●ゲーム本編[1]・ミーアは聖者学院に入学する

 治癒の力を持つミーア・レグナンドは、リンドブロム聖者学院の創精魔法科に入学した。もう一つの力、『炎魔法』はどちらかというと模精魔法寄りの能力だったのだが、この世界では模精魔法より創精魔法の方が上であるという認識が強く、レグナンド男爵が創精魔法科への入学を強く推し進めたからである。


 入学式を終え、ミーアが誘導に従って第一講義室に入ると、一瞬だけシン、と辺りが静まり返った。

 これが噂の、と言わんばかりの何十という視線がミーアの小さな体に突き刺さる。


 しかし視線が寄越されるだけで、近寄ってくる人間はいない。最も位が下の男爵令嬢、しかも庶子でありながら『聖女の再来』と城下町で評判のミーアは、他の貴族令嬢全員にとって敵だからだ。


 講義室の中は、大きく二つに分けられていた。一番前の列は、幅が二メートルほどの木製の机とふかふかとしたクッションが乗せられた大きな椅子がセットになっている席が五つ並んでいる。

 そのすぐ後ろには1メートルほどの衝立が等間隔で並べられており、衝立より後ろは幅が1メートルほどの机とそれに合わせて作られた椅子、十五席ほどが並べられていた。

 前方の五つの席は上流貴族用、衝立より後ろは下流貴族用らしい。どうしても越えられない壁が、そこにはある。


 なお、このクラスに入る予定の五名の子息令嬢の姿は見えない。

 上流貴族用に用意された休憩室があるので、そこに集まっていると思われた。オリエンテーションが始まるギリギリにならなければ、この教室には現れないだろう。


 ミーアは俯きながらトボトボと歩くと、後列の端っこの席にちんまりと腰かけた。銀の翼のついた桃水晶の杖をしっかりと両手で抱え、斜め下の板張りの床をじっと見下ろす。


「ねぇ、どう思った?」

「何が?」

「マリアンセイユ様よ。さすがの迫力だったわね」

「持っている杖のせいじゃない? 模精魔導士だって聞いたけど?」

「じゃあ、たいしたことないのかしら? でも……」

「それより、どうしてわざわざ学院に入ったのかしらね? ディオン様の婚約者なんだから優雅に構えていればいいのに」

「そりゃあ、やっぱり牽制じゃない? もし上流貴族のどなたかが『聖なる者』に選ばれたら、立場が危うくなるじゃない」

「確かに。イデア様は完全にそれを狙ってるわよね」

「本当はディオン様の婚約者になるはずだったんですものね。気持ちはわかるけど、大公殿下の決定がそう簡単に覆るとは思えないわよ。それに私は、シャルル様の方が断然いいわ」

「確かに! シャルル様ならまだ可能性はあるわよね!」

「側妃より正妃よね!」


 貴族令嬢とは思えないような会話がミーアの耳に飛び込んでくる。

 子爵・男爵令嬢しかいない場だとこうも明け透けなのか、城下町の少女たちとあまり変わらない、とミーアは内心驚いた。

 しかし聞いていることが見つかると何を言われるか分からないので、表情には一切出さなかったが。


「シャルル様は創精魔法科よね、きっと。だって防御魔法がお得意なんですもの!」

「そうよね。いついらっしゃるのかしら?」

「同じ場所で授業が受けられるなんて、ドキドキしちゃうわ」

「あ……しっ!」


 それまでかまびすしく喋っていた令嬢たちが、急に静かになった。何が起こったのだろう、とミーアが顔を上げると、一人の長身の少女が教室に現れたところだった。


 クロエ・アルバード侯爵令嬢。風の創精魔法の使い手で、持っている杖は昇りゆく龍を思わせる碧色の螺旋の装飾が施されている。令嬢には珍しく、長い黒髪を頭部の高い位置で一つ縛りにしているだけで飾りは一切つけていない。

