第6話 星をみるから!

 翌日、時刻はもうすぐ昼過ぎになろうとしている。

 俺はまだ並木先生の家にいた。

 それもリビングで正座をしている。隣にいるのはこの部屋の家主。並木理子だ。彼女も正座している。

 俺たちの目の前にはソファに座る二人の人物。深川姉妹だ。どうしてこうなった。

 それは今日の朝のことだ。

 ---

 朝、少し遅めの時刻に起床した俺は理子の部屋のシャワーを借りて服を着替えた。

 理子は未だに寝間着のままだ。

「そろそろ帰ります。あの、昨日のことは…」

「何も無かったでいいんじゃない?事実なんにもなかったし。」

「いや、夜のこともそうなんですが、話のこととか。」

「そんなこと誰が信じるのよ。言えるわけないじゃない。」

「助かります。」

「あなた、本当に何もしないとか、ありえないわよ。」

「昨日話したじゃないですか。本当に無理なんですよ。傷付けたなら謝りますから。」

「朝になって話し方も戻ってるし。なーんかやな感じー。」

「いや、話し方も昨日だけの約束だったじゃないですか。ほら、一応目上の方だし。」

「そんなこと言ってる割には昨日はノリノリだったじゃない。一夜明けて態度変えるなんてさ、ほーんと真性のクズじゃない。」

 理子の言葉の棘が止まらない。

「はぁ、その言い方、やめてくださいよ。語弊があります。どうしたら満足してもらえるんですか?」

「そんなの、決まってるじゃない!二人の時くらい昨日みたいに話して。」

 この人は生徒相手に疑似恋愛でも楽しむつもりなのだろうか…。しかし、それで機嫌を直してもらえるなら容易いことだ。

「わかった。二人でいるときだけな。でも、そろそろ帰ろうかと思ってるんだけど。」

「お昼食べてけばいいじゃない。もうすぐお昼だし。」

「いや、帰ってもうひと眠りしようかと思って。昨日、美人の横で寝たからあんまり寝れなくってさ。」

 これは方便だ。元々俺はショートスリーパーだ。一日の睡眠時間が3時間でも特に問題ない。つれーわーなんて言わない。ほんとつれーわー。

 しかし、こういう理由を与えた方が理子も納得しやすいだろう。

「じゃ仕方ないかー。」

 ふぅとため息をつきながら一応の納得はしてもらえたようだ。帰り支度を済ませ部屋を出ようとする。

「下まで送るよー。」

 理子が提案する。

「いいよ、理子まだ寝間着だし。」

 そんな姿を同じ高校の人に見られたらどんな目に遭うことやら。

「大丈夫よ。廊下行ってエレベーター乗ってエントランスまで送るだけだし。誰にも会わないよ。」

 理子が胸を張りながら言う。そんな自慢気に言うことなのか。まぁこの手の押し問答の無益さは知っている。俺は理子の提案を受け入れた。

 エレベーターでエントランスに降りる。確かにこれだけの距離だ。人に会うのはまれなのかもしれない。

「じゃ、ここでいいよ。お世話様でした。」

 言ってエントランスの自動ドアをくぐろうとした。

 自動ドアの前にいる姉妹と目が合う。

 俺の乾ききってない髪。寝間着の理子。目の前の見知った姉妹。世界中の時が止まったような気がした

「え?え?えぇぇー!!!」マンション中に姉妹の声が響いた。

---

 そして現在に至る。

 彼女たちはまるで押し込み強盗のように俺たちに詰め寄った。

「お、俺は、俺たちは何もしてない!無罪だ。」

「誠君、この期に及んで見苦しいよ。状況証拠は揃ってるんだよ。」

 七海が言うと美海もずずっと抗議の視線を向けてくる。

「な、並木先生も!ちゃんと弁明してください!」

「えー、言い訳なんてしたら余計に怪しいじゃない?もう私と付き合ったことにしちゃえばー?」

「つつつつき合ってるですってー!」

 理子が火に油を注ぐ。七海はもう顔が真っ赤になって、怖い。

「付き合ってません。並木先生のいつもの冗談です。少し並木先生に相談があって話を聞いてもらってたんですが、終電を逃してしまって。泊めていただいたのは事実ですが、深川先生の想像してるようなことは何もしてません。」

「あやしい。」

 今度は美海が言いながら俺にジト目で迫る。眼鏡の奥の瞳が怖い。美海はしばらく俺の目を眺めた後、やれやれと言わんばかりに言った。

「お姉ちゃん、嘘は言ってないみたい。」

 美海さん、いつから琴美さんの技を使えるように。水〇心かな?

