第35話 規

 

「そんな機動力マイナス値の服装でよく生活できるね」


「全デザイナーの方に土下座してください」


 薄暗くなる路地裏でウォー・ハンマーを叩き落とす。身軽に躱した「嘉音」はビルの壁を蹴ってリングダガーを向けてくるから、私はハンマーを振り上げて刃を弾いた。


 駄目だな、この角度では刃を折れない。縦でなく横からでなければ。


 靡いて邪魔なマフラーを外し捨てた私は、「嘉音」が吐く不満を拾っていた。


「肌を晒す日常とか理解できない」


「アテナで肌を出してる人、いませんもんね」


 思い出すのは螢や空牙達の衣装。目の前の「嘉音」もそうであるが、アテナの奴らは肌を全くと言っていいほど出していない。軍服に見える衣装は常に個性を消しており、誰も彼もが同等に律せられている。足並みが揃うように平等化された姿は酷く禁欲的だ。


 お互いに武器を打ち付け合う。いつもナイフ対ナイフだから怪我が多かったが、今日はハンマー対ナイフだ。どうにか軽傷で耐久したい。こちらが得意な中距離を保っていれば何とかなると思うのだが。今日の「嘉音」は動きがあまりよろしくないし。


「今まで私のような格好をしたヤマイを手にかけたことが無いとでも?」


「あるよ、ただ追うだけだったから楽だったな。逃げるのに不向きな様子だったし。でも今は別。そんな格好で応戦されたら気も散るよ」


「校則を守ったスカート丈なんですけどねぇ」


 手にかけたことがあるのか。そうかそうか。その子の死に際の衣装は綺麗だったかい。その方も理性を捨てさせて殺したのかい。


 そんな無粋な事は聞けずにハンマーを振る。ヤマイの数はそう多くないのに、狙われるのはその少数側だとは虚しい話だ。


 けれども心が痛むことはなかった。何故ヤマイを狙うのかと言う憤りは常にあるが、顔も名前も知らない誰かを尊ぶ精神までは持っていない。「嘉音」に殺された誰かは、知ってる誰かが泪を流してくれただろう。だから私が心を痛めるのは偽善でしかない。


「すかーと……たけ」


「私が履いている衣装のことですよ、スカートって言うんです」


「不必要な知識だ」


「知識を取捨選択しない方が見識けんしきを磨けますよ」


 不意をつかれて私の眼前をリングダガーの切っ先が横断する。刃は遅れた毛先を微かに切り落とし、私は地面を後ろに蹴りながらハンマーを振った。ウォー・ハンマーは「嘉音」の肘を砕けると思ったのだ、残念ながら躱される。


「衣装に必要なのは節制。肌の露出なんて言語道断だね」


「へぇ」


 掌でハンマーを回して勢いをつける。そのまま「嘉音」の嘴に向かって鈍器を振り落としたが掠める所で躱され、一気に距離を詰められた。低い体勢で私の鳩尾に向かって刃が向けらえる。


 頭が理解した時には足が動き、相手の手首に膝蹴りを入れていた。ウォー・ハンマーを短く持ち替えてペストマスク目掛けて叩き落とす。「嘉音」は体を少し横にずらしてハンマーを躱した。最小限の動きで対処しやがる、ムカつくな。


「ちょ、っと!」


「うお、」


 地面を軽い動作で蹴った「嘉音」に回し蹴りを入れられかける。上体を後ろにのけ反らせて躱したら怒られたので、今日は大変やりづらいぞお前。


 少しだけ無防備になった上半身をペストマスクが刺そうとしている。それが分かった私は覚悟を決めて後ろに手を伸ばし、ブリッジでもするような勢いで両手を地面に着いた。その反動でナイフを蹴り上げる。


「ッ!!」


 息を詰めた「嘉音」の動きが鈍る。私はそのままバク転をするように地面に着地し、自分の柔軟性とバランス感覚を褒め称えた。流海の柔軟や体幹を鍛える訓練を一緒にした事が実を結んだか。人間いざとなれば何でも出来るものだな。


 私はスカートの裾を払い、再びペストマスクを押さえて固まっている「嘉音」を見た。ハンマーを持ち直して少し考える。その無防備な頭を砕いても許されるだろうか。いや、誰かに許されたいわけではないのだけど。


