27話 一度の失敗は人生においてどれほどの重みを持つにいたるのか その7
練武展の後、ようやく真一も天文部へと復帰を果たすことができたのだが、このところまともな部活動はほぼ出来ていなかった。
その経緯を真一に話すことは、申し訳なさやら、不甲斐なさでいっぱいになる。
しかし、いざ実際話してみると、真一の方こそ申し訳なさそうに頭を下げるばかりで、互いに気を遣いすぎて、コミュニケーションが不足していることを否応なく実感させられる。
琴美や優子も、あの居心地の悪いギクシャクは無くなり、以前のように二人でいろんな話をしては盛り上がったり、休日には二人で出かけたりしているのか、お互いにお揃いの物を身に付けたり、以前にもまして仲睦まじい様子を見せた。
暦はもう12月を間近に控え、本格的な冬の到来を改めて肌で実感する日が増えていた。
さて、件の大樹の方だが、最初のうちはあれこれと仕事の愚痴や、勉強の不明点、履歴書の添削など、足繁くこの天文部の部室へと通ってはいたが、ここ数日はそのような事もなくなり、彼なりに自覚を持って打ち込んでいるのだと、信じることにしていた。
しかし、そんな矢先、事は起こった。
発端は学校の昼休みに掛かってきた一本の電話だった。相手は大樹が行っている日雇いの親方。どうやら、大樹が今日、日雇いの仕事に姿を見せないらしい。
実際、日雇いの仕事でこんなことは珍しい事でも何でもない。初日の休憩中に居なくなることも良くあることで、酷いものだと、数日は真面目に働いているように見せかけて、泣き落としで給料を前借、翌日にはドロンと言った計画犯まで居る。
俺が初日から大樹に小銭だけ持っていくように指示したのも似たような理由で、下手に現金を持っていくと、無くなっていたとしても誰を責めることもできない。泣き寝入りせざるを得なくなるのだ。
親方もその辺りはよく熟知しているので、人が一人バックレたくらいでいちいち関係者に連絡などしない。
ではなぜ今回俺の元に連絡が来たのか。それは俺があらかじめ親方にお願いしていたからに他ならない。
親方からの電話の後、俺は頭を抱える。色々な考えがまた輪となって頭の中を回り始める。
仕事先で何かあったのか。
勉強や就職活動の進捗状況はどうか。
そもそも、昨日で大樹が働き始めて何日目か。
そうなると、由佳はどうなのか。
考えうる最悪のパターンはどれか。
ぐるぐると輪を描く考えが一つの考えに行きつく。
携帯で大樹に連絡を入れる。大樹は出ない。自分の中で嫌な予感が急速に膨れ上がる。
俺は急ぎ教室を飛び出て部室を目指す。天文部の面々はいつものようにみんなで昼食を食べていた。息咳き切らせて部室に飛び込んだ俺に驚き、皆の箸が止まる。
「大樹が日雇いから逃げた。連絡も付かない。今から由佳の病院に行く。悪いけど、琴美、付いてきてくれ。」
俺の言葉に琴美は口を固く結び、コクリと頷く。
「待って!」
部室を出ようとした俺達に待ったをかけたのは優子だった。
「私も行く。美海も。」
その言葉に美海も静かに頷く。
「お、俺は?」
真一は俺たちを見てキョロキョロと視線を漂わせる。
「すまん!タクシーで行くから留守番頼む。あと、七海先生に言っといてくれ。」
そう言い残し、俺たちは急ぎ学校を飛び出た。
幸いすぐにタクシーを捕まえることができ、俺たちは病院へ向かう。
「誠は、どう思うの?」
タクシーの車内で優子が俺に話しかける。
「まだ、なんとも。由佳にも話を聞かないと。」
「誠の中で、一応の答えはあるんだね。口にしたくないだけかな。」
しまった。琴美にはすべて筒抜けなのだ。俺は観念する。
「そうだ。琴美には隠せないな。」
「そんなの、琴美じゃなくても、私でもわかるよ。」
優子は不満気に言う。そんなに俺はわかりやすい顔をしてたのだろうか。
病院に着き、由佳の病室に向かう。
由佳の病室、そこに大樹はいた。
大樹は俺の顔を見止めると、小さく会釈をする。
「親方から聞いたんスか。抜け目ないスね。」
大樹は俺の目を見ず、冷たいリノリウムの床を見つめながら無気力に言う。
「どういうつもりだ。」
「言わなくてもわかってるんでしょ。だからここに来たんでしょ。堕ろすんスよ。金はもう貯まったんで。」
どうしていつもこう、嫌な予感だけは外れてくれないんだ。しかし、そのわりには由佳の落ち着きが気になった。前々から説得していたのだろうか。
「お前、生まれてくる子供のために頑張るんじゃないのかよ。」
「そんな気さらさらないスよ。元々金が溜まったらバックレようと思ってました。」
「嘘。」
大樹に間髪入れずに琴美が言う。
「もう、嘘は止めようぜ。思ってること、言えよ。」
そうだ。これが俺が琴美を連れてきたかった理由だ。琴美は嘘がわかる。この切羽詰まった状況での最強の切り札ともいえる。
「なんなんすか。もう俺らの事は放っておいてくださいよ。正直、やってらんないっスよ。あんな誰でもできるゴミみたいな仕事も。寝る時間惜しんで毎日教本読むのも。全部もう、ダルいんスよ!」
「嘘。」
琴美は嘘の判定をした。どういうことだ。俺は少し混乱していた。彼に言い返す言葉が出てこない。
「本当は…」
琴美が一歩前に出て話し始める。
「本当は、子供の事を考えての選択なのね。」