 しかし、美海の助け舟は正直ありがたい。こんなところ客観的に見ればどう言い繕ったところでまっ〇ろくろすけ下手をすれば死刑まである。いや、ないか。

「もう!理子!もうこういうの無し!」

 俺の容疑が妹によって晴らされ七海の矛先は理子に向かったようだ。

「いや、並木先生が悪いんじゃないんです。俺の相談に乗ってもらっていたんで。むしろ、時間を気にしなかった俺に非があるというか。」

 今度は俺が理子に助け舟を出す。

「でー?今日はどうしたのよー?いきなり来るなんて初めてじゃない。何か用があったんでしょ?」

 理子はもう開き直ることにしたようだ。

 深川姉妹の言うことを要約すると天文部が本格的に活動するのは良いが金土に天体観察する以外に具体的な活動をどうするかが目下の課題になっているのだという。普段から姉妹で相談をしているのだろう。しかしどうにも最近は意見も停滞気味で生き詰まり、理子に相談に来たようだ。

「なるほど、それで並木先生に相談ってわけですか。」

「お姉ちゃんと話しててもなかなか進まなくて。というよりお姉ちゃん、顧問とか言ってる割に全然詳しくないし。」

 言いながら美海が頬を膨らます。こういう美海の表情は新鮮だ。対する七海は申し訳なさそうな顔を浮かべている。

 しかし、確かに天文部は理系の部活だ。顧問に相応しいのは数学や化学、物理などの理系科目の教師が受け持つのが普通だろう。その点を考えると七海はよく頑張っていると思う。

「先生はよく頑張ってくれてると思いますよ。部室の件でも部費の件でも先生が居なかったらこうもスムーズに話は纏まりませんでしたから。」

 すっかり意気消沈してしまった七海に労いの言葉を送る。すると七海の表情は途端に明るくなりふふんと胸を張る。

「私そろそろお昼作ろうかと思うけど、みんな食べてくんでしょ?」

 七海の機嫌が直ったところで理子が切り出す。流石というか、こういう時の離脱がうまい。

「私も手伝うよー!」

 七海が上機嫌に付いていく。自然とリビングには俺と美海が取り残される形になった。

「いつも、先生といろいろ相談してんの?」

「お姉ちゃん?うん。いつも相談していろいろ決めてるよ。部室もそうだし、今回注文してる物とかも。」

「そっか。今度は部室のみんなとも相談して決めような。せっかくいっぱい仲間が出来たんだからさ。」

「うん…。」

 美海は歯切れの悪い返事を返す。部員との人間関係がうまくいってないのだろうか。部室で見ている分にはそんな風には見えなかったが。

 そんなことを考えていると、美海がこちらを見ていることに気付く。

「部員の誰かとなにかあるのか?相談とかしにくいとか。」

「ううん。そんなことない。そんなことないんだよ。みんなすごく良くしてくれるし。頼りにしてる。」

「ならいいんだけどな…。」

 そういうと美海は少し考えて口を開く。

「…そうじゃないんだけど、みんないろいろ考えなきゃいけないこともあると思うし…。部のことであまり煩わせちゃうのも…」

「そんなことないぞ。そりゃ、みんないろんなこと抱えてると思うけどな。でも、こういうこと考えるのも立派な部活動だからさ。みんなのこと仲間外れにしたら可哀そうだよ。」

