44.僥倖―11『喧噪へのいざない―11』

(さて、と……)

 そこはかとない満足感を胸にハーランは視線を前方へと向け、心中にそう独りごちた。

 操縦席に着座した彼の両膝の間には床からはえた操縦桿、そしてその向こう側には計器板がある。

 操縦桿はハーランが日常的に握っているのと同じ、一本棒スティック的なデザインの見慣れたタイプ。

 計器板の方も速度計、水平儀、旋回計、高度計、エンジン回転計等を中心に据えた視認性の良いレイアウト。

 と言うか、なんだかやけに既視感がある……、と思ったらなんの事はない、〈ガーディアン〉のそれとうりふたつ。

 まったく同一と言ってもかまわないモノだった。

 どうやら飛行服とおなじく、同等品どころかそのものズバリな品を製作スタッフたちは用意したものらしい。

 手抜きのようにも感じられるがそうではあるまい。

 これまで飛行機械の製造にたずさわっていたと言っても、そのすべてを手がけたことはない会社。

 先のテスト飛行に同乗させてもらった〈エアリエル〉が、処女作であったジヴェリ機械製作所だ。

 力を入れるべき箇所とそうでない箇所、不案内なところはいっそまかなってしまえと割り切ったのだろう。

(ま、合理的っちゃ、合理的かな)

 じっさい自分などにとっては異機種である〈ドラゴン・チェイサー〉――その操作に慣れるための手間が一つであっても減るワケだし、などと考え、ハーランは内心でうなずく。

 口許をすこし笑みのかたちに持ち上げながら、操縦桿を握ると、その状態で操縦桿、またフットバーの配置の遠近や計器板の視認性の度合いを確かめた。

 問題ナシ。

 実機ではない。それに加えて空を飛翔しているワケでもない。

 だから、実際の飛行特性までは確かめようもないが、少なくともその操作系については自分が部隊であつかっている〈ガーディアン〉戦闘機と異なる点は見当たらない。

 なんなら、シックリくると言っても良いほどだ。

 これなら実機が完成し、いざ大空に舞い上がっても操縦にとまどう事はないだろう。

 ジヴェリ機械製作所が手がける〈ドラゴン・チェイサー〉製作への協力は、言うなればアルバイト、もしくはボランティアのようなものだから、現行、として関わっている〈ガーディアン〉との同時並行二本立てで自分は飛行機をあつかう事となる。

 操縦動作は(計器の視認をふくめ)無意識レベルでおこなうことも多々あるから、そこに差異が少ない、もしくは無いというのは正直とても有り難かった。

 これから先、同じ日に〈ガーディアン〉と〈ドラゴン・チェイサー〉のそれぞれに乗るようなことがあったとしても、少なくともコクピットまわりのなにがしかが原因で判断や操作に遅延をきたす事はないだろうからだ。

(まるで、この先、俺がこの機体に乗り換えることを予想しての対応みたいだな……)

 そのせいだろうか、ついついらちもないことまで考えてしまった。

 ジヴェリ機械製作所の〈ドラゴン・チェイサー〉は空軍に制式採用された機体ではない。

 現時点では、(自分的にはこう言うのには抵抗があるが)、名も知れぬ一私企業製の速度記録機にすぎないのだ。

 知名度、非制式機、種別――すべてが要件を満たしてない。

 だから、

 正規の空軍士官であり、王族でもある自分にそんな慶事と言うべき出来事が起こりうる事などありはしないのに……。

 だが、

 そう遠くない未来、サントリナ王国……、いや、全世界のが一変してしまったその後、ふとした折に、この日のことを思いだしてハーランは苦くわらう事となる。

 そして、

 あの時、あの時点で、は、『こんな事もあろうかと思って』などとうそぶきながら、今日あるを予想していたのだろうかと、りつぜんと背筋を冷たくすることとなるのだ。

 が、

 とまれ、

 今は〈ドラゴン・チェイサー〉のモックアップである。

 まずは両手で操縦桿を握りしめた後、それを前後左右に傾け、フットバーを左右に蹴って、ハーランは自分の動作に機体側が干渉してくるかどうかを確かめた。

 たとえば妙なでっぱりや(特に足許まわりに)寸法の余裕がない等は、設計ミスとまではいかなくともパイロットとしては手直しを要求したい要件だ。

 操縦操作にミスを誘発されることまではなくとも、パフォーマンスを低下させるマイナス要素にはなり得るからだ。

 人間でたとえるならば、『未病』ということにもなろうか。

 次いで操縦桿には片手をのこし、もう一方の手でスロットル、また、通信機のスイッチ操作をおこなってみる。

 問題ナシ。

 もちろん、実機ではないから操縦桿をはじめの操作機器類は、その先になにものとも繋がってはいない。

 だから、操作感覚――身体につたわってくる手応えはスカスカとした空虚なもの。

 しかし、ハーランは、カックンカックン無抵抗に動くそれらを、種々の状況シチュエーションを想定してか、時に全身を使ってのアクションを織りまぜながら、飽きることなくいじりつづけている。

 すぐ傍と言っていい近さにはミーシェルがいて、そんな彼の一挙手一投足をカメラのような眼差しでずっと捉えているのだが、どうやら既に意識の外であるようだ。

 にんまりと持ち上げられた口許と、焦点が定かでないような瞳は、きっと、水銀灯に照らされたモックアップではなく、陽光のもと、〈ドラゴン・チェイサー〉を駆り、なに遮るもののない蒼空をゆく自分の姿を思い描いているからなのに違いない。

「おっと……!」

 と、そこで、両手をバンザイのかたちで持ち上げかけて、ハーランは顔をクルッとミーシェルの方に振り向けた。

「ゴメン。すこし夢中になりすぎてた」

 今更ながら、ミーシェルがそこにいる事――今の自分の状況を思いだしたか、照れくさそうに微苦笑しながら頭をさげた。

「ううん、大丈夫」

 数回、目を瞬かせはしたものの、クスッと微笑んでミーシェル。

「ハルが周囲まわりのことも忘れるくらい、この子に夢中になってくれる方が嬉しいもの。それで……、どう、かな? 何か気になるところとか……」

 おしまいの方は、なんだか口ごもるようにモゴモゴ小さな声で訊いてきた。

 製作サイドとしては問題点があることなどは聞きたくない。

 しかし、同時に製作サイドとしては、使用側が問題と指摘する事項は聞いておかなければならない。

 そんなアンビバレンツな内心が透けてみえる態度であった。

「いや、マイナスに感じる部分は全然なかった。逆に出来が良すぎだな。なにしろミーシェルみたいな可愛らしい子をほったらかしに、つい失念してしまったくらいだ」

 冗談口をまじめくさった顔で言う。

「まぁ……」

 と、ミーシェルが、恥ずかしいとも嬉しいともつかない表情で反応するのに、

「まぁ、そういう事だから」

 ハーランは言葉をつづけて、

「お次はキャノピを閉めて作業をつづけようと思うんだ――いいかい?」

 頭上に持ち上げた両手のそれぞれで前縁に取り付けられてあるスライド用ハンドルを握ってみせた。

「どうぞ」と答えて、ミーシェルがへばりつくようにしていた機腹からすこし距離をおく。

「じゃ」――一声だけかけるとハーランは、振りおろす感じで勢いをつけ、両腕を前方に押しやりキャノピーを閉じた。

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