第7話 夏合宿だから!
暦はすでに8月に入り、連日のように猛暑日が続いていた。じりじりと身を焦がす太陽がさらに勢力を増してきている。大暑も過ぎ暑さのピークは過ぎたはずなのに実際には連日のように最高気温を更新し夏が続いていることを実感させる。
さて、俺は夏休み真っただ中である。サラリーマン時代にはこんなに纏まった大連休など存在せず、せいぜい夏季休暇が多くて10日程貰えるくらいで年によってはそれすらない日もままあった。
なので、夏休みが始まる前はこんなに休みがあっても持て余してしまうと憂鬱に感じたものだが、いざ夏休みに入るとそんなこともなかった。
七海の提案により、俺達天文部は毎日のように集まり夏休みの宿題を消化した。おかげで我ら一同8月にもまだ入らないうちに夏休みの宿題を皆が終えるという快挙を果たしていた。
さらに毎週末、晴れの日には天体観測をする。これは休み前からの変わらぬルーティンだ。
しかし、変化もある。琴美と優子主体で文化祭展示のプラネタリウムを作るらしくそのための資料を色々引っ張り出しては何やら二人で画策しているようだ。
真一はというと何やら欲しいものがあるようでちょくちょくアルバイトに勤しんでいるようだ。そこまで頻度は高くないがたまに真一がバイトの間に弟、妹たちの子守を頼まれる。おかげで彼らと随分親しくなってしまった。
美海、七海の姉妹は度々ワンゲル部の古池先輩と夏合宿のための用品を揃えに行っている。買い物やテントや炊飯具の清掃などで、忙しそうに走り回っていた。
どうやら理子も駆り出されているようで理子は口を尖らせながら嫌々作業を手伝っていた。その様子があまりに不憫だったので「手伝おうか?」と理子に尋ねると理子はパァっと笑顔を見せたが、その横から美海が「大丈夫!並木先生にはもっと働いてもらわないと!」と俺を制しまた忙しそうに並木先生を引きずっていった。
哀れ理子には逃げ道も助け舟も用意はされないらしい。
そうなれば俺は何をしているのかという疑問が生まれることだろう。もちろん俺にもするべき役割がある。それもとても重大な役割が。
それは夏合宿の行き先の選定である。そのため今俺は学校の視聴覚室にいる。なぜ俺なのかというとそれは先日の合宿の行き先会議の時、俺だけが海派、山派のどちらの派閥にも属してなかったという単純な理由である。ただ単に優柔不断なんだよなぁ。
「でもワンゲル部なら行き先は山の方が良いんですよね。」
インターネットでいろいろなキャンプ場を検索しながら傍らの人に問いかける。
グイっと俺の肩越しにモニターを見る先輩はワンゲル部の2年生”霧崎 すみれ”である。
ワンゲル部唯一の2年生であり最年少。ということはワンゲル部は今年度の新入生はゼロ。3年生の先輩二人が引退してしまうとワンゲル部は廃部の危機ということになる。
「うーん。どうかな。色々調べたんだけどワンゲル部の活動って海でカヤック乗ったりとかもあるみたいだから山じゃないとダメってことはないと思うんだけどな。」
そう言う霧崎先輩はゆるっとふわっとした印象が特徴的ないわゆる典型的な森ガールといった雰囲気がある。そしてかなり無防備だ。先ほどから肩に先輩の大きな胸がのっかっている。
「そうなんですか。ところで、先輩、さっきから胸が当たってるんで隣の椅子に座ってください。」
あくまで事務的に注意しておく。変に意識した言い回しをすると気まずくなりそうなので淡々と言った。
「あ、ご、ごめんね!」
顔を真っ赤にしながらいそいそと隣の椅子を引っ張り出し横に座る。うーん、意識しないように淡々と伝えたが、黙ってた方が良かったのかもしれない。
そして、また先輩がPCの方にかぶりつく。今度はマウスを持つ俺の腕の上に胸が乗っていてマウスが動かすに動かせなくなる。
「でもやっぱり山の方がいいかなぁ。結城君達、望遠鏡持ってくんでしょ。出来るだけ暗いところの方がいいっていうもんね。」
そう無邪気に言う先輩。この人は天然の痴女なのだろうか。俺は腕の上に乗った塊のせいで会話に集中できない。
「そうですね。とりあえず、先輩PC操作しますか?変わりますよ。」
