かくれんぼ

ぽんの

第1話 梅雨明けの真夏

 インスタントコーヒーの粉がなくなった。仕方なく新庄穂花は町でたったひとつのスーパーイトイまで出かけなければならなくなった。それに、ドックフードも買わなければならないし、床を拭くためのクイックワイパーも欲しかった。そんな事に思いを巡らせていたら穂花は考えたくもない美夏の事を思い出した。

 ベージュのカーテンを引くと穂花は窓から町の景色を眺めた。南を向いた窓から神奈川県の大きなパノラマが見渡せる。東には少し煙がかかったような丹沢の山並み、西の方にはかすかに東京のビル群も見える。遥か南にはランドマークタワーのミニチュアのような姿も確認出来た。先月、そのランドマークタワーで結婚式をした穂花の友人の坂上美夏が失踪した。先週の事だ。理由はわからない。様々な憶測が飛び交ったが宛先不明のハガキのようには都合よく美夏は帰ってこなかった。

 一応、結婚式に出たが、穂花は美夏の事を嫌っていた。失踪の話を聞いても何も感じなかった。他の友人たちは動揺して泣き崩れる者もあったが、嫌いをこじらせた穂花には泣いている友人の姿が不快だった。嫌な人間の事でも世の中はこんなに簡単に心配するのだなと穂花は思った。

 買い物に行く準備をして玄関のドアを開けようとした時にスマートフォンが鳴った。田村亜紀からの電話だった。美夏の件で話があるから会いたいという事だった。場所は穂花の最寄りの駅の前にあるスターパックスだ。穂花は溜息をついた。そして、一緒に出かけようとしていたポメラニアンの与作にごめんねと一言言って、最近ガタつき始めた築三十年のマンションのドアをゆっくり閉めた。

 

 九州に災害を起こした長い梅雨が明けたあと、穂花の予想通り記録的な暑さがやってきた。午前中に降った雨が空気中に残っていて、熱せられた不快感にさらに拍車をかけていた。昨日徹夜でWEBデザインの仕事をしていた穂花には予想外にこたえる暑さだった。今年で三十五歳になる。思ったよりも体が疲れやすくなっていた。

 足取りが重い。途中で人一人がやっと通れるくらいの細い道を歩いた時に、坂の上からブレーキもかけないで降りてくる自転車にぶつかりそうになった。相手が避ける事を前提にした自転車の乱暴な走り方に、穂花は乗っている人間の性格のねじ曲がりを想像した。そういえば美夏も人の心の中を土足で踏み荒すような性格だったなと、穂花は思い出した。それを考えると、穂花は約束をすっぽかそうかと思った。しかし、大親友の亜紀が連絡もせずに突然にやってきたのだ。何かあるに違いない。断る理由の方が見当たらない。事前に連絡をしなかった亜紀に問題があるとしてもだ。

 

 駅前には誰もいなかった。働いている人は職場にいるし学生たちは学校にいる時間だ。それでなくてもこの町には人が降りない。この町に降りるくらいならみな次の駅で降りる。隣の駅は全国的にも有名な買い物スポットでいくらでも商業ビルが立ち並んでいる。よほどの用がない限りこの町は人の関心を引かない。仕舞い込んですっかり忘れていた色鉛筆セットが引っ越しの際に発見されるのと同じように、人々はこの町の事を思い出しその事を意外だと思うのだ。きっと、亜紀もそうだったのだろう。

 スタパのガラス張りの店内を覗くと亜紀がただ一人で座っているのが見えた。スタパもどうしてこんな町に出店する気になったのかと思いながら穂花は店に入った。店に入った穂花に気づいた亜紀は大きく腕を振って自分の場所をアピールした。はいはいわかってますよと笑いながら言うと、穂花はキャンディピスタチオフラペチーノを注文した。店内は過ごしやすく冷えていた。冷風が穂花の体を急速に楽にしていった。

 冷んやりとしたフラペチーノを持って席に着いた穂花に、亜紀は前置きもしないでいきなりこう切り出した。

「私、美夏を見つけたの。地元の群馬で。しかも、、、」

 亜紀の意気込みに動じない穂花は一回ゆっくりと頷いて、

「ちょっと待って。一口飲むからね。はい、いいよ」

 と、フラペチーノに口を付けてからオーケーを出した。待てをされた亜紀は興奮を抑えられないように、

「そんなもの飲んでる場合じゃないよ。美夏を見つけたんだよ。行方不明の」

「私、美夏にそんなに興味ないから」

「また、そんな事言って。三日前のお盆休みに家族で実家の群馬に行った時の事なんだけど。最初は美夏だとは思わなかったの。だってメイクもしてないし髪も真っ黒で格好もヒラヒラしたスカート履いて。西部開拓時代の女性みたいなすごく風変わりな出で立ちで」

 西部開拓時代?美夏の事には興味がなかった穂花はこの言葉に反応した。穂花は昔の西洋の洋服に興味を持っていた。袖が大きく膨らんだ服などに子供の頃から強い憧れを持っていた。

「それなら、美夏さんですかって声をかけて確認すれば良かったのに」

「その必要もなかったの。だって、坂上さーんって、大きな声で呼ぶ人がいたんだから」

「大きな声で、それは誰?」

「わからない。けど、若い男。それで二人である建物に入って行った」

 穂花は急に下世話な話になったようで興味がそがれた。こんなくだらない事を話に亜紀はやって来たのか。

「そんな話よくある事じゃん。なんだ、もっとおもしろい話かと思った」

「いや、その入って行った建物に問題があるのよ」

「だから、ラブホテルでしょ?」

「そんなのがある通りを私歩かないって。そうじゃなくて、試みの扉。知ってる?群馬を拠点としてるやばいとこ」

「知らない。何がやばいの?」

「いろいろ。近隣住民と軋轢起こしたり問題なの。新興宗教だよ。し、ん、こ、う、しゅ、う、きょ、う」

 宗教?穂花はその言葉を聞くと餌を持ってきた人間に集まる鳩のように話に食いついた。
















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