鮎と予言と子安貝 貨幣の価値を伝導する性なる巫女の物語

不燃ごみ

第1話 皇女


 神音は当麻国王の第一皇女である。愛らしい形のよい耳とうっすらと蒼い瞳をもち、形よい眉をしている。だたし、夜になるとひどい歯軋りをして眠る。


 神音の父親である当麻国王にはこれが不安でたまらない。なぜ娘が夜中にそのような無粋な音を一晩中奏でるのだろうか。これでは

新郎が初夜の後で神音と添い遂げることを翻意するのではないかと。といっても神音に許婚がいるわけではない。神音はまだ四歳の幼児といってよい年頃の娘なのだから。王はただ愛娘の将来を心配しただけである。



そこで当麻国王は神音を神官の老人のところに連れて行った。神官の屋形は王の屋形と同じく木造で出来た巨大な高床式の住居である。地面から離れている為に湿気から免れて、快適に暮らせる。食べ物も長く保てるし、疫病にも罹りにくい。神官の家は王家と先祖を同じくしており、王家の一部ともいえる高貴な家柄である。


「王よ、姫をつれて如何しました」と神官の老人は怪訝な顔をして王を迎えた。早朝の突然の王の来訪に明らかに戸惑いの表情を浮かべている。


「姫が夜になると不快な歯軋りをする。侍女が申すことじゃで、放っておいたが、三度も言われれば無視もできん」と王は生真面目な表情で来訪の理由を告げた。


そして姫を置いてさっさと自分の館に戻っていった。政務で忙しいのだ。


「姫よ、何か悩みごとでもあるのでしょうか」と神官は眠い目をこすりながら、神音姫の幼い顔を覗き込んだ。


「毎晩恐ろしい夢をみるのじゃ」と神音は可愛らしい唇を、空気の薄いところでパクパクさせる魚のように運動させて言葉を発した。神官はしばらくぼんやりとその唇の動きを眺めていた。



「どんな夢を見るのです」と老人は礼儀として聞いたが、内心あまり興味はなかった。王の大事な姫の話とはいえ、彼にも他にやることが山積している。外交、内政、神職、占い、医療、農業、裁判と王が老人に頼ってくるので、彼が差配せねばならないことが多過ぎた。子供の悩みなど煩わしいばかりであった。


「我が一族が巨大な貝に食べられる夢じゃ、父上も母上も弟も」と姫は

眉間にわずかばかりの皺を寄せて深刻な顔で言ってのけた。神官の老人は少し困った顔で娘を眺めていたが


「我が国は海から遠い山国じゃ。そのような貝の化け物なぞに誰も食われませぬ」と疎ましげに言った。早く山積する政務に取り掛かりたかったのである。


「あ、こ、この貝じゃああああ」と彼女は老人の足元に転がる貝殻を見つけて引き攣った顔をした。まるで白昼で幽霊でも見たかのように蒼白な顔でぶるぶる震えている。


「ええ、これは子安貝といって南方の海でとれるまことに目出度き貝です。豊穣をもたらすと言われております」と老人は愛しげにその白い滑らかな貝殻の表面を撫でて見せた。


「この貝が夜な夜なわらわの夢のなかで山のように大きくなって、父上や母上、弟をすべて飲み込むのじゃ」そういって姫は泡をふいて失神した。老人は慌てて、医師を呼びに走った。


姫が倒れる三月前の話……


当麻国に子安貝を銭として使うように勧めてきたのは、隣国の崇美国の王であった。両国の王家は婚姻を何度も行い、戦にも協力してきた言わば兄弟国のような間柄であった。崇美国は最近遠い南の国から子安貝を、米や山の獣の皮と交換するようになった。何故そのような食べられもせぬ、貝殻とそのような貴重なものと交換するのか当麻国王には分からなかったし、最初は興味もなかった。


