第18話 皇国の現在

 モーリスさんについて行った先にあったのは、まだ開店準備中の札がかかっているバーだった。


 その入り口横に立って居るタキシードの店員とモーリスさんが、一言二言かわすと慌てた様子で店員は店内へと入って行った。


「何を話されたんですか?」


「別に大した話ではないですよ、ちょっとお店をお借りしたいと言っただけです」


 そうにこやかにモーリスさんは応じるが、俺は少し目の前の老人への警戒度を高めた。


 悪意や敵意と言った物はまるで感じられないが、今の店員とのやり取りだけでも、表面的に見えている只の好々爺と言うだけではない事を改めて知る事が出来たから。


「大変お待たせいたしました、こちらへお入りください」


 先ほどとは異なる、50代程のオールバックの男性が額に汗をかきながら俺達を店内へ招き入れて来た。


「さぁ、皆さんもお入りください」


 先ほどまでと変わらない態度で、笑顔のままモーリスさんに促されて、薄暗い店内へと入ると、サックス音をメインに据えた心地よいジャズミュージックと共に、木を基調とした内装が視界に入って来る。


「私たちはこちらの席に座りましょう」


 そう言って促されたのは、店の一番端にある6人席。


 その手前側へモーリスさんが座ったため、俺は頭を下げた後に、その正面にあたる一番奥の席へと座った。


「お飲み物はいかがなさいましょうか? お茶やソフトドリンクの類も取り揃えていますが」


 俺達が座り終えるとオールバックの男性が水や手拭きと共にメニューを持ってきたので、それぞれオーダーを入れると共に、コチラから呼びに行くまでは近寄らない様にモーリスさんが店員へと申しつけた。


「それで、わざわざココに移動して、人払いをしてまでの話とは、一体どの様な内容でしょうか?」


「……ここにお呼び立てしておいてなんですが、私からセンさん達に話すべき内容か悩んでいる所があるんです。……なので、あくまでも老人のお節介な戯言と思ってお聞き流しください」


 そう言ったモーリスさんの瞳は真剣そのものであり、俺達は一度目配せをした後に頷き返した。


「私がこれから話す事……それは、センさん達がこれから向かわれる皇国についての話です」


 皇国についての話と言われた事に対し、驚きはなかったが、俺は改めて姿勢を正した。


 何せ俺達がこれから行くのは皇城――皇国の中心部なのだから。


「まず、皆さんはどの程度ベンデンバーグ皇国について知っていますか?」


 モーリスさんがそう問いかけると、真っ先にアリアが応えた。


「私達の暮らすリンデルン王国の友好国で、政治的・軍事的実権を皇帝陛下が全て握っている、帝政の国ですよね?」


「後は、かなりの実力主義とは聞いたな。半面、能力さえ有れば人種間の差別などは王国よりも少ないとは聞いた」


 アリアの言葉を引き継ぐ形でジークがそう言うと、モーリスさんが頷いた。


「そうですね、お二人の言った事は一般の方が持たれている皇国のイメージであり、私自身何度も渡航して感じているものと合致しています。他には何かありますか?」


 そう尋ねて来られ、ナナが声を上げた。


「後は皇子様が2人と、皇女様が1人いますよね?」


「ありがとうございます。私がお知らせしたかったのはずばりその件についてです」


「皇子と皇女の話……ですか?」


 俺達にとっては身近な第一皇女のリーフィアと、アリアとジークは殆ど面識のない第二皇子のチャールズ。


 ……そして、リーフィアから話だけは聞いたことが有るラムダ第一皇子。


「ええ、事の発端は現皇帝の即位にまで話が遡るのですが……」


 そう言って険しい表情のモーリスさんから語られた内容は、現皇帝のゾルゲン皇帝が元は第3皇子であり、兄二人を押し退けて皇帝の座に就いたと言う経緯。


 そして、その様な形で皇帝の座についたゾルデン皇帝は、生まれの順番では無く、最も才能のある人間に皇帝を継がせるつもりだという噂話についてだった。


「皇帝陛下の真意は当然誰にも分かりませんが、今皇城ではその話題で持ち切りになっているようです……そして、それに最も強く反応を示しているのが、現皇后のケーラ様と言う噂です」


 リーフィアとラムダ皇子の実母――前皇后亡き後、新しく皇后の座に就いたのがケーラ皇后であり、チャールズ皇子の実母にあたる人である。


「この話によって混乱が生じる様な事態にはまだなっていませんが、徐々に皇国の物価や物の流れが変動している事から、国を二分する様な諍いが近々あるのでは……と言うのが多くの商人たちの見立てです」


