第8話 絆の形はそれぞれだから!

 天体観測を終えテントに戻る。流石に帰りは紛らわしい分かれ道もあり夜も深まっているので全員で固まって戻ることにした。

 テントに戻り気付く。よく考えると男子の寝るテントがない。

 流石に女子と同じテントで寝るわけにもいかない。俺の精神的にもNGだ。

「男子は先生の車よ。そのためのワンボックスなんだから。」

 七海が車のキーを寄越す。

「車に寝袋もあるから」と言われ七海の車に行く。

「これに二人か…」

 七海の借りたワンボックスカーの後部座席を倒しフラットにする。しかし、寝袋を置くと意外に窮屈だ。この空間に男二人というのは少し危うい。

「ど、どうする?」

 さすがに真一も不安を覚えたのか震えた声で尋ねる。

「真一使っていいぞ。俺、全然寝なくても平気な人間だから。テントのとこで見張りしながら仮眠する。」

「いや、流石に悪い。誠使って。」

 真一は言うが今回真一にはいろいろ大変な役目をしてもらっている。明日も明後日も活躍してもらうため、ここは是非とも体を休めてほしい。

「いいよ。明日も頑張ってもらうからさ。俺、座りながらでも余裕で寝られるし。」

 真一は申し訳なさそうにしていたが心配いらない旨を伝えてテントに向かう。

 タープの下のテーブルにはまだ人影がある。七海に理子、そして優子と古池先輩だ。

「まだ寝てなかったんですか。というより、珍しい取り合わせですね。」

 折りたたみイスを寄せながら声をかける。

「誠、車で寝るんじゃないの?」

 理子が言う。呼び方が二人の時の呼び方になっている。と、思ってみていると理子と七海の手にはお酒がしっかり握られていた。

「いくらワンボックスでも男二人だと狭いです。身の危険を感じます。というより、飲んでるんですか?」

「えへへー。大人の特権だよー。」

 七海がにこにこ、というよりニヤニヤしながら言う。どうやらこの二人はあまりお酒に強くないらしい。

「誠も飲む?」

 理子が缶酎ハイを片手に聞く。

「いや、未成年は飲酒禁止ですよ。教師でしょ。」

 実際サラリーマン時代にも飲酒の機会は少なくなかったが、正直そんなに酒は好きではない。

「もーおっさんが遠慮しないの!」

 おっと、理子は酔うと口が軽くなるようだ。こういう時、変に動揺したり突っ込んではいけない。酔っぱらいを華麗にいなせないようではサラリーマンはやっていけない。

「優子、並木先生が飲むかって言ってるぞ?」

 そう、他人に矛先を向けてしまえばいいのだ。

「はーい。私飲みまーす!」

 優子はノリノリで酎ハイを受け取るが、流石にそのまま飲ませるわけにもいかない。

「はいはい、そこまで。というより先生方が止めてください。」

 そう言いながら優子から酎ハイを取り上げる。

「えー、ケチー!それよりさ、せっかく先生もいい感じにお酒入ってるしさ、なんか面白い話しようよ。」

 で、でたー!酒の席で無茶ぶりする奴ー!と心の中で叫ぶ。決して声に出してはいけない。

「じゃ、先生恋バナ聞きたいなぁ。」

 理子がずずいと前のめる。

「じゃ、言い出しっぺの優子からだな。」

 責任者として優子を生贄に捧げる。

「私ー?そうだなー、バスプリの涼君とかー…」

 優子はアニメキャラをつらつら上げる。そうだ。こいつはこういう奴だった。

「私リアル恋愛はちょっとわかんないですねー。みんなといると楽しいですけど二人で遊びに行ったりとかわかんないですねぇ。」

 ピンときた。これは彼女の高等スルースキルだ。アニメ脳でアニメキャラにしかハスれないから現実恋愛に興味ないと言いつつ話を自分から逸らすのだ。

 なかなかうまい。が、俺には通用しない。なぜならGWに思いっきり二人で遊びに行ったからだ。が、余計な事は言わない。言わないのが正しい大人である。

「古池先輩はなんかないんですかー?先輩らしい恋愛経験!」

 優子はカウンター気味に先輩に矛先を向ける。

