受容
夕日に赤く色づいたグラウンドを野球のユニフォーム姿の少年たちが歩いていく。ユニフォームは泥だらけだ。一日の練習を終えた彼らからは、どこか弛緩した空気が漂っている。
グラウンドの端に座るぼくのことを気にもとめず、ふざけあいながら歩いていく。
ブリーチの保管庫から穢れが漏れ出して二週間。
事件について、ぼくは何のお咎めも受けなかった。事件は外部からの不正アクセスという線で進んでいたから、内部の人間であるぼくに捜査の手が伸びることはなかった。ロイはぼくが使ったサロゲート用のオペレーション装置を、不正アクセスの起点ではなく、中継点に見えるように偽装工作をしたと言っていた。うまくいけば内部からのアクセスではなく、どこか遠い知らない国で敵の手に渡ったサロゲートを通じた不正アクセスだと勘違いさせることができるだろうと。捜査はロイのもくろみ通りに進み、ブリーチ社内で立ち上がった捜査チームはカンダタを使ってありもしない問題のサロゲートを特定しようと試み、何かと批判の多いサロゲートのシステムは脆弱なセキュリティというレッテルを貼られることになった。
保管庫から漏れ出した穢れは、純白に近づきつつあったピュアネットを再び穢した。元の状態に戻るには、さらに十数年の時間が必要だろうと言われていた。公にはなっていないが、ロイたちが稼働率を落としているということで、実際にはそれ以上の時間がかかるかもしれない。それぐらいの時間があれば、人々の心が再び穢れるのには十分だろう。そして共感も取り戻せるはずだ。群衆心理モデルもしばらくは使えなくなるというのがロイの見立てだった。
ぼくはといえば、そのままブリーチに居座ることもできたが、カンダタのオペレーションスキルを買われて捜査チームへの参加を要請されたときに、退職を申し出た。
ぼくの退職届を見た坂上は驚きの表情を浮かべていった。
「お前の能力はこれから必要になるはずなんだけどな」
「監視官の仕事が辛くなってしまって」
「仕事を楽しんでいるかどうかは別として、水城には穢れに対して尋常じゃない執着を感じていたが。監視官をやめたらもう関われなくなるんだぞ」
それはぼくを引き留めるような物言いではなくて、確認し諭すような口調だった。ぼくは何も答えず、坂上をじっと見返した。坂上は息を吐いて言った。
「前に、水城に言ったことを覚えているか? 才能のある人間は、自分の信念と一致していなくても、中途半端に仕事ができるもんだから、取り返しのつかないところまで仕事を続けて、やがて潰れるという話」
ぼくはうなずく。
「水城は何かを見つけたみたいだな」
ブリーチを辞めたところでこれといってすることもないぼくは里帰りをしていた。
夕方になると実家を出て、母校の小学校まで散歩をするのがこの数日の日課だった。
騒動の後で、ぼくはアリスと一緒に颯太の墓に手を合わせに行った。穢れを取り戻したアリスの眼には涙が浮かんでいるように見えた。
校舎の裏側に回る。日陰になっていてヒヤリとした空気が身体を包む。グラウンドで西日に当たり火照った身体には気持ちよかった。
いつもなら誰もいない時間なのに、今日は人がいた。
その人影に心当たりがある。過去の記憶とは多少違うけれど、面影がある。
「愛梨?」
ぼくは声をかける。
「覚えている? ハルだよ」
そう言いながら、ぼくは愛梨に近づく。愛梨がうなずく。目には涙が浮かんでいたけれど、目元は優しく微笑んでいた。
愛梨に会えたことが嬉しくて、思わず愛梨に手を伸ばした。そしてそのまま抱きしめた。
愛梨の身体は、あの屋上での出来事のときのように震えている。けれど、振りほどくようなことはしなかった。
あのとき愛梨は、ぼくが怖くて震えていたわけではなかったのだろう。
それなのに、ぼくはその身体を離してしまった。自分の穢れと一緒に、愛梨の穢れも突き放した。愛梨の過去を否定した。
あの屋上のときと同じように、ぼくの中で穢れが頭をもたげるのがわかる。
けれど愛梨を離さない。穢れをなくすことはできないから。
愛梨がぼくの背中に手を回す。
ぼくらはしばらく抱き合っていた。
やがて愛梨の震えがおさまった。
——終
Cide Story|サイドストーリー 伊達 慧 @SubtleDate
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