第2話 預かり物は女の子?


 「いやああっ!! 誰か助けてーーー!!」


 チャリオットを飛ばしている俺に女の子の悲鳴がはっきりと聞こえる。

 どうやらすぐ近くまで来ている様だ。

 ガサガサと道の脇の茂みが揺れ、飛び出してきたのは見た目七、八歳程の女の子だった。

 力尽きたのかその場で蹲ってしまった。

 恐らくこの子が悲鳴の主に違いない。


「君!! 大丈夫か!?」


「たっ、助けて!!」


 チャリオットから降りた俺はすぐに少女に駆け寄った。

 余程恐ろしい目に遭ったのか涙と涎で顔がぐしゃぐしゃだ。


「ちょっと待って、ハンカチを……」


『おい相棒!! そんなことは後だ!! 来たぞ!!』


 チャリオットの声でハッとなり周囲を警戒すると、先ほど少女が飛び出て来た茂みから何かが飛び出した。

 それは身の丈三メートルはあろうかという灰色の体毛の巨大熊であった。


 グワアアアアアアッ!!


 こちらに向かって威嚇の咆哮を張り上げる巨大熊、どうやらこいつがこの少女を追い駆け回していた張本人だな、いや張本熊か。

 くだらない事を言っている時ではないな、熊は俺に獲物を取られたと勘違いしている様で猛り狂ったように吠え、身体を激しく揺さぶっている。

 実は熊という動物は頭が良い上に執念深い、食べきれない獲物を地面に埋めて保存する習性があり他の動物がそれを横取りしようものならどこまでも追いかけて来るという。

 しかも人間の男を食らうと男を、女を食らうと女を狙い食らい続けるとも聞く。

 もしかしたらこの子が追い駆けられていたのはそういう事なのかもしれない。


「いいかい、俺から離れないで」


「うん……」


 少女は俺に痛いくらいしがみ付いてくる。

 しかしここは慎重に行かなければ、なにせ今の俺は丸腰なので熊と交戦なんてしたら一瞬で物言わぬ屍と化すだろう。

 そもそも得物があった所であの屈強な熊に太刀打ちできるとは到底思えないんだが。

 熊に限らず野生の肉食獣には背を向けてはならない、振り返ろうものなら即座に襲い掛かってくることだろう。

 それこそ後ろからバッサリだ。

 俺の実家で飼っていた猫でさえ背を見せた俺に飛び掛ってきた程だ、絶対にやってはいけない。

 俺は少女を抱えたままじりじりと後ずさりを始める、取り合えずチャリオットの所まではそれで移動だ。

 そして熊は臆病な面も持っている、未知の物には特に警戒をする。

 どうやら俺たちの後ろに立っている自転車のチャリオットが気になっているらしく、中々こちらに向かってこようとしない、これは不幸中の幸いだ。

 時間は掛かったが何とか俺たちはチャリオットの所までたどり着く。


「さてと、これからどうしたものか……チャリオット、お前動けたりしないの?」


『バカ言え、オレっちは自転車だぞ? 独りでに動ける訳ないじゃん、そうなったら怖いわ』


「それはそうだろうな、言ってみただけだ」


 ちぇっ、しゃべれるようになってたから他にも機能が増えてるんじゃないかと思うじゃないか。

 こうなったら一か八か、昔取った杵柄、俺の力を見せる時が来たようだ。

 幸い俺たちと熊までは少し距離がある。


「よく聞いて、今から俺は君をこの乗り物に乗せるから、すぐに籠に捕まるんだ

 絶対に振り落とされない様にしっかりとね」


「うん、分かった」


「よし、いい子だ」


 俺は少女の頭を優しく撫でた。


「じゃあ行くよ!!」


 彼女の両脇を掴み一気に荷台に乗せた、そして俺自身もチャリオットに跨る。

 背中を見せてしまったの以上、当然熊はこちらに向かって動き出していた。

 熊は走ると最高で四十キロ以上の速度が出るという、だから生身では絶対人間は熊から逃げられない。

 しかし俺には自転車のチャリオットがある、最高速にさえ乗ってしまえば何とか逃げ切れるはずだ。

 

