第4話 いきなり核心なんて認めないから!

 琴美の姿が見えなくなり、駅への道を歩く。道中に見慣れた姿を見つける

「並木先生…」

 対象の名前をつぶやいた俺に並木先生は明るく言う。

「誠君。お茶しよ!」

 先生に連れられ、駅の近くのカフェに入る。

「鈴原さんのこと、本当にありがとね。」

 席に着くや先生はそう切りだした。

「さっきも言いましたけど、たいしたことはしてませんよ。」

「それでも、多分誠君じゃなきゃできないことだったと思うよ。流石私の見込んだお気に入りだよー。」

「買い被りすぎですって。俺からすれば先生に感謝ですよ。琴美が引きこもってあまり日数が経っていなかったことが幸いしました。それに優秀な新入部員の確保にもつながりましたし。

「鈴原さんのこと、下の名前で呼んでるんだね。いつからそんなに親しくなったのかな?」

 並木先生の表情はころころ変わる。普段の優しそうな笑みから大人の女性、そして今はいたずらっ子のような。もともとの幼い容姿がそんな先生の印象をミステリアスに彩る。

「部員のことはみんなファーストネームで呼び合うようにしてるんです。深い意味は特にありませんよ。」

「誠君は天然の女たらしだから信用できないなぁ。それとも、女慣れは豊富な人生経験から来てるのかな?」

 先生の瞳の奥が怪しく光る。俺の背筋が凍り付く。

「…先生は俺のこと、どこまで知ってるんですか。」

 正直、俺はどうすればいいのかわからなかった。この並木理子という女性の底が知れない。

「わからないから、聞いてるの。でも、正直、私、誠君のこと高校生だとは思えない。」

 直球だ。こういうところでの直球は下手な変化球より質が悪い。沈黙は肯定と捉えられ、嘘には動揺が走る。

 この時理解した。並木先生も年齢相応ではない。あるいは俺と同じような2度目の人生を生きているのかもしれない。

「…話せば長くなりますし、信じてもらえるかもわかりません。」

「全部聞きたい。話して。」

「先生のことも、話して頂けるなら。」

「全部は話せないかなぁ。少しだけなら。」

「それは…フェアじゃないですね。」

「女性は秘密があった方が魅力的でしょ?それに…恥ずかしいじゃない。」

「そうかも、知れませんね。わかりました。もうすぐGWです。先生もし都合の合う日があるのでしたら、二人でお会いしましょう。できれば、二人っきりになれるところで。」

「わかった。連絡先、教えてくれる?」

「いいですよ。俺、携帯うまく使えないんで先生にお任せします。」

 そう言って携帯を先生に渡す。先生は「私もそこまで得意じゃないんだけど…」と言いながら携帯を操作する。

 氷の解けかかったアイスコーヒーを飲みながら登録が終わるのを待つ。

 アイスコーヒーも飲み終わるかという頃、先生は俺に携帯を返してきた。

「連絡は私からしたほうがいいよね?」

「そうですね。助かります。僕から暇ですかなんて聞けないですから。」

 約束を取り交わし先生と別れる。もう日も長くなりかけているのに辺りはすっかり暗くなっていた。

 帰り道、先生のことを考える。取り留めのない考えが浮かんでは消える。

 重要な事柄だけでも今日話していた方が楽だったかもしれない。でも、覚悟が決まらなかった。あまりにも唐突すぎた。

 まとまりのない考えを振り払うようにとりあえず今は余計なことは考えないようにした。

***

 4月の登校日も今日で最後。明日からはGWという日、今日もいつもの部員と昼食を食べていた。すると扉の方に人影を見止める。

「みんな、こんにちわ!」

 あらわれたのは、1-4担任にして、現国教師、そして我らが天文部顧問。みんなのななちゃん先生こと深川先生だ。

「お姉ちゃん。できたの?」

 美海はなぜ先生が部室に来たのか心当てがあるようだ。それにしても美海は教室でもお姉ちゃんと呼んでいるのだろか?

「じゃーん!」

 先生が意気揚々と板を前に突き出す。”天文部”と書かれたルームプレートだ。

「おぉー!!」

 みんなで歓声をあげる。深川先生はこの短期間で部の申請を済ませ部室としてこの多目的室をせしめ、部費の前借という名目で結構な金額を天文部予算として引っ張ってきている。

 それも度々保健室にサボタージュをかましつつだ。意外にも深川先生は優秀なのかもしれない。いや、保健室には強力なブレインが居たんだった。納得納得。

 ルームプレートを受け取ると美海がとててと部屋の外に出る。じーっとしばし元のプレートを眺めた後ガタタと椅子を持ち外のルームプレートを入れ替える。

 俺たちも外に出てその様子を伺っていた。

 美海がルームプレートを付け終わると「おぉー」とまた歓声が上がる。ぱちぱちとみんなで拍手をし、みんなでプレートを改めて見上げる。

 各々思うところがあるのだろう。しばしみんなで眺めた後、また室内に戻る。

「みなさん!報告があります!」

 ビシッと人指差しを突き出し美海が宣言する。

「おね…深川先生と相談の結果、本格的な部活はGW明けから!天体観測は金曜と土曜の夜に行うことになりましたー!うてん、どんてんは中止です!」

 ぱちぱちとみんなで賛成の意を込めた拍手を送る。

「お昼はどうするの?」

 質問したのは、クラス女子のアイドル兼隠れオタクこと姫川優子だ。近頃は俺のメールアドレスを得て深夜のアニメ鑑賞後のメールがヤバい。思い出すと俺の語彙力がヤバい。

「お昼は今まで通りみんなでここで食べます!」

「部活は週末だけですかー?普段の部活はしないんですかー?」

 今度は、元引きこもりのエスパーギャルこと鈴原琴美だ。彼女も最近の優子氏の犠牲者の一人となっている。しかし、彼女もただやられっぱなしということではない。姫川氏の近頃の語彙力のヤバさは彼女の影響がヤバくてヤバい。一番の被害者俺じゃないですか、やだー。