 切れ長の茶色い瞳がすっと令嬢の集団に向けられた。ふっと優しい弧を描く。


「クロエ様、おはようございます!」

「おはようございます!」


 話しかけていいのよね、と頬を紅潮させた令嬢たちがクロエの元に駆け寄りお辞儀をする。

 侯爵家を継ぐことが確定しているクロエは、すでに侯爵の代わりに公で仕事をすることも多く、貴族社会でも顔が売れている。

 誰とも群れない代わりに誰をも差別せず、サッパリとした気性と頭の回転の早さ、凛とした佇まいで、令嬢たちの憧れの的だった。


「入学式でお見かけしませんでしたから、淋しかったです」

「あら」

「お身体の具合が悪いのかと心配しておりましたわ」

「学院に入るとしばらく仕事はできないから、済ませられるものは済ませていたの」

「そうなんですか……」

「すこぶる元気よ。ふふ」


 クロエの笑みに、その場にいた令嬢たちが「ほう……」と溜息を漏らす。クロエは前の方に用意された上流貴族用の席を見ると、少し右の眉を上げて溜息をついた。


「何もここまで分ける必要はないのに」

「え?」

「控室まで用意してあるんですもの、学び舎ではみな同じ立場で授業を受けたらいいと思うんだけど」

「まぁ! そんな訳にはいきませんわ!」

「そうですわよ!」

「それにシャルル様もいらっしゃるし……」

「あら」


 令嬢たちの言葉に、クロエは少し驚いたように目を見開いた。


「シャルル大公子は特別魔法科よ。ここには来ないわ」

「えっ……」

「そんな……」

「よく考えてご覧なさい。大公家が身につけるべき魔法と臣下が身につけるべき魔法は違うのよ?」


 令嬢たちが話が違う、というようにお互いの顔を見回している。

 これは相当な勉強不足ね、とクロエは密かに溜息をついた。


 大公家に必要なのは、その聖女の血を守ること。大公家が保管しているフィッサマイヤの魔法陣を起動できるだけの力を身につけること。


 一方臣下は、そんな大公家の代わりに表に出ること。聖女騎士団として世界各地を回ること。

 大公家のみならず人間界を守るために、時には戦いに出ることも要求される。

 古代、聖女はその力でもって人の前に立ち、魔物の前に立ち、諍いを治めてきた。

 『聖なる者』はその役割を担えるだけの力と心構えが必要である。


「魔法系の講義はマリアンセイユ様と二人のクラスで学ばれるそうよ。それ以外の講義でお会いできるかもね。運が良ければ」


 そう言い残すと、クロエは教室の隅にいたミーアの元へと歩き出した。ギョッとしたように顔を上げたミーアの水色の瞳が、戸惑うように揺れている。


「そんなぁ……」

「二人きりって……」

「マリアンセイユ様はディオン様の婚約者でしょ?」

「それがシャルル様まで独り占めなんて」

「ずるいわよね」


 背後からそんな呟きが聞こえ、クロエはこの中から聖女が出ることは無さそうね、と内心バッサリ切り捨てた。


「は、初めまして! ミーア・レグナンドと申します」


 クロエが自分の方に向かっている、と察したミーアは、自分からしっかり挨拶をするべきだろうと慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。右耳だけにつけている、小さな振り子のような桃水晶のイヤリングが、ミーアの動きに合わせてゆらゆらと揺れている。


「初めまして。クロエ・アルバードよ」

「これから三カ月間、ご迷惑をおかけしないように頑張りますので……なにとぞよろしくお願いいたします」

「あら、頑張るのはみな同じでしょ?」

「え、あ……そうですね」


 クロエに言われ、ミーアは少し困ったように微笑んだ。持っていた桃水晶の杖がチカッと光る。

 なるほど、『聖女の再来』と言われるのも伊達じゃないわね、とクロエはまじまじとミーアを見つめた。


 身を縮こまらせ、周りの邪魔にならないように、と控えめに振舞ってはいるが、魔精力をこれだけ気取らせないのは上級者である証拠。

 顔色を窺うような仕草は気になるものの、元々が市井育ちなのだから腰が引けてしまうのは仕方ない。

 だけど口元だけはキュッと引き締めていて、意思の強さを窺わせる。持っている杖も身につけているイヤリングも比較的安価で手に入る桃水晶だが、込められている魔精力は一味違う。何か見えない工夫がしてありそうだ。

 

 可愛い顔をして怯えている風だけれど、引く気は全くない。これは本気で聖女を目指しているわね、と思いながら、クロエはミーアに微笑み返した。

 自分はミーアを苛める気も手を貸す気も無いが、その志と行動に興味があるわ、と思いながら。

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