の利かない奴だな」


 特別魔法科で一日に一度はマリアンセイユと顔を合わせるシャルルならではの台詞である。

 ミーアは思わずクスッと笑った。


「仲がよろしいのですね」

「そんな訳ないだろう」

「……羨ましい……」


 クラスメイト、親しい友人というものと無縁なミーアにとっては、それが素直な気持ちだった。

 シャルルが堂々とマリアンセイユを非難できるのも、その立場だけではなく幾度となく言葉を交わしたからだろう。ミーアの涙を見て咄嗟に謝ったシャルルが、臣下の貴族だからとマリアンセイユを見下しているとは考えられない。


 しかしそのミーアの台詞をどう勘違いしたのか、シャルルは「えっ」と小さく声を上げ、目の前の少女をまじまじと見つめた。


 城下町で『聖女の再来』と騒がれた少女。その話を聞いたときは、強大な魔精力を持つ魔女のような女かと思っていたが、目の前の少女は驚くほど小柄で、笑う声は鈴が転がるように軽やかで、垂れ目がちの水色の瞳はどこか淋しさをたたえていた。

 所在なさげに、心許なさそうに両手を何度も組みかえているその姿は十分に可愛らしく、庇護欲をそそるものだった。


「……お前だけ、別カリキュラムなんだな」


 シャルルがうっすら赤くなった頬を誤魔化すように、年下の少女たちの集団へと顔を向ける。


「はい。わたくしは、至らぬ部分が多いですから」

「ふうん。モニカ一人だと大変みたいだし……まぁ暇だったら、時々様子を見に来てやるよ」


 あくまで暇だったらだけどな、とシャルルが念を押すと、

「まぁ、本当ですか? ありがとうございます!」

と、ミーアはパアッと表情を明るくさせた。右耳に付けられた桃水晶のイヤリングが小さく跳ね、その可愛らしさに目を奪われる。


 花がほころんだようなミーアのその可憐な笑顔に、シャルルは鼓動が跳ねるのを感じながら、

「いや、これは泣かせたお詫びだから」

と言い訳がましく早口で付け足した。


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