第60話 戯

 

「あ、樒くーん、こんど樒ちゃん出して食事会きてよ~」


「おー、タイミングと機嫌が良ければなー」


 鳥肌が立つ。心底鳥肌が立つ。


 私の隣で喋っているのは男の皇樒。私は好き好んでコイツの隣を歩いている訳ではない。断じて違う。右腕を掴まれて、腕力的な差異でふりほどけないから隣に居るのだ。うわ、明確に状況判断したら吐きそうになるな。応急手当セットに吐き気止めは入れてないんだが。


 ――現在、私がいるのは西区の大学敷地内。我が県内でも多彩な学部と広大な敷地を誇る公立大学であり、夢溢れる学生たちが集っている。私は一切学生の顔も教授の表情も見ていないため雰囲気を察しているだけだが、肌が生き生きしたオーラに当てられている。あぁ、本当に吐きそう。


 そんな、皮膚が空気を拒否している私を連れ歩くのは、この大学に通っている皇樒その人だ。今日も金髪をオールバックにした男の皇は陽気な雰囲気であり、対する私の機嫌は最底辺を這っていた。


 それもこれも、私が皇に対する個人情報を何も把握していなかったことが問題である。単純に、オープンキャンパスに参加した先が皇の通う大学だったのだ。


 完全なる失念。圧倒的な情報不足。「止めろ吐くぞ」とオープンキャンパスに参加申し込みをした日に戻って自分に叫びたい。


 元より、私はオープンキャンパスに参加する気など無かった。正しく皆無だった。しかしこの大学のチラシを持った先生達に「せめて見学だけでも」と背中を押されたから仕方ない。あの時にもっと断固拒否すればよかった。元々大学進学は視野に入れてません、授業料高いし、私は何か明確に学びたいことがあるわけでもないし、と。今更考えたってどうしようもないけどな。


 アテナに行けるのは一日一時間と決まっている。その他の時間は流海の傍を離れたがらない私を、先生達は心配したのだろうな。渋った私も、大学図書館にはヤマイやマッキの研究文献があるのではないかと淡く期待した部分がある。パナケイアの資料は基本的に研究員以外閲覧禁止だから。


 流海の元を離れたくはなかったが、傍に居るだけでは出来ることも限られる。心の安定よりも先に身体治療の進歩が必要だと言い聞かせ、流海を想って動き出した結果がこれである。


 休みの日にわざわざ制服を着て鞄を持って来てみれば、大学図書館で皇と鉢合わせた。最悪以外の何ものでもない。目が合った瞬間に虫唾が走り、皇は皮肉さを前面に押し出してきた。


 ――え、何やってんだよ包帯乱用機


 ――オープンキャンパスですよ、シニカルゲバルト


 思い出しただけでも腹が立つ。誰が包帯乱用機だ。好きで使っているわけではないし、コイツは日に日に私の呼び方を砕きやがる。何様だ。他人事のように「お嬢さん」と呼べば、からかうように「空穂姉」と呼び、かと思えば「暴力お嬢さん」と先日は言い、流海から聞いたが「戦闘部族」と言ったこともあるらしいではないか。どこまでも喧嘩を売ってやがるな。


 お嬢さんと呼ばれる質ではないし、空穂姉で定着させておけばいいものを。なんだ包帯乱用機って。嫌味か、神経逆撫でするのも大概にしろ。


 図書館で出会った男は赤い瞳で周囲を一瞥し、かと思えば腕を掴んで引きずられた。今思えば「変質者です」と大声を上げればこの状況は回避できたのではなかろうか。しかし、構内ですれ違う皇の知り合いからすれば皇樒はそう言う人ではないと周知されているのだろうな。これが信頼というやつか。本当に吐きそう。


「で? 包帯乱用機はうちの大学志望してんのか?」


「別に。大学図書館の方がヤマイやマッキに関する書類があると思い、直近のオープンキャンパスがここだっただけです」


「私欲丸出しかよ」


「それが何か」


 大学とは本来、学びたい学問があって高い授業料を払い通う場所だ。高校卒業と同時に行かなければいけないと決まっている訳ではないし、金銭的にも当たり前のように通える場所ではない。って、頭の中で語っても無駄か。