「……そう、ですか」


 俺は第一皇子については詳しく知らないが、リーフィアについては良く知っているし、チャールズに関してもそれなりには知っているつもりだ。


 そして、彼女達の間の仲が決して悪くない事も知っている。


 だからこそ、彼らが争う様な事態は想像したく無いが、皇国に着くまでにリーフィアに詳しく話を聞いた方が良いのかも知れない。


「何はともあれ、わざわざ話難い内容を話して頂きありがとうございました」


「いえいえ、とんでもありません……外部から見た皇国の状況などは、センさん達の近くには入り辛い内容でしょうから、念のためお話したまでです」


 そう言ったモーリスさんの眼が、一瞬スイートルームの方に向いたのは恐らく気のせいでは無いだろう。


「もし、皇国内で何かありましたら、モーリス商会の出来る範囲でお手伝いさせて頂きます……私はセンさんと、そのご友人達のファンですから」


 その様に笑いながら言われ、俺は改めてモーリスさんに深く頭を下げた。





 モーリスさんと別れ、部屋へ戻ってみると、残留組は丁度トランプで遊んでいる最中だった。


「皆お帰りなさい……って、険しい顔してどうしたの? セン」


「少し、話せるか?」


 個室の1つを指さしながらリーフィアにそう言うと、黙ってうなずいて俺の後を付いて来た。


「それで、わざわざ私と1対1で話ってどんな内容かしら?」


「単刀直入に言うがお前たち兄妹……と言うよりは、ケーラ皇后について聞きたい」


 俺がケーラ皇后と言うと、リーフィアは露骨に嫌そうな顔をした後、悲しげな顔になった。


「……そう、あの義母の件を誰かに聞いたのね?」


「ああ」


 そう応えると、突然リーフィアが頭を下げて来た。


「私から話さなくてごめんなさい。もしかしたら、皆に危険が及んだかも知れなかったのに……」


 真剣な瞳でそう言って謝って来るリーフィアに、俺は思わず頭をかく。


 リーフィアが言い出しにくかった気持ちは、良く分かる。


 皇族の――ましてや現皇后に纏わる諍いに関してなんて、本来であればとても当人たちの口から、他国の人間に対して言える内容では無いだろう。


 だから俺は、彼女の謝罪に対して首を横に振った。


「話せなかった事情についてはそれと無く分かる……だが、幾つか聞かせて欲しい。良いか?」


「ええ……ただ私の勝手な我儘なのだけど、話すのなら皆の前で話をさせて貰っても良いかしら? これ以上、皆に隠し事をしたくは無いから」


 そう言ったリーフィアの瞳は強い輝きを称えていて――俺はリーフィアに頷き返すと、改めて皆の前に戻り、俺達がモーリスさんから聞いたのとほぼ同じ内容を全員に共有した。


 同時にリーフィアは俺たち全員に謝罪すると、皆はそれを受け入れた。


「……えっと、リーフィアが話さなかった事は別に良いんだけど……逆に皇国内が分断しかかってるなんて話を、リーフィア本人から私達が聞いて大丈夫なのかしら?」


 恐る恐るといった様子でシャーロットが聞いたので、俺は肩をすくめる。


「まぁ、本来は良くないだろうが……それだけリーフィアが俺達の事を信用してるって事だろ」


 同じ内容を言うにしても、モーリスさんが言うのとリーフィアが言うのはまるで意味が違ってくる……もし、今話した内容が外に漏れれば、皇女が話した確定事項として世間に広がって行くことになるのだから。


「えっと……これから皇国に行って、すぐに政争に巻き込まれる可能性とかってあるのかな?」


 アリアが気まずそうに問いかけると、リーフィアは首を横に振った。


「いいえ、まだ周りの高官たちも兄さまとチャールズのどちらにつくかは考えあぐねてる状況ね。何より、皇帝陛下が内部分裂なんて許さないわ」


 そう答えると、皆が一様にほっとした顔になる。


 だがそんな皆と違い、リーフィアは尚も気まずそうな顔をしている。


「ただ……何回か手紙をやり取りしてる内に、皇帝陛下がセンに興味を持ったみたいなのよね……父様、強い人が好きだし」


 そうリーフィアが言った瞬間、俺は何やら良くない気配を感じた。


「……それってまさか、リーフィアと最初に会った頃の決闘みたいなことがあるって事か?」


「……多分」


 そう言われた瞬間、俺はその場でくず折れた。


 すると、ミヨコ姉とユフィが寄ってくる。


「その……もし危なそうなら私も全力で止めるから、元気出して弟君」


「私も相手に悪意がある様ならすぐに止めるから……無理はしないで」


「ミヨコ姉、ユフィ……」


 俺を労る2人の言葉に感謝しながら、これから起こるだろう事態について、リーフィアと確認していくことにした。

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