「あ!ここ!ここなんてどう?キャンプ場設備もあるみたいだし山だけど近くに川もあるよ!日も使えるみたいだしよさそうだよ!」
俺の必死の抵抗の言葉を聞いていないのか、さらに前のめりになる先輩。腕の上の重量がさらに増す。
「いいですね。あの、先輩。ちょっと操作し辛いので先輩変わってもらっていいですか?わからなかったら教えますから。」
そういうと先輩はそのままこちらを向く。おかげでお互いの吐息がぶつかるほど顔が近くなる。
「うひゃぁ、ごめんね。私操作していいのかな?」
驚いて飛び退いた先輩がおずおずと聞いてくる。「どうぞ」と返事をしながら席を譲る。
席を立った俺は横のPCを立ち上げる。立ち上がりを待っていると先輩は「どうしたらいいの」と俺に目線を送ってくる。
「好きに気になる場所調べてくれていいですよ。気になるところがあったら皆にも見せるんでプリントアウトですね。利用料金とか交通アクセスとか書いてるページがあればそこも忘れずプリントして、あとはそこの所在地をMAPで出して周辺地図もプリントです。」
説明する俺に先輩は頭に???といくつも浮かべながら首を傾げている。
「先輩が気になっているのはこのキャンプ場ですか?」
説明だけでは埒が明かないので実際にやって見せることにした。
「うん。そこのキャンプ場すごく良さそうだったから。」
やり方を見せようと隣から画面をのぞき込む。「マウス良いですか」と断りを入れながら先輩の手を指先でつつく。普通の人はこれでマウスから手を退けてくれる。が、俺が甘かった。先輩の手はまだマウスをがっちり掴んだまま離れなかった。
「あ、あの先輩?」
先輩を見ると先輩は覚えようと必死なのか画面を真剣に見ていた。仕方がないので先輩の手の上からマウスを握る。
いくらかページを往復しながら説明を加え必要な情報をプリントアウトしていく。一通りのプリントをして先輩の理解を確認する。
「こんな感じで一通りです。わかりましたか?」
先輩に向き直ると先輩は真っ赤な顔をして硬直していた。
「結城君…近いよー。」
今まで好き勝手して今更何を言っているんだ。が、俺の軽率な行為は先輩の女の子の部分を刺激してしまったみたいだ。確かにこちらの精神年齢はオッサンだが相手は花も恥じらう女子高生なのだ。
「すみません。説明に夢中になりまして。」
一応の謝罪を述べておく。
「こういう具合に資料をあと2,3箇所出力してみんなの意見を聞きましょう。」
そういうと先輩は「まだ要るの?」と首を傾げる。
「先輩の一押しがここなのはわかりました。確かに条件的にもいいところで十中八九ここで決まると思います。」
「じゃ、ここだけ出したらダメなの?」
確かに先輩の言っていることはわかる。もうそこでいいならほかの資料など出すだけ無駄なように感じるだろう。しかしそれだけでは足りないのだ。
「確かにみんなで相談しながら決めるのであればここだけ出せば十分です。でも、僕達はみんなを代表して探しています。いくら委任されたからと言っても、すべて独断で決めてしまうのはあまりいい手じゃない。先輩、いくら先輩に似合うからっていろんな服を毎日他人に決められたらあまりいい気はしませんよね?」
「それは確かにそうかも…ほら、その日の気分で選びたいし。」
「そうでしょう。大切なのはみんなで選んだって事実です。勝手に決めると絶対何かしらの不満が出ます。特に何か問題があるとそれこそ収拾がつかなくなります。誰がこんなところ選んだ。ってなります。だから最終決定は全員で決めるべきなんです。」
俺の説明に先輩は目を丸くして頷いている。
「でもそれじゃ、ここにならないかもしれないよ?」
先輩のなかではもうここ一択なようでほかの候補は考えていないらしい。
「ここよりも条件がいいところがまだ出るならそれに越したことはないですよ。でもそうじゃないならほかの候補はもっと条件の悪い、ランクの低いところにするんです。それならここ以外に選びようがない。」
そういうと先輩は顎に手を当てニヤリとしながら言う。
「結城君、策士だね。」