琴美の言葉に大樹は言葉を詰まらせる。
「どういうことだ。」
琴美に問いかける。しかし、その問いに答えたのは大樹だった。
「お見通しってわけか。そうすよ。どうせ、子供が生まれても、苦労させることわかってるんスから、産まないでやるのも親の愛情でしょ。」
彼の投げやりな言い方に呑まれそうになるが、きっと彼らの中で相当の苦悩があったのだろう。
「どうせ高校中退の俺がまともな就職なんてできるわけもないし、貯金もない俺らが子供持ったって、不幸になるだけスよ。由佳ももう納得してるんで。」
由佳は静かに力なく頷く。
「だから、もう俺らの事は放っておいてください。もう、つらいスよ。責められるのも。」
その時だった、俺と琴美の後方から、優子が大樹に向かって飛び出した。
「甘えてんじゃねえ!つらいのも、大変なのも苦労するのも当たり前だろ!お前が私たちの事巻き込んだんだろうが!それでも自分のしてきた事の結果だろ!子供につらい思いさせるのが嫌ならお前がその分頑張れよ!自分だけ逃げてるんじゃねぇ!」
優子の激昂に呆気に取られるとともに混乱した頭が覚め、冷静さを取り戻していく。
大樹の胸倉を掴んだ優子をとりあえず宥める。
「あなた、由佳さんの体の事は考えたの?」
美海は静かに大樹に詰め寄る。
「もうおなかの赤ちゃん、かなりの大きさになってきてるわよね。母体にかかる負担の事は考えたの?」
大樹は何も言い返せずただ黙る。
「最悪、もう二度と妊娠できなくなることもあるのよ。それだけじゃない、父親のあなたと違って由佳さんの心の負担は計り知れないほど大きいわ。そのことは考えたの?」
大樹は由佳を見る。
「言ってなかったのか。」
俺への返事代わりに、由佳は大粒の涙を一粒、瞳から零すだけだった。
「じゃあ、どうしたらいいんだよ。こんな失敗ばっかりの人生で。好きな女一人幸せにできないで…」
「安心しろ。そうならないように、今お前は頑張ってるんだ。それにお前が頑張れば、社会は絶対にお前の事を見つけてくれる。全部お前にかかってるんだ。お前が躓いたのは学校を辞めたことだけだ。それ以外は驚くほど順調だよ。」
「でも、日雇いもバックレちゃったし、もう…」
「親方には彼女の体調が悪くて病院に行ってるって言っといた。明日、ちゃんと謝れば大丈夫だよ。
それに、親方が言ってたぞ。若いのに真面目によく働くって。お前が居ないと困るとまで言ってたぞ。な、ちゃんとお前のこと見てくれる人はいるんだ。お前はお前が愛する人の事、よく見てやれ。」
「由佳…」
大樹はベッドに座る由佳に縋りつく。そして彼女はそんな彼の頭を慈しむ様に撫でるのだ。
「大樹、ごめんね。私、どうしても言えなかった。大樹の重荷になると思って。私、この子、産んでもいいのかなぁ。」
「ああ。今までごめん。由佳も、お腹の子供も俺が絶対幸せにするから。」
俺は静かに琴美を見る。琴美は静かに首を振る。その目は言葉以上に俺に語りかける。
「野暮だよ。」
俺たちは静かに病室を後にした。
病院のロビーまで来た時、優子はへなへなとその場にへたり込む。
「緊張、したぁー…」
そういう優子の手や膝はガクガクと震えている。余程無理をしていたのだろう。
「すごかったよ。おかげで冷静になれた。ありがとう。」
「いやいや、みんなのマネと、ちょっとアニメのセリフを改変しただけだよ。私、ああいうキャラじゃないから。…それに、やっぱりちょっとムカついてたから。」
優子は、はにかみながら笑う。優子の中で俺たちのイメージってなんなんだろう。
「でも、あいつら、これでこの先、うまくやれるのかな?」
琴美の心配は尤もだ。
「さあな、あいつら次第だよ。自分の人生、なんでも失敗って思ってりゃ、うまくいってることでもネガティブに捉えちゃうし、どんなにコケても貪欲に糧にする奴もいる。要は自分をどっちの人間にするかで人生は変わるものだよ。」
琴美と優子はふーんと納得したのかしてないのか、微妙な返事で返す。
「でも、俺達もいい勉強になった。」
「妊娠について?」
琴美が茶化す。
「一人で抱え込まずに何でも仲間にしっかり相談することをだ。俺たちは恵まれてるからな。仲間想いの仲間が部室に六人もいる。頼れる教師も二人いるしな。」
そう言うと、優子も琴美も顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「そういう事、ポンというの、おっさん臭いよ。」
美海は俺の腕にしがみ付きながら悪態を吐く。
きっと人はいくつもの失敗を重ねていく。簡単にフォローできるものから、取り返しのつかないものまで、さまざまな失敗を繰り返す。
しかし、その一つ一つの重みはきっと推し量ることなど出来ない。なぜなら、それが本当に失敗だったのか、それがわかるのは本人が歳を重ね、在りし日を思い返した時、初めてその重みを知ることができるのだから。
だから俺たちは、その時に後悔にならないよう、全力で今を生きる他はないのだ。
なぜなら、自分で自分を諦め、自分の可能性を殺してしまうことほど愚かしいことはないのだから。
一度の失敗は人生においてどれほどの重みを持つにいたるのか 完
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