第2話 初めまして、ですわ
謁見の間。正面には大公家の方々が並んでいる。中央に設えてある大の大人でも埋もれそうなほどの立派な玉座には、リンドブロム大公が座っていた。
その隣には大公妃。そして大公世子であるディオン様、その弟のシャルル様と並んでいる。
そう、ここはリンドブロム大公宮。
私はついに、リンドブロム聖者学院・入学試験の日を迎えていた。
「マリアンセイユ・フォンティーヌでございます」
ゆっくりと膝と腰を折り、背中から頭を下げる。
「拝謁を賜るときは最敬礼です。限りなく身を屈め、されど芯がブレないように」
とアイーダ女史に厳しく言われていたことを思い出す。
くっ、これは体幹がしっかりしてないと駄目ね。貴族令嬢、意外に逞しいわ。
そんなことを考えながらゆっくりと顔を上げると、ニコニコと微笑んでいる大公殿下と目が合った。
五十過ぎと聞いていたけど、それよりもずっと老けて見える。顔を覆っている白髪混じりの髭のせいかな。
好々爺……なんて言ったら怒られそうね。だけどとっても優しそう。
「待ちかねておったぞ、マリアンセイユ」
「勿体ないお言葉でございます」
確か、大公殿下だけは私が二年前に目覚めたことを知ってるのよね。セルフィスを遣わしたのも大公なのだし。
――そういえば、セルフィスはどこかにいるのかな。
一瞬、彼の皮肉めいた笑みが脳裏をよぎる。姿を探しそうになって、慌ててグキッと首の動きを止め、視線をまっすぐ前に向けた。
だってセルフィスの存在を知っているのは大公殿下のみで、大公妃や大公子たちは知らないんだもん。ここにいる訳がないし、ボロを出さないようにしないとね。
大公妃殿下はというと、扇で顔の下半分を隠してはいるものの「あらまぁ」というような表情をしているのが分かる。大公殿下より一回り下と聞いているけど、それでも四十近くとは思えない可愛らしいお妃さまだわ。
上流貴族八家の一つ、アルバード侯爵家のご出身。現在のアルバード侯爵の妹に当たるんだったっけ。
大公殿下とは生まれた時から決まっていた結婚だったそうだけど、まるで恋愛結婚のように仲が良いという噂。年がかなり離れているのと、大公妃殿下が頭に花が咲いた……ゲフンゲフン、えー、とても純粋無垢な方というのが理由として大きい模様。
確か大公殿下も大公妃殿下も、眠りにつく前のマリアンセイユには会っていなかったはず。これが正真正銘の初対面なのだから、いいものにしないと。
「何て美しいの。魔精力を見込まれての婚約と聞いていたけれど、それだけではないじゃありませんか」
いいご縁だったわね、と大公妃が大公世子ディオン様に向かって嬉しそうに微笑みかける。
ディオン様はというと、微かに頷き私にも会釈はしたものの、その顔は能面のようだった。良いも悪いもない、興味ないって感じ。藍色の髪と黒目がちの目が、余計に彼の無機質っぽさを際立たせている。
ひょっとして眠り続けたままでいてくれた方がいろいろと面倒が無くて良かった、という感じなのかしらね。失礼しちゃうわ。
対照的に、弟のシャルル様は興味深げに無遠慮な視線を私に寄越していた。
その赤い瞳でてっぺんから爪先まで一通り眺めたあとちらりと胸の辺りを盗み見し、「へー」みたいな顔をしている。その表情とあちこち飛び跳ねた金髪が元の世界のヤンキーマンガの主人公を彷彿とさせるわ。
だけど話に聞いていた通り、魔精力は圧倒的にシャルル様の方が上ね。これだけ漏れてるとなると、隠蔽は下手みたいだけど。
確か大公世子を決める際もそれでちょっと揉めた、という話じゃなかったかな? 眠ったままの私をディオン様の婚約者に据えたのも、魔精力の物足りなさをカバーするためだったというし。
それにしてもさすがゲーム世界、大公子達はどちらもイケメンね。ディオン様が夜の月を思わせる理知的なタイプ、シャルル様が昼の太陽を思わせる活動的なタイプ、といったところかな。
華やかだしオーラがあるし、きっとどちらもゲームの主要キャラだわ。ミーア・レグナンドの攻略対象なのかも。
そんなことを考えながら二人の大公子に視線を投げかけたけど、どちらとも目が合わなかった。ディオン様は視線を落として相変わらず無表情だし、シャルル様は隣のディオン様を横目で見ると「フン」と顔を背けている。
どうやら兄弟仲はあまりよろしくないみたいね。まぁ事情が事情だし、仕方ないのかな。
一方、大公妃はそんな息子たちの険悪な雰囲気を一向に気にする様子は無く、
「不思議ねぇ」
と呑気そうな声を上げた。
「どうしてプリメイル侯爵の推薦なのかしら? 殿下、フォンティーヌ公爵は何と仰っていて?」
「一度辞退したからには捻じ込むわけにはいかない、と」
