間話6

マリアンセイユの入学判定会議

 大公家と上流貴族八家当主に見せたマリアンセイユの魔法実技は、これまでの常識を覆す驚くべき事態の連続だった。

 魔法実技とは、本来自らの魔法攻撃力の威力とコントロールを見せるもの。なのにマリアンセイユは「いかに美しく魅せるか」という点に重きを置いて魔法を実演したのだから。


 まず、杖やローブといった魔導士が必ず身につける『魔精力を制御するアイテム』を放棄した。杖の代わりにただの扇、ローブの代わりにドレス、といった見た目にこだわった選択。完璧にコントロールしてみせる、という自信が無ければとてもではないが不可能である。


 魔法実技の流れを見ていこう。

 ヴァイオリンによる演奏の中、まず見せたのは『土魔法の呪文詠唱』。

 通常、じっと立ち止まり集中力を高めながら魔精力を練るところを、円舞曲ワルツのステップを踏みながら歌う、という「ながら詠唱」でやってのけた。つまり彼女は、自分の意識を呪文詠唱と動作に分ける代わりに詠唱時間を長くすることで魔精力を練る時間を稼いだのだ。


 二つ目、『風魔法の簡略詠唱』。

 呪文詠唱は長ければ長いほど威力が増し、効果の持続時間が長くなる。簡略詠唱は素早く発動できる分、一瞬で終わってしまうことが多い。

 しかしマリアンセイユの簡易詠唱はその呪文の短さから想定される時間より遥かに長く、竜巻を持続させた。


 竜巻の中で正装を解きシンプルなドレスに着替えたのは、この後に実行する『炎魔法』『水魔法』の制御の負担を減らすためと思われる。

 しかし最初からそのドレスではなく正装のまま臨んだのは、試験官の度肝を抜こうという意思の表れでもある。


 敵との戦いにおいて自分の打つ手を読まれないようにするというのは基本ではあるが、戦闘をする必要もない公爵令嬢であるマリアンセイユが、なぜその思考に至ったのか。

 戦闘経験と言えばアルキス山におけるホワイトウルフの異常種討伐がある。令嬢が魔物討伐などあり得ないことだったが、彼女の魔導士としての素質と機転ならば可能だったろう、と今ならば考えられる。


 三つ目、『炎魔法』。これは上空に舞う小さな金木犀の花に炎を灯らせるという、非常に繊細な技だった。

 『炎魔法』はそもそも制御が難しく、模精魔法といえどもそう簡単ではない。一つ間違えれば自らが炎に巻かれることすらある危険な魔法である。

 今回見せた魔法は威力こそ低かったが、アルキス山の魔物討伐ではホワイトウルフの群れを一瞬で炭に変えたという。それもあり、今回は制御に比重を置いた実演をしてみせたのだろう。


 四つ目、『水魔法』。

 こちらも簡易詠唱だったが、扇ではなく自らの体から直接出現させて見せた、というのが非常に驚きである。そもそも杖を使用しないだけでも異常なのだが、道具も介さずに動線を確保するというのは通常ならば至難の業である。『水魔法』については特にずば抜けていると言えよう。



   * * *



「……以上のことから、魔導士の下地は完全にできている、と判断できますね」


 推薦者であるプリメイル侯爵がマリアンセイユの魔法実技を解説し、ガンディス子爵が目撃した魔物討伐の話を補足しながら他の貴族たちにその凄さをアピールする。


 大地を駆ける灰の大狼『火のフェルワンド』の魔法陣を所有するフォンティーヌ家と、水脈を廻る紫の大蛇『水のサーペンダー』の魔法陣を所有するプリメイル侯爵家は、上流貴族八家においても筆頭と補佐という、並び立つ関係である。


 リンドブロム大公宮の一角にある大会議室には、ディオン大公世子と上流貴族八家の当主が顔を揃えていた。


「ですから、それほど制御できているのなら学院に入らずとも……」


 どうしても入学を阻止したいヘイマー伯爵は、ガンディス子爵に睨みつけられたにも関わらずまだモゴモゴと不満を漏らしている。

 ヘイマー伯爵家が所有するのは、空駆ける赤い鷹『火のガンボ』の魔法陣。その威力をはるかに凌駕すると思われるハティ達の炎を見て、一層悔しさが増しているようだった。


「眠っている間にフォンティーヌの森の護り神から魔法の手ほどきを受け、基本構造の魔法は扱えるようになりました。……が、如何せん正式な魔法教育を受けられなかった分、マリアンセイユはまだまだ知らないことが多い」


