カップルクロスオーバー

春嵐

第1話

 夜が明けていく。


 今日が始まる。


 それだけのことなのに、なぜか、心がすこしわくわくしている。


「夢見はわるくない」


 予知だけが、頼りだった。

 仕事になるかどうか。そして、自分の懸案が通るかどうか。


 夢の中で私は、普通に仕事をして、普通に一日が終わっていた。だから、今日は何も起こらない。


 夢で見た内容が、一定確率で起こる体質だった。あくまで確率で起こるだけで、すべてがすべてそうなるわけではない。


 例えば、このヒール。


 夢の中では、会社に行く途中で折れていた。


 でも、そおっと歩けば、折れないはず。いちおう鞄の中にスニーカーを突っ込んで、家を出た。


 事業規模大きめの会社との、共同事業だった。向こうは自販機に奇抜な施策を取り入れたりして大成功している。それ以外にも、堅実な実用性と突飛なアイデアが混在する、なかなか凄い企業。

 対するこちらは、中庸を社是とした安定志向の普通の企業。


 安定と意外性が組み合わさったら、どうなるんだろう。そう思って事業を発案して向こうの企業に送ったら、 人が二人ぐらい送られてきている。


 どちらも、おそろしいほど有能な人材だった。そして、どうやら友達以上恋人未満らしい。告白は済ませているが、まだ付き合っていない。通販のお試し期間かよ。

 それを見るのはたのしかったけど、うらやましくもある。


 私にも好きな人はいるけど、届きそうになかった。

 同僚だけど、別な課だし、そもそも人間の種類が違っている。私は夢見の予知を持つ、いわば普通じゃないほうの人間で、彼は普通の人間。


 普通の人間は、普通の人間と過ごしたほうがいいんだろう。普通の人が集められているのが経理課なので、その中の誰かと付き合うのだろうか。


 中庸を社是とするうちの会社は、社内恋愛がとても多い。ついでに、社内恋愛の破綻率も凄まじく低い、というか破綻しないように組織ができている。

 社長がそういう噂にとても食いつきやすく、人事は仕事の出来不出来ではなく恋愛沙汰で決められていると言われていた。


 私は、無理だ。

 半分あきらめてしまっている。救いの手は、それを求める者にしか、さしのべられない。


「おはようございます。あっ」


 しまった。

 出向ふたり組しかいないし、しかもふたりが顔を近付けていたところ。


「ごめんなさいっ。出直しますっ」


 早朝のキスシーンに出くわしてしまった。キスは予知になかったぞ。


「え?」


「え?」


「え?」


 三人全員、一瞬固まる。


「あ、いや。えと、どうぞいちゃいちゃなさってください。わが社は社内恋愛ぜんぜんおっけいなので」


 ふたり。顔が朱くなる。


「あ、いや。そういうのではなく」


「ちょ、諏訪野さんっ」


「いたいっ」


 二輪さんが、諏訪野さんを叩いた。二輪さんが男性で、諏訪野さんが女性。


 不思議なのは、普通と力関係が逆で、二輪さんがよく諏訪野さんを叩いたり蹴ったりしているところ。女性が立場をあくようして男性を叩くのはよく見るけど、男性が女性を叩くのは珍しい。


 なんというか、大人の男性が大人の女性に殴る蹴るしてたら危ない気がするんだけど、この二人に限ってみるとそれが適用されない。


「思春期の男女みたい」


 あっしまった声に出てしまった。


「え、えへへ。そう見えます?」


 にやけながら喋って、また叩かれる諏訪野さん。


「違くて。見てくださいこれ」


 画面。小さい文字列。


 覗き込んだ。これを見ていたから、顔が近かったのか。


「なんだろうこれ。メール、ですか?」


 文字が小さくて読めない。


「フォントの大きさを上げるとかできますか?」


「それが、さっきからふたりで試してるんですけど、できなくて」


 見えないメールか。おもしろい。


 でも予知になかったな、これ。


「プロジェクタ出しますので、ちょっと待っててください」


 経理課まで行った。


「あの」


 私の好きな人に、声をかける。


「はい」


「プロジェクタを借りても、いいですか。いちばん大きいやつ」


 経理課には、だいたいのものが揃っている。普通の人が集まると、普通のものも集まってくるらしい。


「いちばん大きいやつだと、劇場のフルシアターサイズのやつですけど」


「大きいすぎる」


 なんでシネスコープがあるんだよ。この課すげえな。


「うちの課の壁をそのまま画面にする感じで、おねがいします」


 といっても、共同事業は独立した扱いなので、まだ課として動いているわけではない。


「じゃあ、これでどうでしょう」


 私の好きな人。受付の机の上に、小さな箱を出す。


「拡大投影機です。ラップトップに繋いで、好きな大きさに投影できます」


「ありがとうございます。ちょっとだけ使わせてもらいますっ」


「あ、ここにサインを」


 手帳。


「はい」


 サインした。


「すぐ返しに来ますね」


 部屋に戻った。


「プロジェクタ借りてきましたっ」


 すぐに繋いで、壁に大きく写し出す。


 それでもまだ小さい。三人で壁のほうに歩いて、壁から30センチぐらいまで近付いてようやく読める文字の大きさ。


「ええと、業務提携にうちも入れてください。社長室で待つ」


 なんだこれ。


「私ちょっと社長室行ってきますね」


 なんか、だんだん、普通じゃなくなってきたな。予知どこいった。


 社長室。ノックせずそのまま入った。社長と、スカート課長。その他に、ふたりいる。


「あ、いいところに来たね」


「いま呼ぼうと思ってたところよ」


「え、ちょっと待って。もしかして」


「あたらしい提携先、というかぜひ今回の提携に1枚噛ませてくれっていうおふたりです。自己紹介をどうぞ」


「月です。本名です。女です」


「太陽です。偽名です。男です」


「いや男女は見りゃわかりますけど」


「ほら。分かるじゃないですか」


「じゃあ髪もうこの長さでいいかな」


 おい。もしかして。


「またカップルですか。なんで提携先みんなカップルなんですか課長」


「それはね」


「いやまだ付き合うというほどでは」


 ふたりが同時に喋りだした。


「あっ」


「あっ」


 あ、そっか。この月という人も課長なのか。ややこしいな。


「すいません。俺も課長なもんで。スカート課長とお呼びください」


「私の肩書きは消去してください。提携先に来ている以上、一個人なので」


「やった。課長と同列扱いだ」


「課長と呼ぶな」


 太陽が月に叩かれる。


「あ、こっちは女性のが上か」


「ん?」


「ああいえ。こっちの話です。じゃなくて。社長。なんですかこれ」


「いや、普通に業務提携」


「なんでみんなこう、ああもう」


「スカート課長的には今回の提携うまく行くんじゃないかなって思うよ。かなり良い具合でさ。月さん太陽さん。テストはこれで合格ということでよろしいでしょうか?」


「よろしいも何も、こいつがフォント固定してメール送ったのがわるいので」


「いや課長、じゃなかった月さんが少し細工したメール送れって言ったんじゃないですか」


 無言。


「なに顔朱くしてるんですかっ。自分で課長と呼ぶなって言ったじゃないですかっ」


「ごめん」


 普通じゃない。こんなのは普通じゃない。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る