「わ、私!?ないないないない!そ、そんな時間とかもないし、そんな良いって思う男子もいないし。」

「男子がいないなら女子は居るのかなー?」

 慌てて切り返す先輩に理子が意外な返しをする。

「いいい、いるわけないじゃないですか!?な、何言ってんですか!?」

 これは、いる。こんなわかりやすい返しはかえって突っ込み辛い。

「えー、先輩、そっちの人なんですかー?」

 怖いもの知らずの優子がさらに突っ込む。なに、この子お酒入ってないですか?そっとしとこうよ。

「はぁ?あ、あ、ありえないし。女同士とか、き、気持ち悪いわよ。」

 もう見ていられない。きっと自身の言葉が彼女の心を切り付けているのだろう。真っ赤な先輩の顔が泣きそうになる。すると意外にも理子が助け舟をだした。

「えー、私は女同士もいいと思うんだけどなー。」

「並木先生、女同士でもイケる人なんですか!?気になる人とかいるんですかー?」

 優子は理子にかぶりつく。そうだ、こいつアニメ脳だからそういう垣根が低いんだ。まぁ、俺と真一で妄想とか口にしないだけまだマシなんだろう。

「そうねぇ。七海だったら私いいよ。」

 艶っぽい声を出しながら七海を見る理子。七海は「え、私?」と顔を赤らめる。

「私、七海とはこれから先もずっと一緒に居たいよ。ずっと仲良くしたい。」

 先ほどのおどけた雰囲気とは一転、真摯な声で想いを告げる理子。七海の目に見る見る涙が溜まっていく。

「理子…私も。私も理子とずっと一緒に居たいから。私も理子のこと大好きだよ。」

 七海の目からは涙が溢れ出る。理子も普段のポーカーフェイスが崩れ頬を涙で濡らしている。

 この二人はこれから先もきっといろんな壁にぶつかるのだろう。でも二人の絆が壊れることはないだろう。

 二人の姿を見て目頭が熱くなる。しかし、俺の隣で先ほどから嗚咽を漏らしているだらしない先輩がいる。古池先輩だ。

「先輩、先輩が欲しいものもこういう関係のことじゃないんですか?」

「うん。そうかも。ずっと一緒に居たい。でもいっつもケンカとかしちゃうし…」

「梶原先輩ですか?」

 聞くと先輩は目を真ん丸にして俺を見る。この人ホントわかりやすい。

「なんでわかったの?」

「いや、今日もケンカしてたし。それに仲が悪いようにも見えなかったし。だから何となく聞いただけなんですが。」

 ネタバラシをすると先輩はハッと我に返る。

「古池先輩と梶原先輩ってどういう関係なんですかー?」

 優子は興味津々に掘り下げる。ほんと恐れ知らずですな!

「梢とは、幼馴染なのよ。幼稚園からずっと一緒。で、そのころからケンカばっかり。でもなんとなくウマが合ってね。言い合いしてるときは鬱陶しいなって思うときもあるけど、やっぱりいないと寂しい。」

 彼女は昔を懐かしむように言う。雰囲気に飲まれたのか優子も静かになる。

「向こうも同じ気持ちだったらいいな。って思う…」

「きっと、同じ気持ちですよ。」

 優子が先輩の手を握り言う。優子は普段教室ではクラスメイトに合わせて大人しい。彼女がアニメ脳でオタクな自分を表現できるのは部室にいる時くらいだ。そんな彼女だからこそ古池先輩の寂しさに共感できるのかもしれない。

「姫川さん…ありがとう。」

 先輩は優子の手を握り返す。さて、良い雰囲気に幕を閉じられそうだ。

「みんな、そろそろ寝ますか?俺、ここで見張りしながら仮眠するんで気にせず寝てください。」

 時計はもうすぐ日付を超えそうな時刻になっている。我ながら良いタイミングだ。

「そうね。じゃ、みんなテント入りましょうか。」

 理子も賛成のようだ。各自テントに戻っていく。

 後には俺が一人残される。当たりは静寂に包まれる。一人の時間は苦手だ。それは寂しさじゃない。考える時間が多すぎるのだ。色々な考えが頭の中に入ってくる。普段、考えないようにしていることも自然と頭に入ってきては心を掻き毟って去っていく。