「そろそろ離してください。私は今言った通り、この大学の図書館に行きたいだけですので」


「おー? そんなこと言って良いのか? 図書館でも基本的にヤマイに関する文献や資料は書庫にあるし、書庫に入る為には大学の学生証がいるんだが? 高校生には開放されてないぜバーカ」


 無遠慮に頭を叩かれる。私の顔には青筋が立った自覚があり、皇は明らかに嘲笑う喋り方をした。いま顔を上げれば確実に笑っているだろ。輝くように笑う皇しか想像できない。それで事故を起こしたくないし、オープンキャンパスで事故を起こしたとなれば柘榴先生と猫先生の心労を増やすだけだ。流海も普通に顔色を悪くするだろうし、これ以上あの子に負荷をかけたくない。


 だから見るな。どれだけ相手の頭を殴りたいとか額に頭突きを食らわしたいと思っても見るな。


 書庫に在学生しか入れないと知らなかったのも私の落ち度だ。いや、案内表には館内閲覧自由ってなかったか? あったろ? 何処見ても書庫除外の文字はないんだけど私が悪いのか? 落ち度か? 駄目だイライラする。


 受付の時に渡された案内表を睨みながら黙る。皇は私の腕を離すことなく、喜々とした声を零していた。


「まぁ大学側も書庫見学したい高校生がいると思ってねぇんだろうよ。図書館に対する興味を甘く見てるよなぁ本当に。あーウケる」


「……何が言いたいんですか」


「んー?」


 語尾に音符でもつきそうな声に鳥肌を覚える。飄々として底を見せないコイツが何を考えているのか、全く持って分からない。


 皇は私の頭頂部に手刀を入れ、玩具でも見つけたような声を発した。


「ここで会ったも何かの縁。お嬢さんは実働部隊ワイルドハントの大事な後輩で俺は先輩だ。だから、かわいーく「協力してください」ってお願いしてくれるんなら、俺の学生証貸してやらねぇこともねぇけど?」


 血管が切れる。


 盛大に、確かにブチッと音がする勢いで切れる。


 顔を上げた私は、こちらに向かって口角を上げている皇を確認した。


 背後から勢いよく自転車が走る音と言葉になっていない悲鳴を聞く。皇は私の腕を引き、私は左腕を自転車の持ち手にぶつけておいた。痛みはあるがこれまで経験してきた感覚ほどではない。


 背後で自転車が倒れ、持ち主らしき男が駆けてきた。


 謝られたが、彼は私の左手を見て察したらしい。黒い指ぬき手袋で隠した手の甲には、貫かれた印数が刻まれている。彼は何度か頭を下げながら足早に自転車を持って立ち去り、私はため息を吐いた。


 背後で息を潜めて笑っているらしい金髪をどうしてやろうかと思いながら。


「元を辿れば貴方のせいですからね」


「いや、俺が笑ってるの知りながらこっち見たお嬢さんのせいだろ」


 後ろから頭を叩くように撫でられる。その手付きに苛立ちは増すばかりで、私は鬱陶しさを隠さずに肩を落とした。


 * * *


「学生証ください」


「可愛げゼロだな。不合格」


 大学構内のカフェテリア。「腹が減った」と零した皇に引きずられ、嫌々ながら連れられて来た次第である。


 オープンキャンパス参加者である私はカフェの飲食無料引換券を貰っていたが、それは皇に使われた。大変腹立たしい。「使い方分からねぇみたいなんで」と店員さんと話した皇は、レモンスカッシュを私に寄越して自分は日替わり定食を食べてやがる。もう一度言うが大変腹立たしい。


