第2話 今村尚志2

 気が付けば、そろそろ飛行機が出る時間だった。

 妻が搭乗する飛行機のゲートの近くに行くと、ちょっとした人だかりができていた。どうやら一般人ではなさそうだ。一人の老人の周りを黒いスーツに身を包んだ大人たちが囲んでいる。


「なんだあれ? 芸能人か」


 俺が背筋を伸ばしながら言うと、妻が袖を引っ張って、背を伸ばしながら耳打ちをする。


「日本の政治活動家よ。恐らく、台湾デモの救済を行うつもりだわ。現代の頭山満とまで言われている人なのよ。あたしも流石に取材にいけないわ。ちょっとあそこは治外法権だし……でもあの人が動けば今の台湾の情勢は大きく変化する」


 妻にそう言われて、俺は半ば興味なさそうに聞き流した。後に知ったことだが人垣を作っていた政治家は日本でも一目を置かれ、警察でさえ頭が上がらないほど力があった。芦谷聡あしやさとしという名前も後に知ることとなる。


「じゃあ元気で待っててね」


 妻が飛行機搭乗口のゲート潜り、俺の目の前から去っていった。ほんの一か月程度の別かれになる。俺は軽く手を振って、別れを告げた。

 キャリーケースを引きずる音だげ妙に響いていた。

 俺は妻の見送りをした後、ロータリーに駐車している愛車の元へと向かった。ポッケを叩き、車のキーを確認すると、どこに立ち寄るわけでもなく、まっすぐ車へと直行した。

 妻が搭乗した飛行機の出発時間は夕方五時だったため、八時には台湾に着くはずだ。

 俺が車のドアを開けた時、成田空港から一機、飛び立つのが見えた。

 茜色の雲を切り裂く飛行機を横目に乗車すると、サイドブレーキを引く前にラジオをつける。ラジオパーソナリティの声が静まり返った車内に聞こえると、なんだか波のような寂しさが押し寄せて来る。

 今日から一人の生活になるんだ。まるで結婚前の独身時代に戻ったようだった。帰りの車の中はラジオがひたすら流れているだけで、成田空港に向かう車の中とは空気が違う。妻を助手席を乗せるときには右の耳を聞き、左の耳で妻の話声を聞く。それが帰りは両耳でラジオを聞くことになるので、妙に番組内容が頭の中へと入って来た。


 車を一時間ほど走らせて、辺りの茜色もかすんできた。俺はトイレに行きたくなり、コンビニの駐車場に車を止めると、ラジオから速報が入る。


(成田空港から飛び立った台湾行き375便がハイジャックされました……)


 俺はトイレそっちのけで、自分の耳を疑った。その飛行機はまさに妻が搭乗した飛行機だった。俺は焦って、ラジオの音量を最大限まで上げ、生唾を飲み込む。


「まさか……こんなこと」


 俺の動揺を無視するかのようなラジオから流れる音声は淡々とその事件の状況を発信し続ける。


(犯人の犯行声明は分かりません。引き続き公安当局との交渉が続いています)


 俺はふと芦谷聡の顔が浮かび上がった。あの老人一人で台湾情勢は一気に変わる。それは妻が断言していたことだった。

 

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