 ガンディス子爵が注意深く言葉を選びながら、他の七家の当主を見回す。

 マリアンセイユの力は認めてほしい。しかし目覚めて十日であれだけの技巧を凝らすことができるのは異常で、説得力に欠ける。

 そう考えたガンディス子爵は『夢の中で身につけた』ということにしたのだ。


「それは、学院に入らずとも優秀な家庭教師を招き入れればよいのではないですか? 我々は本来、そうしてきたのですし」


 狐顔のコシャド伯爵がもっともな意見を述べる。

 清廉なる白い鹿『土のトルク』の魔法陣を所有するコシャド家は、決まり事にうるさい。大公妃となるべき順番を飛ばされたヘイマー伯爵にはいくぶん同情的である。


「ドミンゴ伯爵は、どうお考えですか?」

「……わたしは……」


 コシャド伯爵の問いに口ごもったドミンゴ伯爵は、チラリと左隣のヘイマー伯爵を見、続けて右斜め前のガンディス子爵を見た。


「今のところは、何とも……」


 日和見の黄色い家守ヤモリ『水のリプレ』の魔法陣を所有するドミンゴ伯爵は、本人も臆病でいつも他の貴族の顔色を窺っている。主張らしい主張はなく、今回も多数派の意見に従うつもりだった。


 モゴモゴと答えるドミンゴ伯爵に

「相変わらずですな、あなたは」

とブストス伯爵が呆れたような声を上げる。


 煽動が得意な褐色の栗鼠『風のトラスタ』の魔法陣を所有するブストス家。強い者が場を支配する、それが当然という考えだった。


「わたしは反対ですな。ずっと眠り続けていたマリアンセイユ様が、聖者学院の授業についていけるとも思えませんし。……体力的な意味でね」


 彼はそもそも次期大公にシャルルを推しており、聖者学院に入る娘ナターシャにも「シャルル様に気に入られるようにしろ」と伝えている。

 眠り続ける妃など意味がない、やはり健康な妃を迎えるであろうシャルル大公子の方が次期大公にふさわしい、と持ち上げるつもりだった彼にとって、マリアンセイユが表に出てきたことは野望達成の邪魔でしかなかった。


「しかし……護り神を従える彼女を、そのままにしておいてよいのでしょうか」


 そう切り出したのは、不安げな面持ちのエドウィン伯爵である。この中で唯一の下流貴族出身で、令嬢の婿として伯爵家に入り爵位を継いだ。子供は男子のみであり大公妃争いからは外れているため、この中で一番中立な立場である。

 エドウィン伯爵家は怪力の青い土竜モグラ『土のヴァンク』の魔法陣を所有しており、伯爵家の中でも穏健派。特に婿である彼は波風を立てるのを好まず、争いの中心から極端に距離を取る傾向がある。


「そのまま、とは?」

「彼女が護り神を御しきれなくなれば……人間界を襲うようになるかもしれません」


 プリメイル侯爵の問いに、エドウィン伯爵が恐る恐る答える。これまでひたすら目立たないように振舞ってきた彼にしては、思い切った発言と言えよう。


「そんな、まさか」

「ある意味……危険、かと」

「何を……っ!」

「まあまあ、落ち着いてください」


 激高しかかったガンディス子爵を宥めたのは、その隣に座っていたアルバード侯爵だった。当主の座についている期間はこの中で最も長く、駆け引きに優れ、一目置かれる存在である。

 アルバード侯爵家が所有するのは、優雅なる薄紅の一角獣『風のユーケルン』の魔法陣。薄い桃色の体躯に濃い桃色の鬣、真っ白な翼を持つ一角獣ユーケルンは、かの魔王降臨の際にフェルワンドとサーペンダーが人類を駆逐し荒らした大地を浄化し、魔王へと献上したと言われている。

 

「マリアンセイユ嬢が護り神と言っていた灰色の狼。エドウィン伯爵にはどう見えましたか?」


 アルバード侯爵は机に肘をついて両手を組み、ニッコリと微笑みかける。その笑顔にホッと安堵の吐息を漏らしたエドウィン伯爵は、それでも眉間の皺を残したままそっと視線を逸らした。


「人語を解する魔物……魔獣にしか、見えませんでした……」

「――そうですね」

「……」


 さすがのガンディス子爵も、その言葉に異を唱えることはできなかった。

 彼はその眼で見ていた。巨大ホワイトウルフに食らいつく二匹の灰色の狼の姿を。これは現実か、と驚愕しながら。

 炎をまき散らし、毒の息を吐き――その姿はまるで、伝説のフェルワンドの蹂躙を思わせたから。


 戦いの場となったアルキス山のふもとに残された、毒溜まりとマリアンセイユの土の壁。その後、フォンティーヌ第一小隊によって浄化活動と発掘作業が行われた。

 マリアンセイユが黒い炭にしてしまったホワイトウルフの死骸からは何も得られなかったが、円形の土の壁の中には巨大ホワイトウルフの骨だけが残されていた。その骨は現在、マリアンセイユの杖にするべく魔道具専門の鍛冶屋に依頼してある。


