第6話 絵本って意外に面白い

 むかしむかし、世界は一つの大きな大地でした。

 神の吐息から地上に風が生まれ、汗から川が生まれました。

 それらから海が生まれ、生き物が生まれ、やがてヒトが生まれました。


 神が生み出したそれらの物には、すべて神の恩恵、のちに『魔精力』と呼ばれるものが宿っていました。

 しかし、この魔精力をふんだんに蓄えることができる人間はごくわずか。そしてその力を扱える人間ともなると、数えるほどしかいませんでした。

 いつの間にか人には優劣ができ、このことに不満を覚えた人々は自然から魔精力を取り出し、変換して使う事を覚えました。


 やがて、ヒトは大地を支配することを願うようになり、より魔精力が多い大地を欲するようになり、人々の間では諍いが絶えなくなりました。

 大地を支配するために、力の強い者が弱い者を支配するために、ありとあらゆる物から魔精力は搾り取られていきました。

 国は豊かになっていきましたが大地は痩せていき、それは大地を生きる生き物にも影響を与えることになりました。


 そうして自然界は歪められ、その歪められた魔精力により次元にひずみが生まれ、魔界が発生しました。

 ひずみと魔界からの風により、大地には魔物が生まれるようになりました。

 それでも人々は、自然から魔精力を搾り取ることを止めませんでした。

 魔物が多く棲む場所には大量の魔精力が眠っている、と、魔物の居場所すら奪っていきました。


 人間と魔物が殺し合う世界。そうしてたくさんの人間と魔物の命を犠牲にしながら、人間はどんどん己の欲望に呑み込まれ、増長していきました。


 やがて人間は、すべての魔精力の源、神の聖域である『ロワーネの谷』への侵入を企てました。

 それまではがゆい思いでずっと下界を見守っていた神は、ついに怒りました。

 そして魔界の長となるべき『魔王』を生み出しました。


「ロワーネの谷を守り、人間を懲らしめよ」


 神に命じられ、人間を粛正する存在として生まれた魔王は、八体の魔獣と四体の王獣、一体の神獣を率いてロワーネの谷から人々を追い出しました。

 そしてありとあらゆる国に己の下僕を遣わし、次々と滅ぼし、世界を荒廃させていきました。


 そこに、一人の男が現れます。ワイズ王国の第二王子、ジャスリー・ワイズです。

 魔物を打ち払い、ワイズ王国を守りながら、彼は神に祈ります。


「神よ、人は滅びるべき存在なのか。魔精力に頼り過ぎず、魔物とも共存して生き残る道はないのか」


 その声を聞いた神は、しばし考えます。


「魔物には『魔王』を与えた。……では、ヒトには『聖女』を与えよう」


 ワイズ王国よりはるか北の小さな村――生まれながらに治癒の力を持った、ヒトの中でも飛び抜けて魔精力を蓄えていた女性に、『聖女』の力が宿りました。

 神は呟きました。


「『聖女』を生かすも殺すも、ヒト次第」・・・



   * * *



「えーっ!」


 最後のページを読んで、思わず大声が出る。


「ちょっと、いいところで終わっちゃってる! 2巻、2巻はどこだっけ!?」

「それですね」


 少し離れた場所に控えていたセルフィスがすっと赤紫色の表紙の本を指差す。


「そんなに面白かったですか?」

「うん、絵本だとわかりやすいし、読みやすいねー」


 私の白とピンクの部屋の窓側に、横幅3メートルぐらいある黒い大きな机が運び込まれた。

 そこには色とりどりの背表紙の本がうずたかく積まれている。その真ん中にある、でっかい背もたれのある黒いふかふかした椅子に沈みこんでいる私は、本のビル群に埋もれそうだ。


