第20話 小さな恋の物語 その6

 いよいよ今日は練武展当日だ。俺たちは学校近くにある運動施設に来ていた。ここは練武展の他にも球技大会の折などにも使用する施設となっている。


 アリーナ型の観客席があるのでこういう催しには学生が皆観覧できるし部外者の応援も来ることができる。便利な施設だ。


 俺がこの日に向けて何かしてきたかというと、実は特に何もしていない。


 それは真一の事を侮って、などという事は決してない。相手のセコンドには志信が居るのだ。絶対に何か仕込んでくる。


 しかし、真一のいない天文部は実に厄介な問題に直面していたのだ。その為、昨日までも俺たちは右往左往の毎日を送ることとなっていた。


 そしてそのまま当日を迎えることとなったのだ。


 俺は一旦今抱えている問題の事を頭から追い出す。


 中二の時には大きく感じていた道着は今や手足の丈が足りなくなって不格好だが今日一日だけの事だ。そして、有段者の証である黒帯を締める。懐かしい。


 控室を出て一度観客席の美海たちのところへ行く。


 そこにはいつもの天文部の面々、そして七海と理子、そして真一の兄妹たち、道田さんだったか、と、ファミレスの店長だろうか壮齢の男性が観戦に来ていてちょっとした大所帯になっていた。


 「誠、大丈夫?真一に怪我させないでよ。」


 美海が心配そうに言う。


 「大丈夫。真一の想いにはしっかり答えるよ。」


 そう言うと理子が意地悪く言う。


 「案外誠があっさり負けちゃったりしてね。」


 「先生こそ、救護室の方は良いんですか?」


 「今日は専門の救護スタッフが居るから私は良いのよ。せいぜい凹まされないように頑張んなさい。」


 理子は野次か応援か判断の付かぬ声援を投げつける。


 「誠君、頑張ってくださいね。兄もかなり特訓してたみたいですよ。」


 真一の妹の日和ちゃんが小さくガッツポーズを作りながら言う。


 「おう!真一のこと見ててやってくれな。俺も負けないから!」


 そうこうしていると前の剣道部の演武が終わり、遂に空手部の出番となった。


 「じゃ、行ってくるな。」


 そういい、選手通路に急ぐ。真一はもう来ていた。その顔はひどく痣だらけで試合開始前からもう満身創痍の面持ちだ。


 「よう!今日はよろしくな。」


 軽い感じで真一に挨拶をする。


 「押忍!全力で行く。誠も。」


 そういう真一の顔は以前の優しいだけのものではなく、芯のある強い男の顔をしていた。


 「こっちも本気で行くから。任せろ!」


 真一にそう告げる。真一はここに来て初めて照れ臭そうに笑った。


 空手部の型の披露が終わり、真一と今か今かと出番を待つ。


 しかし、ついぞ俺たちが呼ばれることはなかった。


 肩透かしをくらい、唖然としていると組手を終えた志信がやってきた。


 「じゃ、僕が審判するから。来て。」


 「続きまして、実践格闘技拳法の特別試合を始めます。選手前へ。」


 驚くことに俺たちのための時間がしっかりとられていたのだ。これは志信と空手部の面々の粋な計らいなのだろう。


 「両者、礼!」


 「押忍!」


 志信の掛け声で俺達は互いに礼をする。


 「注意!有段者は白帯への顔面、頭部、及び正中線への攻撃を禁ずる。白帯は有段者への攻撃は限定無しとする。なお、今回は特別試合の為、有効打なし、降参、または試合続行不可とこちらが判断した場合のみ決着とする。有効時間は10分。」


 志信が淡々と、されども強い口調で注意事項の説明をする。正中線とは頭から股間に至るまでの体の中心を通る線の事だ。一般に急所が集まっている。


 目の前には白帯を巻いた真一。気迫の表情で初めの合図を待っている。俺も全身の力を抜き、拳を軽く握る。


 「両者、前へ!」


 俺と真一は一歩前に出る。


 「構え!」


 お互い、足をずらし、拳を顎の前で握る。


 「初め!」


 遂に俺と真一の戦いが始まった。


***


 遂に誠と真一の戦いが始まった。観客席でも皆固唾を飲んで勝負の行方を見守っている。


 真一の想いを告げるための勝負ではあるが、誠も真一も今はそんなこと、覚えてもいないのだろう。二人とも、今はいかに目の前に居る相手を叩きのめすのか、そのことだけを考えているようだった。