 少しの沈黙。今日の美海は少し様子がおかしい。

「そう…だよね。ごめんね。次からはみんなともちゃんと相談する。」

「どうした?今日なんかあったのか?元気ないように見えるけど。悩み事とかあるなら相談してくれよ。」

 美海は少し、顔を伏せ

「言えない。」

 そうポツリと言った。

 要領の得ない答えに俺にそれ以上の追及は出来なかった。男の俺には言えないこともあるのだろう。そう思うことにした。

「ねぇ、並木先生と…どんな相談してたの?」

 唐突に美海が尋ねる。声音は依然と低い。

「ちょっと昔のこととかかな。お互いの。なんだ?まだなんかあったか疑ってんの?」

「そっか…ううん、聞いてみただけだよ!」

 そう言って顔をあげた美海はいつもの笑顔に戻っていた。

 それから4人で先生たちの作った料理を食べ、俺は理子の部屋を後にした。

 帰りの道中、ずっと気にかかっていたのは美海の雰囲気だ。彼女はどうしてあんな沈んだ顔をしていたのだろうか。美海の悩み事は何だったのだろう。

 しかし、家に着く頃にはそのことについて考えるのをやめた。多分考えたくなかったのだろう。

***

 GWも終わり今日から本格的な部活が始まる。

 と言っても、初日の今日は2学期の部活の内容について議論をしていくというわけだが…

 先ほどから部室には重い沈黙が流れている。そりゃそうだ。誰も天文部がどんなことをする部活かわかっていない。俺だって知らない。みんなの共通認識としてあるのは「星を見る部活」ということだけである。

 しかしこのまま座っていても埒が明かない。

「天体望遠鏡はいつ来るの?」

 琴美が沈黙を破る。

「おね…先生が言うにはもう少しかかるみたい。でも最初の観測までには来るそうだよ!」

 一同の顔がパッと明るくなる。

「水を差して悪いが、なら、多分最初の金土には使えないぞ。」

「えぇー。どうしてー。」

 俺が言うと優子が不満げな声をあげる。

「俺も実物を触ったことはないけど、あれセッティングとか結構大変みたいだ。あと、みんなも使うわけだし、使い方の練習もしなきゃいけない。」

 そういうと「そっかー」と残念そうな声をあげる。

「でも、天体望遠鏡の使い方の練習や勉強も立派な部活だと思うぞ。これでやること一つ決まったな。」

 そういうと今度は美海が声をあげる。

「でも、望遠鏡使えないなら使えるまでの観測はどうするの?私はお空眺めてるだけでも幸せだけど、それって部活かなぁ?」

「そこで今回先生に買ってもらったこれがある。これだ!」

 そう言って物品箱の中を漁る。俺が取り出したのは星座早見盤だ。詳しい使い方は俺も知らない。なんでもどこにどんな星座があるか一目でわかる優れものらしい。

「これ全部見えるの?」

 琴美が言う。確かに星座早見表にはびっしり星が書き込まれているが実際にはここまでの星々を見るのは困難だろう。

「見えない。街の灯りとか、月も出てるともっと少なくなる。」

 真一が普段の無言を破り言う。彼も部活に対して予習をしているのであろう。

「え、月が出てると星って見えなくなるの?意外…」

「月は夜空で一番明るいからな。明るさの低い星は消えちゃうんだよ。」

「それならさ、金土に月がどのくらい出てるか調べとくといいんじゃない?」

 琴美が、琴美が、まともなことを言ったよ!などと言ってはいけない。彼女はこう見えて学力はかなり高いのだ。

「琴美がまともなことを言ったよ!」

 おっと、優子さんは堪えられず言ってしまいましたな。あなたもアニメばかりでなくて勉強もう少ししようね。二人は「なにをー」とか言いながらじゃれ合っている。まぁ、この二人、部活の中でも特に仲がいい。

