第11話 母との思い出
ディーバ達が朝食を取っていた頃、静かさを取り戻した部屋で、ジジはミリアの手を握っていた。
ミリアが横になるベッドの淵に、自身の体を預けて見守り続けた。
その時には魘されるような事が無くなっていたが、代わりに何の反応も示さなくなった。
ーーあの時からだいぶ経つ。大丈夫かな。
ジジが心配したのは、このまま目覚めない事だ。
意識を失ってから二十時間は経っている。
前例がないだけに、自分の診断に自信がなくなってくる。
ーーこのままだと衰弱してしまう。どうしようかな。
時折口元に雫を垂らし、水分の補給が出来るようにしてきたが、それ以外は何も口にしていない。
早く目覚めて欲しいと、切に願わざるを得なかった。
そんな願いが届いたのか、ミリアは目を覚ました。
ーーどこだろう。知らない場所だ。
天井の木目を見て、そう思った。
そして右手の温もりを感じる。
顔を動かして確認すると、小柄な女性が手を握っているのが見えた。
ーーこの人は、えっと。そうだ。サリーさんと一緒にいた人だ。
頭部に生える羽を見て、倉庫で泣き崩れていた女性の事を思い出した。
彼女はミリアの手を握り、うたた寝をしているようだ。
握られた手は振り解かず、頭を枕に埋める。
ーーあの後どうなったんだろう。彼は助かったのかな。
倉庫で起きた騒動を思い出そうとするが、力を発動したきり意識が途切れたので、何も浮かばない。
その代わり、先程見た夢を思い出した。
ーーあれは本当だったのだろうか。
光の精霊が母の事を話していた。
だが、明らかに現実の世界ではない光景に、夢で見た空想ではないかと思わせる。
握られて動かせない右手のかわりに、左手で結晶石を手に取る。
ーー変わった様子はないな。
黄色の結晶石は、普段と変わらない様子。
「エルフの女王、か」
光の精霊が指示した内容を、途方に暮れた口調で呟いた。
その言葉を起点として、うたた寝をしていたジジは、顔を上げた。
そして、結晶石を見つめるミリアを見て安堵した。
「良かった。意識が戻ったのね」
その言葉に誘われ、二人は目が合う。
「あの、ここは?」
結晶石を胸元に戻しながらミリアは尋ねた。
「ここは私の部屋。倒れた貴方を休ませる場所がここしかなくて、連れてきてもらったんです」
「そうなんですか」
ーーあの後、倒れたんだ。
記憶が途切れた理由が分かり、ミリアはベッドから上半身を起こした。
「ディーバさんは、その。助かったんですか?」
治癒の能力が上手く出来たのか、自信がなかったので訝しげに聞いた。
「えぇ、貴方のおかげよ!助けてくれて、本当にありがとうございました」
ジジが丁寧にお礼する姿を見て、ミリアは思った。
ーー上手く出来たんだ。良かった。
安堵で肩に入っていた力が抜ける。
「良かったです。私、本当は自信がなくて」
「そうなの?」
「はい。一度も成功したことなんて無くて」
そう言いながら、ミリアは俯く。
失敗を繰り返して来た過去の記憶が蘇ったからだ。
ジジはそんな事情を知らない。
知らないからこそ、素直に感謝を述べた。
「初めて出来たのが今回で良かった。貴方のおかげで、ディーバを救う事が出来ました。改めて、本当にありがとうございました」
「あ、そんな、頭を上げてください」
深々と頭を下げ感謝を伝える彼女に、誰かにお礼を言われる事が慣れていないミリアは、焦ってアタフタしてしまう。
「ミリアさん、そんな慌てなくても。そういえば、体は何ともない?」
「え?えぇ、特に問題はないです。えっと?」
体調は普段と変わらず、痛いところなどもない。
それよりも気になるのは、自分の名前を知っている目の前の女性の事だ。
ディーバ達との関係性も不明だし、何より名前すら知らない。
何と呼んでいいか分からず、彼女の顔を見ていると、ジジは察して自己紹介を始める。
「まだ名乗ってなかったね。私はジジ。ここで薬師として薬を調合しているの」