「この季節に氷の浮いたレモンスカッシュ渡す貴方こそ不合格」


「お前いま冬に冷たい飲み物好んで飲む奴ら全員敵に回したな」


「私は人の引換券を勝手に使って人の好みではない飲み物渡してくる貴方を不合格だと言ったんです」


「いや包帯乱用機の好みとか知らねぇし。お前好き嫌いあるわけ?」


「私も機械ではないんですが?」


 溢れる文句を吐きながらストローに口をつける。これが日照りの続く夏であれば美味しいものを、今は冬だ。真冬だ。この間は雪が降るし、なんなら今週も雪の予報があるほどに寒い冬だ。店員さんも「え、氷入れるの?」って聞いてたじゃねぇか。お前が飲むと思ってスルーしたのに私に寄越すなよ。なら「入れないでください」って言ってたわ。


 喉に這い上がる不満や苛立ちを弾ける飲み物と共に飲み込んでいく。皇は向かいで温かそうな唐揚げ定食を食べており、出てきた言葉は「昼飯代浮いたわ」である。その金髪全部むしりたくなるな。


 私は飲み物の中にストローを通して空気を送る。水面で弾けた大きめの気泡はマナー上よろしくないが、皇は面白そうだ。


「笑わないでください。カフェで事故とか最悪なんで」


「俺も飯食ってる時に瓦礫降ってくるのは御免だからな。それよりもっとチャレンジしろよ。私を書庫まで連れてってとか言って」


「……私を書庫まで連れてって」


「語尾にハートないから減点不合格」


 殺意。


 もう一回ストローに息を吹き込む。この状況でなければ皇は声高らかに爆笑していたのだろう。あぁ殺意、殺意が生まれる、あぁ殺意。駄目だ泥みたいな短歌が出来た。


 鞄の中には関節を外して畳んだウォー・ハンマーとナイフが入っていると思い出す。一人脳内で怒りのゲシュタルト崩壊をする前に、一度素直に皇の頭を砕くべきなのではなかろうか。いやこの程度の軽い感情で手を出すなよ自分。これは殺意だと勘違いした只の怒りに過ぎない。


 嘉音達が抱えるヤマイへの殺意もこの程度ならばどれだけ良かったか。炭酸を飲みながら思案する。もしも黒い鳥頭達の感情が、もっと単純で、もっと作られたものだったら、と。


 複雑にねじ曲がりかけている嘉音を思い出す。そして、私に向かって引き金を引かなかった朧の姿も。


 アイツらはロボットではない。母を知らず、私達を教育されたから殺そうとする姿勢と七ヶ条を聞けば感情が育つとは考えにくいのだが。しかし彼らはそれぞれに何かしらの思考をして、複雑化しながらアテナに来ている。


 アイツらの背景が見えなければ、ペストマスク達を知らなければ、流海の為の薬には辿り着けないのではなかろうか。


 最近の私は同じ考えの中を回り続ける。グルグルと、グルグルと。螺旋にならずに円のまま。だから進まねぇんだ。


「そんで? お嬢さんはヤマイの文献漁って何が知りてぇんだよ」


 脳内会議から現実に引き戻される。白米を口に運んでいる皇の目は、探るような色合いだった。


「ヤマイというより、マッキの文献を見たいんです。ちょっと考えることがあって」


「はーん? 具体的には」


「それを皇に話す義理がありますか」


「学生証」


 頬が痙攣する。皇は両目を細めて口角を真横に伸ばしていた。笑顔に近い変顔。私はそれを笑顔だと認識せずにため息を吐き、突然自分の側頭部を叩いた皇には少し驚いた。彼は耳に水でも詰まったように側頭部を叩いている。