 子狼たった二匹で、あの巨大ホワイトウルフを平らげたのだ。あの異様な魔精力ごと、全て。

 並の魔物なら、より強大な魔物に進化するか受け入れきれず内側から砕け散ってしまうであろう、膨大な魔精力。それらをすべて取り込んでなお、あの二匹の狼は全く変わらなかった。

 それが何を指すか――彼らにとっては、巨大ホワイトウルフの魔精力など微々たるものである、ということ。

 もしくは――すでに進化を終えた『魔獣』に等しい存在である、ということ。

 このいずれかだ。


「魔獣を従えるマリアンセイユ嬢……彼女は予言の『聖なる者』かもしれない。でもひょっとしたら……予言の『魔王の蘇り』の先触れとなる存在になるかもしれない」


 アルバード侯爵の言葉に、会議室がシン、と静まり返る。


「いずれにしても、彼女を手の内に置いておいた方が得策かと思いますが? 『聖者学院』という檻の中にね」


 フッと微笑むと、アルバード侯爵はガンディス子爵にしか見えないようにウインクしてみせた。受けとった彼は、口の右端をやや上げることで侯爵に応える。


 入学を促す方向で協力するとは言っていたが、まさかこのようなやり方とは。エドウィン伯爵がらしくない発言をしたのも、仕込みだったのだろう。確かに、闇雲に押し進めるよりは反対派を納得させやすいだろうが。


 そう思い、ガンディス子爵は若干の不満を滲ませながらプリメイル侯爵に視線を送った。しかし若き侯爵は特に動じること無く、柔らかい笑みを浮かべていた。


「弟はああ見えて強かよ。何しろ私が仕込んだんだから」


 プリメイル侯爵邸からの帰り際、ザイラ夫人はそうガンディス子爵に言っていた。どうやらアルバード侯爵、エドウィン伯爵への根回しをした張本人らしい。自分に知らされなかったのは、予想されるマリアンセイユへの中傷に本気で怒ってほしかったからか。

 確かに演技をすることなどできん、とガンディス子爵は納得するしかなかった。


 旧フォンティーヌ邸で五年ぶりにマリアンセイユに会った、あの日。

 三年間の眠りから醒めて、あのビクビクと周りの顔色を窺ってばかりだった妹が、本当に執事長が言うほど逞しく成長したのか、と。大公世子ディオンの婚約者として堂々と表に出られるほど美しくなったのか、と。

 フォンティーヌ公爵家にとって使える人間なのか。眠ったままの方がいっそ邪魔にならなかったのに、とガンディスは半信半疑でパルシアンに向かったのだが。


 内気だった妹は、驚くべき変貌を遂げていた。過去の記憶を持たない彼女は、朗らかに笑い、ガンディスの瞳をまっすぐに見つめ、「真の魔導士になりたい」とはっきり言い切った。


 予想以上の姿に、「これなら大丈夫だ」とガンディスも認めざるを得なかった。兄妹間にあった黒いわだかまりが、一瞬で溶けた瞬間だった。

 一度そう感じたら、もともと素直な性質であるガンディスは、もうマリアンセイユに対して昔のような粗略な扱いはできなくなった。

 妹として可愛いかと言われると首を傾げざるを得ないが、フォンティーヌ公爵家を盛り立てる同志としてはこれ以上ないだろうと、マリアンセイユの気概を十分に認めている。



「では……どうしましょう? 決議を取りましょうか」

「いえ、必要ありません」


 推薦者であるプリメイル侯爵の言葉を、大公世子ディオンは凛とした声で制した。

 上流貴族八家の当主が一斉にディオンへと目を向ける。


「『彼女を手の内に置くべきである』。この意見のあと、誰一人言葉を発しませんでした。つまりそれが、あなた方の最終的な結論ということ」


 ディオンが上流貴族八家の当主の顔をぐるりと見回す。


「マリアンセイユ・フォンティーヌ公爵令嬢の聖者学院への入学を、認めます。――特別待遇として」


 聖者学院の学院長である大公世子ディオンの言葉に、異を唱える者は誰もいなかった。

 静かに頷いたのは、ガンディス子爵、プリメイル侯爵、アルバード侯爵、エドウィン伯爵。

 忌々し気な顔をしたのは、ヘイマー伯爵とブストス伯爵。

 そんな周りの様子を窺い、少し遅れて頷いたのがドミンゴ伯爵。

 コシャド伯爵は、右の眉をわずかに上げただけだった。



   * * *



 密かに会議の様子を窺っていたセルフィスは、ゆっくりと瞬きをすると、宙を仰いだ。右肩から垂らしている黒い髪が、さらりと流れ落ちる。


「いよいよ賽は投げられた。――もう物語は止まりませんよ、マユ」


 セルフィスの独り言は誰に聞かれることも無く、すうっと霞の中へ消えていった。

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