「部長、どうする?」

 美海に統括を依頼する。

「そうだね!じゃ、最初は星座早見盤の使い方、みんなで勉強しよ。それから天体望遠鏡が来たらそっちの勉強もしていこう!」

「カレンダーの件はどうする?」

「そっちは担当を決めてお願いしたいなぁ。」

 そう言って俺たちを見まわす。

「俺やろうか?」

 そう提案すると琴美が俺を御して言う。

「あたしやる!言い出しっぺだもん!やらせてほしいな。」

 そう言われると俺に反対する理由はない。

「でも一人じゃ大変かも…」

 美海がつぶやく。

「じゃ、私もやる!」

 今度は優子が手をあげる。

「じゃ、お願いします。」

 美海が頭を下げる。どうやら月齢カレンダー制作は琴美と優子の二人に決定したようだ。

 こうして、俺たちの天文部は本格的に活動を開始した。

 そして初の夜間観測の日がやってきた。

 天気は晴れで絶好の観測日和と言える。琴美と優子の作った月齢カレンダーでは今夜は有明月。新月とまではいかないが、観測日の取り合わせを考えると。かなり良好と言える。

 俺たちは星座早見盤と夜空を見比べながら夜空を眺めた。冬の星座の座標が低くなり徐々に夏の星座が姿を見せている。まだ天の川はかかっていないようだ。

「綺麗だな。」

 座って星を眺めていた美海の隣に腰掛けながら声をかける。

「うん。綺麗。」

 美海は多くを語らない。星の灯りに照らされる横顔に吸い込まれそうになる。

「昔から、星を眺めるのが好きだったの。」

 ぽつりと独り言をつぶやく様に美海が言う。

「そっか。」

 二人で星空を眺める。今ではもう遠い記憶が揺れる。

 少し離れた位置では真一の持ってきた双眼鏡を優子と琴美が取り合っている。その様子を真一はあたふたと見守る。

 俺たちの初めての天体観測はこうして更けていった。

 数日後、待ちに待った天体望遠鏡が届いたので放課後部室で開封しようという流れになった。

 集まったのは俺たち5人に深川先生。さらにもう一人珍客がいた。

 後ろで束ねた長髪に無精髭の中年男性。彼は化学教師の”源(ミナモト)”先生だ。彼は生徒達から親しみを込めてゲンさんと呼ばれている。彼は有り体に言えば変人でこういう変わった器具や実験などそういうものに目がない。というより、それ以外の物に興味を示しているのを見たことがない。しかし、生徒からの人気は高く(主に男子生徒)彼の顧問する化学部は割と多くの部員の確保に成功している。

 なぜ彼がここにいるのかというと、本日職員室に届いた天体望遠鏡をあろうことか彼は真っ先に包みを破り、たまたまその場に居合わせた七海に取り押さえられ。深川姉妹の説教を喰らい、それでも変わった器具への興味が失せない彼は今日一日我らが望遠鏡を徹底的にマークしこうして部室までやってきたのだ。

「こ、こ、これ、もう開けるんでしょ?ぼ、僕開けてもいいかな?」

 待ちきれなさそうに言うゲンさんこと源先生に七海がキッと睨みつける。よっぽど包みを破られたことを根に持っているのだろう。

 お預けを喰らったワンコのようになっている源先生が可哀想なので俺たちは望遠鏡をさっさと開封することにした。

 少し太めの鏡筒を持つ反射式レンズの望遠鏡だ。早速源先生は付属の三脚に手を伸ばそうとして真一の妨害に遭っている。

 まぁ、あまり意地悪してもなんなので、真一にGOサインを出して”源”犬を開放する。”源”犬は早速三脚を慣れた手つきで組み立て始める。真一も組み立て方を覚えようと真剣に見ている。

 みんなが見守る中、なんと源先生はものの数十分で望遠鏡をくみ上げてしまった。よほどこういうものが好きなのだろうか。いや、部品点数や取り付け箇所、さらに説明書は英語で正直俺たちにはかなりの高難度であったことを考えるとこれは源先生なりの優しさなのだろう。それをこれだけのスピードで組み上げてしまうのだからこの先生、なかなか侮れない。

