第11話 スミスの想い
ーー夜、闘技場内牢屋にてーー 仕合まであと3日
僕はスミスに昨夜にやって来た排水溝の訪問者について未だ共有できていなかった。
理由はいつもの看守が中々居眠りしない為だ。
昨日やって来た黒髪のメイドにキツイことでも言われたのだろうか。今日は寝ずに頑張っている。
少なくとも、見張りの目の前で脱獄する話をするのはかなり危険な事だ。
仕方ない。こうなれば、ルイスが来た時にスミスを起こしてしまおう。
昨日もそうだったが、ルイスなら見張りを眠らせてからここへ来るはずだ。
僕がそんなふうにヤキモキしていると、外の廊下に繋がる入り口の扉がガチャリと開き、黒髪のメイドとアルド王子、そして壮年の騎士が入ってきた。
「やあ。2人とも、こんばんは。あの後はよく眠れたかな?」
アルド王子が牢の前に出て僕とスミスに目をやる。
「こんばんは。アルド王子。お陰様で寝不足でした」
スミスが丁寧な口調で返す。
「ふふっ。君は早々に寝ていたじゃないか」
今度はにこやかな笑みをスミスに返す。
「えーと、ところで王子。今晩はどんな御用ですか?」
不適に笑い合う2人をよそに、僕は率直に聞いた。
「ああ。実はな、君の対戦相手が決まったのでそれを知らせにな」
それはまさか、王子の後ろに控えている屈強そうな騎士のことだろうか。
僕が恐る恐る、騎士に目線を向けると騎士はかぶりをふった。
「私ではないよ。残念ながらね」
少しほっとした。この人が相手だとしたら全く勝てる気がしない。
「よかった……。じゃあ、どんな方なんですか?」
わざわざ相手を教えてくれるのはありがたい。今は少しでも対戦相手の情報が欲しかったところだ。
「ああ。君の対戦相手はここにいる騎士団長ベルサック卿が推薦した人物だ」
(騎士団長! どうりで雰囲気があると思った……! そんな人が推薦する人物って……)
「名はガロード卿と言ってな。騎士団への入団からわずか2年で次期団長候補とも呼ばれている人物だ」
また凄い人を連れてくるものだ。聞いた限り、ローグ以上の強者であると分かる。
僕とスミスは思いがけない大物の登場で驚きを隠せない。どうやら次も厳しい戦いになりそうだ。
「本当は本人も連れてきたかったのだがな。警備を理由に断られたよ」
「王子。申し訳ない。あれの不遜な態度を許していただきたい」
壮年の騎士が謝るが、王子全く気にしていない様子でそれを流した。
「いいさ。彼のような人間もいる。主義主張は人それぞれさ」
どうやら何か一悶着あった様子。
王子相手に不遜な態度とは、一体どんなやつなのだろう。
まあ、この変わった王子ならそう言うこともあるのかも知れない。
「対戦相手の紹介はあくまでついでさ。本当はスミス君に話があったんだよ」
「え!? 俺ですか?」
まさか自分が目的とは思わず、スミスは変な声で驚いた。
確かに昨日、スミスに話しておくことがあると言っていたが。
王子は僕から隣のスミスのへと目を移し、鉄格子に片手をかけた。
「そうだ。君との商談で光るものを感じてね。君をの処遇を考え直すことにした……。スミス、君には商人としての才能がある。私の商業組合で働いてみないか?」
スミスはそんな王子の発言に戸惑いを隠せなかった。
「俺なんかが、商人!?」
「そうだ。君は昨晩、友の危機に咄嗟に動いた。そして、私にも彼にも理のある案を出してくれた。ドーラに痛いところを突かれてしまったが、それに対する最後の口説き文句が素晴らしかった……!」
王子は雄弁に語って聞かせた。確かに、僕もそう思っていた。
以前からスミスは口が回る方だとは思っていたが、あれほどとは、と。
それを聞いてスミスはただ黙って聞いていた。彼自身、どう反応して良いのか分からない様子だった。
「これは君にも利のある話だ。商人として金を稼げば闘技者をするよりも安全に、早く奴隷を脱却できるぞ。ひとまず君には商人としての基本的な教育から受けてもらう。明日にはこの牢を出てもらおう」
確かにスミスにはこれだけの評価を受ける資格がある。
昨日は王子に対して一歩も引かない姿勢を示し、お互いに理のある提案をした。
それもこれも僕のような記憶の無い人間を助けるためだけにだ。
何よりも彼を信頼していた僕も、これには自分の事のように嬉しくなった。
「スミス、やったなぁ!」と、スミスの肩を叩いたが……。
「考えさせてください」
スミスはそう言って俯いてしまう。
僕と王子の表情から困惑の色が出る。
「なぜかね、ここに居るよりもずっと良い環境で稼げるんだぞ!」
スミスは俯きながらも僕の方に顔を向けて答える。
「俺が気にしてるのはそこじゃないです。コイツを放って自分だけ出るなんて納得できないんですよ。このままじゃコイツは3日後には殺されてしまう。何とか力になってやりたいんですよ!」
「スミス……」
こんな記憶の無いだけの男に彼は誠意を尽くしてくれた。時には励まし、鼓舞してくれた。
もう十分過ぎるほど助けられた。
「ふむ。やはり理解できないな。どうしてそこまで彼にこだわるんだい?」
王子は不思議そうな表情になり、スミスに問う。