「この貝は国を豊かにする魔法の道具よ」と崇美国王は当麻国王に熱のこもった口調で語りかけてきた。それは両国が秋の収穫を共同で祝う祭りでの出来事だった。当然、二人の王の前では国中から選ばれた美しい娘たちが神に捧げる神楽を舞っており、食膳には普段は目にしない幾種類もの川魚焼き物や貴重な山の山菜などと酒があった。


「何故このようなちっぽけな物で国が豊かになる?」と当麻国王は不審げに聞いた。酒をあたかも水のように飲むその武人の肉体はわずかに前後に揺れていた。


「例えばこの貝一つで米が両手一杯、山鳥なら一羽、鮎や山女などの小さい川魚なら一匹と交換できるとしよう」と崇美国王が賢しらに説明を始める。


「ふむ、それで」と当麻国王は相槌をうつ。幼い頃から虚心に他人の言うことを聞くことが、長の仕事だと教わってきた。


「貴公が、ある日沢に行って鮎を途方もなく多く釣りあげたとしたらどうするかね?」


「自分や家族で、それを飽きるほど食うだろうな」と当麻国王は思わずつまらなさそうに言った。 当たり前過ぎることを大げさに語られるのが不快だったからである。


「そうだ、しかし食べきれぬ程の量であったらどうする?」


「捨てるのが惜しいから、親族や近所の者にでもやるだろうな」と面倒くさそうに当麻国王は言い放った。


「そうじゃ。鮎は貯蔵できんので、ほっておけば腐る。それなら誰かにくれてやる方がいいだろう」と崇美国王は上機嫌で鮎の焼き物を頬張りながら言った。


「うむ」何を当たり前のことをと、当麻国王の酔眼が笑う。


「しかし、もしその鮎を永遠に腐らせずに自分の物にすることが出来ればどうじゃ?」と崇美国王はニタニタ笑いながら言った。


「そんなことは不可能じゃ」聞いていて馬鹿馬鹿しかった。


「それを可能にするのが、この貝殻じゃ」と崇美国王が勝ち誇るように言った。


「どうやって?」と憫笑しながら当麻国王は言った。


「市場で鮎と貝殻を交換するのじゃ。そうして鮎が食いたくなればその貝殻をもってまた市場に行けばよい。そうすれば誰かから買って鮎は再び手に入る。すなわち永遠に鮎を腐らせずに持っているのと同じことじゃ」と崇美国王は一気呵成に言ってのけた。


「しかし、市場に行って鮎を売る者がいなければどうするのかね」と当麻国王は顎髭を撫でながら質問した。 強い興味を覚えたときの癖である。


「その通り。だから市場は大きければ大きいほどよい。そうすれば鮎を売る者が一日一人は見つかるようになる」と崇美国は妖しい熱狂をその小さな目に宿らせてクスクス笑いながら言った。


「簡単に言うが、市を大きくするのは口で言うほど容易ではないぞ」と当麻国王は言った。


「だが銭の力を使えばそれが可能だ」と崇美国王は陽気な声で言ってのけた。


「そんな簡単に上手くいくかのう」と当麻国王は太い腕を組んで唸るように言った。半信半疑なのである。


 当麻国王は銭の話を国に帰ると、早速神官の老人にそのことを話した。神官は行政の長官も兼ねていたのである。


「”銭”でございますな。海辺の鮫島国などの大国でそれを使用するは常識であるとか」と老人は自分の知識を誇示するように重々しく発言する。老人は一族の中で唯一海辺の大国の鮫川国に若い頃に学問をしに行ったことがあり、そこでの体験を始終ひけらかして周囲の顰蹙を買っていた。しかし、当麻国王は老人の知識をその癖のある人格に関わらず尊重し、むしろ積極的に重用していた。


「何、それはまことか」と王は素直に驚いてみせる。この素直さが、偏屈な老人を饒舌にし、知識を吐き出させる。 いつものことであった。


「王は立派な戦人ではありますが、政(まつりごと)の仕組みには本当に疎い疎い」と老人はやれやれという風情でさも大儀そうに言った。 こういった癖が敵を作ることを本人はまるで自覚がない。