 俺は元々普通に寝て起きていた。特に睡眠時間も短いわけでもなかった。ある時期から寝られなくなったのだ。それからは起きていること自体は苦痛ではない。しかし、夜の静寂の時間が辛いのだ。だから俺は毎日努力して寝ている。

 彼女たちはきっと本物の絆を手にすることができるだろう。しかし、俺はどうだ。もしかしたらもう永遠に手にすることはできないのかもしれない。

 掌を見る。もうそこに温もりは残っていないが確かにあった温もり。俺はまた逃げ出してしまうのか。胸が締め付けられる。彼女たちの一瞬一瞬が俺には、重い。

「逃げないで。ちゃんと向かい合って。」

 彼女の言葉がリフレインする。

 会いたい。

 会って抱きしめ合いたい。

 この押し潰されそうな心をどうにかして欲しい。

 一度触れた温もりは耐え難く渇きをもたらした。

 もう彼女とは会えないのだろうか。わずかな希望と恐怖が入り乱れる。

 とりとめのない考えと感情を振り払うように俺は椅子の上で眠りについた。

***

 朝、俺は霧崎先輩に起こされた。

「おはよう。なんか、怖い顔して寝てたよ?」

「おはようございます。寝心地悪かったのかもしれませんね。それより、朝早いですね。」

 なるべく笑顔を意識して返す。

「いつもこれくらいの時間には起きてるよ。それより、悪かった?もっと寝てたかったかな?」

 先輩は申し訳なさそうに首を傾げる。

「問題ないですよ。それより、どこか行かれるんですか?」

「うん。空気も美味しいし、ちょっと散歩でもしようかと思ってね。一緒に来る?」

「ご一緒します。先輩が良ければですけど。」

「もちろんいいよ。私も一人より二人の方が嬉しいし。一緒に行こう。」

 先輩と昨日の林道を歩く。朝霧が立ち込め神秘的な雰囲気が漂っている。

「気持ちいいねー。」

 先輩は伸びをしながら言う。

「そうですね。朝の林道もいいですね。」

「この合宿、出来て良かったな。いい思い出いっぱい作れてる。でも、その分寂しくなりそう。」

 夏休みが開ければ文化祭、体育祭と続き一応文化部にカテゴライズされるワンゲル部もそこで引退となる。だから彼女たちにとってはこの夏休みこそが最後の活動のチャンスでもあったのだ。

