第4話 仕合④
戦斧を上段に構えた巨体。
相対するは元勇者。
ローグは両手で戦斧の柄を握り締め、ゆっくりと間合いを詰める。
一歩、また一歩。その巨体が大地を踏みしめる。
一方、元勇者は静止。
死刑執行を待つ老人のように、微動だにしない。
傷付き、血塗れの肉体は限界そのもの。立っている事自体が異常である。
だからこそ観客の誰もが、ローグの勝利を疑わない。
既に勝敗は喫したとも思っている者は多かった。
だが、彼らは知らない。
元勇者の放つ尋常ならざる気迫を。
邪竜にでも睨まれたような底無しの威圧感。
この会場内でローグのみが、小さく冷や汗をかいた。
やがて交わる制空権。
戦斧で仕留められる最適の間合いに入り、ローグは侵攻を停止した。
そして柄を強く握り込み、魔力を練り上げる。
闘技場に旋風が吹き荒ぶ。
砂塵を巻き上げ、鉄格子を叩き、パラパラと無感情な音が鳴るが、歓声にかき消された。
(……化けやがった!)
戦闘においては無類の才能を発揮する彼の第六感。
それが今、全力で危険信号を発していた。だからこそ、簡単に攻め入る事が出来ない。
動かない。二人ともだ。
闘技場で睨み合う両者に観客も騒めき立った。
だが、観客も気が付き始める。
剣闘とは思えぬ、場の重さに。
元勇者を中心に、刺すような緊張感が会場全体へと伝播していく。
再び闘技場に旋風が吹き荒ぶ。
砂塵を巻き上げ、鉄格子を叩き、パラパラと無感情な音が鳴る。
本来聞こえる筈のないその音が、会場に静寂を呼んだ。
高鳴る鼓動。
吹き出る汗。
今、全ての注目は、元勇者へ注がれていた。
「この、闘技場の主役は!! この俺だ!!!」
仕掛けたのはローグだった。
アルド闘技場、チャンピオン。
無敗の男。ローグのプライドが、この場の空気を許さなかった。
彼は全力で戦斧を振り下ろす。
筋力強化を存分に効かせ。
防御魔法を十全に行使し。
俊敏性を目一杯上げる。
魔法によるバフの多重使用。
その結果、彼の戦斧は電光のように捷く、巨岩のように重い。
都合の良い矛盾を孕む、凶刃と化す。
これこそがローグ。
これこそがチャンピオン。
この一撃をもって生き残った者は存在しない。
今まさに、死神の手が元勇者の肩に触れようとしていた。
ーーズガン!!!!!
戦斧は、地面に突き刺さり砂塵を舞い上げる。
避けたのだ。ローグ渾身の一撃を。
元勇者の避ける動作。
それは疾いとか、流麗とか、軽妙とかではなく、ごく普通。
たった一歩、左足を右足の後方へ、移動させただけ。
まるで足元のゴミを払い除けるように単純な動きであった。
電光石火の一撃を躱すには、あまりにも凡庸。
だが、ローグだけは事実に気が付いていた。
(ーーこいつ、俺が動き始めるよりほんの少し先に動いた……未来でも読んだみてえに……!)
目を剥くローグを尻目に、元勇者は止まらない。
肩を抜き、右肘を絞る。
そして足裏で大地を掴み、下半身に力を込めた。
瞬間、後ろ足が地面を蹴り、そのエネルギーは足を伝い、腰で流れ、背骨で加速し肩を開く。
そうして放たれたのは、絶大な威力を纏う右拳。
攻撃直後で無防備な、ローグの前三枚(脇腹の急所)を的確に穿つ。
「ごはっ……!?」
瞬間、未知の衝撃が駆け抜ける。
十全の防御魔法を素通りし、堅牢な筋肉の壁を貫通したそれは、容易く胃の腑へ浸透した。
まるで腹の中がひっくり返ったような激痛に、彼は思わず腹部を抑えて後退しようとする。
だが、元勇者はそれを許さない。
腹を庇い頭が下がったその刹那、今度は左拳が唸りをあげた。
「はああああああああああああーー!!!!!」
めり込むように穿たれる。
場所は人中(鼻の下の急所)。
軽い押圧だけでも、戦意を失わせるには十分な痛みが走る位置。
ローグはそこに渾身の痛撃を受けてしまったのだ。
戦意と思考は遥か天空へ吹き飛んだ。
そして顔面への打撃によって上体がそれる。
腹部最大の急所、水月(みぞおち)が露わになる。
そこへ放つは回し蹴り。
まるでその場所へ吸い寄せられるように、ピタリと射し込んだ。
結果、ローグの思考どころか意識すら刈り取ってしまった。
くの字に曲がる巨体。
ガクガクと震える膝。
地面に崩れ落ちた時には、歓声が舞台を飲み込んでいた。
『勝者ーーーーーー!!!!! 元・勇者ーーーーー!!!!!!!!』
「……っは! え……!?」
当の元勇者は、ここで意識を取り戻す。
自分が何をしでかしたのかも知らず。
観客席最上層。
王族専用観戦テラスに身を乗り出したその男は屈託のない笑みを溢す。
金の髪が優雅に揺れ、気品漂う服装だが、称賛の拍手を送るその仕草は子供のような無邪気さも感じられる。
「いいなぁ〜〜彼!! 私は良い買い物をしたようだ!!」
しかし、その背後に控えた側近の小男が諭すように言う。
「……どうなさるおつもりですか? お父上との約定では彼は……」
本人には全く聴こえていない。
遠くで慌てふためく元勇者に、ひたすら称賛の拍手を送るばかりだ。
見かねた黒髪のメイド立ち上がった。
粛々とした足取りでテラスに近寄り、興奮しきった彼へ声をかける。
「アルド様……シェーンが聞いていますよ。アルド様……! バカ王子!!!!!」
途端にメイドは怒鳴り声を上げ、金髪の男が肩をびくりと震わせる。
「うわ! 何だドーラ、ビックリするじゃないか!」
「何だではありません。側近の進言が耳に入らないとは。この国の王子たる自覚を持ちなさいと常日頃……」
「あーー! 分かった! 分かったから!」
笑顔が途端に苦みを帯びる。
両手を前に出しながら、心底うんざりといった表情だ。
そんな態度にメイドの冷たい視線が突き刺さる。
こちらもうんざりとした呆れた表情だ。
「はあ……もう結構です。それよりも王子、シェーンも心配してます。これからどうなさるおつもりですか?」
「ん? 何がだい!?」
とぼけて首を傾げた王子。そんな彼に、側近の小男が問いただす。
「元勇者の処刑ですよ!! 国王からはその条件で仕合の許可を得ているのでは!?」
「はっはっは!! そうだったな!! いやーー私も予想外だ! まさか勝ってしまうとは!!」
配下の呆れ具合をよそに、アルド王子は豪快に笑い飛ばした。
「ですから、どうされるのですか! このままでは国王との約定を反故にした事になりますよ!」
「そう慌てるな、シェーン。言い訳も方策も考えてある。一先ずは……」
そう言って、金の頭髪をなびかせるアルドは、闘技場へ視線を移す。
そこには、大の字に倒れるローグを唖然とした表情で見つめる元勇者。
「彼次第だな」
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