その後先輩といくつかの候補をプリントし美海に渡した。そして美海は天文部を、古池先輩はワンゲル部をそれぞれ招集し、全員で話し合った結果、霧崎先輩が最初に提案したキャンプ地に2泊3日の予定で決定したのだった。
***
キャンプ当日、俺たちは七海、理子が運転するレンタカーに乗りキャンプ場に来た。しかし正直侮っていた。俺たちの荷物は予想以上に大荷物でキャンプ用具などもかなり重い。結局駐車場とキャンプの設置場所まで数回の往復を余儀なくされた。主に俺と真一が。
荷物もあらかた運び終わり設営場所の確保も済み、いざキャンプの設営と相成ったところで問題が発生した。
「あれ、どうしてみんなキャンプ広げないんですか?」
「あ、あのね、結城君…さっきみんなと話してたんだけどみんなキャンプ張ったことないのよ…」
そう言い気まずそうにする古池先輩。他のワンゲル部員2人に視線をやると慌てて目を逸らす。先日一緒にキャンプ場選びをした霧崎先輩と気の強そうな印象の三年生”梶原 梢”先輩だ。
「霧崎先輩はともかくとして梶原先輩もキャンプ未経験ですか?」
もう一人の三年生に聞くと気まずそうに頭に手をやりながら答える。
「いやー。ははは。ほら、なんていうのお手伝いならできるからさ?」
思わずため息が出そうになるのをグッとこらえる。
「じゃ、この3年間ワンゲル部はいったい何をしてきたんです?」
「ほ、ほらさ、冬とかスキーとかスノボとか行ったりとかさ。」
梶原先輩が取り繕うように言うが、要はワンゲル部と冠してはいてもその活動実態はほぼ無し。実績作りというなのレジャーをたまに楽しむ程度であったようだ。
古池先輩をじろりと睨む。普段の風紀委員然とした態度は鳴りを潜め、手指を行く当てなくいじいじさせている。
「大体、ワンゲル部も正式な部活なら顧問の先生がいるでしょう。今日合流でもするのかと思ってましたが全然見えないしどうなってるんです?」
「それは…」
ワンゲル部のみんなが一斉に俺の後ろを見る。振り返ると理子が真一の後ろに隠れ気まずそうにしている。なるほど、よくわかった。理子はもともとワンゲル部の顧問として参加していたのだ。先日こき使われて可哀想と思った気持ちを返してほしい。理子には後程じっくりと事情聴取することにする。
「なるほど、よくわかりました。要するに部員も少ない。知識もない。顧問の先生も頼りにならない。そんなこんなで部としてはあるもののまともな活動が出来ずにここまで来て、流石に3年の引退前にして一度もそれらしいことをしてこなかった。なので今回最後の機会と並木先生に泣きついた。そして、並木先生は俺らとの合同で合宿はどうかと勧めた。どうですか?違いますか?あってますか?あってますよね。そうですよね。」
自分でも驚くほどの早口でまくし立てる。これにはワンゲル部どころか我らが天文部もたじたじ、いや、完全にドン引きである。
「お、概ね…合ってます。」
古池先輩は顔を青くしながら答える。
「よし、真一、キャンプの経験は?」
「家族で数回。でも一番下の子、生まれるまで。もう10年ぐらいしてない。」
「ちょっとでも経験してるだけグッドだ。一応聞きますけどお二人、キャンプの経験は?」
教師二人に聞く。
「私にあるわけないじゃなーい。アウトドアなんて全部守備範囲外よー。」
ならなんでワンゲル部の顧問なんかやってんだよ!このダメ教師!と叫びそうになるのをグッと堪える。俺もこの暑さのせいで、おかしくなってきているのかもしれない。
「私は昔に少しあるよ。まだ美海ちゃんが小学生の時に。」
ダメ教師とは対照的に七海はキャンプ経験者みたいだ。肩の荷が軽くなる。
「ということは美海も一応の経験者だな?あとは…」優子と琴美を見る。
二人とも高速で首を振りながら無理無理無理と繰り返す。
「…よし、じゃ、これから先は経験者として俺と美海が一応の指揮を執ります。よろしいですか?」
一応伺いの体は取っているもののNOなど言わせる気はない。
「よ、よろしくお願いします。」
すっかり怯えた古池先輩から承諾を得る。
「まず、班分けをします。俺、美海、真一、深川先生、古池先輩の経験者チームと並木先生、優子、琴美、梶原先輩、霧崎先輩の未経験者チーム。」