「ワンゲル部はどうなるんでしょうね。」

「残念だけど、廃部かな。一人だと同好会にもならないしね。」

 先輩は寂しそうにつぶやく。

「私ね、1年生の時イジメられてたんだ。と言っても無視とかそんな軽いのだけど。だから他の1年生がいないような部活が良くてワンゲル部に入ったんだ。」

「そうだったんですね。今はもう大丈夫なんですか?」

「その時無視してきた子たちとは未だに話もしないよ。でも、もう私も一人じゃないから。」

 気丈にも彼女は仲間を得て立ち向かうことを覚えたらしい。

「強いですね。尊敬しますよ。」

「先輩たちのおかげかな。私のこと受け入れてくれて、仲間に入れてくれて。部活らしい部活は全然だけど、いっぱい遊びに行ったんだよ。」

「仲、良いんですね。」

「私、全然お返しできてないな。」

「まだ時間はありますよ。それに…」

「それに?」

「引退したからって、離れてしまったからって、それで終わってしまうわけじゃないですよ。」

 俺、ほんと、誰に言っているのだろう。

「でも、やっぱり一緒に居る時間は減っちゃうから。」

「会いに行けばいい。なんでも理由を付けて。それに、きっとあの先輩たちも会いに来てくれますよ。」

「そうかな…そうだと、いいな。」

 先輩は柔らかくはにかんだ。

「ところで、結城君、あの、そのね。」

 急に先輩は歯切れ悪く言い淀んでいる。

「どうしたんですか?」

 不審に思い尋ねる。

「あの、勘違いだったら申し訳ないんだけど、深川さんと付き合ってたり…するのかな。」

 唐突な質問に面食らう。そこに追及されたのは初めてだった。

「え?は?なんです?どうしてそうなったんですか?」

「昨日の夜さ、二人、すごくいい雰囲気で星見てたじゃない。」

「いや、えっと、付き合って…ないですよ。」

「ほんとに?あんな雰囲気で付き合って…ないの?」

「ええ。付き合ってないです。急にどうしたんですか?」

 頭をフル回転させ話題を逸らす糸口を探す。

「結城君結構モテるでしょ?それでもなんか深川さんとはなんか雰囲気ちがうなって。」

「そうですかね。自分じゃ気付かないですねー。それに先輩もモテるでしょ?」

「えー。モテないよ。なんでそう思うのかなー?」

 どうにか話題の矛先を変えることが出来そうだ。この機会を逃す手はない。

「先輩笑顔がすごくかわいいし、ほら、スタイルとかもすごくいいじゃないですか。一緒に居たいと思う男子いっぱい居ると思うなぁ。」

 言ってから流石にスタイルの話題はまずかったかなと反省する。

「え?あ。その…結城君も、一緒に居たいとか思うの?」

 先輩は顔を真っ赤にして尋ねる。この人本当に天然ビッチなんじゃないかと思う。並の男子はこんなこと言われたらイチコロだろう。

「そうですね。一緒に部活出来たら楽しそうですよね。ワンゲル部なくなったら天文部に来たら良いじゃないですか。」

「なんだー。そういうことかー。でもありがとう。考えとくね。」

 先輩はがっかりしたようなホッとしたような微妙な表情を浮かべた。

 その後は先輩と二人で林道の分かれ道のところまで行き、そこで折り返してテントへと戻った。

 テントではみんながもう朝食の準備をしていたので俺達も準備の仲間入りをする。

 朝食を採りながら予定を確認すると、昨日見た河原で川遊びをするというので朝食後、各々テントの中で水着に着替えることになった。

 真一と俺も一旦車に戻りそこで着替える。着替え終わりテントに行くともうみんな河原の方に行ってしまったみたいなので俺と真一は昼に使うであろうバーベキューコンロとクーラーボックスを各々持ち河原へ向かった。

