Cide Story|サイドストーリー

伊達 慧

Act.1

父の葬式

 二〇三八年の夏、父が死んだ。ぼくが七歳のときだった。

 二十世紀から続く医療の進歩のおかげで平均寿命はのび続けていたけれど、それはあくまで平均の話でしかなかった。父の場合は医療の神様に見捨てられていたようで、若いころから病気がちだったという。入退院を繰り返し、医者から今夜が山だと言われたことも何度かあったと聞いている。

 そんな父の死だったから、家族はあるていどの心の準備ができていた。取り乱すことなく淡々と、父の死後の手続きを済ませていった。父の死によってショックを受けていたのは、ぼくよりもむしろ小学校の同級生や先生のほうだ。

 ぼくらの世代で、ぼくのように小学校に入って間もなく、父はおろか、祖父母を含めた肉親を亡くす人間はなかなかいない。平均寿命はすでに百歳近くになっていたから、曾祖父母が元気に生きているという同級生も少なくなかった。

 普通の人間が経験しない悲しい体験というのは、周りの同情を集めるものだ。

 父の葬式を済ませてから初めて登校した日、担任の先生がぼくを呼び出した。

「あなたのお父さんは、きっとどこかから、あなたを見守ってくれているはずよ」

 彼女はそう言ってぼくを励ました。まっすぐにぼくを捉えた先生の眼はうるんで揺れていた。なぜ先生の目に涙が浮かんでいるのか、ぼくにはわからなかった。

 なぜ父の死が、赤の他人であるはずの先生を悲しませるのか、その頃のぼくには理解できなかった。

 身内であるぼくでさえ、それほど悲しくはなかったというのに。


 父の葬式で思い出すのは華やかな死者の世界だ。

 死者の世界は菊や百合の花に囲まれて、白や黄色や桃色に彩られていた。その中心には、父の遺影と棺があった。遺影の中の父は淡く微笑んでいる。冷たくなった父の身体は、数日前まで病院のベッドの上で苦悶の表情を浮かべていたのが嘘のように、棺の中で安らかな表情で横たわっている。

 死者の世界に比べたら、生者の世界は質素で暗い。流れるお経は無機質で淀みなく、参列者はみな黒い服に身を包んで、同じように哀しげな表情を浮かべて、同じ動きをして、父に焼香をしていった。

 みんなが同じような格好をして同じような動作をするものだから、機械仕掛けの人形のように感じたのを覚えている。

「怖い」

「何?」

 隣に座っていたロイが、厳かな葬儀の雰囲気を壊さないように、空気が漏れるような小さな声で言った。

 ロイは長年病気がちだった父の身の回りの世話をするためにやってきたアンドロイドだった。父の介護のあいまにぼくの遊び相手にもなってくれて、ほとんど家族の一員のようなものだった。ぼくにとって、遅れてやってきた兄のような存在だった。

「何が怖いの?」

 ぼくは焼香をする人たちを指した。

「みんな同じ格好、同じ動き。ロボットとか、ゾンビみたい」

 考えるような間を置いてから「そうだね」とロイは言った。相変わらず小さな声で続ける。

「最初にこの風習を作った人は、どんな気持ちや魂を入れたんだろう。ぼくらはその想いを受け継げているのかな」

 ロイの隣に座っていた父方の伯母が立ち上がって、焼香をするために前のほうへ歩いて行った。

「そろそろ、ぼくらの番だね」

「何をすればいいの?」

 ぼくにとって葬式に参加するのは初めての経験で、そこで必要とされる風習を何一つ知らなかった。

「ぼくの後についてきて。ぼくの動作をよく見て、マネをすればいい」

「マネするだけでいいの?」

 ロイは安心させるようにぼくに微笑んだ。

「マネするだけでいい。少なくとも今は」

 その微笑みはどこか哀しげだった。

 ロイに言われた通り、ぼくはロイのマネをした。

 小鉢から、細かく砕かれた木片を一摘みして、額の高さまで掲げた。それから摘んだ木片を、燃えた炭の入った小鉢に、パラパラと落とした。炭が一瞬、赤く輝いた。

 焼香を終え、自分の席に戻りながら、ぼくは思った。

 今の動作にはいったいどんな意味があったのだろう。

 

 父の棺が火葬場へと出発する直前、母は棺の中に入れなさいと、ぼくに十円玉を渡した。棺は七歳のぼくにとって高い位置にあったから、名前も覚えていない親戚のおじさんがぼくを抱え上げてくれた。

 棺の木の質感と、手に握った十円玉。

 その二つから連想したのは神社のお賽銭だった。

 だからぼくは神社で願い事をするように、棺の中に十円玉を投げ入れた。

 ぺしっという音がして、十円玉は父の顔に当たってはねた。

 それを見た母は、ぼくを叱った。

 今でこそ、それがどれほど死者に対して礼儀を欠いた、罰当たりな行為であるのかはわかるけれど、当時のぼくにはなぜ叱られたのかわからなかった。

 何せぼくが人の死に触れるのはそのときが初めてで、葬式に出るのも初めてだ。手渡された十円玉は優しくそっと棺の中に収めるべきだということなんて知るはずがなかった。その十円玉に込められた意味さえ知らない。ぼくが十円玉をお賽銭と結びつける前に、母は説明するべきだったのだと今でも思う。父を亡くした母に、そこまで気を遣う余裕はなかったかもしれないが。