そういうと優子がビシッと手をあげる。
「はい!それだと経験者チームと未経験者チームで差ができると思います!経験者をどちらのチームにも散りばめた方がいいと思います!」
「うむ、良い質問だね。優子君。まず、経験者チームが手本を見せていきます。そして、その後に未経験者チームには同じようにやっていってもらいます。もちろんその間経験者チームは補助に付きますから問題ありません。むしろ、経験者と未経験者が混在する方がトラブルになるのです。」
俺の意見に方々から「おぉー」と声が上がる。みんなから了解も得られたので実際の設営に移る。
まず、俺たち経験者チームで大きめのタープを張り荷物を移す。そして、みんなで寝泊まりするテントをたてていくのだが、意外にも七海が大活躍だった。俺の指示通りてきぱきと組み上げていく。寧ろ七海と二人でも組めてしまったかもしれない。七海は美海と真一のフォローを、俺は古池先輩のフォローをしながらテントを組み上げる。
一つ目のテントはものの30分もしないうちに組み上がった。
問題の二つ目のテントだがこちらも案外すぐに組みあがった。というのもこちらでもやはり教師陣の活躍は顕著で七海は言わずもがな、理子も生来の何でもこなす器用さと、覚えの速さで七海に負けず劣らずの速度で組み上げていった。
問題はワンゲル部の三年生二人にあった。何かと気兼ねなかろうと古池先輩と梶原先輩を組ませたのだが早々にあーだこーだ言い争いを始めてしまった。
意外にもその場を沈めたのはワンゲル部唯一の二年生霧崎先輩だった。先日の穏やかな雰囲気とは一転三年の先輩二人を一喝したのだ。森ガール怖い。
どうにかテントの設営も終わり時間的には少し早いが夜の飯ごう炊さんの準備に取り掛かる。
10人の大所帯になるのでここでも班分けをする。
ここでの指揮は美海に委ねる。
美海は普段天文部をうまく統率しているおかげかもしれないが、なかなかに指示が的確で作業はおおむね順調だった。といっても飯ごうは器具にメモリがあるのでそこに洗った米と水を分量通り入れるだけなのでそこまで難しくない。
問題はキャンプの定番カレー作りだ。と言ってもこのキャンプ場には炊事場が併設されているので普段とほぼ同じ感覚で調理できる。ただ、分量が多いので各自手分けして材料の下ごしらえをする。
ここでのMVPは理子と真一だ。理子は以前手料理を食べた時も感じたが料理の腕は免許皆伝と言っていいだろう。玉ねぎ、牛肉などの下ごしらえの必要な具材をフライパンでしっかり下準備している。その脇で七海と琴美が「なるほどー」などと熱心に眺めていた。
対する真一は人参やジャガイモなどを綺麗に飾り切りしカレーに彩を加える工夫をしていた。それをこれまた脇から優子が「かわいいー」と楽しそうに眺めていた。
具材の準備が終わり、後は鍋に水と入れて煮込み、程よく材料が柔らかくなったらルーを入れるだけという寸法だ。
美海と相談の結果、鍋は二つ用意した。理由は二つある。一つは煮込み時間の短縮だ。分量が半分になり煮込みにかかる時間が短縮されるのだ。もう一つは味の好みの問題である。辛口好きもいれば甘口好きもいる。なのでルーも2種類用意してきた。
二つの鍋でカレーを煮込む。鍋と飯ごうの見張り当番はワンゲル部の三人に任せた。
鍋の煮込みが終わるまで近場に高台があり天体観測にいい場所があるというので真一と二人で見に行くことにする。
ベースから少し歩いて林道を抜け緩やかな坂道を上がっていくと階段があり、そこを上ると小さめの広場に出る。どうやらここがそうらしい。
「どう思う?」
もちろん観測スポットとしての評価を真一に聞く。
「いいと思う。灯りが全くない。星がよく見えそう。」
「なるほどな。でも街灯も全くないからみんなで来るときは懐中電灯持ってこないとな。階段もあったし、林道で転んで怪我をする可能性もある。望遠鏡は運ぶの大丈夫か?」
一応の注意点を告げる。
「大丈夫。懐中電灯だけ誰かに持ってもらえれば運ぶのはもう慣れた。」
