第二話 月の無い夜

「隊長、本日の我々の任務はその子供のお守りでありますか?」

「そうだったら楽なんだがな。なんならお前代わってみるか」

「謹んで事態致します」


 装備を整え待機していた鉄鬼衆の団員達が、隊長であるグレザに対して軽口を叩く。グレザもそれをまともに咎める気にもならない。鉄鬼衆のグレザといえば、部下にも住民にも畏敬を抱かれる名の聞こえた猛者なのだが、今日に限っては型無しである。その猛者がさながら子煩悩の父のように背に子供をおぶっているのだから無理もないのだが。


「はじめまして、鉄鬼衆第二部隊の皆さん。玉眼衆の黒、リィン=クラネットです。本日はよろしくおねがいします」


 グレザの背中から降りたリィンが頭を下げる。肩まで伸ばされた、柔らかな金の髪がふわりと揺れる。その微笑ましい光景に反して、鉄鬼衆達が緊張してざわめき出した。


「玉眼って、この娘がですか。あの例の。ああ、それで目を?」

「そうだ。まず最初にそこで気付くだろう、なんだと思ってたんだ」

「隊長の趣味かと」


 グレザは無言で部下を殴った。鉄鬼衆でなければ命の危険がある一撃である。

 

「あっ、グレザさんいけませんよ、お仕事の前なんですから。陛下に怒られちゃいますよ」

「仕事の前だからだ。緩んでいる部下には活を入れてやらんとな」

「いてて……我々だって仕事になったらちゃんとやりますよ死にたくないですから。って、え?お嬢ちゃん、今の見えてたのかい?」

「はい!わー、でも鉄鬼衆って本当に凄いんですね、あんな凄い音がしたのに痣一つ付かないんだ。丈夫なんですね!」


 鉄鬼衆は、リディアの住民からある特定の素質を持つ者達だけを集め鍛え上げた、生粋の戦闘集団である。その兵達が、今の少女の一言で明確に恐れを見せた。


「これが、玉眼衆……噂には聞いちゃいましたけど。じゃあ隊長はなんでおぶってきてたんですか」

「その方が速いし楽だからな。任務の前に疲れられても困る」

 

 何より、グレザもまだ信じ切れていなかった。

 など。


「ははあ、なるほど……いや待って下さい、この娘を連れて行くんですか!?」

「それが今回の主任務だ。言っただろう荷物付きだと。目標は北門、大地底湖の対岸。掘削可能部の再調査だ。準備は出来ているな、すぐに出るぞ」

「隊長」


 鉄鬼衆達が顔を強張らせて上司であるグレザを見ている。

 自分が何を言っているか分かっているのか、とでも言いたげに。


「もう一度言う。それが今回の主任務だ。気を引き締めろ。矜持を失いたくなければな」

「……任務、了解!」


 鬼達が気を漲らせ、吠える。それだけは絶対にさせないと。

 総勢五十名の鬼達が一人の少女を守り、任務を達成するために出陣した。



「これが、リディアの外……門から出て少し進んだだけで、こんなにも暗くなるものなんですね」

「ああ。地底湖周辺は必要以上に生物を寄せ付けないよう、街灯も最小限にしてある。それでも西と東の坑道に比べれば遥かに明るい」


 荷車に揺られながら、リィンは周囲を見回す。

 と言っても見るべきようなものは何も無い。北門から一歩出れば、地底湖から都市へと繋がれた水路があるのみであり、水路に沿って等間隔で街灯が配置されている。この街灯への給油は子供達ではなく一般兵員によって行われる。

 

 程無くして、一行は地底湖の湖畔に辿り着いた。これまでの道行きと同様に、地底湖の周囲にも等間隔に街灯と兵が配置されており、暗闇の中に浮かぶように、地底湖の水面を照らし出している。


「領主様にお聞きしました。その昔、この地底湖に酷い災害が訪れたと。この湖がリディアの命を繋いでいるから皆で戦って、多くの被害者が出たと」

「そうだ。この地底湖が無ければ、リディアなどそもそも在りはしなかった。俺達が生まれるずっと前、まだ領主様が若い時に起きたで、住民はとっくに死んでたんだ」


 戦鬼と恐れられたグレバトスがその功を讃えられ、かつての戦線の要であった城塞都市グリーンウェルの領主に封ぜられた時、そこは国家の中枢からは遠く離れた僻地ではあったものの、多くの天然の資源に恵まれた風光明媚な土地であった。戦だけに生きてきたグレバトスにとって権謀術数渦巻く城勤めより遥かにこの地は性に合っており、共に来てくれた妻と共に、住民達と一丸となってこの地を治めていた。皆が幸せに暮らしていた。皆が明日に夢を見て生きていた。しかし、それは一瞬にして運命の悪戯によって奪われた。


 ある日唐突に城塞の地下に大穴が開き、城壁だけを残して都市だけが広大な地下空間に滑り落ちたのである。周囲にはただ空間を共にする地底湖のみがあり、それ以外は全て岩壁に囲まれていた。落ちてきた縦穴は空間の天井に空いており、到底人が登れる高さではない。一体どれほどの深さに落ちたのか検討もつかない。住人達は突如自分達がとてつもない不幸に直面したことを知り、絶望した。