 河原に着きクーラーボックスを適当に置く。真一もその隣にバーベキューコンロを置き、二人でみんなと合流する。

 川の水はとてもきれいで底の方までよく見える。水に触れるととても冷たく焼けた河原の石に熱された足をすぐにでもつけたくなる。

 先生二人から簡単な注意事項を聞き、みんなが水遊びを始める。

 俺はみんなから、少し離れた位置で水に足を浸して涼をとっていた。

「みんなと水遊びしないの?」

 理子が声をかけてくる。

「あまり好きじゃないんで…」

「この間話したことと関係あるの?」

 GWに理子の家で話していたことだろう。

「ええ、まあ、あまり、肌が触れると気分が悪くなるんで。」

 俺はある時から女性とあまり肌を触れると胸が痛くなり、次に頭が痛くなる。そして気分が悪くなり、最悪吐き戻してしまうこともあった。

 最近は症状も随分緩和されもう吐き戻すことはないし、手や腕くらいならある程度平気になっている。

「じゃあ、あの時も随分辛かったんじゃないの?」

 俺は理子の家に泊まった時、同じベッドで寝ているのだ。

「まぁ、正直かなりきつかった。でも、理子も…俺以上にきつかったんだろうなって。」

 俺と理子の共通の体験を共有した日、互いに胸の中にある不安や思いもお互いに交換し合ったのだ。今まで誰かに吐き出したくても、そうできなかった想いというのがある。

「そんなの、言ってくれればよかったじゃない。」

「いや、まあ、理子の寝顔、可愛かったし。」

 適当に誤魔化す。どうせ彼女には見抜かれる。

「なにそれ、口説いてるの?」

 わかっていても深く追及をしないところが彼女のいいところである。それは優しさであり、元来の興味の薄さであり、彼女の鋭さでもある。

「みんなには心配かけたくないし、良いんですよ。俺はこれで。」

「そんなの…いつまでも隠せるわけないじゃない。誠、嘘は下手なんだから。」

「ぐうの音も出ないな。みんな、優しいから…」

 優しいから不用意に追及はしない。優しいから琴線に触れるようなことはしない。優しいから…きっと…俺は怖いのだ。

「さて、ゆっくりお昼の準備でもしていくかな。先生も暇なら手伝ってよ。」

 理子と立ち上がり、二人で昼用のバーベキューの準備を始める。

 肉が焼け始めると皆それぞれにやってきては焼けた肉や野菜などを取り食べ始める。

 その様子を微笑ましく思いつつ、こんな光景がもうそんなに長くないのかもしれないという予感があった。もうかなりの綻びを見せている。いずれ、みんなに真実を明かす日が来るのかもしれない。しかし、願わくはもう少しみんなとこうして居たいと思った。

