第45話 敗北
「サトゥ!ケイラス!」
目の前の女性――レムの言葉に両脇の2人が無言で応じた。
その場から大きく飛びのいたかと思うと、両手を開き何か魔法の様な物を唱え始める。
それは私の知らない魔法だった。
攻撃魔法かと思い少し警戒するが、2人の詠唱が終わると同時に周囲に薄いスクリーンの様な幕が半円状に大きく広がって行く。
「結界?」
「ええそうよ。この場で戦えば、そのエネルギーをミテルー様に感知されてしまうもの」
成程、と納得する。
ミテルーに秘密で私に喧嘩を売ったなんて勝手がバレたら、きっと彼女達は罰を受ける事になってしまうのだろう。
「それと……貴方が転移で逃げられない様、2重で結界を張らせて貰ったわ」
もう貴方に逃げ場はない。
そう言いたげに彼女は笑う。
正直、その表情に私はちょっと腹が立った。
こんな面白そうな事から逃げる訳ないのに。
まあそもそもそれ以前に、私は負けないのだから逃げる必要などないし。
「ふーん、まあいいわ。じゃあ掛かって来なさい!3人纏めて私が成敗してあげる!」
「あら、勘違いして貰っては困るわ。他の2人は結界を張る為だけに呼んだの。貴方の相手は私だけよ」
彼女が口元に手をやる。
その白魚の様な綺麗な手の爪が、まるで鋭利な刃物の様にシャキンと音を立てて長く伸びた。
同時に、辺りを不快な殺気が覆い尽くす。
「じゃあ、行くわよ」
「返り討ちにして上がげるわ!」
レムが音もなく動く。
初動を感じさせない見事な動きだ。
鋭い爪が私の胸元に迫る。
その先端は怪しく濡れていた。
恐らくは毒の類だろう。
だが、私は別にそれを卑怯だとは思わなかった。
戦いにお行儀の良いルールなどないのだから。
私自身あくどい事に手を染めるつもりはないが、勝てば官軍、負ければ賊軍なのは世の常だ。
「ふっ!」
私は身を捻って、半身の形でその一撃を躱す。
そのままの流れで体を素早く一回転させ、相手の頭部目掛けて回し蹴りを叩き込んだ。
「――っ!?」
私の蹴りはギリギリの所で躱されてしまう。
完全に捉えたつもりだったのだが、彼女……私が思ってるよりも強いかも。
まあそれでも私の方が上だけど。
「へぇ、今のを躱すなんてやるじゃん」
「強くなってる?どうなってるの?」
彼女の声に、表情に動揺が浮かぶ。
どうやら私の力を見誤っていた様だ。
「ミテルーと戦ったからね」
彼女の誤算の原因を、私は笑顔で教えてあげる。
彼との戦いは、とても戦いと呼べるものでは無かった。
だがミテルーに上半身を吹き飛ばされた私は、どういう訳だか今は超絶好調になっている。
びっくりする程体が軽い。
まるで負けた事で体に秘められた力――潜在能力が引き出された様な感じだ。
「もう悪さをしないって誓うんなら、見逃してあげるけど」
「それは出来ない相談よ。どうやら、此方も本気で相手をする必要があるみたいね」
彼女が微笑むと足元の影が膨らみ、7つに分かれて私を取り囲んだ。
「分身!?ううん、違う……これは」
影の中からレムと瓜二つの存在が7体姿を現した。
一瞬分身かとも思ったが、違う。
全て独立した存在だ。
それでいて、彼女達は目の前のレムと気配が全く一緒だった。
「ふふ、同位体よ。ミテルー様がダンジョンに送ってくれる膨大な魔力を利用して、自分を複製したの。意思こそ繋がっているけど、分身なんかと違ってちゃんと命は有しているわ」
「私一人って、言ってなかったっけ?」
「私“だけ”とは言ったけど、一人とは言ってないわよ」
成程。
そういや確かに言ってたわね。
どうやら私の勝手な勘違いだった様だ。
しかし……正直彼女クラスを8人も同時に相手にするのは、かなりきつい。
彼女は私を消すと言っていた。
つまり、私の不死を何とかする術があると言う事だ。
どういう方法かは分からないが、この状況で嘘を吐くとも思えない。
つまりこの戦いは、私の命が保証されない戦いという事になる。
しかも転移によって退路も断たれている。
正に危機的状況と言っていい。
なのに何故だろう。
胸の高鳴りが鳴りやまない。
寧ろ追い込まれて、逆にやる気が出て来た。
「面白い!やってやろうじゃん!」
私は正面のレムへと突っ込んだ。
先程は死なない様に手加減したが今度は別だ。
全力で拳を叩き込む。
彼女は腕でガードするが腕をへし折り、腕ごと顔面を殴り倒した。
彼女の頭蓋骨が砕ける感触が手に伝わって来る。
これで一人目。
一人一人確実に仕留めて――
「くっ!?」
胸元に激痛が走る。
彼女は頭部を砕かれる際に、その鋭い爪を私の胸元に突きこんでいる。
その傷の痛みだ。
カウンターを受ける覚悟の上での攻撃だったが、想像以上のダメージを貰ってしまう。
「成程。この毒で私を殺そうって訳――ねっ!!」
背後からの攻撃を飛んで躱す。
地面で一回転してから起き上がり、同時に背後へと振り返える。
残りの7人は、こちらを追い立てるでもなく愉快気に此方を見ていた。
「ふふ、私の扱う毒を軽んじていた様ね。これは対ミテルー様用に作った物だから、貴方にも凄く効くわよ」
胸の傷がズキズキと痛む。
解毒用のスキルを使っているにも拘らず、毒は完全には中和できていなかった。
その為痛みが消えず、しかもダメージの回復まで阻害されてる。
厄介この上なしだ。
可能な限り、この攻撃を喰らわない様に気を付けなければならないだろう。
しかしミテルー用か……
「ミテルーを裏切るつもりな訳?」
「まさか。私はあの方の忠実なる下僕よ」
嘘臭い言葉だ。
ミテルー対策の毒を用意しているのでは、その信憑性皆無だった。
まあこの際、それはどうでもいい。
今はこの状況をどうするかだ。
私は自分の体の調子を確認する。
毒による影響で痛みがひどいが、それはスキルでカットすれば問題なかった。
問題は自動回復が効かない事だ。
果たして、後何発耐えられるか……一人一発と少なめに見積もっても、結構ぎりぎりな気がする。
が、やるしかないだろう。
ノルマは一人一発以下!