その問いに、スミスは少し考えてから、ゆっくりと語り出した。
「コイツがここに来る前は、俺はもうどうしようもなくなっていた」
すると、王子がスミスの牢の前に座り込んでスミスの話を黙って聞いた。
昨夜も僕に対して見せた誠意を示す態度である。
「俺は、突然襲ってきた野盗に故郷の村が焼かれ、家族とは奴隷市場で離れ離れ、終いには仕合で殺されかけた。平穏に暮らしていた日常から切り離されて、日々迫りくる死の恐怖に、俺は段々どうでもよくなっていました」
淡々とした口調であったが、スミスの表情に暗い影が落ちていた。
「そんである日、次の仕合で魔法も使わずあっさり殺されようと決意したんです」
僕の前ではいつも明るく振る舞っていた彼の暗い過去の部分。
気にはなっていた僕だったが、ここに囚われているという事実が、わざわざそんなことを聞くのを止めさせてていた。
僕も黙ってスミスの話を聞き続ける。
「そんな中でコイツの存在は本当に救いだった。記憶が無いくせに、俺の事を気遣う優しさに、ねじ曲がっていく俺の心が正されていくような気がした。」
「うん……。でも、それはお互い様だよ」
いつ死ぬかもしれない奴隷剣闘士。そこにかかる心の負担は計り知れない。
僕とスミスはお互いに支え合うことでまともでいられたのだ。
「だからこそさ。コイツには死んで欲しくない。次の仕合でコイツが勝つ為に、今は出来る事をしてやりたいんです!」
「そうか……。よく分かった……。その意思のない者に大切な商品は任せられない。君には期待していたが残念だ……」
王子は本当に残念そうにそう言った。
「待ってください!王子!」
僕は口を挟んだ。黙っていられない。スミスが自分の力で手にしたチャンスをふいにさせるものか。
それに、いずれは僕は脱獄する。
スミスはそれを知らないだけで僕を憂う必要なんかない。
何より僕と脱獄するよりも商人として生きた方が幸せに決まっているではないか!
「王子! 僕が何とかしてスミスを説得します。だから、明日はスミスを連れて行ってください」
「待て! 何勝手に決めてやがる!」
当然のようにスミスが僕に食ってかかる。しかし、今ここで脱獄のことを喋るわけにはいかない。
「スミス、君の気持ちは本当に嬉しいよ! でも、今は君自身のために行動するべきだ。こんなチャンスは2度と無いよ」
「チャンスのために友達裏切れるかよ!」
「裏切りなものか! 僕のせいで君が不幸になるのは嫌なんだよ!」
それは紛れもない僕の本心だった。彼には恩を受けっぱなしだ。
そして、なにも彼に返せていないにも関わらず、これ以上足は引っ張ってしまう。
僕が叫んだところで、王子が間に入る。
「まあまあ。落ち着きたまえ。分かったよ……。君の説得を信じて一晩待とう。明日迎えにくるからその時に答えを聞かせてくれたまえ」
そして王子に僕が答える。
「わかりました。いいね、スミス?」
そしてスミスは複雑な表情で、まだ納得していないようだが、取り敢えずは小さく頷いてくれた。
◇
ーー夜、闘技場内の廊下、王子の自室への帰路ーー
アルド王子は複雑な面持ちでドーラと歩いていた。
ベルサック卿は先ほど宿舎へ向かう道で既に別れていた。
「なぜ、スミスは断ったのだろうか?」
あんなにも優秀な人材が非合理的な判断を下すことは信じられなかった。
少なくとも王子はそう思っていた。
「はあ……。王子にはわからないのですね」
「ドーラには分るのか!? 教えてくれ!」
月光に照らされながら、黒髪のメイド、ドーラはいつもより少し優しい目で王子を見ていた。
「それはあなた自身が気が付かねばなりません。私が教えてしまえば王子のためにはならないです」
ドーラは長年王子に付き従い、時には厳しく、時には優しく彼の成長を見守って来た。
そして、彼女自身も彼と共に成長してきた。
もっとも、厳しさと優しさの割合は9:1であったが。
そんなドーラにとってこんなにも思い悩む王子の姿は珍しかった。
こういう時のドーラは安易に答えを出さない。
「う〜む……。全く分からん……」
「では、せめてヒントは教えて差し上げましょう。それは王子のお師匠様も大切にされている事ですよ」
王子の師匠は国中に名を知られている大商人だ。彼はその大商人に多大な影響を受けていた。
「おお! それなら簡単だ! 答えは“利”だ。師匠はいつも『人は“利”で動く生き物だ』と仰っていた!」
王子は意気揚々に応えるが、すぐに顔が曇る。
「ドーラ。それではスミスが断った理由にならん。明らかに私の話に乗る方が“利”だろう」
「ええ。あなたは大いに間違っていますよ。いい機会なので、しばらくそうして悩んでおいてください」
そう言うと、王子の私室に到着した。
「ドーラ、待ってくれ。このままでは眠れん」
「王子。それではお休みなさい」
ドーラは優しくそう言うと、彼女の自室へ帰っていった。
王子はその後ろ姿を、しばらく見つめ、頭を掻いて部屋に入っていった。
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