薬師と聞いて、サリーが話していた人物だろうかと思った。
「もう見られちゃったから隠さないけど、私、鳥族なの。普段は帽子を被ってこの羽を隠しているんだけど、緊急で呼ばれたから、慌てて被り忘れちゃって」
彼女は頭部の羽を指差しながら、そう言った。
「鳥族、なんですか?」
鳥族といえば、絶滅してしまった種族のはずだ。
長年魔族に狙われ続け、種は途絶えてしまったと聞く。
だが目の前の女性は、確かに鳥族と言った。
「そう。でも、この事は秘密にしておいて貰えますか?」
ジジは唐突にお願いした。
その情報は、自らの命に関わるからだ。
「え、えぇ。誰にも言いません」
「お願いね」
ミリアは素直に了承した。
本当は鳥族について色々聞きたかったのだが、彼女の眼に宿る強い圧の様なものに気圧された。
ふと、窓を見る。
射し込む光具合から、お昼頃だと予想は出来るが、あの時は雨が降っていたはず。
おそらく日付が変わっている事は理解できる。
「どれくらい時間が経ったんですか?」
「意識が無くなったのが、昨日の午後三時位だったかな?今がお昼前だから、大体一日くらいね。治癒の能力を使った反動で、体力を大幅に削られたんだと思うけど、その辺りの詳しい仕組みってどうなっているの?」
ミリアは質問の答えに困った。
能力の発言ばかりに捉われていて、代償の事など聞いていなかったからだ。
「分からないです。聞いた事がないので」
「そっか。まぁ、死にかけた人を癒すんだから、その代償が大きいのかもしれないわね」
「そうですね」
言われてみれば、納得のいく内容だ。
強力な能力なのだから、代償が必要なのは当然だろう。
それが体力の枯渇で済むのであれば、まだマシな方だ。
世の中には命と引き換えに発動する恐ろしい能力もあるのだから。
治癒の能力について学ぶ事が出来たが、同時に恐ろしさも学んだ。
ーー簡単に使っていい能力じゃなかったんだ。
彼女がそう思うのも、無理はないだろう。
母親と死に別れた当時、彼女は八歳と幼かった。
その為、治癒能力について母から詳しく聞いた事が無く、能力の概要しか知らなかった。
能力を開花させようとした連中も、発動させる事に固執していた為、そんな事は教えられなかった。
もし使う場所を間違えれば、格好の餌食となるだろう。
たが使えるようになったと実感する。
それと同時に夢だと思っていた光の精霊との会話が、本当の事の様に思えてくる。
ーー魔族に命を狙われるって言ってた。エルフの女王に会いに行かなきゃ。でも、どうやって。
そんな事を考え、ミリアは押し黙っていた。
「大丈夫?何処か体調が悪い?」
急に黙り込むミリアを心配して、ジジは声を掛けた。
何やら思い詰めた表情をするから余計に心配になった。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて。大丈夫ですよ!」
彼女の言葉にハッとし、心配させないようにミリアは笑顔を見せた。
ーー今は考えても仕方ないか。まずはお金を貯めて、クレスタに戻る所から始めないと。
エルフの国は、クレスタの隣国だ。
そこに向かう為には、まずクレスタに戻らなければならない。
ミリアは当面の目標を、クレスタへ帰ることに定めた。
そこでふと、部屋の中にクロノの姿が見えない事に気付く。
ーーあれ、そういえばクロノは?どこ行ったんだろう。
その疑問をジジへぶつける。
「あの、黒髪の小さい男の子知りませんか?クロノって名前なんですけど」
ジジは思い出し笑いをする。
ディーバに強制連行されたクロノの顔が浮かんだからだ。
「フフッ。クロノちゃんなら、ディーバと一緒にご飯を食べに行ったよ!なんか、無理矢理連れて行かれた感が強かったけどね!」
「そうなんですか」
「ディーバに関わると、いっつもあんな感じになるんだから」
クロノが強引に連れて行かれる姿が容易に想像でき、ミリアは可笑しくて笑った。
