25. 許してください!
報告をしなければならないと言って署へ戻っていった警察官に曖昧な返事をしたまま、マコトは受付に寄り掛かって地面に座っていた。
ヒカルがタクミの部屋に入ってから早1時間、部屋に様子を見に来ていた野次馬はもう自室へ戻っている。
クリニックの外にはもうここに来たときの騒々しさはなくなっていた。
赤いサイレンが鳴り響き、近所の住民らが叫んだり囁いたりする高圧的な声が波打っていたとは思えぬほどの沈黙。
マコトは自らの心音が次第に大きくなるのを感じた。
床の冷気が次第に尻を冷やしていくのを感じた。
眠気など吹き飛び、深夜だというのにむしろ次第に覚醒していくのを感じた。
ヒカルがアミに出した手紙を思い出す。
あの手紙を出したことによってアミがここを訪れ、親子が時を過ごすことになり、タクミがその幼い心と身体に傷を負うことになった。
「ヒカルが負い目を感じるのも仕方ない、かな」
静かなクリニックで1人「はあ」と息をつき、ぐったりとうな垂れる。
その姿勢のままマコトは夜を明かした。
外にわずかに太陽の光が差し込み始めたとき、警察で事情を説明していたイノウエがクリニックに戻った。彼女は目の下に深いクマをつくり、ひどく疲れている様子である。
そしてタクミの部屋を
2人の少し触れ合った肩を通じて体温がじわりと広がり、緊張で固まった彼らを溶かしていく。
小鳥が軽やかに鳴き、陽が高く昇り町を明るく照らす朝、タクミの部屋の扉がカラカラと音を立てて開いた。
マコトとイノウエは弾かれたように立ち上がりそちらを見て、そこから現れる人影を待つ。
「2人とも、ずっと起きてたんですか?」
へらへらと笑って出てきたヒカルもずっと起きていたことが一目でわかった。
ひどいクマ、土色の肌、紫色の唇……しかし、彼の目には光が取り戻されている。
ヒカルの後ろには彼と固く手を繋ぎ、不安げに周りを見るタクミがいた。
「タクミくん!」
名前を呼ばれてびくりとしたが、ヒカルが目線を合わせて「大丈夫、クリニックの人だよ」と言ったことでタクミはほっとしたような顔をした。
そしてヒカルの手を離れ、マコトたちのほうへと駆け寄る。
驚いて小さな彼を見つめるマコトたちに、彼は頭を下げ、「ごめんなさい」と言った。
慌ててイノウエが、
「何も謝ることないでしょう!」
と言っても、タクミは頭を上げない。
「僕がわがまま言ったから、先生たちに迷惑かけました。ごめんなさい。でも」
「でも?」
やっと彼は顔を上げ、ぎこちなさを残しながらも歯を見せて無邪気に笑った。
「僕は前に進みます。許してください!」
その潔さに呆気に取られるイノウエたちをよそに、彼はヒカルのほうを振り返る。
ヒカルは親指を立てて「いいぞいいぞ」と楽しそうに笑っていた。
クリニックを出ようとしたとき、カワムラの病室のドアが開くと、少し眠そうに目を擦りながらカワムラが出てきた。
「タクミくん、ソウと仲良くしてくれてありがとう。あいつまた君と遊びたいって言ってるんだ。今度遊びに行っても良いかな?」
「僕もソウくんと遊びたい!」
「では後ほど、私が連絡先など伝えますね」
ヒカルがそう約束して、カワムラはその白い歯を見せながらタクミに大きく手を振った。
タクミも嬉しそうに手を振り返し、そのまま2人はまた手を繋いで警察と話をするためにクリニックを出て行く。
マコトが彼らの後ろ姿を見送りに外に出ると、ヒカルがタクミの頭を笑顔でわしゃわしゃと撫でているのが見えた。
タクミも抵抗しながらも笑顔だ。
「なんだか、親子みたいねえ」
いつの間にか外に出て来ていたイノウエが、マコトの思っていたことを口に出した。
「そうですね、懐いてるし可愛がってるし」
2人は顔を見合せてふふふと笑う。
マコトは、たしかにヒカルの手紙のせいでタクミは傷を負ったと言っても間違いではないが、ヒカルの手紙によってタクミは前に進める力を得たと言っても良いのではないかと思った。
彼にとって、同様に母親に捕われて今でももがいているヒカルとの出会いは、きっと大きな出会いだったであろう。
後でそれを言ってやろう。
そう思ってドアを開けようとしたとき、すでに3人ほど患者が開院を待っていることに気付いた。
「暑い中お待たせしてすみません。中へどうぞ」
そう声をかけ、エプロンを着けて彼はヒカルより先にあまりに普通すぎるくらいの日常へと戻っていった。
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