「頼むぜチャリオット!!」


『おう!! 任せろ!!』


 とはいってもチャリオットが自分で何かする訳では無い、さっきも言っていたがこいつが自分で能動的に動く事は出来ないのだ。

 言わばこれは気合を入れるのと同じ……相棒が居るというだけで力がみなぎる。

 そう、全ては俺の両脚と体力に掛かっているのだ。


「うおおおおおおおおおっ……!!」


 半ばやけ気味にペダルを高速回転、普段の仕事でアスファルトなど舗装された道を走るためのオンロードタイヤではこの土の地面のダートではグリップが足りない、俺の力の全てが地面に伝わらず空回りすることもしばしば。

 でも負けない、俺だけではないこの子も追い付かれるイコール死を意味するのだ。


「お兄ちゃん!! 熊が!!」


 後部の荷台の女の子の声が追跡者の接近を知らせてくれる。

 どうやら熊はすぐそこまで来ている様だ。


 グワアアアアアア!!

 

 熊が少女に向かって鋭い爪を擁す太い腕を振り上げる。


「キャアアアア!!」


『相棒!!』


「うおおおおおおおおおっ!!」


 まずい、このままではやられる……いや諦めるな!! 回転だ、回転を上げろ!! 俺は死に物狂いで脚をちぎれんばかりにぶん回す。

 ここで急加速、熊との距離を引き離す。

 熊は腕を空振り体勢を崩した、これはチャンス!!


「フンヌウウウウッ!!」


 更に加速して熊との距離を一気に引き離すことに成功すした。

 チャリオットが一度速度に乗ってしまえば熊が俺たちに追い付く事は出来ない。

 

「あっ、熊が走るのを止めたよ」


「そっ……そうか……」


 見る見る距離を開け熊が米粒より小さく見える、どうやら追うのを諦めたようだ。

 あれだけの巨体だ、瞬発力と胆力はあっても持続力は無いはず。

 俺もそろそろ限界だ、一旦ここで休むことにする。


「ゼエ……ゼエ……ゼエ……流石に……久しぶりの……全力疾走……はキツイぜ……」


 チャリオットから崩れるように倒れ込み地面に大の字になる。

 実は俺は学生の時競輪の選手を目指したことがあり、専門学校にまで通ったことがある。

 しかし才能がない事を悟り中退した過去がある、あの時は両親の反対を押し切り、無理言って進学させてもらったのに中退したものだからこっぴどくオヤジに叱られたっけ。

 それからオヤジと険悪になった俺は親元を離れ一人暮らしを始めユーザービーツで生計を立てていたのだ。

 しかし仕事で全力疾走などしないから随分と体力が落ちていたのだなと今ので改めて実感した。

 これからはもう少しトレーニングでもするか。


「はいお兄ちゃんこれ」


 少女が俺に皮の袋の先端にキャップが嵌ったようなものを差し出してきた。


「これは?」


「水筒だよ、辛そうだからこれを飲んで」


「ありがたい!!」


 水筒を少女から受け取ると文字通り俺は浴びるように中の水を飲み干した。

 しかし何だってこんな時代錯誤な水筒をこの子が持ってるのだろう。

 今ならプラッスチック製やステンレス製のもっと良い水筒があるだろうに。


「ごめん、全部飲んじゃった……」


「いいよ、私の家はすぐそこだから」


「えっ?」


 少女が指さす先には小さなログハウス風の小屋があった。

 どうやら偶然、逃げた先が少女の家の方向だったようだ。


「それにしてもお兄ちゃんのこの乗り物早いねーーー!!

 何て言う乗り物?」


「おいおい、自転車だよ? まさか知らないの?」


「うん、麓の街ではこんな乗り物があるんだね、ルミ初めて見たよ」


 子供とは言え今どき自転車を知らないだと? 

 確かにここは相当な田舎の山奥の様だがそれはあまりにも無知なのでは?