「……ほんと、今すぐ着替えてきて欲しい」


「制服姿でそこまで戦意喪失してくれるとは、こちらとしては楽で良いですね」


「君に羞恥ってないの? 馬鹿なのキレて良い?」


「既にキレているではないですか」


 意識がそぞろな「嘉音」にため息をついてしまう。私はスカートを見下ろして、そこから伸びる自分の足に皺を寄せた。


 右の脹脛に残っているのは十歳の時に車に轢かれた傷跡。二十針以上縫う大怪我だった。運転手のいない車に轢かれるだなんて流石ヤマイとしか言えない。


 左の太腿から膝にかけて残っているのは十三歳の時に学校行事でやらかした傷跡。ハイキングに行った時、崖が崩れて五日間も集中治療室に入ったっけ。


 足だけでなく体中に残っている傷跡を思って頭痛がしてくる。傷だらけの肌など私だって晒したくはないが、今日の我が足の醜態は自分のせいである。あぁ苛立つなぁ。


 ペストマスクに籠る声で「嘉音」は文句を呟いているご様子。衣装が節制だとはなんと阿保らしい。そんな考え方、少なくとも私は聞いたことないぞ。


「スカートの中には短パンと言うものを女子高生の大半は履いていますのでご安心ください。羞恥を感じるのは安い妄想をしている外野だけかと」


 スカートの裾を持ち上げて舌を出す。ショート丈のズボンは大抵の女子が履いていると思うが、残念ながらコレに防寒力って無いんだよな。身震いするほど寒い事に変わりはない。


 勢いよくビルの外壁を横殴りにした「嘉音」を観察する。私は呆れを隠さずにスカートの裾を離しておいた。お可哀想に。見るならばもっと綺麗な足の子が良かったでしょうね。私の足は十年受け止めてきた事故によって傷だらけだ。色気もクソもない。


「君に常識を叩き込みたくなってきた」


「アテナの常識なら知りたいですね。後学の為に」


 と言うか今日はよく喋るなお前。そのままアテナの情報とかボロボロ喋ってくれたら嬉しいのだが。ヤマイを治す薬とかないんでしょうかマジで。


「後学とか、どうせ死ぬ君には無駄でしかない」


「貴方が殺してくれるんでしょう? あと何年かかるんでしょうね。私を瀕死に持ち込めた事すらない癖に」


 口走ったと同時にアテナで倒木の事故を受けたと思い出す。しかしあれは「嘉音」に傷つけられたのではなく自分のヤマイにやられたのだと思い直し、目の前の男に殺される日は来ないのではないかとも考えた。口だけの男は安っぽく見えますね、なんて煽ったらもっと怒るだろうか。今日のコイツは大変動きが読みやすいので面白いのだが。


 考えて、ふと思う。私は朝凪達よりも「嘉音」に対しての方が軽口を叩いていると。それは何故かと思案すれば、単純に「嫌われてもいいから」という回答が浮かんできた。しかしそれは否定したい。だってそうだ。もしもその回答が正答であった場合、私はまた面倒くさい思考の渦に身を投じてしまうから。


「考え事? 余裕過ぎてイラつくな」


「今日は最初っから苛立っているではないですか」


「こうも目の前でを乱されると嫌になるよね」


「はて、七ヶ条とは何でしょう」


 態とらしく首を傾げてやる。


 アテナに行くようになって思った事。それは無知が敵であると言う事だ。


 何の知識も無く、興味も示さなければ私は闇雲な探索しか続けられない。だから知らねばならない。嫌いな世界について。片割れを苦しめる世界について学ばなければ、私の歩みは亀のままだ。