 昼食後、各自自由に思い思いの場所へ行き、夕飯までにキャンプに戻るという運びになった。

 琴美、優子、ワンゲル部三人組はそのまま河原に残り水遊びをするようだ。真一も河原で石拾いがしたいらしい。

 理子は昼にも結構な量のお酒を飲んでいて、テントで一眠りしたいらしく、テントへと戻っていった。

 俺と美海、七海の三人は昨日の夜天体観測をした高台の方へ散歩を兼ねて歩くことにした。

 一応、真一に何かあればすぐに連絡を入れるよう女子たちの監視係を命じておく。川遊び、危ないからね。

 そして俺たちはまた林道の方へ行き、高台の方へ歩いてきた。

「ねぇ、見て!これ何の木かな?」

 七海が道中にある木を指さして言う。

「それは、梅の木ですよ。春先になるといい匂いがしますよ。」

「じゃあ、こっちは?実がなってるよ。美味しそう!サクランボかな?」

「それはグミの木です。その実は食べられますよ。」

 グミの木から二粒頂戴し、二人に手渡す。

「酸っぱいね。グミってお菓子になる前はみんなこんな感じなんだ。」

「先生、お菓子のグミとこの木はなんの関係もありませんよ。名前が同じだけです。」

「えぇー。そうなんだ。なんかがっかり。」

 俺と七海のやり取りを美海は微笑まし気に見ていた。不意に七海が俺たちに向き直る。

「ねぇ、私昨日見たんだけどさ、二人、手繋ぎながら星見てたよね。」

 七海の突然の追及に俺と美海はフリーズする。

「お姉ちゃん、見て!あっちに何か立ってるよ。あれ何かな?」

「あ、向こうにはヤマモモが生ってますよ。うわぁ、美味しそうだなぁ。」

 二人で一斉に話題を逸らす。

「ねぇ、二人ってさ、付き合ってる…のかなぁ。」

 七海は追及を続ける。俺たちは互いに顔を見合わせる。

「お姉ちゃん。私たち、付き合ってないよ。もし付き合ってたら、お姉ちゃんに内緒にするわけないじゃない。ちゃんと言うよ。」

「じゃあ、二人は、お互いの事、好きじゃないの?」

 七海の言葉は無邪気で、その分ストレートに核心を突いてくる。

「嫌いなわけ…ないです。」

 俺は無難とも言える返しをする。

「私は…好き。」

 美海は透き通った声でそう言った。

 無限に思えるような一瞬の沈黙。それを破ったのは七海だった。

「じゃ、どうして二人は付き合ってないの?」

 確かに、好き同士で手を繋ぎながら星をみる間柄なら周囲からすれば当然の反応と言える。だけど、だけど俺は…

「無理なの。…今はまだ。…まだ駄目なの。」

 ふり絞るように美海が言う。俺はまだ沈黙を保っている。

「二人とも、何かあったの?」

 七海の声色はだんだん不安を帯びてくる。

「お姉ちゃん、今度言える時が来たら、きちんと話すから。今はまだ…待っててほしいな。」

 優しく諭すような美海の声、しかし俺にはまるで懇願しているように聞こえた。

 三人の間に静寂が流れる。

「二人とも、近くにいるけど、なんか、遠いね。」

 七海がつぶやく。

「お姉ちゃん、ごめんね。不安にさせて。私、お姉ちゃんのこと大好きだから。ずっと大好きなお姉ちゃんだから。」

 美海が七海を強く抱きしめる。

「俺も、先生の事、大好きですよ。ずっと大好きですよ。」

 美海の肩越しに声をかける。七海の目から涙が溢れて落ちる。美海も涙で頬を濡らしていた。俺は、静かに上を向いた。

 その後、落ち着いた二人ともうしばらく高台を回った後、河原の様子を見に行くともうみんなは引き上げたのか誰もおらず、テントに戻った。

 みんなもう戻ってきており、夕飯にはもう少し時間は早かったが、みんなで夕飯の支度をすることにした。

 夕飯の調理をしていて、いや、実は戻った時から感じていたことがある。みんなの様子が変だ。

 元気がない。特にワンゲル部の三人は特に元気がない。俺は真一に何かあったのか聞いてみることにした。

「なんか、元気ないけど、河原でなんかあった?怪我とかした?」

「いや、ない。けど、何かはあった。」

 相変わらず真一の言葉は主語が曖昧でわかりにくい。

「なに?なんか言いづらい事?」

「そう。多分、後で言うと思う。」

 それだけ言い、真一は作業に戻ってしまった。これは言えないことではなく真一の口からは言いたくないことなんだろう。

 まるで通夜のように夕食の準備をし、皆で食卓に着く。

「あの、皆にというより、深川先生と深川さんにお願いがあるんだけど。」

 切り出したのは古池先輩だ。みんなの間に緊張が走ったのがわかる。

「あの、他の部員さんには昼間に河原で相談したんだけどね。あの、すみれちゃんを天文部に入れてほしいの。」

 この古池先輩の提案は実はあらかた予見出来ていた。いずれかのタイミングでそういう話があるのでは。とは思っていた。

「古池さんと梶原さんはどうするの?」

 七海がおそらく答えをわかりつつも問いかける。

「私たちはさ、今回の合宿を最後に引退しようと思っててさ。そしたら、ワンゲル部もなくなっちゃうから。すみれのこと、放っておけなくて。」

 梶原先輩が言うと霧崎先輩の目から大粒の涙が零れた。

「霧崎先輩は納得してないように見えますけど。」

「すみれちゃん…」

 霧崎先輩はついには突っ伏してしまった。たまらずか古池先輩は声をかける。

「わかりました。別にいいですよ。」

 淡々と美海が言う。

「深川さん、ありがとう。」

 古池先輩は美海に頭を下げる。

「ただし、こちらからも条件があります。霧崎先輩が天文部に入部されるのは構いませんが、先輩たちがここで引退するのは私としても納得できません。」

 美海の凛とした声に先輩たちは「え」と美海の方を見やる。

「もしかして、先輩たち、霧崎先輩の居場所を作ってあげようとか思ってるんじゃないですか?」

「そんな私たちは…。」

「ほら、この後文化祭が過ぎればどのみち引退にもなっちゃうしさぁ。」

 古池先輩、梶原先輩は口々に言う。

「じゃあ、文化祭まできっちりワンゲル部やればいいじゃないですか?何でやらないんです?」

 美海はますます淡々とした口調で先輩達を責め立てる。

「いや、ほら、文化祭後になると他の部活にも入りづらくなっちゃうし、今ならすみれも文化祭の準備一緒にできるでしょ。その方がすみれも打ち解けやすいし。」

 梶原先輩がそこまで言うと美海の声色がさらに低くなる。

「私たちの天文部はそんなに懐が狭いわけじゃありません。来たいならいつでもくればいい。でも、みんな自分の意志でここにいます。嫌々なんて来てほしくない!」

 美海は言い切った。それは美海のプライドそのものだったのかもしれない。誰よりも一歩踏み出すことを恐れていた彼女が今では一番行動することの重要性を知っている。

 あまりの美海の剣幕に三年の先輩2人も呆然としている。

「霧崎先輩も!泣いてばかりじゃ、この馬鹿な先輩二人はわかりませんよ。ちゃんと自分の口で、自分の心を話したんですか!?ちゃんと伝える努力、したんですか!」

 美海は突っ伏している霧崎先輩の肩を掴み立ち上がらせる。

「ほら!ちゃんと言ってください!じゃないと、あなたの席は天文部にも、ワンゲル部にも、この後、どんなことしててもきっとないですよ!」

 霧崎先輩の顔はもう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。まるでこれでは美海が虐めているようだ。