ーーおい、行くぞ。みたいな感じかな。あの人がついているなら、心配いらないか。
ミリアは安堵すると、ジジが『薬師』と言っていた事を思い出す。
ーーそういえばあの薬、ジジさんが作ってくれた物なのかな?そうならお礼を言わないと。
念の為、確かめる様に話を切り出す。
「あの、背中の傷に薬を塗って貰っていたんですが、アレはジジさんが作ってくれた物ですか?」
「ん?」
ジジは一間開けると、思い出した様に答えた。
「あぁ!ディーバがこの前持って行ったやつかな?なんか急にきて、『オイ、これ傷薬だろ?一個持ってくぜ』って、勝手に持って行っちゃうんだから!人助けだと思ったから見逃してあげたけど、多分ソレの事かな?」
「そうだったんですね。あの薬、凄い効き目で驚きました。あのおかげで、無事に回復する事が出来たんです。私にとって、ジジさんは命の恩人ですね」
「ややや!そんな。なんか、命の恩人に『命の恩人』って言われたら、ややこしいなぁ!」
そう言ってジジは照れた。
会話の途切れを見て、ミリアは自己紹介をした。
名前を知っているようだが、命の恩人に対して、真摯に挨拶がしたかったからだ。
「私の自己紹介がまだでしたね。私はミリア・グランデールと言います。助けて頂き、ありがとうございました」
「グランデール?」
ミリアの名前を聞いて、ジジは記憶を引っ張り出していた。
そして訝しげに、ある人物の名前を口にする。
「ちょっと聞きたいんだけど、リディア・グランデールさんって知ってる?」
唐突に出た母の名前。
ミリアは両方の眉が上がる程驚いた。
「私の母ですが。どうして?」
ジジは飛び上がる様に驚いた。
「お母様なの!?私、ミリアさんのお母様に助けていただいた事があるの!大怪我をして意識が無かったから、私は何も覚えてないんだけど、リディア様が怪我を治してくれたって!」
ジジは興奮気味に話す。
その興奮は収まる事がなく、言葉が次々と出てくる。
「何かの運命なのかしら?リディア様は亡くなられたと聞いて、もう恩返しが出来ないと思っていたの!そうだ!これからは『ミリア様』と呼ばせていただきます!」
「そ、それは」
敬称で呼ばれても、対応に困ってしまう。
なんとか説得して、敬称をつけるのはやめてもらう事ができたが、ジジの興奮は覚めることがない。
「あの時は、キシムとディーバもいて。あ!そうだ!キシムにも教えてあげなきゃ!」
そう言うと、パタパタと駆け足で部屋を出て行った。
一人になった部屋で、ミリアは母の事を想う。
ーーお母さんと、こんな形で繋がるなんて。いろんな人を助けていたんだね。
そして記憶の引き出しから、母と一緒に出掛けた時の思い出を取り出した。
ミリアの母親リディア・グランデールは、国からの命を受けて、クレスタ国内を回っていた。
『癒しの導き手』は、傷付いた人々を癒していくのが仕事。
母親のリディアは、誇りを持って責務を全うしていた。
それにより彼女は、広い国を転々とする事が多く、家を空ける事が多かった。
ミリアにはソレが寂しく、無理を言って母についていった事があった。
母と一緒に鳥車に揺られて、依頼された街に着くと、大いに歓迎される。
皆が喜んでいるのを見て、ミリアは母が誇らし思った。
母が治癒能力を使って傷を癒すと、皆が感謝する。
その姿を見て、母に尊敬と憧れを抱いた。
今思うと、能力を使った後は体力的に疲弊していたはずなのに、母は疲れたそぶりを見せず、笑顔を絶やさない人だった。
とても優しく、慈母に溢れた人。
そんな人だった。
その後も度々、母の仕事に同行した。
それが許されたのも、次期『癒しの導き手』として期待されていたからだろう。
何度目かの同行だったのか覚えていないが、獣人の国バネーゼにも、母と訪れた事があった。
どんな用件で訪れていたのか、幼かったこともあり覚えていない。
