第3話
――あれは、看護婦になりたての頃だった。親元を離れ、病院の近くにアパートを借りていた。そこで指導を受けたのが、主任の宣子だった。宣子は病棟の管理や通常の業務もテキパキと行いながら、マネージャーのサポートや現場スタッフの教育や指導などもしていた。仕事面では尊敬に値した。
そんなある日、宣子から食事に誘われた。断る理由がなかった私は安易に宣子のアパートに遊びに行った。
――それが地獄の始まりだった。宣子に勧められたワインで酔ってしまった。――
目が覚めると、
翌日、宣子は涼しい顔で囁いた。「写真も撮ったからね。また来なさいよ。来ないと、恥ずかしい写真をばらまくよ」と。
世間を知らない当時の私は、その悪夢から抜け出す知恵を持ち合わせていなかった。
そんなある日、風呂から上がった宣子の頭からバスタオルが滑り落ちた。途端、私は自分の目を疑った。――丸坊主だったのだ。宣子は骨董品の壺でも磨くかのように、拾ったバスタオルで平然と頭を拭いていた。
こんな女に抱かれているのかと思うと、悔しくて堪らなかった。しかし、宣子の魔の手から逃れることはできなかった。
そんな時、木下との縁談が舞い込んだのだった。――
宣子と会う時間の最短を選択したものの、全く会わないで済む方法は思い付かなかった。……思い切って木下に打ち明けようか。いや、今は部長就任を目前にした大事な時だ。余計なことで木下を悩ませる訳にはいかない。
――到頭、約束の日が来た。宣子のアパートを下見していた美希子は、木下が寝付いた時分を見計らって、家を出た。スニーカーで十五分ほど歩いて、アパートの階段を上がると、一番手前のドアを軽く叩いた。
開けたドアの向こうに、廊下の蛍光灯が照らした
越してきたばかりにしては、綺麗に片付いていた。越してきたのは最近ではない。私に会いたくてここに越してきたと言うなら、段ボールの荷ほどきをする前に、すぐにでも会うはずだ。……美希子はふと、そんなふうに思った。
――美希子は今、木下の目の上の
この二人が消えてくれることによって、木下は部長に就任し、姉の敵も討て、私は私で、宣子の
まず、宣子をその気にさせなくてはいけない。宣子は本来、同性愛者ではなく、無毛症というコンプレックスによって、仕方なく異性との恋愛を諦めたのではないだろうか……。もしそうなら、今回の計略に乗ってくるはずだ。
「ね。主人の会社に素敵な人がいるのよ。長身でなかなかのハンサムなの。その人と会いたいんだけど、ホテルを使って、もし主人に見付かったら困るじゃない? だから、この部屋を貸してくれない?」
「……あんたも図太くなったわね。あの頃のウブなあんたはどこに行っちゃったの?」
「……こうなったのは誰のせいよ」
美希子は上手に演技をした。宣子に段取りを話すと、案の定乗ってきた。
いよいよ、芝居の幕を開けた。
〈御手洗様 このような不躾な手紙を差し上げる事をどうかお許しください 私は貴方様に思いを寄せる者です 会社で毎日のようにお会いしながら お声をかける事も出来ません どうか一度だけで構いません 私と会ってください お願いします 会えば 私が誰だか分かります 10月△日 19時に下記の住所でお待ちしています 御手洗様に片想いの女 ヨウコより〉
――果たして、十九時ジャストにノックがあった。
「はーい」
宣子がドアを開ける。
「あ、ヨウコさんていう方はいらっしゃいます?」
「はい。御手洗さんですね?」
「ええ」
「ヨウコはすぐに来ます。さあ、中でお待ちください」
宣子、御手洗を部屋に入れる。
「ヨウコは両親と住んでるから私の部屋を貸してほしいって。ヨウコは故郷の近所に住んでいて、幼い頃から知ってるの。私のことを姉のように慕ってくれて。……まだ二十四なのにしっかり者で。私と違って美人だし。あ、飲み物は何がいいかしら? ビールと日本酒」
「じゃ、ビールで」
宣子、冷蔵庫から出した瓶ビールを御手洗の前に置いたグラスに注いでやる。
「もうそろそろ来ます。さっき電話があって、何してんのって聞いたら、オシャレ中だって。めかしこんで来るんじゃないかしら。こんな素敵な人とデートだもの」
「いや、どうも」
「私もヨウコぐらい美人なら、あなたのような素敵な人とお茶ぐらいできたかもしれないのになぁ」
ビールを注いだグラスに口を付ける宣子。
「あ、ヨウコが来たら私は出掛けますので、先にシャワーを浴びたら? あの子もあまり長居できないし」
宣子、半分、強制的な口調。
「あ、はい」
新しいタオルとバスタオルを御手洗に手渡す宣子。その間、御手洗のグラスに睡眠薬を入れる宣子。――
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