 だから無駄口軽口を歓迎しよう。だらだら駄弁ってくれよ口だけの戦闘員さん。


 空気を切り裂くリングダガーをウォー・ハンマーの持ち手部分で防いでいく。路地裏に響く金属音は重く木霊し、私は何度も手の中でハンマーを回した。


「七ヶ条はアテナを清く保つ為、俺達が守るべき規則ルールだよ。それを犯すことはアテナを汚すことに繋がっていく」


「たった七つを守れば世界が清く保たれると? それは壮大な決まり事ですね」


「尊ぶべき指針だよ」


 物は言いようだな。


 私は「嘉音」の側頭部にハンマーを叩き込む。しかし相手は素早く左前腕部で受け止めて、それは鎧でも叩いたような感覚だった。


 コイツ、何か仕込んでやがる。


 私は舌打ちしながら後ろへ跳び、「嘉音」は左腕を軽く振った。


「良い機会だ、君にも教えてあげるよ。そうすればそんな格好やめてくれると思うし」


「聞いてから考えますよ」


 残念ながらこれは制服なので私が卒業しなければやめないのだが。そんな返事をすれば「嘉音」の口が閉ざされる気がしたので我慢した。


 目の前の戦闘員はリングダガーを指に引っ掛けて、刷り込まれた決まりを暗唱する。抑揚を捨てた機械的な声で。


「第一条、自己を主張してはならない。第二条、耐え忍ぶ精神を持たねばならない。第三条、親切を忘れてはならない。第四条、学び続けなければならない。第五条、愛は平等でなくてはならない。第六条、慎み深くなければならない。第七条、清い身体を維持せねばならない――これが俺達、アテナに生きる者に課せられた七ヶ条だ」


「……へぇ」


 私は思わず口角を上げてしまう。反射的に、耐えることなく。


 暗がりに響いた七つの決まり事が――あまりにも馬鹿らしかったから。


「自己を主張してはならない」


 それは即ち無個性であれと。


「耐え忍ぶ精神を持たねばならない」


 怒りを表すなと。


「親切を忘れてはならない」


 他者の事を考え続けろと。


「学び続けなければならない」


 遊びを覚えるなと。


「愛は平等でなければならない」


 唯一を作るなと。


「慎み深くなくてはならない」


 如何なる時も節制に努めろと。


「清い身体を維持せねばならない」


 欲に溺れるなと。


「なんともまぁ……尊く、崇高で、清らかな決まりでしょうか」


 笑いが溢れて止まらない。私は前髪を掻き上げて、自分の声にあざける感情が乗っていると気づいていた。


 しかしこの笑いは止められない。目の前の男が生きる世界の決まり事が、余りにも滑稽で、尊くて、無様なものだったから。


「その七ヶ条、貴方は守れているんですか? 嘉音」


「守るよう努めてはいるよ。破ったと気づいた夜は祈りを捧げて自分を改める。その夜が君に会うようになってから増えて辟易してる所さ」


「はは、ならばもっと破って良いではないですか、そんな決まり事」


 路地裏の暗さが増していく。私と「嘉音」を黒の中に沈めていく。


 私は大通りを照らす夕焼けを視界に入れつつ、「嘉音」から意識を逸らしはしなかった。


「アテナは清いだけで息が詰まりそうですね。アレスではその七ヶ条を守れる者など存在しないでしょう。ある者は自己だけを主張し、またある者は我慢などせず、親切を嘲笑い、娯楽に悦を覚え、たった一人に愛を語り、慎みを捨て去り、欲情に溺れているのだろうから」