だが、今でも克明に覚えているのは、人間と違う容姿をする獣人達が怖くて、怯えていた事だ。
そんな中、母が言った言葉が印象的だった。
「外見は違うけど、私達人間より優しい心を持っている人が多いのよ。大丈夫だからミリア。怖がらなくていいのよ」
その言葉を聞いてから、獣人に対してのイメージが変わったのを覚えている。
母が獣人達に、人間と同じように接しているのを見ていた。
そんな母の気持ちに応え、獣人達も優しく接していた。
だからこそ、母の周りは笑顔が絶えることがなかった。
ーー素敵な人だったな。
母の笑顔を思い出し、逢いたくなった。
ーーそういえば。
母の思い出の中に獣人と話している場面があった。
その獣人には、背中に大きな翼が生えていた。
翼には艶があり、美しかったのを覚えている。
なぜ、その光景が浮かんだのか。
ジジの容姿に、共通点が有ったからだ。
母が話す獣人の頭部には、ジジと同様、翼の様な羽が生えていた。
ーー同じ種族なのかしら。でも、ジジさんの背中には、翼が生えているように見えなかったけど。
確認の為に彼女の背中を見るが、翼は無いようだ。
服に隠れている様な、おかしな膨らみも無い。
ーー前に読んだ本に書かれていたけど、鳥族は空を飛べるのよね。彼女も飛べるのかしら。
そんな考えを巡らしていると、部屋の外の廊下を歩く二人分の足音が近づいてくる。
コンコン。
ドアを開け入って来たのは、ジジとキシムだった。
「意識が戻って良かった。具合はどうです?」
そう話すキシムは、ミリアの無事を喜び微笑んでいる。
「ご心配をおかけしました。体は大丈夫そうです」
ミリアが答えると、彼は深々と頭を下げる。
「幼なじみを助けて頂き、ありがとうございます。本当に感謝しております」
「え?あ、あの、頭を上げてください!」
ミリアは謙遜でアタフタしながら、頭を上げる様にお願いした。
彼は頭を上げると、リディアとの関係を話し出す。
「ジジから聞きました。リディア様の娘さんだったのですね。リディア様には、私とジジ、そしてディーバの命を救って頂いたことがあるのです」
「本当なんですか?」
「はい、あの時は大したお礼も出来ずに別れてしまって。いつか恩返しをしたい、と心に誓っていました。それが二度も助けていただく事になり、感謝の言葉がいくつあっても足りないです」
そう話すキシムの瞳は、感謝の気持ちで少し潤んだ。
「リディア様が亡くなられたと知らせを聞いた時、救って頂いた恩を返すことが出来ないと思いました」
彼は悔やむように言うと、真摯な瞳をミリアへ向けた。
「私に出来る事なら、何でも仰って下さい」
「私も!命を救って貰ったからね。何でも言って!」
ジジも同意するように、そう言った。
「えっと。えっとですね」
二人の圧力に押され、オロオロしながら困惑していると、ジジが提案をしてくれる。
「急に言われても混乱しちゃうわよね!何か困った事があったら頼ってね?そうしよ!」
「は、はい!」
ミリアはホッとした。
誰かが何かをしてくれる事など、あまり経験がなく、どうしたらいいのか分からなかったからだ。
ーージジさんが助け舟を出してくれてよかった。
そう安堵していたが、キシムは納得のいってない様子で眉を下げた。
「ふむ」
積もり積もった想いが、行動しなければ解消されないのだろう。
彼に、そこまで想わせるような出来事。
何があったのか興味が湧き、キシムに質問をした。
「キシムさん。母が三人の命を救ったと言ってましたが、何があったんですか?」
その質問に、キシムは思い出すように遠くを見つめた。
ジジは思い出したく無いのか、先程までの明るい様子が消える。
そして重い蓋を開けるように、キシムは口を開いた。
「あれは」
話を切り出す彼の顔は、悲しそうに映った。
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