はじめてのさとがえり

ひとえあきら

2020年8月13日

「……ただいま」

 見慣れた我が家、と言っても2年ぶりの実家の玄関をくぐる。

 昨年末から色々とあって、いやもう本当に色々とありすぎて、2年前に故郷を離れて就職した私は本日、よーやっと人生初の里帰りというヤツにこぎつけた。あ~疲れた~。

 家の中は静かだ。ま、そりゃそうだよね。まだやっとこさ空が白み始めたくらいだから、父祖の代から低血圧を誇る我が家の面々は夢の中だろう。私だって普段なら絶対に起きてない時刻だわ。

 そーっと、そーっと、イイ夢を見ているであろう皆々様を起こさぬよう、2階のかつての自室に歩みを進める。抜き足差し足。ってどこの怪盗だ私!?

 階段の下、和室の中からは線香の匂い。お、今年はラベンダーか。時間跳躍タイムリープできそうだな。お参りは…まぁ皆が起きてからで良いよね。と言う訳で懐かしの我が部屋で二度寝を決め込むとしよう…ふっふっふ。


*** *** *** ***


 あーよく寝た……

 ていうか、皆まだ寝てんのかーい!!

 人のこと言えた義理じゃ無いけど…マジで大丈夫かウチの一家…


 まぁいいや。ちょっと近所を回ってくるか。誰かとばったり会うかもしれないし。

 流石に我が故郷、職場のある大都会の喧噪を考えればのんびりしたもんだ。蝉が目を覚ましたのか、今になってシャクシャクだのジージーだの鳴き出している。そういや向こうじゃ始終ミンミンやってた気がするけど、こっちの蝉とは違うヤツなのかしら? なんか昔むかーし授業で聞いたような気もするが…あはは。

 家々の合間に点在する田んぼだの畑だのを大きなトンボや色鮮やかな蝶が飛び回る。なんか夏だねー。これでもうちょい涼しくて蚊が出てこなきゃ極楽なんだけどなー。最近は台風も時期がズレてるのか、本格上陸なんて秋になってからだもんなー。


 通学路で見慣れた山が雲ひとつ無くそびえる。その下には茶畑の緑が鮮やかに広がる。このお茶は地元の特産品のひとつで、県全体での生産量も全国で五指に入るのだが、遺憾ながら知名度が決定的に足りていない。美味しさじゃS-茶やU-茶やY-茶にも負けてないと思うんだけどなー。

 私が幼い頃、祖母が淹れる釜焚きの茎茶と祖父がお手製の鉋でおろす羽衣のような鰹節が最高のおやつだったことを思い出す。あの頃はあれが普通だと思ってたんだけど、就職してからこっち、あんなお茶も鰹節もお目に掛かったことが無い。実は私、結構良いモノ食べてたんだろうか…と今更ながら戦慄する。あ、お茶に関しては祖母直伝の兄も淹れるの上手いんだった。帰ったら飲ませて貰おうっと♪


*** *** *** ***


 ふと、道の先に気配を感じた。

 じー…っと目を凝らす。何となく見覚えのある柄のシャツ…あれ? イチ兄さん?

 あ、向こうが手を振ってきた。あの振り方、間違いない!! 走れ、私!!

「イチ兄ちゃーん!!」

「おぅ、トッコ」

「どしたの、早いねー、もしや朝釣りの帰りね?」

「お前こそないごっじゃ、地震があってん起きんようなとが」

「も、もうオトナですから!! ちゃんと起きるし!!」

「そりゃそりゃ、成長したもんじゃ。おばさん達はね?」

「それがさー、こっち着いたの夜中というか殆ど朝で…で、一眠りして今散歩に出て来たんだけど、みんなまだ寝てんのよー!! なんぼお盆休みだからって寝過ぎじゃない?」

「斯く言うお前も小学校の頃は似たようなもんじゃったわ」

 兄さんの眼が明らかに『おまゆう』と訴えていた……流石にお隣同士でしかも母の従弟だけのことはある…うぅ…産まれた頃から全て知られてる相手には敵わないわ……。


 ん、兄さんの足許に何やら白い物体が……え!?

 兄さんも気付いて

「あー、これか。なんか途中で付いてきたちゅうか、これに付いていったらお前がそっちから歩いてきたちゅうか……」

「ミユ!!」と呼びかけた相手が兄さんの足許で「にゃう」と応える。

「何じゃ、お前んちの猫か。道理で人懐っこいと…しかしえらい遠くまで遊びに行ったなぁ、こいつ」

 ミユ―全身真っ白のシャム猫といった風体のミックス猫は、彼女の特徴でもある右青左黄のオッドアイを細めて私の足の周りを"すりすり"し始めた。おや、久しぶりなんでデレてますねミユ様。普段はツン95デレ5くらいのツンデレっぷりを発揮している我が家のヒエラルキー最上位のお嬢は、本日は超レアなデレの日らしい。

 思い切って抱き上げてみたが、イヤイヤもされず鈎型の短い尻尾をぱたぱたと忙しく振っている。そこに兄さんがひょいと手を出して喉をなで始めた。

 ちょ!! 兄さん、この子、超・人見知りだから引っ掻かれるよ―と思う間もなくごろごろと喉を鳴らす音がして眼をうっとりと閉じてやがる……な、何だとー!! あんた、私にもそんなデレたこと今まで3回くらいしか無かったでしょー!!


「……おい」

「……おいトッコ」

「……藤子とうこさーん!?」

 ……はっっっ!! あら、兄さん呼んだ?

「呼んだ、じゃねぇわ。お前なんか怖ぇ顔してこの猫見とったが。殺意を感じたぞ」

「さ、殺意なんてそんな物騒な……ヲホホホ……」

「気色悪い笑いはヤメい。このクソ暑いのに鳥肌が立った」失礼な。

「兄さんが悪い」

「何故に!?」

「わ、私でさえ、子猫の時に連れてきた私でさえ、こんなにデレたこと滅多に無いのに…私という者がありながら…こーの浮気猫ーっ!!」よよよ、と泣き真似。

「あぁ、そりゃ人徳じゃ」

「酷っ!! 私そんなに性格悪いって!?」

「いやいや、これは産まれ持った天分という奴で、俺は昔からどーゆう訳か猫に懐かれる。自然と向こうから寄ってくるんで、こりゃこっちが好きとか嫌いとか言う以前に向こうの好みやな」

「…コマシだわっ!! 兄さんがこんなコマシだったなんて…うぅ…私とのことは遊びだったのね……」

「人聞きの悪い!! それに遊びには違いないわい!! お前散々っぱら俺を馬にして喜んどったろうが!?」

 ひゅーひゅー♪と私は音の出ない口笛を吹いて聞こえない振りをする。

 兄さんは暫く私を睨む振りをしていたが、どちらからともなく吹き出した。

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