 俺と美海は目を見合わせた。お互い思っていることは同じようで美海が切り出す。

「あの、源先生。」

 源先生は完成した望遠鏡を舐めるように眺めつつ「た、高かったんだろうねぇ」「いいなぁ。ぼ、僕も欲しいなぁ」などと気持ち悪いことを呟きながら自分の世界に浸っている。

「源先生!」

 美海の声に源先生の肩がぶるっと震える。怒られると思ったのだろうか。

「源先生さえよければそれの使い方も私たちに教えてください。」

 そう言われた源先生の表情がぱぁっと明るくなる。なんだ、この人案外可愛いな。

 俺たちの申し出を源先生は快諾してくれた。遠くのものに標準を合わせながらピントの合わせ方をみんなに示し、特に真一は熱心でさらには望遠鏡の分解、組み立ても何度も聞きながら覚えたようだ。特にこの望遠鏡はかなりの重さがあるので分解できるのはありがたい。

 先生は夜間観測にも顔を出してくれた。実際に暗い中星にピントを合わせるのは昼間練習をしていても結構な難易度があった。七海の提案で俺たちは最初は月にピントを合わせながら練習した。

 天体望遠鏡は真一が特にご執心でそれ以外にもいろんな星にピントを合わせてはみんなで覗き合っていた。

 七海も「月って遠くから見たらウサギさんがいるのに望遠鏡で見るといなくなるね。」などと言っている。

 琴美と優子は星座早見盤を見ながら真一にこれこれとリクエストしてはいろんな星にピントを合わせてもらいながら楽しんでいるようだ。

 俺は最初の数回覗いて色々見たがそれ以外にピント調整を手伝うくらいでそこまで望遠鏡を覗く機会は多くなかった。

 美海は最初に軽く月を見ただけでそれ以降、彼女が望遠鏡を覗くことはなかった。

***

 梅雨も半ば頃になると徐々にやってきている夏の暑さよりも、その湿気にうんざりする。今日は7月7日。一般に言う七夕である。梅雨の半ばであることを考えれば仕方のない事なのかもしれないが、特にこの地方の七夕は毎年雨である。今まで、七夕で晴れた日を数回しか見たことがない。いや、もしかしたらそんな日など見たことなかったかもしれない。

 今日も例年に漏れず朝から雨が降り、この雨は明日の朝まで降り続くらしい。

 ちなみに今日は期末試験の最終日に当たる。俺は何とか今の時点で学力の遅れはない。テストもそこそこの手応えがある。これからも油断しないよう予習復習はキッチリしないといけない。油断こそが人を堕落させるのだ。

 期末テストも午前で終わり、運動部などは今日からまた部活が始まるみたいで志信も今日はいつもの道着を持ってきていた。対して我らが天文部は顧問のワガママな意向により期末テストの返却以降から部活を再開という形に相成った。それでも期間中も含めて部室でみんなでテスト勉強をしてはいたのだが…

 そして、そんなテスト期間も今日で終わり。テスト勉強のために部室に行く必要もない俺はただ帰って自宅での半休を満喫出来るのだが、俺の足は部室に向いていた。もしかしたら誰か部室にいるかもしれない。

 天文部の部室こと旧自習室まで来た。以前は自習室として全日無施錠で開放されていたが、今では文字通り天文部の部室となっており高価な天体望遠鏡なども置いてあるため部室は基本的に施錠され、鍵は俺と美海、そして七海の持つ3つとなっている。

 俺は一応鍵を用意していたがドアに手をかけるとどうやら開いている。もしかしたらみんなもテストが終わり俺と同じように部室に来たのかもしれない。

 しかし、いつもなら琴美や優子のはしゃぐ声が室外まで漏れて聞こえるのに今日は誰の声も聞こえない。

 部室に入る。

 天体望遠鏡の横にみんなで作った七夕飾りが置かれている。みんなで願い事を書いたが美海の提案により、願い事札にはシールが張られお互いの願い事が見えなくなっている。この試みは実際やってみると面白く感じられた。みな、それぞれ誰しもが願いを持っている。しかし、その願いが何なのか、本来余人の知るところではないのだ。それが高尚なものであっても、陳腐に過ぎる願いであったとしても。