 俺が首を傾げている間にその少女、ルミは家の中に入っていき、一人の初老の女性と一緒に家から出て来た。


「ゴホッ……これはこれは孫娘のルミを助けてくれたそうで、何とお礼を申し上げてよいやら……」


「いえいえ、当たり前の事をしたまでですよ」


 深々と頭を下げる女性、どうやら彼女はルミの祖母の様だ。


「だから一人で山に薬草を取りに行ってはいけないと言っておいたのにこの子は……ゴホッ」


「ごめんなさい……おばあさんがあまりに辛そうにしていたから」


 今どきなんて健気な子供だろう、でも今どき病気の治療に山に薬草を取りに行くかね。

 しかしどこかがおかしい、何だろうこの違和感は。

 水筒の時にも感じたことだが病気なら医者に掛かればいいのに。

 いくらこんな山奥でもバスの路線くらいあるだろうに。


「あの、この辺には街とかは無いんですか? 俺もそろそろ家に帰ろうと思うんですけど」


「街ですか? それなら山を更に下ってください、街は麓にあります……ゴホッ」


 せき込む人がいるとつい新型プロミネンスウイルスではないかと警戒してしまうな、流石にルミの祖母は違うと思うが。


「街にはねルミのお姉ちゃんが居るの、ユニお姉ちゃんは元気かしら」


「そうなんだ、これから俺も街に行くわけだからもしかして会えるかもな」


「うん、もしお姉ちゃんに会ったら仲良くしてね」


「任せろ」


 ははっ、子供は無邪気でいいな、互いに顔など知らないから例え道ですれ違ったとしてもそのユニって子に俺が会えるかどうかは分からないのにな。

 俺はルミにほほ笑みかけ、頭を撫でた。


「では俺はこれで失礼します、元気でなルミ」


「えーーーっ? お兄ちゃんもう行っちゃうの?」


「日が沈む前に街に辿り着きたいんだよ、じゃあねルミちゃん」


 チャリオットに跨り右手を上げ挨拶をすると、俺はペダルを踏みしめ動き出した。


「さようならーーー!! お兄ちゃんーーー!! また遊びに来てねーーー!!」


 ルミの別れの挨拶を背中に受け林道を下る、声はすぐに聞こえなくなった。


「なあ、何かおかしいと思わないか?」


 山を下りながら俺は先ほど感じた違和感をチャリオットにぶちまけてみた。


 『ああ、何かがおかしいな、確か俺たち街中の交差点でトラックに撥ねられたよな』


「やっぱりお前も覚えているか、それで気づいたらこんな山奥に倒れてたんだもんな、訳が分からないよ」


『それにさっきの女の子とばあさん、どう見ても外国人だったんだが随分と流暢な日本語だったぞ』


「あれ? そうだったか? 普通に日本語が通じてたから気にしてなかったよ」


『おいおい頼むぜ相棒、事故で頭でも打ったか? しっかりしてくれよ』


 頭を打った? そう、確かに俺は頭を打ったはず……なのに頭どころか身体に傷一つ負っていないのはやはりおかしい……何だ? まるで大事な記憶に靄が掛かっているような感覚がする。


 ポロロン……。


 又スマホがなった、この音は依頼達成を知らせる着信音だ。


「えっ? 依頼なんか熟したっけ?」


 ポケットからスマホを取り出すと画面が激しく明滅している、こんなことは今までなかった。


「どうなってんだ?」


 俺があたふたしていると次の瞬間画面からコインの様なものがジャラジャラと溢れ出してきたではないか。

 あり得ない、画面は有機ELの固いディスプレイなのに何故ものが出て来る?

 コインは十枚出たところで画面の輝きは収まり、それきりコインも出てこなかった。

 地面には赤銅色のコインが複数枚落ちていたので拾ってみた。


「この色は十円玉か? いや、違う……何だこの硬貨は?」


 そのコインは見慣れない文字が刻まれた異国のコインと言った様相を呈していた。


『もしかしてそれ、あの子を家まで届けた達成報酬なんじゃないのか?』


 チャリオットが妙な事を言い出す。


「馬鹿言え何でそうなるんだよ、見てみろよこのコイン……どう見ても日本の硬貨じゃないぜ?」


 こんな怪しげなコインが報酬だなんてあり得ない。

 これじゃゲーセンのメダルゲームだって出来やしないぜ。


『だってよ、集荷依頼の場所にあのルミって子がいただろう? あの子を家まで届けたってことで依頼が達成されてギャラが振り込まれた……相棒がいつもしていることじゃないか』


「ウーーーン、言われてみればそうだが、スマホの画面からコインが出るなんておかしいじゃないか、魔法じゃあるまいし考えられない」


『じゃあ魔法なんじゃないの?』


「まさかそれってお前……」


 敢えて考えないようにしていたがどうやらチャリオットも同じ結論に達している様だ。


『ここはオレっちたちが居た世界ではない……?』


「そうか、ここが噂に聞く異世界……」


 取り合えず落ちていたコインは全て拾いポケットに入れた、何かの役に立つかもしれない。

 まだ確信を得た訳では無いが俺は薄々実感していた……間違いない、俺たちは俺たちの基準で言うところの異世界に紛れ込んでしまったのだと。

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