いつもの天体観測でも真一は望遠鏡を大体一人で運ぶ。彼に「手伝おうか」と言っても三脚ぐらいで必ず本体だけは真一が運ぶ。彼にとってはかなりのお気に入りらしい。
二人で広場をもう一度回り注意点が他にないか再度確認をし、またベースへ戻る。林道に入る時来た道からは気付かなかったが帰り道に二手に分かれていることに気付き真一と様子を見ることにした。
「川だ。」
もう一方の道は沢に続いており5、6メートルほどの川幅の川に続いていた。辺りも薄暗くなっていたことから川の深さはわからない。これがホームページに載っていた川なのだろう。
帰りにこっちに迷う可能性があると二人で注意点に追加し、またベースを目指す。
思ったより見るところが多く少し遅くなってしまった。
ベースに戻るとちょうどカレーの配膳をしているところだったのでタイミングは良かったのかもしれない。
夕食のカレーを食べながら先ほど真一と見てきた注意点をみんなに伝える。
「せっかくだからさ、二人一組で行かない?」
みんなに注意点を説明し終わると梶原先輩が手をあげながら提案をする。
「おもしろそう!いいと思うよ。」
提案に琴美が賛成する。
「結構暗いし、足元も悪いからみんなで行った方が無難だぞ?」
そう警告すると今度は優子まで一緒になって三人でブーイングをする。
「まぁ、ちゃんと注意点も見てきてくれたし、良いんじゃない?」
古池先輩も賛成派のようだ。まぁ、そこまで言われるとこれ以上反対する理由もない。
食後、割りばしに数字を書いてみんなで引いてペアを作る。
ペアは、一番手、七海と美海。二番手、琴美と真一。三番手、霧崎先輩と優子。四番手、古池先輩と梶原先輩。そして最後に俺と理子だった。
みんなで防虫対策をしてペアごとに順番に林道に入っていく。
そしてやっと最後、俺と理子の番になる。
林道をゆっくり歩きながら理子と話す。
「顧問やってたんだな。」
「まぁねー。と言っても前任の先生と入れ替えにあてがわれたんだけど。」
「それにしても放置は可哀想だろ。」
「そんなこと言ってもねー。人数三人のワンゲル部なんてろくな活動できないわよ。危険なことだってあるし。」
「それもそうだな…何か教えてあげたりとかしてるのか?」
「んー、一応救急救命処置なんかは教えてるわよ。ほら、あの子たちスキーとかには行ってるじゃない?」
「案外真面目だな。見直した。」
「そこは、惚れ直した。でしょ。」
などと軽口をたたき合う。理子は意外に真面目だ。ワンゲル部など常に行動に怪我のリスクが付いて回る。救命措置や応急手当など実は一番重要なことかもしれない。しかし、残念なことに多くの場合一番軽視されがちなテーマかもしれないのだ。みんな予防はするのに事があった時の対処を疎かにしがちなのだ。
「ねぇ、美海ちゃんと何かあった?」
そんなことを考えていると不意に理子がそんなことを聞く。心当たりはあると言えばあるし、ないと言えばないので答えに困ってしまう。
「七夕前なんかちょっと避けられてたような気がするな。理由はわからん。」
「襲っちゃったんじゃないのー?」
茶化す様に理子が言う。
「出来ないの知ってるくせに、そういういい方は意地悪ですね。」
「元ケダモノの誠が言っても説得力ないよー。」
「なんでそう思った?」
「うーん、わかんない。でもね、七海と美海ちゃん見てると美海ちゃんの方がお姉ちゃんに見える時があるというか
「美海はしっかりしてますからね。」
「そうじゃなくて…うーん、どういえばいいのかな。七海といる時、なにか大切なもの守るような、親が子供を守る時みたいな空気を感じる時があるっていうか…」
「お姉ちゃん想いな妹ってことなんじゃないんですか?」
「七海に対してならわかるよ…」
「じゃ、誠に対して似たような空気があるのはなんで?」
体中の毛穴が広がるのを感じた。蒸し暑い夏の夜だというのに鳥肌が立つ。この並木理子という女性は本当にまったくもって怖い人である。
「それに関しては…心当たりがないです。」
「…それってさ、心当たりがないんじゃなくて、心当たりが間違いであってほしいって意味だよね…」
「…そう…かもしれませんね。」