 先に動いたのは真一だ。左手を突き出し、軽めのジャブを放つ。


 誠はその牽制の隙間を縫って左、右、ローキックのコンボを決める。


 真一の膝が軽く折れるが倒れはしない。


 誠も意外そうな顔をしている。あわよくばもうケリをつけるつもりだったのだろう。


 拳を握りしめて誠に向き直る。そして懸命にも誠に向かい、拳を突き出す。


 しかし、試合内容は完全に誠のワンサイドゲームだ。真一の拳をいなし、躱し、一撃一撃が強烈な攻撃をお見舞いする。


 真一は何度も何度も膝が付きそうになりながらも済んでのところで耐え、すっかり下がってしまった拳を、誠に向かい突き出すのだ。


 この一方的な状況に観客席からだんだん不満が漏れ始める。


 「おーい!こんなのイジメだろ!もうやめさせろよー!」


 「審判止めろよー!」


 野次は二人だけでなく、志信君の方にも向かい始めるが志信君は全く意に介さない。


 「ちょっとこれはまずいかなぁ。」


 隣で琴美が不安そうな声を出す。優子も同じ気持ちなのかうんうんと頷く。


 「大丈夫だよ。真一のこと、信じよう。ずっと頑張ってきたんだもん。」


 私は二人を励ますが状況はますます悪くなってくる。


 遂に弱った真一の隙を突いて、誠のミドルキックが真一にクリーンヒットする。真一は横に飛ばされ、膝を着く。


 しかし、真一はまだ諦めない。すぐに立ち上がり拳を構える。


 そこからはさらに誠の攻勢が続いた。


 もう真一の隙も何も関係なく攻勢に出る。拳の雨を真一に降らせる。いくら分厚いグラブを付けていても誠の拳を、あれほど一方的に受けてはかなりのダメージがあるだろう。


 それでも真一は倒れない。必死で誠に食らいつく。誠は容赦なく蹴りを見舞う。また真一の体が横に薙ぎ払われる。


 「ひどい…」


 思わず声が漏れる。ここまで一方的な試合になることを誰が予想していただろうか。いや、もしかしたらあそこの三人は初めからわかっていたのかも知れない。


 それでも、三人は続行することを望んでいるのだ。


 「ちょっと!どこ行こうって言うのよ!」


 不意に琴美の声が耳に届く、そちらを見ると吐き気を押さえるように席を立った道田さんに琴美が声を掛けたのだ。


 「あなた、本当はわかってるんでしょ。真一がなんであそこであんなことやってるのか。」


 琴美の声は道田さんを責め立てるような激しさを秘めていた。


 「わ、私、知らない。そんなの。」


 道田さんは真っ青な顔をしながら琴美の指摘を否定する。


 「うそ!アタシわかるんだから。真一の想いにもずっと気付いてたんでしょ!」


 琴美には嘘が見える。彼女に嘘は付けない。


 「知らないよ。今回のも彼が勝手に…こんなになるなんて…」


 「嘘だよ!アタシ知ってた。あなたと初めて会った時から!あなたは真一の気持ちに気付いて、それで煽るだけ煽って…気まずくなったら逃げようなんて、最低だよ!」


 琴美の言葉はエスカレートしていく。


 「ほら!座ってちゃんと見なよ!あなたもアタシたちも最後まで見届ける責任があるよ!そう、アタシたちも…面白半分で真一のこと煽って、同罪。だから最後まで、見届けるんだ。」