 部室の中にいたのは美海だった。他の部員たちはどうやら来ていないみたいだ。七夕飾りまで作っていて本番を忘れるあたり、みんなテストに苦しめられたようだ。

 美海は俺が入室したことを意に介せず窓の外を見ていた。

「テストお疲れ様。」

 俺は美海にあいさつ代わりに労いの言葉をかける。

「誠。お疲れ様。テスト、終わったね。」

 美海は外から視線を外すことなく答える。どこか上の空といった雰囲気だ。以前理子の部屋で話して以来、美海はたまにこうなる。それでも他の部員たちや七海に対しては普通に接していたりするのでおそらくこの原因は俺にある。

「外、見てたのか?」

「うん。今日も雨なのかな。」

 一応言葉は疑問形だがその口ぶりはまるで独り言だ。

「明日の朝までやまないみたいだな。毎年七夕は雨だもんな。」

「ねぇ、聞いていい?」

 空を見上げていた美海がこちらに向き直る。


「どうして七夕の日って毎年雨なのかな。」


 いつか、どこかで聞いたことのあるような質問を美海は俺に投げかける。その瞳はまっすぐ俺を見据え、俺の心に問いかけているようだ。

「昔、母ちゃんに聞いた話だけどな。七夕の日には彦星様と織姫様が年に一度だけ出会う日だろ。だから、そんな二人が誰にも邪魔されないように、神様が雲で二人を隠すんだよ。もし七夕に晴れたら、そんな二人が人々のお願いを叶えようと空の上から俺たちを見ているんだ。」

 記憶を辿り、言葉を間違えないように紡ぐ。


「二人はさ、年に1年しか会えなくて、それまで遠い遠い星にいてさみしくないのかな。」


 心がざわつく。この先を言うべきか、いや、言ってもいいのか少し戸惑う。

 

「どんなに距離が離れていても、どんなに会える時間が少なくとも、二人がお互いを思い続けている限り、いつかまた出会える。そう思ってるからきっと二人も寂しくないんだよ。」

 二人の間に沈黙が流れる。

「そっか…。」

 美海は小さな声で呟いて、再び空を見上げた。

「ねぇ、誠。もしも…もしも私が誠に酷いことをしたとしたら、誠は私を許せないかな?私のこと嫌いになるかな?」

 美海は目線はそのままに、しかし芯の通る声で訪ねる。

 質問は要領を得ず、意味は解せない。しかし答えは決まっている。

「…嫌いになんてならないよ。絶対。」

 美海は驚いた顔でこちらを見た後、ふっと穏やかな笑みを浮かべ呟いた。

 

「来年は、晴れるといいね。」

「そうだな。晴らせたいな。」

 雨はますます降り太陽を隠しそのまま夜の帳が下りてくる。星空は見えないがきっと分厚い雲の上では彦星様と織姫様が1年ぶりの逢瀬と相成っているのだろう。そんなことに思いを馳せながら俺と美海は雨雲のかかる空をいつまでも見続けていた。

***

 夏の暑さがますます隆盛になり梅雨明けをとうに過ぎ、目前には夏休みが迫ろうとしていた。

 テストの結果はおおよそ好調で学年順位でも上位をキープすることができた。これは日頃の予習復習の成果…というわけでなく部室でみんなと教えあっていることが良い作用に働いているのだろう。勉強とは教わるより、人に教えた方が勉強になるのだ。

 それは他のみんなにも言えるようで天文部の面々は皆概ね好調な結果を残していた。部活もまた再開しており、最近の話題は専ら夏休みの計画について話し合っているようだ。どうやら夏休みに皆で合宿がしたいということだった。

 しかし、その場所についてはみんなで意見が割れているようで先ほどから議論が白熱している。美海と真一は星の見やすい山がいいとのこと。そして優子と琴美はせっかくの夏だから海がいいということだった。議論は平行線で、山でも川があれば泳げるとか、砂浜で天体観測はロマンチックだとかそんな内容だ。

 お互いの議論が火花を散らしなかなかに収拾がつかない。そうなると未だ自分の意見を述べていない優柔不断男。そう、俺に矢面が立つのだ。

 琴美と美海が意見を求めて俺を見る。こういう議論の時最後に意見を求められるのは非常に責任が重い。ちなみに美海とは七夕の日以降はまた普段通りに接してくれるようになった。美海の憂鬱な顔は正直辛かった。