「私は…」

 嗚咽でまともな言葉にもなっていない霧崎先輩の言葉を俺たちは固唾を飲んで見守る。

「私は、先輩たちと…最後まで一緒にしたい。なくなっちゃっても…それでも最後の最後まで…一緒に。仲間だったって…胸張って…言いたいよ。いきなり…相談もなくて…これでおしまいなんて…やだよ。」

 霧崎先輩の言葉に三年2人の目からも涙が零れる。

「馬鹿ね。あなたの事、仲間じゃないなんて、思った事なんて一度もないわよ。でも今日もっと馬鹿なのは私たちの方だったみたいね。すみれちゃん…ありがとう。」

 古池先輩は霧崎先輩をそっと、力強く抱きしめた。梶原先輩も一緒になり3人で抱き合う。

「深川さん、ありがとう。ごめんなさい。今日の相談だけど、やっぱり文化祭が終わるまで待っててもらえるかしら。私たち、3人で最後の学校行事、3人でやり遂げたい。」

 そういう古池先輩に美海は優しく微笑んだ。

「ええ。待ってますから。でも、部室まではきちんと自分の足で来てくださいね。それに、先輩たちも引退したって、部室に遊びに来てくれたらいいんです。」

 美海が優しく言う。

「そうね。深川さんがいつ牙をむいてすみれちゃんの事イジメてないか、時々監視に来なくちゃ!」

 そう古池先輩は意趣返しをした。

 ワンゲル部の問題も一段落し落ち着いてきたころ、優子と琴美が申し訳なさそうにしずしず手をあげる。

「あのー、いい機会だから、私たちからも発表があるんですけど…」

 不意のことにまた緊張が走る。優子と琴美は交互に告げる。

「今度の文化祭の件なんですけど…」

「私たち、3人で相談した結果…」

「今度の文化祭展示、美海と誠抜きでさせてほしいと思ってます!」

 突然の宣告に俺と美海はフリーズする。3人とは優子、琴美、真一の事だろう。

「「は、はぁー!?」」

 俺と美海の声がハモる。どうやら俺と美海は戦力外通告を受けてしまったようだ。

「なんで、どうして?」

 理解が追い付かず2人に問いかける。

「ほら、私たち、いつも美海と誠に頼りっぱなしで、やっぱり自分たちでも何か成し遂げたいっていうか…」

「でもほら、どうしてもだめな時はその時はちゃんと二人に相談もするし。」

 美海と顔を見合わせる。すると意外にも七海が割って入る。

「いいんじゃないの。私は賛成。誠君も美海ちゃんもいろいろしてくれるけど、それじゃ、みんな平等に成長できないよ。私も手伝えることは手伝うからさ。3人でやってみようよ。」

 顧問の教師に言われてしまっては仕方ない。俺と美海はその提案を渋々承諾することにした。

 その後、みんなですっかり冷めてしまったおかずを温めなおし、改めて夕食を採り終わるころにはもうかなり夜も更けってしまっていた。

 さすがに高台まで行くにはもう時間も遅いので真一はテント横に望遠鏡を設置し星を眺めていた。

 するとワンゲル部の3人が真一に「私たちにぴったりの星はないか」と聞いていた。実に乙女チックな質問で微笑ましく思う。

「うーん。ちょっと時期は違うけど、オリオン座なんか、ぴったりだと、思う。」

「いいねー!知ってるよ!真ん中に星が三つ並んでるやつだ!」

 梶原先輩は元気に言う。

「そう。オリオンの帯。いつも3つ一緒。明るさも同じ。先輩たちにぴったり。」

「へぇー。細田君、ありがとう。細田君って、見かけによらず繊細なのね。」

 古池先輩が感心して言うと真一は照れたのか頬をポリポリと掻いていた。

 こうして、俺たちの合宿最後の夜は、静かに緩やかに。まるで互いの形と明るさを確かめるように。まるで一つ一つは離れていてもそこに形を見出す様に。まるで夜空の星座を線で結ぶように。過ぎていった。

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