名前も覚えていない少女から話しかけられて始まる青春物語(仮)

@2713gabu

第1話 プロローグ

夕暮れの街並みには甘い醤油の香りが似合う。




 まだらな雲が浮かぶ橙色の空と、人が住む町並みを眺めながら、この香りが鼻腔をくすぐるといつも思う。家庭のある香りだ。








 高校入学から3ヶ月が経過した。


 ようやく馴染んできた学生服を身にまとい、白いコンビニ袋を手に提げ、ぼんやりとしながら自分とは無縁の世界の中を切るように歩く。






 自宅のあるマンションの3階まで階段で上がり、オートロックの鍵を解除する。


 味気ない解錠音の後にドアを開けると、周りが静かなせいで「ガチャッ」と無駄に大きな音が廊下に響いた。






 マンションの住民と鉢合わなかった事に安堵しながら、殺風景なリビングにぞんざいに置かれたテーブルへコンビニ袋を下ろした。






 さっそく買ってきた弁当をレンジで温める。


 料理は出来なくとも、商品によって記載されている加熱時間は異なり、また記載通りでもしっかりと全体が温まるとは限らないことくらいは承知している。






 どの弁当は何分温めるか熟知している。


 新しい弁当が入荷された時は、何分温めるのがベストかを探る。日常の数少ない楽しみだ。






 少しすると、レンジの中から食欲をそそる匂いが部屋を充満する。




 この匂いが嗅ぎ慣れた僕の家庭の香り。一人暮らしで家庭と言えるのかはさておいて。




 空気を読まない明るいメロディーがレンジ加熱の完了を知らせる。




 火傷に気をつけながら容器を取り出しテーブルまで移動する。








 誰もいない部屋で一人、適当にテレビを点けながら湯気のたった唐揚げ弁当を頬張る。


 唐揚げの衣は湿気を吸ってブヨブヨとしていた。




 食べ終わった後はいつも通り本を読んで時間を潰したり、気が向いたら一応勉強をしてみたりして23時を回ったあたりになると眠気がやってくる。




 睡魔に身を預ければ、今年で15歳になる村田一平の一日があっけなく終了する。










 携帯のアラームが朝の訪れを告げる。


 霞のようなハッキリとしない意識でアラームを止めると、時刻は6時30分を表示していた。






 寝起きのボヤケた視界には、寝る直前の寝室の景色がそのまま映し出されている。


 読みかけのまま丸いテーブルに置いた本。脱いだままのTシャツ。飲みかけで気の抜けた炭酸飲料。






 物音ひとつしない部屋の中に生活感はまるでない。




 適当に牛乳とバナナで軽く朝食を済ませると、意味もなく朝の情報番組を流しながら何も考えず制服に着替え家を出た。






 通う高校までの通学時間は30分程度。電車とバスの両方から通えるけど、僕は何となくバスを使用している。本当に意味なんて無い。






 学校に到着して自分のクラスの教室に入るが、クラスの皆は僕の存在を確認さえするものの、感心はすぐに目の前の友達へと移り、お喋りを再開する。






 高校に進学して約3ヶ月・・・うん、今日も僕はボッチだ。


 どうして3ヶ月も経ってクラスに馴染むことができずにいるのか。




 それは僕の性格の問題では決して無く、その生い立ちにあると主張したい。






 というのも、転勤が多い自衛官職の父を持つ僕は幼い頃から度重なる転校を繰り返していた。


 小学校の時は合わせて8回、中学では5回の合計13回。これはもう転校ガチ勢で、「転校についての心得を教えて欲しい」と言われれば、今すぐにでも教壇に立ち熱弁をふるえるかもしれない。






 だから僕は人と関わるのが絶望的に苦手だ。


 これだとまだ理由として説明が足りないか。






 もう少し掘り下げると、小学校低学年の頃は転校先のクラスの皆とも仲良くできように努めていた。実際、友達と呼べる人も数人はいたと思う。






 新しい環境に期待と不安に胸を膨らませる。ありきたりな表現だけど、その時はまだそんな純真な気持ちが手つかずのまま心に残っていた。






 でも、転校を繰り返すという事は出会いと同じように当然別れもやってくる。




 "連絡するから"




 寄せ書きと共に送られた言葉。




 "ありがとう、僕も連絡するから" 








 あの頃はそう返事をして涙ぐんでたっけ。




 始めの頃は友達も本当に手紙や葉書などを送ってくれた。






 当時は小さな子供にまで携帯が普及していなかった時代だったので、レターセットを親に頼んで買ってもらい、手書きで返事を書いて切符を貼ってポストに投函する一連はちょっとしたイベントじみてて楽しかった。






 でも、一度手紙のやり取りが途絶えると、二度と返事が返ってくることはなかった。


 このやり取りを何度か繰り返していれば、小学生でもいい加減うんざりとしてくるのは当たり前だよね。






 純粋な心は無垢であるほど負の心に蝕まれガリガリと削られ、残ったのは屁理屈だった。






 小学4.5年の頃だったか、もはや何度目の転校か細かいことは覚えてないけど、送られてきたある一通の手紙を最後に、僕から返事を綴る事はしなくなった。






 どうせ他所から他所へと移り渡った他人に、熱心に返事を書き続ける物好きはいないに決まってる。


 まだ手紙の返事は来ないかな、と期待するのはやめよう。自分が馬鹿みたいに傷つくだけだ。






 地元の子からしたら「そんな奴もいたっけ」くらいに思われたまま僕の記憶が暗転していくだけで、その後は何事もなかったかのように地元の連中同士でよろしくやるだけなんだ。






 彼ら彼女らに強い記憶を植え付けるのに一年未満という期間はあまりに短い。




 結論づけてからは僕の学校での振る舞いはガラっと変わった。






 波風の立たず息を殺すように生活をして、会話も最小限に抑えた。




 転校生なんて物珍しいんだろう。最初は興味本位で僕を囲う生徒も、数日がすぎると蜘蛛の子のように散っていった。




 転校が決まって寄せ書きも一応はもらうけど、綴られるのは「頑張って」みたいな当たり障りのない内容ばかりになった。






 これで良いんだよ。何をどう足掻いても季節は移り変わるように、僕にとっても転校とはただ無慈悲に訪れる変遷みたいなものだから。






 なので、人との出会いと別れは僕の中で希薄なものとなっていった。 


 だから驚いた。長い時を経て、まさか僕の事を覚えている人物が急に現れるなんて。






 その日も、いつも通りに学校に行きボッチのライフスタイルを謳歌しているときだった。


 移動教室のため、少しクラスの集団とは遅れて科学室へと向かっている時にその瞬間は訪れた。




 僕の人生が大きく変わるその瞬間が。








「村田くん?」




 教室の廊下ですれ違った女子生徒の集団の一人が、僕の名前を確かに口にした。




 慌てて振り返る。向こうも振り返って僕を見ていて、まるで合わせ鏡みたいになった。






 件の女子生徒は僕の記憶の中にはいなかった。


 ただ、ひと目見て驚くほどの白い肌に筋の通った鼻筋がやけに印象的だったのはハッキリと覚えている。








 ──────この子は誰だ?








 この物語は、1人の少女をきっかけに色んな仲間と青春を取り戻す、なんてことのない物語。

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