幻燈都市リディア
不死身バンシィ
第一話 陽の無い朝
その都市には朝と夜が無く、一刻みの時刻だけがあるという。
陽の光は地を照らさず、月の輝きが天に昇る事も無い。
代わりに都市の中央には絡繰仕掛けの大鐘楼が設えてあり、一定期間で鳴るその音で住人達は目を覚まし、また眠る。ごぉ――……んと、低く鈍く良く伸びるその音色は都市の隅々までよく響き、この都市が一つの生き物であるような錯覚を呼び覚ます。そして、この都市は事実そのように在った。
始まりを告げる鐘が鳴ると、それを合図に都市の各所にぼんやりとした橙色の灯が灯る。その都市の目覚めを、兵舎の窓辺から眺める男がいた。
この男――グレザは鐘が鳴るより前に目を覚ましていた。特に理由は無く、体が覚えてしまっているだけだ。彼に限らず、この都市に住む者の殆どは一日が始まる前に目を覚ます。
グレザは、ゆっくりと幻燈が都市を包んでいくこの時間が好きだった。しかし、この灯を見る度に狂おしい程の焦燥に駆られるのもまた事実だった。それ故にグレザは一日の始まりに必ずこの光景を見る。その熱が自らの仕事に必要だからだ。
身支度を終え一階の食堂で食事を摂っていると部下達がぞろぞろと降りてくる。皆グレザより二回りか三回り大きいあらくれ達だが、自分達より先に支度を済ませている上司を見ると恐縮しながら挨拶をする。
「隊長、おはようございます!……今日もまた随分とお早いようで、その」
「構わん。お前らの方がでかい分、支度も手間だろうからな。恐れ入ってる暇があるならさっさと済ませろ」
「ハッ!」
慌ただしく席に着く男達の前にもグレザと同様の食事(塩入りの湯と干し肉に水草のサラダ)が並べられていく。この都市の食事に身分差は存在しない。一足先に食事を終えたグレザは立ち上がり、まだ食事を摂っている部下達に指示を飛ばす。
「俺は先に宮殿へ行く。装備を揃えて中央広場で待機していろ。今回は恐らく探査も兼ねるので
「ハッ、了解しました!……西門の続きではないのですか?」
「多少面倒事があったらしくてな、その確認も兼ねてだ。すぐに行く、各自点検を怠るなよ」
グレザが兵舎の外に出ると、そこには都市の喧騒が立ち込めていた。
あちこちからハンマーで石や鉄を叩く音が響き、女達はくっちゃべりながら水場から汲んできた水で各々の仕事を始める。口と手を同時に動かせない女はここには居ない。中央広場では食肉加工の職人と皮なめしの職人が軒を連ね、仕入れられた獲物を片端から捌き軒先に並べていく。
リディアは緩やかなすり鉢状の窪みの表面に根を張る形で構成されている。外周部の建物は大半が住居であり、都市機能の大半は中央広場とその周辺の建物に集約されていた。その中で、政府中枢を兼ねた宮殿だけはすり鉢の外周の最も高い所にある。中央広場を挟んで兵舎のほぼ逆側に位置しているため、この喧騒をかき分けていく必要があった。
「……やれやれ」
毎度の事ではあるが、仕事の前の一苦労である。自然と愚痴が零れ出たが、その口元は少しだけ笑っていた。
人混みでごった返す中央広場を抜け宮殿へ続く坂を登っていると、後ろから車輪を転がす音と子供の声が聞こえてきた。
「油通りまーす!道を開けてくださ―い!」
「油通りまーす!」
数人の子供達が押す台車の上には油で満たされた缶が積載されており、この油が幻燈の燃料となる。複数の班に分かれ、都市中にある街灯に油を補給して回るのが子供達の仕事だ。全てを終える頃には全員が疲れ切っているが子供達の表情に悲壮感は無く、気力と使命感に満たされている。幻燈の維持は、この街の生命線とも言える非常に重要な仕事だからだ。通り過ぎていく子供達の背中を見送ってから、グレザは再び宮殿への道を登り始めた。
◇
「お呼びに従い、グレザ=ベルセリオ、参上仕りました」
「うむ、面を上げよ」
前日に兵舎に届けられた急な任務変更の旨を確認するために兵務担当官に掛け合うと、碌に説明もされないままグレザは玉座の間に通されていた。玉座と言ってもここは執務室も兼ねており、今も領主は岩塊のようなごつい手でペンを皮紙に走らせている。
元城塞都市グリーンウェル領主、グレバトス=ベイリング。貴族ではなく兵士からの成り上がり組であり、かつては巨大な戦斧を片手で振るい、敵兵を長剣と鎧ごと叩き割る事で恐れられた歴戦の
「西門坑道の開発を中止し、北門大湖畔対岸を再調査せよとの任を賜りましたが、これについての説明を頂きたく」
「未発掘の鉱脈が存在する可能性ありと、報があったのでな」
「しかし、あそこは我らの命脈そのものである水源の直ぐ側です。それでも過去に開発を強行し、その結果多くの被害を出した事をお忘れですか」
「そうだ、それ故に我らは北門の開発を中止して水源を維持するに留め、活路を西門と東門に求めた。しかしそのどちらもまた手詰まりになっている。東門は広大な有毒ガス層に突き当たり、西門は
「……確かに我々は先日、未熟故に陛下の御希望に答えること能わず、陛下の手勢を損失せしめる不明を犯しました。隊長として責を取る覚悟は出来ております。しかし、あの鉄球鼠の穴蔵を接収せしめれば我々にとって大きな利益となります。そのためならば今度こそ我々は」
「その覚悟と忠誠、領主として喜ばしい限りである。しかし、民の損失と国益を天秤に掛ける前に、まず確実な利益を確保するのも領主の努め。案ずるな、今回の報は信頼性が高い。既に実証実験も終えておる」
「あの、子供達ですか」
「不服かね」
「……いえ。ただ、やはり我々にとって、俄には信じ難い能力ですので」
「ほっほ、お前が頭角を現した時も周りの大人達は同じ事を言うておったわ。故に、お前だけは信じてやらねばな」
そういうと、領主は手元のベルを鳴らした。
予め待機していたのであろう子供が、扉を開けてグレザの横へ平伏する。
「お呼びに従い、リィン=クラネット、参上仕りました。はじめまして、グレザ様。少しの間、この身をお預けします」
不似合いな具足を身に着けた年端も行かぬその少女が、グレザに対して子供らしい仕草で頭を下げ、顔を向ける。少女の顔には貴重な布を用いた黒い帯が巻かれており、その両目を塞いでいた。
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