 琴美に追及され、道田さんは席に戻る。


 しかし、試合の流れは未だ誠の一方的な攻勢だ。もう真一の眼の光は消えかかっているように見える。


 その時だった。


 「アニキ―!情けないぞー!負けんなー!ずっと練習してきたんだろ!」


 日和ちゃんが大きな声で声援を送る。


 「にいちゃん!がんばれー!まけるなー!」


 「にいちゃん、やっつけろー!」


 弟の優斗くんと陽美ちゃんも大きな声で声援を送る。


 それがまさにきっかけとなった。


 「がんばれー!真一!誠の事ぶっ飛ばせー!」


 琴美も大きな声で声援を送る。


 「負けるなー!ほら!パンチパンチ!」


 優子も声援を送りながら手を前に突き出している。


 「真一くーん!勝負所だよー!相手の事よく見てー!」


 霧崎先輩も。


「ほら、誠の顔がへこむ所見せてよ!」


 並木先生も。


そして場内に伝播していく声援。


 「がんばれー!真一ー!」


 「足使えー!」


 「相手も疲れてんぞー!」


 「真一!真一!」


 場内に響き渡る真一コール。


 「真一!志信君と特訓したこと思い出して!」


 その場の雰囲気に飲まれたのか、私も真一に声援を投げかける。


 「ほら、あなたも言いたいこと、あるんじゃないの?」


 琴美が道田さんに声を掛ける。


 「わ、私は…」


 「ちゃんといいな。でないと、アタシ許さないから。本気で。」


 琴美は声に凄みを乗せる。


 「真一くん!も、もう、立たないで!」


 道田さんの必死に絞ったその言葉はその場の誰とも違う言葉だった。その言葉にはどんな意味があったのか、私には知る由もない。


 その時だった、誠の突き出した拳に、真一は腰を落として顔と腕で、誠の腕を挟み込む。誠のしまったという顔。


 しかし、誠も咄嗟に肘を立てて腕を引っ込める。その時だ、真一が誠の懐に潜り込む。


 誰もが意表を突かれた。それは真一が攻めに転じたことではない。真一の取った攻撃方法にだ。それは戦っている誠が一番感じたことかもしれない。


 ガッ


 鈍い音が響く。誠の鼻目がけ、真一は頭突きを入れたのだ。誠が怯み、後退る。


その隙を逃さず、真一は再び誠の懐に潜り込み、執拗に誠の脇腹にフックを入れる。そこは文化祭の時、誠が刺されたところだ。


 あれから日が経っているとはいえ、そこが弱点な事は変わらない。誠の顔が激痛に歪む。


 耐え切れず誠は膝蹴りで真一をけん制しようとしたその時、オマケと言わんばかりに真一はもう一撃誠に頭突きを入れ離れる。


 場内に割れんばかりの歓声が響き渡る。


 「すげー!やるなー!」


 「あんなの初めて見たぞー!K-1よりすげー!」


 「きめちまえー!」


 再び巻き起こる真一コール。


 おそらく先ほどの攻撃は志信君の差し金だろう。


 誠も不意を突かれ、鼻からは鼻血が出ている。


しかし、誠の口元は、楽しそうに笑っていた。


 「いけー!アニキ―!誠君なんてぶっ飛ばせー!とどめだー!」


 日和ちゃんが今までで一番の声援を真一に投げかける。


 それを合図に真一が勝負をかける。


 「勝負!」


 勝負は一瞬で付いた。


 誠の後ろ回し蹴りが真一の左肩にクリーンヒットしたのだ。


 真一はきりもみしながら後方に吹き飛んだ。流石にこれまでと思ったのか志信君が制止を掛ける。


 「勝者、結城誠!」


 志信君は誠の勝ち名乗りを挙げる。


 そして、誠は楽しそうに笑ってその時初めて涙を流した。


 その笑顔を、その澄んだ涙を見た時、私は思った。


 ああ、この人の事、好きで良かった。もう一度、青春出来て良かった。


 傍目からすれば汗と涙と鼻血でとても見られた顔じゃない。でも私は誠のこの顔を一生忘れたくない。そう思った。


 「アニキ―!よくやったー!カッコよかったぞー!」


 日和ちゃんは声援を送り続けた。


 「にいちゃん!すごい!かっこいー!」


 「にいちゃん、えらいー!」


 「真一!最高!」


 「真一!実質勝ちだよー!」