 口にして納得する。「嘉音」達が世界を浄化していくと呟いたことに。


「――やはり汚れ切ってるな、アレスは」


 リングダガーが向けられる。


「――綺麗すぎるアテナも同等ですよ」


 ウォー・ハンマーを向ける。


 そうすれば私達は同時に地面を蹴り、お互いの武器をぶつけ合った。


 ふとした瞬間に血飛沫が飛ぶ。切れた左前腕部。利き手ではないから問題ない。


 私は「嘉音」のペストマスクに回し蹴りを決めたが、鳥頭が砕けることはなかった。脚力がもっと欲しいな。


 思う間に右足も切りつけられる。また足に傷跡が増えそうだ。


 そこで思う。この男はいつもと。


 私は後退しながらウォー・ハンマーで「嘉音」の右手首を殴る。そうすれば「嘉音」は鈍器の軌道と同じ方向へ腕を動かし、衝撃を殺していた。駄目だな、完全に合わせられた。


 ハンマーを回して息を吐く。「嘉音」はナイフの柄にあるリングに指を引っ掛け、何かを指折り数えていた。


「……―――」


 相手が何かマスクの中で呟いた。


 それを声として拾えなかった私は、ハンマーの柄を地面に打ち付ける。


「何を数えたんですか?」


 手を下ろした「嘉音」がマスクをこちらへ向ける。彼は人差し指に引っ掛けたリングダガーを回し続け、私は地面を殴って見せた。


「君に理性を捨てさせるまで必要な回数、かな」


「……必要な回数?」


 思わず復唱してしまう。必要な回数とは一体なんだ。


 路地裏の暗さが増していく。その暗さに溶けるような色をしている「嘉音」は、明確な答えを示さなかった。


「俺は君に勝ったことが無くて苛立ってるんだけどさ、それでもその負けだって無駄ではないってこと。積み重ねって大事なんだよ」


 回されていたナイフが投擲とうてきされる。私は反射的に顔をずらして避けるが、背後でナイフが地面に落ちる音はしなかった。


 私は「嘉音」の人差し指を見る。そこには黒く細い糸が繋がっていたから、私は振り向きながらウォー・ハンマーを振り切った。


 糸に引き戻されていたリングダガーとハンマーが固くぶつかる。ナイフの軌道が緩んだ隙に「嘉音」から距離を取れば、相手が追随してくることはなかった。


「言ったよね? 君は理性を捨て去って死ぬんだって」


「私が理性を捨てるまでに、どんな積み重ねが必要なんですか?」


 私の問いに「嘉音」は答えない。肝心な所は口を滑らせてくれないらしい。


 手元に引き寄せたリングダガーを「嘉音」が回す。私は首を傾けてウォー・ハンマーを肩に担いでみた。含みのある会話は嫌いなんだが。


「君とこうして話が出来るのは、あと数回って所かな」


 内に溜まる苛立ちを見つめていれば、勢いよく「嘉音」が距離を詰めてきた。彼はリングダガーを振り落としてくるから、私はウォー・ハンマーで受け止める。虚しい金属音が再び路地裏に木霊した。


「ねぇ、俺が教えて欲しい事を君は知ってる?」


「さぁ? 貴方が何を知りたいのか私は知らないので」


 振り下ろしたハンマーが「嘉音」のリングダガーによって軌道を変えられる。私は地面に鈍器を叩きつけ、首筋に添えられた刃に動きを止めた。頸動脈は切られると危ないんだよな。考え事をし過ぎたか。残念、スカートの効力は短かったらしい。いや、傷だらけの足の効力か。


 私は息を吐きつつ「嘉音」の言葉に耳を傾けた。


「俺は裏切り者を知りたいだけさ」


「おや、アテナにそんな奴がいるんですか」


 リングダガーが薄皮を破る。首筋を流れた血液は生暖かく襟に吸い込まれ、私を不快にした。「嘉音」の手首を握ればペストマスクが私の頬に触れる。


 同時に、私は路地を駆ける足音をイヤホン越しに拾っていた。


「疑わしい奴がいるんだ」


「そうですか。ですが残念――今日のお喋りはここまでですよ」


 口角を上げて「嘉音」の腕を振り払う。私がしゃがめばペストマスクは気づいたように後退し、空気を裂いたの音が大きくなった。


 それは弓の矢ではない。朝凪のものではない。


 ――涙が持ってた武器、ウォー・ハンマーって言うんだっけ


 嬉しい夜に、複雑な心で話した記憶が蘇る。


 ――なら僕は遠距離の方がいいかなぁ


 体力が無い癖に、私とこれ以上離れることを嫌ってくれた片割れよ。


「ボウガンかい」


 ペストマスクの左肩に突き刺さる矢を見つめる。


 しゃがんで膝を着いている私は、背後から抱き締めてくれる温かさに顔を綻ばせてしまった。


「そうだよ、涙が提案してくれた武器だ。柊君にはクロスボウと呼べって教えられたかな」


「へぇ。なら訂正しておこうかな」


 腹部に回った腕に手を重ねる。顔の横から前に出された腕には白いクロスボウが握られていた。


 私の頬に顔を寄せてくれた片割れ――流海は、少しだけ息を切らしているようだった。


 矢が刺さった肩を押さえた「嘉音」は私達を見下ろしている。


 流海は私の耳に口を寄せて問いかけてきた。


「あれが「嘉音」って人?」


「そうだよ。狙いやすい体躯だろ?」


「とってもね」


 流海の武器が「嘉音」を狙う。ペストマスクは首を静かに傾けて、クロスボウの矢を肩から引き抜いていた。


「それが君の弟かい?」


「それ呼ばわりとは聞き捨てならないな。僕には流海るかって名前があるんだけど」


「へぇ、流海、流海か……お姉さんは涙、うん、そうかい」


 覚えるように繰り返す「嘉音」を見つめてみる。流海の腕は微かに揺れていたから、支える為に手を添えて。


「……俺の名前は嘉音かのん。涙、流海、君達に聞きたいことがある」


「何を聞きたいのか知らないけど、」


「素直に私達が教えるとお思いで?」


 流海と呼吸するように言葉を繋ぐ。名乗った戦闘員――嘉音は、濃い夕焼け色を背に問いかけてきた。


「君達と最初に出会った戦闘員について、教えてよ」

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