「激衝脚!」
私の得意技。
その衝撃波が彼女達を襲う。
「はぁ!」
散りじりに、飛んで回避するレム達の1人に狙いを付けて突っ込んだ。
鋭い爪を突き込んで来るが、私はそれを躱して彼女の顔面に拳を叩き込んで粉砕する。
「これで2人――」
周囲から鋭い刃が飛来する。
それは毒の爪だった。
どうやら飛ばす事も出来る様だ。
「くっ!?」
私はそれを横に飛んで躱すが、右足に違和感が発生する――痛みをカットするスキルは発動済み。
見ると、躱し損ねた一本が右の脹脛に深々と突き刺さっていた。
「くそっ!」
更に爪が飛んでくる。
矢のように真っすぐに飛んで来る物。
ブーメランのように弧を描き、サイドから襲い来る物。
四方八方から飛んでくる彼女達の爪を、私は慎重に躱す。
間断なく続く攻撃を回避しつつ、隙を見つけてレムの1人へと突っ込んだ。
兎に角数を減らさなければ。
「はぁ!」
回し蹴りで、目の前のレムの胴体を蹴り千切ってやった。
その際、左肩に爪を受けてしまう。
だが気にしている場合ではない。
相手は攻撃を待ってはくれないのだ。
私は大きく後方に飛んで、爪を躱した。
「きっつ」
数が減った分飛んでくる爪の数は減ったが、此方も毒を受けた分動きが鈍ってしまっている。
勝てるかどうかは本当に五分と五分だ。
一瞬魔法を使う事も意識するが、止めておいた。
詠唱がないとはいえ、発動には魔法へと意識を向ける必要が出て来る。
魔法使用になれていない私では、その隙が致命傷になりかねない。
「殴り倒すしかない訳ね!」
再び、レムの1人へと突っ込んだ。
また爪を受けてしまったが、相手を倒す事には成功。
残りは4人。
覚悟を決めた私はダメージ覚悟で、彼女達に突っ込み拳を振るい続ける。
「はぁ……はぁ……あと一人……」
更に3人を倒し、残るレムは最後の1人だった。
あと一押しではある。
だが私も毒を毎度の様に受けてしまっていた為、体の機能が大きく損なわれている。
その為、息が荒く荒れ。
額から痛みとも疲労とも由来のつかない汗が滴り落ちた。
「驚いたわ。まさかここ迄とは……でももう限界見たいね」
「あと一人ぐらいなら、どうって事は無いわ」
私は大きく深呼吸し、額の汗を拭ってにやりと不敵に笑って見せた。
この勝負。
私が勝たせて貰う。
「一人……ねぇ」
私の言葉に彼女は不敵な笑みで返す。
確かに、一人というの正確ではない。
彼女を倒した後には、結界を張ってる二人とも戦う事になるだろう。
だが二人からは彼女ほどの強さは感じない。
レムさえ倒せればどうにでもなる筈だ。
「ああ、違うわよ。サトゥとケイラスの事じゃないわ」
彼女が私の視線に気づき、鼻で笑う。
違うってどういう事だろうか?
「ふふ、こういう事よ」
彼女が笑うと、足元の影が大きくが広がった。
まさか……嘘でしょ?
大きく広がった影は数十に別れ、その中から大量のレムたちが姿を現した。
それを見て、私は唖然とする。
「ふふふ。私はミテルー様から与えられた桁違いの魔力を100年分も貯蓄して来たのよ、これぐらいは……ね。まあ後20年早く貴方がここに来ていたら、負けていたのは私だったかもしれないけど」
「そんな……」
こんな数、絶対にどうしようもない。
私は咄嗟に転移魔法を発動させる。
結界が張ってあるのは理解していたが、戦っても勝ち目がない以上、一か八かの逃走に掛けるしかなかった。
「ぐ……うぅ……」
体が何かにぶつかり、弾かれる。
分かってはいたが、やはり結界を突破するのは無理だった様だ。
つまり――私は死ぬ……
「だから言ったでしょ?貴方を逃がさないために結界を張ったって」
私の周囲をレム達が取り囲んだ。
その手には毒の滴る爪が伸ばされている。
「くそっ!!」
破れかぶれで殴り掛かる。
だが私の拳が目の前のレムに届くよりも早く、長く伸びた爪が私の腹部を貫いた。
いや、腹部だけではない。
無数の爪が私の体に次々と突き刺さって行く。
「あ……あぁ……」
体に力が入らない。
視界が……黒く染まって行く。
最後に私が耳にした言葉は――
「貴方は生まれ変わるのよ。全てを蹂躙する破壊の権化へと」
レムの囁く様な言葉だった。
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