第23話 一度の失敗は人生においてどれほどの重みを持つにいたるのか その3

 翌日の昼休み、俺と美海はまた保健室に来ていた。


 昨日の経緯は美海には話してある。


 「あのね、あなたたち、保健室は生徒のたまり場じゃないのよ。」


 理子は口を尖らせながら不満を漏らす。


 「理子、今日はおふざけなしだ。」


 昨日の経緯を理子に話す。もちろん、俺の推理についても。


 「でも、まだそうと決まったわけじゃないんでしょ。」


 「そうだ。でも、今回に限って言えば、その方がどんなにいい事か…。」


 俺の言葉に美海も静かに頷く。


 「さすがの誠も今回ばかりは大火傷ね。」


 理子は皮肉交じりに言うが、何も言い返すことができない。このことを考えるだけで昨日からずっと気分が悪い。


 俺の気持ちを察してか、あるいは彼女も同じ気持ちなのか、美海が俺の手に優しく手を添える。


 「ありがとう。今は、俺の推理が間違っていることを祈るだけだ。」


 「それ、間違ってなかったらどうするの?」


 理子のツッコミは毎回痛いところを突いてくる。


 「どうもこうも…あとはあいつらが考えるべきことだろ。」


 俺の精一杯の苦し紛れに理子はため息を吐く。


 「引っ張り出して、それで後は知らんぷり?流石クズ男ね。」


 理子は懐かしい罵倒を口にする。


 「俺には、あいつらをどうこう言える資格はないと思う。」


 「でも、何かを伝えられるのも、誠だけじゃないかな。」


 美海は俺の手に乗せた手をギュッと握る。俺もその手を握り返す。


 「まぁ、今回ばっかりは言葉一つでどうにかなる問題でもないし、それでも、やるだけやってみるさ。」


 理子は納得しかねる様子で溜息を吐く。


 「ほんと、いろんなことに首突っ込んで、痛い目ばっかりあって、救えないわね。」


 理子の低い声に美海は俺を見上げる。


 「あなたたち、二人の事よ。よく覚えておきなさい。」


 理子の忠告はそれだけで、俺たちの心に重くのしかかった。


 放課後、琴美は真一のいない部室で、琴美の今までの経緯について、みんなに語った。


 みんなかなり心配していたようで、とりわけ優子の怒りは凄まじかった。


 「どれほど心配してたと思うの!自分だけで悩み事抱えるなんてヤダよ!そんなに私たちの事信用できないの!?今までだってみんなで解決してきたじゃない!こういうの、もうこれっきりにしてよ。」


 優子の剣幕に琴美は俯き、その目に涙を湛えていた。


 「ごめん。ありがとう優子…」


 そういう琴美の瞳からは遂に涙が零れだす。優子も彼女に劣らず涙を零す。


 思えば彼女たちは天文部の中でもとりわけ仲がいい。お互い嘘もなく、自分の趣味を隠すこともなく、程よく自分を相手に押し付け合える。互いに自分の居場所を相手に求めあえる関係と言えるのだろう。


 「それで、今日みんなで早速乗り込むの?」


 霧崎先輩が息巻いて言う。しかし、それを俺は制止する。


 「いや、今回、俺と琴美だけで行かせてほしい。みんなには後で報告させてほしい。」


 「そっか、部屋から出てこないのに、大勢で行ったら余計に出てこなくなっちゃうもんね。」


 「…まぁ、そうですね。とにかく今日は琴美と二人で行きます。」


 もちろん理由は他にある。しかし、確認できてもないうちからみんなに言うわけにはいかない。


 しばらくして、琴美と部室を出て由佳の家へと向かう。


 校門のところでは、芽衣が俺たちを待っていた。


 「今日、行くんでしょ。私も、行ってもいい?」


 恐る恐る、芽衣は俺に問う。


 「ごめん。今日はちょっと。」


 「そっか。わかった。」


 意外にも芽衣はおとなしく引き下がる。まるで事情を知っているかのようだ。


 「ごめん。」


 俺の謝罪に手をヒラヒラさせると彼女は軽く俺たちに手を振って行ってしまった。


 「誠、どうしたの?」


 不意に琴美が立ち止まり、俺に声を掛ける。


 「どうって…?」

 「今日の誠、自分では気付いてないかもしれないけど、すごく怖い顔してるよ。」


 自分でも気付いてなかったが、そんなに酷い顔をしていたのだろうか。そう思えば先ほどの芽衣の態度にも説明がつく。


 「…なんでもない。」


 口にした後に気付く。俺としたことがとても軽率な返答をしたものだ。なにせ、琴美には嘘がわかる。


 「そっか。」


 しかし、琴美の返答は意外なものだった。てっきり嘘を咎められるものとばかり思っていたのだが。そうか、そこまで俺は…。


 パン!