「海のある山を探したらどうかな?」

 俺の無責任かつ意味不明な提案に二人がまた白熱する。

「海のある山なんて綺麗な川ないよ!」

 と美海が言えば、琴美が対抗して言い返す。

「山があったら砂浜で天体観測しないじゃん、砂浜でするのが良いの!」

 こんな具合だ。

「ていうより望遠鏡は砂浜に置けないぞ。錆びるし。」

 俺の一言は琴美と優子の海派にとどめを刺したようだ。そう思った矢先。

「山に担いでいくのも大変。」

 するとなぜか山派の真一が二人に助け舟を出す。裏切ったなぁー!

 さて、どうしたものかと考えあぐねていると七海が部室にやってきた。それもいつになく上機嫌だ。

「みんなー!いいお知らせがあるよー!」

 目をキラキラさせて七海が言う。と、彼女の隣から一人の少女が顔を出す。ブレザーのバッチを見るとどうやら上級生のようだ。

「3年の”古池 素子”です。天文部の皆さんこんにちは。女子ワンゲル部の部長をやっています。」

 古池先輩が言う。キリっとした雰囲気はワンゲル部というよりは風紀委員と言った方がしっくりくる。

「わんげるぶ?」

 女子3人が見事にシンクロしながら首を傾げる。

「ワンダーフォーゲル部だな。山に行ったりキャンプしたり冬にはスキーに行ったり、まぁ自然相手の部活だな。」

 俺が説明するとみんな口々にへぇーと感嘆の声を漏らす。

「キミ、よく知っているのね。そう、大まかにはその通りよ。でも、ワンゲル部の大きな目標は部員同士の絆を深めることもあるの。」

 と先輩は補足する。しかし、わからないのはなぜ、彼女が天文部にやってきたのかということだった。

「結城です。先輩の言っている事はわかりました。その、ワンゲル部の部長がなぜこちらへ?」

 そう問いかけると古池先輩をおいて七海が答える。

「あのね、みんな夏休みに合宿するでしょ?で、ちょうど彼女達も合宿するから、合同合宿なんてどうかなって。」

 七海は得意気に言う。

「そうなると山ですか。しかし、女子ワンゲル部とおっしゃってましたが、男子ワンゲル部と合同じゃいけないんですか?こちらも僕と彼を含めて男子もいます。同じ部内ならともかく合同参加で男女混合ともなれば問題があるのでは?」

 当然の疑問をぶつける。すると古池先輩は少し言いにくそうに答える。

「ないのよ…」

「え?」

「男子ワンゲル部はないのよ。かなり昔に廃部になっててそれっきりなのよ。それに合同と言っても女子ワンゲル部は私を含めて3人しかいないの。だから男手も含めて人手が欲しいの。」

 なるほど、魂胆はそこか。要は女子ワンゲル部は人手不足で活動困難なのだ。そこで人手を求めて天文部を訪ねてきたということのようだ。

「結城君。あなたが天文部の部長かしら?」

 古池先輩は俺に尋ねるが部長は美海だ。俺は美海を見る。

「この深川さんが天文部の部長です。」

 そう言いながら美海を紹介する。

「あなたが深川先生の妹さんね。よろしくお願いします。で、どうかしら。キャンプ用具や炊飯用具もワンゲル部の物を提供できるし悪い話ではないと思うんだけど。」

 確かにその提案は魅力的だ。合宿と言っても俺達だけではどこかの旅館やペンションを借りることになる。そうなれば自然と費用は高くなる。こんな思い付きで言って実現できるほど積み立てをしているわけでもない。その点、キャンプであれば費用は交通費と食費がほとんどでかなりの費用削減となる。おまけにワンゲル部ならばキャンプのこともお手の物だろう。

「いいんじゃないかな。美海。悪い条件じゃないと思うけど。」

 美海に進言する。美海は天文部のみんなと目を合わせ確認すると「こちらこそよろしくお願いします」と古池先輩の手を取った。

 こうして俺たちの夏合宿が始まった。

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