「何ですか急に」


「あぁ、相方が変わりてぇって急に覚醒しやがった」


 こめかみを掻いて皇はため息を吐く。彼は腕時計を確認し、仕方がなさそうに離席した。


「あーうるせぇ……ちょっと変わって来るから、ここにいろよ。いなかったら相方に探し回られっぞ」


「はぁ」


 気のない返事をして皇の背中を見送る。彼はカフェテリアを出ると、ものの数分で、別人となって戻って来た。


 金髪を結い上げた赤い瞳の女性。体躯に見合っていない服の裾を捲り、靴は脱いで両手に持っている。


 皇樒のヤマイ――鏡面に映る異性の自分と入れ替わるヤマイ。


 靴下でカフェを歩く非日常がそこにはあるのに、周りは彼女に挨拶するだけ。至って普通そうで、慣れていないのは私だけらしい。


「あ、樒ちゃんになってる」


「はーい、こんにちは」


 女の皇は何人かの女子生徒に声を掛けられる。朗らかな空気ながらも挨拶だけで切り上げる皇は、まるで高嶺の花のようだ。


 男の皇は浅薄の空気を纏った存在であるが、女の皇も似ている。同じ人物なので大差がないことが普通なのかもしれないが、彼女は彼である時とは別の意味で掴みどころのない空気を持っていた。


 彼女は平然と私の向かいに座り、何事もないように箸を持つ。


「久しぶり、涙ちゃん。ごめんね、樒が鬱陶しい絡み方して」


「いいえ、大丈夫です。お久しぶりです」


 彼女は男の時とは違う接しにくさがある。解剖室の廊下で会ったのが最初で最後なのだが、こうも普通にこられると肩透かしを食らった気分になった。呼び方も、どう言えばいいのか分からないのが本音だ。


「あ、呼び方とか樒と区別しにくいよね。好きに呼んでくれて大丈夫だから。もしくは樒のことシニカルゲバルトで固定してくれていいよ」


「意外と辛辣ですね」


「だって樒の態度横暴なんだもん。さっき頭の中で騒いでやったわ」


 女性の皇は口を尖らせながら唐揚げ定食を食べ始めた。先程まで男が食べ、彼が満足できる量にされた定食を細身の彼女が食べるのかと思ったが、思いのほか簡単に口に運ばれていく。どうなってんだろうな、この二人。いや一人か? 何も分からない。


 ――売ってよ。流海の為だ


 嘉音の声が頭の奥で弾ける。私は軽くストローを噛んでから、彼女の呼び方を決定した。


「では、貴女のことを樒と呼ばせてください」


「わぁ、嬉しい。了解したよ」


 樒の空気が華やぐから視線を逸らす。彼女は唐揚げを咀嚼し、私はグラスに浮かぶ氷で視線を止めた。


「それで、涙ちゃんは書庫に行きたいんだよね? 樒が勝手に引換券使っちゃったお詫びに案内するよ」


「よろしんですか」


「勿論」


 綿毛でも飛びそうな雰囲気の樒を一瞥する。この人は不思議だ。心底読めない。


 顔は笑っていない。笑顔になる予兆が見えない。しかし、空気は確かに笑っている。


 私が認識するのは表情における笑顔だ。空気や雰囲気まではどうと言うことはない。


 樒は無表情のまま唐揚げ定食を完食し、笑っている空気で私を包んで来た。


「私も調べもの手伝うよ。今日は提出物を出しに来ただけだし」


「……お手間では」


「全然。私、涙ちゃんともっとお話したいんだぁ」


 樒の空気が満面の笑みを滲ませる。トレーを持った彼女を見上げた私は、黙ってレモンスカッシュを飲み干した。


「あ、一回ロッカー寄るね。この格好だと好色女みたいだから着替えなきゃ」


「分かりました……好色女ではないと思いますよ。ヤマイによる不可抗力かと」


「ありがと、分かってくれるのはやっぱりヤマイ同士だね。でも、だからこそ気を付けてね。相手を勝手に評価して言い寄ってくる人間って湧いて出るから」


 颯爽と歩く樒の後に続く。私は周囲の学生が樒を見ていると気づき、彼女が指関節を鳴らした瞬間を見逃さなかった。


「あーほんと、前歯折りたくなっちゃう」


 ……多分あるんだろうな。折ったこと。




―――――

シニカルゲバルトは冷笑の暴力者くらいの意訳(造語)です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る