「あら、相変わらず頑固ですこと。きっとあまりにも可愛いらしいから表に出したくないのね。ね、そうでしょう?」
大公妃が少女のように無邪気にはしゃぎ、私に微笑みかける。どう返したらいいか分からず、私も扇で口元を隠しながら曖昧に微笑んだ。
いえ、オトーサマとは未だに会ったことがありません。ははは。
まぁ、表に出したくない、は正解ですけどね。
とりあえず、大公殿下も大公妃殿下も私とディオン様の婚約に関して好意的に捉えてくださっているようで良かったわ。お告げがあったから仕方なく、とういスタンスだったら本当に私の立場が危うすぎるもの。
まぁ、肝心の本人はちっとも乗り気じゃないみたいですけどねぇ、と心の中でボヤいたところで、大公妃の隣にいたディオン様がすっと顔を上げた。
とても婚約者に対するものとは思えない、射抜くような強い眼差しを私に向ける。
「マリアンセイユ公爵令嬢。聖者学院に入らずとも、あなたはわたしの婚約者。『聖なる者』であろうとなかろうと丁重に扱いますし、その立場が揺らぐことはありません」
相変わらず無表情のまま、淡々と言葉を紡ぐ。
随分と事務的な言い方をするわね。どうやらディオン様は私が表に出てきたのがかなり不快なようだ。
聖者学院は大公世子ディオンが学院長なのよね。未来の妻が生徒として入学する、というのはそんなに都合が悪いことなのかしら?
「なぜ、聖者学院に入ろうと思ったのですか?」
あら、ここでいきなり面接試験ですか。
だけど別に困りはしないわよ。志望動機を聞かれるのは受験では当たり前だもん。ましてや一芸入試なんだし。
「わたくしは自分の魔精力を制御し、再び目覚めることができましたが、まだまだ未熟です」
再び頭を下げる。
「以前のように暴走する訳には参りません。そしてディオン様の婚約者であれば、この国のこと、この世界のこと、魔法のこと、聖女のこと、魔王のこと……これらのことを正しく知らなければなりません」
「……」
「ですが、私はその知識を得るべき五年間を棒に振ってしまいました。立場に甘えている場合ではありません。一生徒として一流の先生方に教えを乞いたい。そう思い、ザイラ様、そしてプリメイル侯爵に無理を承知でお願い致しました」
「なるほど。知識、ですか」
ディオン様の冷めた眼差しは変わらない。いやむしろ、さらに温度が下がったように感じる。
わずかに上がった右の口端。無理に微笑んだようなその顔が、妙に怖かった。
「魔精力には随分と自信がおありなのですね。まぁそれは、後程じっくりと拝見させて頂きますが」
巷で言われているほど凄いんですか、本当に?と言外で匂わせている。
いったい何がそんなに気に入らないのか……。
あ、分かった。ディオン様は、自分の魔精力の無さがコンプレックスなのか。
自分が不甲斐ないから、魔精力だけは豊富な寝たきりの姫をあてがわれたと思っている。
それならいっそ道具と見下してやればいい、ぐらいに思ってたのに、今さらしゃしゃり出てきたのが気に入らないのか。
ましてや学院は、あなたの未来の大公としての力量も試される場だものね。
「婚約者であるわたくしも、学院から選ばれる『聖なる者』も、すべては世界の安寧のための存在です」
悪いけど、媚びは売らないわよ。私はディオン様に気に入られるために学院に入りたいんじゃないもの。
「そして世界の秩序を守る役割を授けられたリンドブロム大公国のため。当代の大公殿下、ひいては未来の大公殿下のために」
ディオン大公世子に最敬礼をする。
これはあなた自身に対してへりくだってるんじゃないわ。学院長たるあなたの血筋と立場に敬意を示してるのよ。
周りがどう思おうが、あなたが世界の破滅を防ぐ重要な役割を担っているのは確かなの。おかしなプライドでその目を曇らせないで。
「そのために最善を尽くすことが、聖女の血を引く魔導士の宿命と考えております」
あなたも私も、これまでは単なる『聖女の血を遺す道具』だったわね。
だけど私は、ただの道具で終わるつもりはないわよ。あなただって聖者学院の学院長という自ら采配を振るう立場になるのだから、当然そのつもりでしょう?
そういう気持ちを込めて、まっすぐに見返す。
ゆっくりと口の端を上げ、微笑むと――私の気持ちが伝わったのか、ディオン様もわずかに口元を緩め「フッ」と皮肉っぽく微笑んだ。
私とディオン様の中点で、しっかりと視線が絡み合う。
どこか挑戦的な感じね。私に対する好感度がさほど上がっていないことが解る。
だけど……さっきまでの無表情よりはよっぽどいいわよ、ディオン様。
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