こんな否定にもなっていない言葉は全面肯定と取られても仕方ない。しかし、きっとどんな装いをしたところで理子は見破ってしまうだろう。
「誠…無理しないでね。私、相談のるからね。」
理子はいつもと変わらない優しい微笑みで俺の頬を撫でる。きっと心から俺の心配をしてくれているのだろう。
「ありがとう。理子とはなんでも話せるからいつも助かるよ。」
努めて明るく振舞い林道を抜けていく。
「誠、嘘は下手ね。」
遠く虫の声にかき消されそうな声量だったが、理子は俺にそう言い残した。
広場に着き点呼を取るしっかり十人いることを確認して灯りの電気を消す。真一はもうすでに望遠鏡の設置を終えており、手ごろな天体にピントを合わせていた。
空は雲一つなく快晴で、夜空には夏の星座に天の川が高く輝いていた。星々は高く
「今日は土星にした。」
真一は早速土星にピントを合わせたようだ。彼はサービス精神旺盛だ。土星は肉眼で見るとほとんどほかの星と区別がつかないくらいなのに、望遠鏡で見るとその輪がはっきり見えて面白い。
真一がセットすると優子と琴美が嬉々として覗き込む。二人で「わー」とか「すごーい」と感嘆を漏らす。ワンゲル部の三人も羨ましそうに見ている。それに気付いた真一は彼女たちにも無言で促す。
「すごい!輪が見えるよ!」
そう梶原先輩が言うと古池先輩も待ちきれないのか覗き込む。すると少し当たってしまったのか土星を外してしまったようだ。
古池先輩が泣きそうな顔になると真一は優しく微笑みもう一度土星にピントを合わせ古池先輩に望遠鏡を譲る。
続いて霧崎先輩も望遠鏡を覗き三人ですごいすごいと言い合い。真一に見たい星のリクエストを飛ばし、真一は嫌な顔一つせず星座早見盤と見比べながらピントを合わせる。
俺はそんな心優しい友人を誇らしく思えた。
はしゃぐ彼らを尻目に俺は広場の隅の方で空を見上げる美海の横に腰掛ける。学校でもこの構図はもはや定番になっていた。
空は雲一つなく快晴で、夜空には夏の星座に天の川が高く輝いていた。星々は高く遠くにあるのにじっと見つめていると不意に掌に収まりそうなくらい近く見える時がある。しかし、手を伸ばすとまた星々は遠くに逃げていきもどかしい。
俺と美海はいつものように静かに空を見上げる。
「ねぇ、誠。」
みんなには聞こえないような声量で美海が語りかける。
「なんだ。」
冷静を装って返事を返すが先ほどの理子の言葉がリフレインする。
「私ね。誠に救われてるよ。」
彼女の言葉は要領を得ない。
「私だけじゃないよ。優子も真一も琴美もお姉ちゃんも、多分並木先生も。みんな誠に救われてる。」
「みんな、みんな自身の努力があったからだぞ。俺がどうこうしたわけじゃない。」
「そんなことないよ。みんなきっかけは誠なんだよ。誠がみんなを笑顔にしてるんだ。」
美海の言葉が心に刺さる。
「そんなことを言うなら俺は美海に誘われてここにいるんだ。最初は美海ってことだろ?」
「ううん、それでも誠がいてくれたからなんだよ。」
暗闇の中、彼女の表情はわからない。しかし、その声音は優しく、包み込むような温かさがあった。
「俺は…」
言いかけて言うまいか悩んだ。しかし、一度口をついた言葉を飲み込むには今夜の俺はあまりにも動揺が過ぎていた。
「俺は、美海の心から笑った顔をまだ見てない気がする。だから…」
言いかけて気が付いた。彼女の両手が俺の手を包んでいる。優しく、温かな感触が手に広がる。
「うん。私はいっぱい誠に救われてるよ。だから、今度は誠のことを救いたい。」
彼女は優しく、けれど力強くそう言った。
「もう少しだけ、このままでも、良いかな。」
俺が言うと彼女は優しく言う。
「うん。もう少しなら…。この手もいつか…離れちゃうのかな。」
そう言った後、星明りに照らされた彼女の頬には光る雫が流れていた。
「わからない。けど離したくはない。」
そう言い俺は気付かないふりをしてまた星を見上げた。
夏の夜風が顔の火照りを拭い星明りだけが俺たちを照らす。俺の右手には暖かな温もりだけがあった。
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