 両手で強く両頬を叩く。何やってんだ俺は!こんな気持ちで。こんな自分の事ばっかり考えて。そんなんで人の事情に首なんて突っ込めるか!


 「ごめん。目が覚めた。琴美、まだ決まったわけじゃないけど、俺の考えを話しておく。」


 歩きながら俺の推理を琴美に話す。


 「そんな…。」


 琴美は言葉を失っていた。


 「まだわかんないけど。これから確認するつもり。」


 琴美は言葉の代わりに頷く。


 無言のまま二人で由佳の家を目指す。


 呼び鈴を押す。


 由佳の母親にリビングに通されると大樹はもうすでにリビングで俺たちを待っていた。


 「お母さん、由佳さんの部屋の鍵はありますか?持ってきてほしいんですけど。」


 由佳の母親に由佳の部屋の鍵を催促する。彼女は少し戸惑った顔をしたが俺の目を見てただならぬ雰囲気を感じたのかそそくさと鍵を探しに行った。


 「おい、なんだよ。こういうのって無理矢理とかは良くないんだろう?」


 大樹は俺たちが実力行使に出ることを不安がった。


 「大樹君、聞きたいことがいくつかあるんだけど。」


 由佳の母親が戻らないうちに大樹に質問を投げかける。


 「由佳とはいつからの付き合いですか?」


 「俺が中三の時だよ。あいつ、野球部のマネージャーだったから。高校行って俺は野球辞めちゃったけど、あいつとはよく遊んでたんだよ。」


 「由佳さんがなりたいものとか、付きたい仕事とかって聞いたりしてますか?」


 男はしばし考え、ハッと手を叩いて答える。


 「絵本作家!そうだよ、昔っから絵本作家になりたいって言ってたから。でも、こんなこと、何の関係があるんだ?」


 男の問いかけは無視して質問を続ける。俺は大きく息を吐いて呼吸を整える。


 「最後の質問です。真剣に、嘘偽りなく答えてください。」


 「あなたは、由佳さんと…」


 俺は最後の質問を大樹に投げかける。


 大樹はハッとした顔を俺に向け、青ざめた顔で俺の目を見つめながら、静かに頷いた。


 「これで大体80%くらいかな。」


 ソファに深く腰掛け、小さく呟く。ここまで俺の悪い予想は概ね当たってしまっている。


 しばらく無言でソファに腰掛けていると由佳の母親が鍵を持ってリビングにやってきた。


 それを受け取ると大樹は俺たちの後を追おうと腰を浮かせるがそれを制止する。


 「悪いけど、待っててください。俺と琴美で行きます。」


 琴美は自分も行くことに驚いた顔をしていたが、俺の事を信じてくれているのか黙って席を立つ。


 琴美を部屋の前から少し離れた位置で待機させ、部屋の扉をノックする。


 返事はない。


 俺は何の言葉も発せず鍵穴に一気に鍵を差し入れ、すぐさまドアを開ける。


 ルール無用の完全なる奇襲攻撃だ。まさか由佳もここにきて強行突破に出られるとは思っていなかっただろう。


 「うっ」


 部屋に入った俺は思わず声を漏らす。まず気付くのは部屋の中の異臭だ。家族の隙を見て身綺麗にしていた琴美とは違い、由佳は部屋の中でも粗相をしてしまっていたようだ。


 そして、ごみ箱に溜まった吐しゃ物。その異臭に思わず嘔吐きそうになる。


 その異様な部屋の中に彼女は居た。


 ぼんやりと中空を見つめ、突入してきた俺には目もくれない。出された食事もまともに摂っていなかったのか体はやせ細り、しかし、彼女の腹部だけは、なだらかに膨らみ、その中に新しい命が宿っていることを感じさせる。


 「き、救急車!早く!」


 彼女の焦点の合わない目を見て反射的に叫ぶ。彼女の肩を揺さぶるが応答はない。


 俺の声を聞いた琴美が携帯片手に部屋に入る。


 「う!」


 琴美は思わず口元を押さえる。


 「琴美、誰も入れるな!救急車!早く!」


 琴美は震える手で携帯のボタンを押しながら廊下へと退避する。


 俺は彼女の肩を軽く揺さぶり声を掛けるが、彼女からはなんの反応も帰ってこない。


 廊下からは大樹の由佳を呼ぶ声が聞こえてくるが、琴美が止めているのだろう。部屋の中まで入ってくることはなかった。


 しばらくして救急車が由佳の家に到着する。琴美は少し冷静さを取り戻したのか、琴美の父の勤める病院を手短に伝えると、由佳と母親を乗せた救急車は走り去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る