「ふむ、戦は我が担い、政(まつりごと)はそちが行うのだ」と王は老人の非礼に頓着せずに鷹揚に言ってのけた。


「有難き、お言葉」と神官は満足そうな微笑を浮かべる。


 王と神官が”銭”の話をしている頃に、前述の通り神音は恐ろしい夢を見るようになった。一族が子安貝の化け物に飲み込まれる夢。神官の老人に話しても全くとりあってもらえなかったので、神音は弟の殿馬(とのま)にその恐ろしい夢の話をした。


「そんな貝殻に恐ろしい力があるかのう」と殿馬(とのま)は半信半疑で言った。姉の根拠のない予感が、不思議と当たることは度々目撃してきた彼であったが、貝殻が“一族を飲み込む”というのはどうも想像ができない。荒唐無稽としかいいようがない。


「神が何かを警告しておるのじゃ」と神音は切迫した顔で弟に強く迫った。


「俺にはよう分からん」と少年は、ため息をつく。姉がいくら興奮しても、子供の自分たちに何ができるのかと思った。


「早く何かせないと一族がみな死ぬ」と姉はまだ言っている。


「それならこっそり、砕いてやるか」と皇子は思いつきで言ってみた。


「うむ」と神音は、彼らの父親がするように重々しくうなずいた。弟は深いため息をついて、頭を左右に振った。


二人は夜遅くに神官の老人の屋敷に忍び込んだが、朝方まで探しても貝殻は見つからなかった。最後にその家の奴婢に見つかり追い出されてしまった。神官の老人はそれを奴婢から聞いても、子供の仕業とあって、王に訴えることはしなかった。



 王と神官が王国内の村長たちを集めて子安貝を”銭”として紹介した時は、大変だった。みな“銭”の意味が全く分からなかったから。 王がまた新たな税をとろうとしているのだと、皆が一揆の相談をする始末。


「なんで俺たちが丹精こめて作った米をこんなちっぽけな物と交換するのでございますか」と東の国境付近の村長が子安貝を指さして言った。


「何故ならそれが”銭”だからだ」と王は大声で叫ぶ。大声で言えば皆が納得するとでも思っているかのように。しかし王の意に反して村長たちは意味が分からずお互いの顔を見つめる。


「そもそも“銭”とはなんでございますか」と今度は若い別の村長の一人が叫んだ。


「銭とは便利なものだ。これがあれ


ば、鮎を永遠に腐らせずに貯蔵できるのだ」と王が陽気な声で高らかに歌うように言った。村長たちの困惑は更に大きくなっていった。


「何故この貝殻で鮎を腐らせずにおけるのですか?」と最初に質問した村長がたまらず言った。


「貝殻を物と物を交換する”間にいるもの”と決めるのじゃ。貝殻一つで米が両手一杯、山鳥なら一羽、川魚なら一匹と交換できると決める。その媒介の道具が“銭”じゃ」と神官の老人が厳かに言った。自分の説明に少し酔いしれている。


「それを法で決めるのですか」


「そうじゃ、貝殻と何をどれだけと交換するかを法で決める。そうすれば、釣りで余った鮎を貝殻と交換しておけば、いつでもまた貝殻を使って鮎を買い戻せるのじゃ」と神官の老人が言った。


「貝殻より、米のほうが良いのではないですか。今までもそうしてきたし」と、それまで黙って話を聞いていた西の村長が言った。


「米ではいつか、腐るではないか。貝殻は腐らん。大きな物を買うのに大量の米を運ぶのは重くて不便だ」と神官の老人は顔をしかめて言った。村長たちの遅鈍な脳みそに杖で鉄槌を加えたくなる右手を押さえるのに難儀していた。


「しかし、なあ」と村長たちは顔を見合わせて困惑の様子だった。どうも銭の魅力は伝わらないようで、王と神官は失望し、疲れ果ててだんだんどうでもよくなる。

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