20.邂逅―20『〈エアリエル〉―12』
「行きます!」
自分自身へ号令するように、ミーシェルが言った。
同時に、バシャン! と大きな音が響いて主翼の後端の一部分が後ろへスライドし、そして、だらりと垂れ下がった――二枚、二段階に。
「
音の発生源を見たハーランの目がおおきく見開かれる。
部屋の窓に取り付けるブラインドの(二枚きりだが)
主翼が髙翼配置となっているため、その動作具合がまざまざ目で見てとれたからだった。
「驚いたな……」
思わず呟きがもれる。
〈エアリエル〉をはじめて目にした場所――サントリナ王国東部第一飛行場で、機体のまわりを何周も何周も何周も何周も……、グルグル
いま世にある飛行機のほとんどが装備しているのは単純フラップ――
それを前後に二枚、かつ、動作時には相互の間に間隙ができるような設計であれば、高揚力装置としての能力は格段に向上するとみて良いだろう。
主翼下面の空気の流れを強制的に下向きとする、整流効果がより強くはたらくに違いないからだ。
……そういえば、離陸する時も、地上を滑走する距離が短かった気がするな、と、今更ながら、思い至ったハーランだった。
まぁ、あの時は、機内のあれやこれやを観察するのに夢中だったり、操縦士役をつとめるのがクラムではなくミーシェルだという事実にビックリしたり、何より、そのミーシェルに端を発するいざこざ(?)やら何やらで一杯一杯となって、そこまで気がまわらなかったから、仕方がないといえば仕方ない。
とまれ、
〈エアリエル〉は見る間に速度を落としていく。
もとより、そんな高速飛行はしていなかった。
いや、主翼の空気抵抗がおおきくて速く飛べなかった、が正しいか。
おそらく最大でも二五〇キロ程度しか出ていなかったのではないか。
しかし、今はそれが更に遅く……、飛んでいると言うよりは、浮かんでいると言った方がふさわしい程の速度になっている。
窓の外を過ぎていく景色が、ほとんど止まって見える程(というのは言いすぎだが)なのだ。
(それでも、あわや落っこちるのでは? と感じるような危なっかしさがないのは、さすがではある……)
ここぞと言うべきところには複雑さ、重量が増す不利を
そんな機体を広大な面積の主翼が発揮する揚力がささえているのだ。
しかし……、
そこまでは感心しきりのハーランだったが、機首方向――ミーシェルとクラムが位置する操縦士席の方へ目を向けた直後に眉をひそめた。
機体前面のキャノピー越しに見える景色に違和感をおぼえたのだ。
(なんだか、進入角がすこし大きすぎないか?)
これであった。
自身も空軍軍人――職業飛行家として操縦桿を握っているからよくわかる。
飛行機の着陸操作には定められた手順、適正な進入角度があって、
着陸しようとしている滑走路に正対したら、規定の高度にて直進。
次に速度を落としていく。
そして、フラップを作動。
機体の周囲をとりまき流れる気流が変化するため、昇降舵のトリムを調整して水平状態を維持。
滑走路へむけて
〈エアリエル〉の現在状況は、まず間違いなくここである。
ハーランが日頃操縦している戦闘機であれば、降下角度は約三度というところだろうか。
だが、〈エアリエル〉のそれは、もっと急すぎる――かなりな大角度で高度を下げていっているように感じられた。
感覚的には、高台から
このままだと、前へ進むよりも下へ降りる率の方が高すぎて、地面に叩きつけられてしまう。
機体が破壊されるところまではいかなくとも、激しく地面の上でバウンドし、最悪、降着装置が破損してしまう危険もじゅうぶんあり得た。
滑走路として利用可能な地面の奥行きが短すぎるあまり、着陸後の滑走距離をとにかく短いものにしようと焦ったか……。
つい、緊張のあまりのミーシェルの失策を疑ってしまった。
そして、
弱く、しかし、不安定にビリビリと震えはじめた主翼が目に入って、
(いや、降着装置の破損を心配するより先に、そもそも失速する可能性の方が高いのでは)と新たな不安に背筋が冷たくなる。
大面積の主翼ではあるが、速度が低下し、迎え角が大きすぎて、このままの状態がつづけば気流が
そうなると翼は揚力を失い、機体は地面に真っ逆さま、だ。
対地高度はまだ一〇〇メートル以上はある。
しかも、下は平地ではなく山の斜面だ。
きっと、ひどい事になるだろう。
つい先日の自分の不時着事故のことが思いだされて、ハーランはブルッと身震いした。
本来であれば、容易に操縦を交代できる正副二重の操縦機構を有しているのに、今は臨時でカメラなど載せているからそれは出来ず、
多分、ミーシェルよりも技能が高いであろうクラムが操縦を代わろうにも、狭い機内だ――ポジションチェンジが出来よう筈もない。
(どうする?)
もう時間がない。
たった今、席をたって自分が操縦士席まで行ったとしても、それで何かが出来るのか?
それよりも着陸手順のやり直し要求を口にする方が、まだしも現実的なのではないか?
(どうする?)
ハーランが逡巡していると、ふいとカメラから目線をあげたクラムが、ミーシェルの方をむいて一言、二言、なにかを言ったようだった。
声をかけられた少女の肩が、ピクンと跳ねると、直後にバシャッと音をたて、主翼の前縁部分が前下方へとスライドした。
後端部のフラップにも似た、しかし、もっと面積の狭い部分が別パーツとして主翼の前縁に隙間をあけて展張されたのだ。
(え……?)となった。
途端に、主翼から感じていた不安定さが消え、呆気ないくらいに飛行が滑らかなものとなったからだ。
あとはもう、まったくと言って良いほど何の問題も困難もなかった。
伐採場跡地……、もとい、滑走路と森との境にはえている樹木の梢を通りすぎると、トン……という、ほとんど感じられないくらいの接地感があって、その後、ぐぐぐ……と機体が下に沈み込み、ほんの三〇メートル程を滑走した後、止まった。
まるで花にふわりと蝶が舞い降りたかのように、〈エアリエル〉は地上に降り立ったのだった。
「ねッ、空気の精みたいでしょう?」
エンジンを停止させて一拍後、満面の笑みを浮かべたミーシェルが振り返り様そう言ってくる。
先にかわした機体命名の件での意趣返しのようにも思えるが、少女の無邪気な表情からして、きっと、そういうつもりはないのだろう。
いずれにしても、まったくぐうの音もでない結末に、賞賛の意を込め、ハーランはかるく拍手をおくるしかなかった。
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