 「真一君!君はすごいよー!」


 みんなの声援と共に溢れる真一コール。


 誠は倒れた真一に手を差し伸べる。


 誠に支えられ真一が起き上がる。


 すると誠が真一に何か耳打ちしている。


 「聞いてくれー!」


 真一が今まで聞いたことのない大きな声を出す。


 場内がそれを合図に静まり返る。


 「道田さん!好きだー!俺と付き合ってくれー!」


 突然の真一の告白。


 私たちの注目を皮切りに場内の視線が道田さんに集中する。


 道田さんは涙を零しながら答える。


 「ごめんなさい。私、付き合ってる人が居るの!だから、キミとは付き合えない!」


 真一はその答えを聞いて、涙を拭い、笑った。


 こうして、満場の拍手喝采と声援の中、彼の小さな恋は終わりを迎えたのだった。


***


 真一との試合を終え、二人仲良く医務室にて手当てを受ける。


 「武道の催しって聞いてたんだけどね。これじゃまるでケンカじゃないか。」


 医療スタッフの壮年の男性が呆れた声を出す。


 真一は体中、打ち身だらけでシップの匂いをプンプンさせている。


 俺は鼻の打撲と軽く傷口が開いてしまったようだ。


 「その、誠、ごめん。」


 俺の様子を見ながら真一が申し訳なさそうに謝る。


 「ん?なにが?」


 俺はその謝罪の意味を分かりかね聞き返す。


 「その、こんな事に付き合わせて…怪我も治りきってないのに…」


 「いいよ。そんなこと、気にすんな。怪我を打たせた俺が悪い。それに結構楽しかったぜ。」


 そう言いながら真一に笑顔を向ける。


 「ありがとう。」


 真一はまた申し訳なさそうに礼を告げた。


 医務室から出るとそこにはいつもの天文部のみんな、志信を初め空手部の連中、それに日和ちゃんたち真一の兄妹たちが揃って出迎えてくれた。しかし、そこに道田さんの姿はなかった。


 「二人ともお疲れさま。真一、惜しかったね。」


 俺と真一に琴美が労いの言葉を掛ける。


 「満足した。やっぱり誠は強かった。」


 真一がはにかみながら応える。


 「告白の方も残念だったね。でも、カッコよかったよ!」


 優子がそう言い、真一の肩を叩く。


 「あれでいい。みんなも、こんな事に付き合わせてごめん。これからは自分の気持ち、ちゃんと伝えられる男になるから。」


 そう言う真一の目からは涙が零れ落ちる。


 「うう、カッコ悪い。子供みたいだ。」


 真一はあふれ出る涙を拭うが、次から次に涙が溢れついには床に滴り落ちる。


 「真一、泣いても良いんだよ。そうやって、流した分だけ大人になっていくんだ。だから、泣きたいときは遠慮なく声出して泣け。」


 言いながら真一の肩を叩く。


 「うう、カッコ悪い。妹も、弟も見てるのに。うう、うわぁぁぁ。」


 堰を切るように真一は床に泣き崩れる。きっと彼の中にあったいろいろな感情がない交ぜになっているのだろう。


 「カッコ悪くないよ。真一君、カッコよかったよ。見直しちゃった。」


 そう言いながら霧崎先輩は真一の傍で膝を着いて彼の頭を撫でる。


 「そうだよ。アニキ、負けたけど、ダサかったけど、カッコよかった!」


 「うん!にーちゃん、やっぱりすごかった。」


 「にーちゃん、つよかった!かっこよかった!」


 兄妹たちも兄に称賛の声を送る。


 この暖かな光景を前に想いが溢れてくる。


 そうだ。真一、お前はカッコいい奴だよ。振られても恨み言の一つも言わず、目標の為にわき目も振らず努力出来て、それを微塵にも表に出さない。


 そして、いつでも人に優しく、自分のしたいことは二の次で、人の想いを一番に考えられる。


 俺が真一を天文部に誘った一番の理由はこれかもしれない。


 そんな真一に、俺自身が憧れていたんだ。だから、一緒に同じ青春を過ごしたいと、そう思ったからかもしれない。


 今となっては後付けの理由ではあるけれども。


 こんな全力な青春を俺も送りたかったんだ。


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