二日目(前編)

 翌朝。スマホのアラームで目が覚めた。


 寝起きのぼんやりとした頭で昨日の出来事を反芻する。まるで現実感がなかった。まだ悪い夢の中をさまよっているような気分だった。


 念のためツイッターを確認する。また、スター・ケミストリーこと星宮化学からメッセージが届いていた。やはり現実だったか。


 メッセージには、今日の放課後、最寄りの駅から数駅先にあるスタバにくるように、とだけ書いてあった。


《了解》


 一ピコグラムも気乗りしなかったが、オレは自分と家族の命を人質に捕られている。逆らうことはできなかった。汚いさすがテロリストきたない。


 オレは大きくため息をつくと、さっさと着替えを済ませ、一階の洗面所で顔を洗い、朝食を食べることにした。


 リビングのテレビが爆破事件の続報を伝えてきた。タイミング悪すぎひん? 口から心臓が飛び出るかと思ったぞ。


「テロリストの仕業らしいな」

「……ふーん」


 兄さんの言葉に、オレは内心の動揺を悟られないよう、努めて無関心を装い答える。


「ここ最近、物騒な事件が多いな」

「へぇ」

「もし、東京五輪が開催されていたら、きっとテロリストどもの標的にされていたんだろうな」


 今年の夏に予定されていた東京五輪は中止になった。莫大な違約金を払って権利を返上し、よその国で代替開催することになったのだ。

 多くの不祥事と問題が噴出した。世間はそれを糾弾した。いろいろなモノが無理になって、そして限界を迎えた。それだけの話だ。


 結局、平成も終わらずにダラダラと続いている。東京の中心の聖なる森におわす聖老人は、生前退位を認められなかったのだ。この国に住む人々は生まれが少しやんごとないだけの年寄りに何をさせているのだろう。人権という概念と真面目に向き合え。


 世界のボタンをどこかでかけ違えてしまったのかもしれない。


 こうならなかった別の世界が存在するんじゃないか。時々、そんな考えにとらわれる。

 そうすると、オレの魂は体から離れてここではない別の世界に旅立つ。

 実現しなかったはずの東京五輪で盛り上がる人々の姿が、現実に重なり出す。


「ぼんやりしてないでさっさと朝飯食えよ。遅刻するぞ」


 兄さんの声で我に返った。

 オレは慌ててトーストを牛乳で流し込むと、通学用のリュックを背負い学校に急いだ。

 

 ★★★


 放課後。本日の授業は無事終了した。

 教室で友人たちと別れ、オレは星宮に指定されたスタバへ向かう。


 電車に揺られること二十分ほど。目的地に到着したオレは、長ったらしい名前の冷たくて甘い新作ドリンクを購入して席を探す。


 中央のクソデカワーキングテーブルで腐れ林檎マークのノートパソコンを開いているインテリゲンチャ風の男性を見かけた。買ったばかりのドリンクを頭からぶっかけてやりたい衝動にかられたけど、必死にこらえた。店内を見回すと、他にも林檎製品を使っている人が沢山いた。スタバは禁断の果実があふれかえっていた。頭が痛くなる。蛇を探して落とし前をつけさせるしかねーな。


「キョロキョロするなよ、恥ずかしい。おノボリさんか?」


 星宮の声がした。店員や他の客の死角にある二人用の席からだ。


「うるせーな……」

「口が悪い」

「お前が言うか!?」

「デカイ声を出すな」


 オレは憮然とした面持ちで星宮の対面に座る。星宮は今日も濃紺の学ラン姿だった。学校帰りなんだろうか。


 しかし、こいつ、本当に特徴のない顔をしているな。存在感が希薄というか、存在そのものが空気みたく無色透明なヤツだ。


「で、用件は?」

「次の計画の打ち合わせだ」

「……帰っていいか?」

「ダメだ」


 ノータイムで断られた。オレ、涙目。


「……また、人が沢山死ぬんだぞ? 星宮は自分が犯罪行為に手を染めてる自覚はあるのか?」

「そんなことは言われなくても分かってる」

「開き直りかよ」

「違う。俺は自分のやっていることを客観視しているだけだ」


 これは駄目だ。何を言っても止められそうにない。説得はあきらめるしかないようだ。


「次のターゲットはここだ」


 星宮のアイヒョンに表示されていたのは、ここから歩いて十分ぐらいの場所にあるショッピングモールだった。


「この手の大型商業施設は資本主義の象徴だからな。壊しがいがある。もちろん、お前の大嫌いなアップルストアも入ってるぞ。消し炭にしてやろう」


 星宮が口角を上げる。その表情はどこまでも酷薄だった。


「やる気になったか?」

「知らねーよ」

「何だその態度は。家を粉微塵にされたいのか?」

「うぐ……」


 口籠もるオレに星宮が冷たい笑いを見せる。


「まぁ、いいさ。お前はどのみち俺から逃げられない」

「勝手に言ってろよ」


 この言葉が虚勢にすぎないことは自分でも分かっていたが、こうでもしてないと、状況の圧に押しつぶされそうだった。


 星宮はオレの言葉を無視して次の計画について説明を始めた。

 星宮の言葉が耳を右から左にとおり抜けていく。何も頭に入ってこない。


 霞でもかかったように意識がぼんやりとする。つむじのあたりから魂がふわふわと浮かび上がる感覚。


 そして、オレはこことは違う世界に旅立つ。


 そこは、オレと星宮が最後まで出会うことのない世界だ。非日常的なトラブルに巻き込まれることなく、平穏でありふれた日々を送ることができる幸福な世界。自分の知らない場所で起きた悲しく残酷な事件を、テレビのニュースで他人事のように眺めることのできる世界。誰もが寛容で、優しく、あらゆるモノに無関心を貫く世界。みんな、死ぬまでそのことに疑問を抱かない。だけど、その世界は、本当に幸せな場所なんだろうか――。


「そろそろ出るぞ」


 星宮の言葉でオレの意識は現在に呼び戻される。計画の説明は終わったようだ。

 大きなスポーツバッグを背負った星宮が早くこい、とオレを急かした。

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