 父の身体は豪華な霊柩車に乗せられ、ぼくらは質素な貸し切りバスで火葬場まで向かった。ぼくの隣にはロイが座った。

「さっきの十円、何だったの?」

 母に叱られたことが納得できなかったぼくは、火葬場へ向かうバスの車内でロイに訊ねた。ロイは物知りだった。何でも答えてくれて、理解しやすいように噛み砕いて説明してくれた。

 でもこのときはいつもと様子が違った。顔はぼくのほうに向けていたけれど、ぼくの目を見てはいなかった。

 心ここにあらず。

 アンドロイドであるロイに、もともと心があるかどうかはわからないけれど、まさしくロイの様子はそんな感じだった。それでもロイは、ぼくの質問に答えた。

「六文銭」

 そして黙りこんでしまった。

 いつものロイならぼくの疑問に答えたあとで、さらにぼくのわからなそうな言葉があれば、訊かずとも丁寧に説明してくれるはずだった。

 この場合なら例えば、

「お父さんが三途の川を渡るときに、船の船頭に渡す駄賃だよ。三途の川っていうのは、生きている人間の世界と死んでいる人間の世界の間を流れている川のことだよ。死んだ人はその川を渡って死者の世界に行く。泳いで渡るにはその川は大きすぎるから船に乗らなければいけない。その船を運転する人が船頭。駄賃っていうのは、電車とかバスに乗るときに払うお金のことだよ」

 と説明してくれたはずで、ぼくもそのとき、それを期待していた。

 でもこのときのロイは、黙ったままだった。


 父の火葬にかかった時間は、一時間ほどだったと思う。

 その間、葬儀の参列者は火葬場の待合室で待っていた。

 大人たちは待合室で、久しぶりに再会したお互いの身の上話や、葬儀に参加しなかった親族のうわさ話などをして時間を潰していたけれど、子どものぼくにはそんな話をする相手もいなかった。ロイはいつの間にか姿を消していて、遊び相手のいないぼくは退屈していた。

 一時間という時間は大人にとっては短い時間だけれど、子どもにとっては一日のように長い時間だ。退屈さに耐えきれず、大人たちが談笑する中をくぐり抜けて火葬場の待合室を出た。

 炉の入口が四つ並ぶホールへ行った。どの炉も同じデザインだったから、父がどの扉の向こうにいるのか、ぼくにはすでにわからなくなっていた。真ん中の二つのどちらかだったと思うが、自信はなかった。

 大理石の壁が冷たく光を反射していた。この壁の向こうで人の身体が燃やされているなんて想像ができないほど静かだった。

 ホールを抜けてガラス張りの正面入口へ行った。入口のガラスの向こう、建物の外にロイの姿があった。身体を火葬場の建物のほうへ向け、視線は空を見上げていた。

 良い話し相手を見つけた。そう思ってぼくは外に出た。火葬場の入口の扉を開けると、真夏の熱い空気が身体にまとわりついてきた。

「何を見ているの?」

 ぼくはロイに近づいて訊いた。

「煙、見えないね」

 ロイの視線はぼくに向かず、空を見上げたままだった。

 ロイの視線の先へ目を向けた。そこには火葬場から伸びる煙突があったけれど、ロイの言うように煙は見えなかった。その煙突の下で、ぼくの父親の身体が燃やされているはずだったのに。

「本当だね」

「実際は煙が出ているんだけど、見えなくなるように処理してから、外に出しているんだって」

「どうして?」

 ぼくの問いかけに、ロイは少し悩んでから答えた。

「煙なんか誰も見たくないからかな。それが人間の体を焼いた煙ともなればなおさら」その声音はどこか悲しげだった。「見えないけど煙は出ている。無色無臭になるように、様々な機械や技術を使っている。けれど、そうやって覆い隠したとしても、煙がそこにあることは事実なんだ。透明な煙と一緒に魂も、天に昇っていく」

 ぼくのほうを見ずに言葉をつむぐロイの姿を見てこれはぼくの知っているロイではないのではないかと不安になった。

「ロイ、どうしたの?」

 ロイは煙突を見上げながら、軽く首を振った。

「何でもない」

 ロイの表情があまりにも悲しげで、ぼくは思わず訊いてしまう。

「ロイ、泣いているの?」

 ロイはアンドロイドだ。泣くわけがない。泣けるわけがない。

 人間を模倣すべく、セレンディップはアンドロイドを造った。けれど、そんなアンドロイドの創造主も、アンドロイドに涙腺をつける意味を見いだせなかった。だから、アンドロイドには泣くなんていう機能はなく、アンドロイドであるロイが泣けるはずがない。

「泣く? ぼくは泣けないよ」

 知っていた。それでも、ロイの表情が悲しみに満ちていたから、ぼくは訊かずにいられなかったのだ。

「ぼくは泣けない。そんな機能はないからね」

「悲しいの?」

「それはわからない。少なくとも、悲しみという感情がプログラムされているわけじゃない。けど、……うん。これは、悲しいとか寂しいとか、そういう類いのものなのかもしれないね」

 言い終えると、ロイはぼくをまっすぐに見た。ありえないことだけど、ぼくはその目に涙が見えた気がした。たとえ涙がなくても、そこには哀しみが間違いなくあった。

 ロイがぼくに問いかける。

ハルは悲しくないの?」

 その問いかけに、ぼくは問い返した。

「何がそんなに悲しいの?」

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