 私が読んでいたのは、このリンドブロムの歴史を子供向けに絵本してあるもの。

 アイーダ女史も認めてくれたし、いよいよ魔法の勉強ね!……と思っていたら、そう甘くはなかった。


「魔法の勉強の前に、魔精力について理解を深めるためにも、まずはこの世界の歴史について勉強していただきます」


 ……ってことで、この勉強用の黒くてごっつい机と山のような本が運び込まれてきた、って訳。この部屋のコーディネートもぶち壊しだしね。

 運んできたのはアイーダ女史とヘレン。アイーダ女史がこのバカでかい机を肩に担いているのを見た時は、腰を抜かしそうになったわよ。

 何て怪力なの……と思ったら、魔道具を利用しているらしい。今のところ私の周囲の魔精環境は乱れていないということで、試しに使ってみたらしい。


 という訳で、私は相変わらず部屋から出してもらえず、この部屋で読書にいそしんでんの。はぁ、ますます独房の囚人みたいよ。


 でも、最初に薦められた本は分厚くて字も小さくて、本当に読みづらくて。

 しばらくは頑張ってみたけど全然内容が頭に入っていかないから、

「もっとわかりやすいやつにして!」

と訴えたら、この絵本シリーズを持ってきてくれました。


 朝食後は、この『歴史』の読書。昼は『刺繍』。夜は明かりもないので『詩の暗記と暗唱』。

 詩なんか暗記してどうすんの、と思ったけど、言葉遣いを学ぶのにちょうどいいのと、魔法を使うときには長い文言を詠唱することもあるんだって。

 社交界でも詩の暗唱を披露することがあるので、一石二鳥らしい。


 あーあ、育成系ゲームならクリック1つで

『マユは歴史を勉強した。かしこさが1上がった。』

みたいな感じでさ、バーッと終わるのにね。

 実際にやるとなると、本当に大変だわ。

 そのうちバカンスに連れてってくれないと、グレちゃうからねー。


 あ、でも、トイレとお風呂には行けるようになりました。何と、この部屋のすぐ隣だったのよ。

 部屋の扉を開けると、真っすぐ三メートルぐらいの廊下があってね。正面に黒い両開きの扉。廊下の途中の右手に扉があってね、そこがトイレとお風呂だったの。

 隣ならさっさと許可を出してよ、と思ったんだけど、話はそうは簡単ではなかったらしい。


「ありとあらゆるものに、魔精力は宿るのです」

「それはわかったってば」

「排泄物にもですよ」

「…………」


 要するに、あの仮設トイレは私の排泄物から漏れ出る魔精力が何らかの不具合をもたらしてはいけない、とアイーダ女史が特別に用意したものだそうです。

 しかも女史はその仮設トイレ期間ずっと、排泄物のチェックもしていたらしいの。

 ……ごめんなさい、女史。まさかシモの世話までさせていたとは……。


 で、お風呂もね、やっぱり身体から垢なり髪なりが落ちるでしょ? 少量の魔精力なら自然に還っていくから問題ないけど大量だとマズいし、これまたそれをきっかけに私の体内の魔精力のバランスが崩れたら困るから、ということだったみたい。


 それにトイレにもお風呂にも何らかの魔道具が使われてるので、とりあえず使用禁止にしていたらしいの。

 でね、どうやら大丈夫そう、ということになって、やっと許可が下りたわけです。

 はぁ、やっと人間らしい生活ができるよぉぉぉ。


 ……とは言っても、行動範囲は廊下と風呂トイレの分が増えただけで、あの黒い扉の先には行けないんだけどね。

 でも、外で用を足したり裸にならなくて済むんだから、全然マシです。



「ねぇ、セルフィス」

「何ですか?」

「この絵本のイラストの魔王、すんごく怖い顔だねー」


 赤黒い髪はぼさぼさに荒れ狂っていてやたら長く、てっぺんにはぐりんと曲がった太い二本の白い角。

 顔は赤くてギョロ目、口からは銀色の牙が二本はみ出してる。

 身体もムキムキマッチョで上半身は裸、下半身は腰に毛皮みたいなものを巻いている。

 うーん、日本の節分の鬼みたいな恰好ね。

 大きさは人間の100倍ぐらいで描かれてて、人間を蟻みたいに踏みつぶしてるわ。

 そりゃボロボロにやられちゃうよねー。


「うー、怖い、怖い」

「……その絵を描いた人間は、そういうイメージだったのでしょう」

「へ?」

「魔王の真実の姿は伝わってはいません。何しろ、千年以上昔の出来事ですから」


 そう言うと、セルフィスは廊下とを繋ぐ扉のすぐ横の壁にかけてある、一枚の絵を指差した。

 だいぶん古くてちょっと色が褪せているというか煤けているけど、学校の黒板ぐらいあるかなり大きな絵。

 左側に茶色いサラサラした髪を背中まで流した男の人が、白いローブを身にまとい、目を閉じて立っていて、右側には同じく白いローブをまとった銀色の長い髪の毛の女性が、両手を組んで跪いている。


「これが、何?」

「この左側が魔王ですよ」

「へっ!?」


 セルフィスに言われて、もう一度見る。

 目を閉じているからちゃんとは分からないけど、顔は青白いし、鼻筋は通っているし……線の細そうな病弱イケメンって感じだ。


「全然違うじゃん!」

「魔王はその姿を変えることができた、と言われています。ですから、言い伝えによって魔王のイメージは様々だったのです」

「ふうん……。じゃ、右は? 魔王の下僕?」

「いいえ、『聖女』シュルヴィアフェスです」

「え、聖女!? 何で魔王にかしずいてるの? 敵同士だよね?」

「続きを読めば分かりますよ」


 セルフィスが肩をすくめ、意味ありげに笑う。

 まぁ確かに、教えてもらうより自分で読んだ方がいいか。


 相変わらず厭味ったらしいわね、と思いつつ、私は赤紫色の表紙を広げた。

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