 この時、領主が貴族上がりの青瓢箪であれば全ては終わっていただろう。しかし、幸か不幸かこの時のグリーンウェルの領主は、戦場で武功を成し、あらゆる困難を力で踏み砕いてきた戦鬼グレバトス=ベイリングであった。グレバトスはまず都市の中央広場に立ち、全ての住人に聞こえる声で演説を行い、鼓舞し激励した。自ら先頭に立ち兵を率いて周辺の探索に乗り出し、全住人の適性に応じた仕事を改めて割り振り、この地で生きていくための知恵を集め、それらを一つずつ実現させていった。

人々はこれまで見たことも無かった不気味な地下生物の肉を喰らい、体液が油になる事を発見するとそれを燃料に灯りを灯した。植物が僅かにしか無かったため糸ではなく地下生物の皮を剥ぎ衣を仕立てた。周囲の岩壁を少しずつ掘削し地下資源を手に入れ、少しずつ加工し生活を向上させた。そして再び周囲への探索の手を広げていった。


「そうやって領主様と俺達の親は生きてきて、俺達が生まれた。この連鎖を俺達の代で断つ訳にはいかん。そのために、少しでも俺達の領土を拡げねばならないんだ」

「そして、地底湖の周囲を掘削している時に災害が訪れたと……一体どんな災いだったのですか?」

「すぐに分かる。別段滅びた訳でもないからな」


 一行は地底湖の周囲をぐるりと回り、都市とは反対側の岩壁に辿り着いた。よく見れば幾つかの掘削孔と、それらを慌てて塞いだような跡が見える。地底湖からは少し離れており、明かりが遠くなった分一段と暗くなった。頼りになるのは団員の内何人かが手にする松明のみである。その静謐な空間に、恐ろしく不快な音が聞こえ始める。ずるりずるり、べたりべたりと何かが這いずり回るような音だ。


「いるな。相変わらず敏感な奴だ。総員武器を構えろ。二人体制で散開、リィンには六人付け」

「あの、グレザさん」

「リィン、終わるまでは一言も喋るな、何があろうともだ。。――くるぞ!」


 ずぶりと、掘削孔の隙間からそれは這い出した。

 その先端には目も鼻も口すらも無く、例えるなら蚯蚓みみずに最も近かった。しかしその体側面には左右不対称に触腕があり、胴の直径は大人の腕程度に見えるが隙間に合わせて自在に変形し通り抜けてくる。そしてその体長は、大人を十人並べたよりもなお長かった。その名を腸線虫ガットワーム(命名グレバトス=ベイリング)という。


「各自、側面に回り込み触腕を叩け!足を止めるな、正面には絶対に回るなよ!」


 この生物は体表こそ柔らかく破壊するのは容易であるが、反面驚異的な生命力を持ち、体の大半を潰されても動き続ける。爪や牙を持たず毒もないので直接的な攻撃力は皆無だが、餌に対しては異常なまでの執着心を持ち、一度獲物を感知すると殺しきらない限りどこまでも追ってくる。そして、獲物の体の穴――口や肛門、果ては耳や鼻まで大小選ばず潜り込み、その水分を全て啜り尽くすのだ。挙げ句、この生物は


「おおおおおおおおお!!」


 鉄鬼衆達が腸線虫を取り囲み、手にした武器で一斉に打撃を加える。それは一見すると戦鎚ウォーハンマーのようだが長さは長剣よりも短く、槌の反対側には鋭いネイルがあり、柄の先端には槍状の刃が取り付けられている。狭い洞窟内での取り回しを考慮した武器であり、見た目よりも遥かに重量があり並の大人では両手で持ち上げる事も叶わない。これを片手で振るえるのは鉄鬼衆のみである。


「そろそろだな」


 体の八割近くを潰され動きが鈍り始めた腸線虫を見て、グレザが腰に帯びた剣を抜く。戦鎚と同じ金属で出来たそれは、正しく振るえばこれまでに確認された全ての地下生物を両断し得る必殺の武器であり、唯一グレザにのみ所持が許されている。

 剣を正面に構え、腸線虫の正面に立つ。追い詰められた腸線虫は必ず最後の力を振り絞り、どこかに潜り込もうとする。グレザの狙い通り、体の大半を潰された腸線虫は最後の望みを託しグレザに正面から飛び掛かり――


シッ!」


 文字通り、真一文字に両断された。


「うわあ……すごい、すごいですグレザさん!」 


 グレザの技量を目の当たりにしたリィンが歓喜の声を上げる。


「馬鹿野郎!」


 リィンの声に反応した腸線虫の半分がリィンに飛び掛かる。

 腸線虫は、行動不能にしたあと油で焼き殺さねばならないのだ。


「あっ……」


 リィンの眼前に腸線虫が迫り、体に入ってくるその寸前、リィンの目の前が暗くなる。


「だから言っただろうが、口開けんなってよ……」


 神速でリィンを庇ったグレザの体内に、腸線虫が潜り込んだ。 


 

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