「放課後はここで勉強します!みんなで教えあいます。」

 おっと、美海さんホント逞しくなりましたね。知ってますよ。なかなか勉強追いついてないみたいじゃないですかー。

「それ助かるー。あたしもやばくてさー。」

 助け舟を出すのは再びの琴美さん。まぁ琴美さん、2週間以上学校来てなかったんで仕方ないですよね。でも、知ってるんですよ。休んでた期間結構勉強はなさってたんでしょ。

「私も来れるときは来るから。みんなでわからないところは教えあいましょう。先生としても、この部活から補習者は出せないのよ。教頭先生に怒られちゃうし。」

 なるほどー。妹さんに入れ知恵したのはやっぱりこの人だったかー。しかも後半、本音漏れてますよ。

「俺も賛成だな。俺も勉強のわからないとこちゃんと解消しときたい。真一、家のこととか忙しいのかな?」

「大丈夫。妹ももう中二だから。下の子のこと見てくれる。」

 そう答えてくれるのは無口な強面女子(♂)こと細田真一だ。キミ、もっと会話に参加してくれなきゃ存在忘れちゃうぞ♪いや、無理だわ。こんなゴツイ奴の存在忘れるわけがない。

 しかし、彼も最近みんなが話しているのを聞きながら幸せそうな笑みを浮かべていることを俺は知っている。彼は自らが話さなくてもしっかり会話に参加しているのだ。

「では皆さん、よろしくおねがいしまーす!」

 美海はそう高らかに告げぺこりと頭を下げる。そしてみんなで拍手を送る。いよいよ部活か。楽しみだな。

***

 いよいよGWに入り、俺は今駅にいる。昨日の夜メールでの呼び出しを受けたのだ。相手は並木先生…ではない。

「おはよー。誠君。」

 俺を見つけ元気に駆け寄ってくる。

 そう、我らが天文部オタク担当姫川優子だ。

「おはよう。一応もっかい確認なんだけど今日なにするの?」

 一応メールで聞いてはいる。聞いてはいるが、やはり確認しておきたい。

「もちろん!オ・タ・カ・ツ!!」

 目をキラキラさせながら最新のアニメネタをぶっこんでくる。

「じゃ、街の方に行くのかな?」

「そうだねぇー、昼過ぎには街のメイドカフェ行ってみたいしー。いろんなお店も回りたいんだよー。誠君は何かいいお店知ってる?」

 聞かれて記憶を辿る。専門学校時代のオタク友達と遊びに行ったときは結構いろいろ回った覚えがある。

「優子の趣味に合うかわかんないけど、いい?」

「いいよー。誠君チョイスの優良店おしえておくれぇー。」

 優子は今にもだらだら涎を垂らしそうな勢いだ。もういろんなキャラが混ざり合って原型を留めていない。

 俺はしばし考え中心街よりも手前3駅のところで下車した。

 駅から降りてしばし歩く。駅前は商店街になっており、休日の賑わいはあるものの、やはり街中の賑わいに比べると寂れた雰囲気を醸し出している。

「誠君、こんなところにアニメストアなんてあるのかなぁ。」

 優子のテンションは先ほどとは見るからに下がっている。確かにこんなところに街中のような華やかなアニメショップはありそうにもない。

「お、ここだ!」

 俺が連れてきたのは入り口にTA〇IYAのシールが貼ってある模型屋さんだ。

「誠君、プラモデル見るの?私、ちょっと守備範囲外というかー。」

 優子は気まずそうに言う。迫害されやすいオタクとしてもあまり他人の趣味にとやかく言いたくはないが、あまりに落胆が大きかったのだろう。

「フッ、優子さんや、そんなことを言って良いのかな。」

 肩を落とす優子を引いて店内に入る。

「おぉー!!こんなところに”かりたん”のフィギュアがー。こっちにはコミケ限定販売のはずの”まるまる君”の限定キーホルダー!」

 まるで小さな子供のように店内を見て回る優子。そう、ここの店主は知る人ぞ知るアニオタ店主。模型屋の看板を隠れ蓑にニワカお断りを貫く硬派主人の店なのだ。なのでここにプラモデルを買いに来るとすごくがっかりする。

 二人で店内を見て回る。優子はあれを見、これを見してはその都度解説を挟む。そのうち何点かのアイテムをうぅーむと迷いつつ品定めして小物を中心に選び会計を済ませていた。

「いやー、最高のお店でしたなぁー!誠どの!満足!満足!」

 店に入る時とは打って変わったテンションで優子は満面の笑みで買った商品を両手で抱えながら言う。

「こんな商店街にこんな隠れた名店誠君、よく知ってたねぇ。」

「そうだろ。普通に考えてこんなところノーマークだからな。隠れた名店だからこそGWにも全然人も多くない。最高だろ?だけどな、ここはこれだけじゃないんだぜ?」

 優子を連れて店の反対側に回る。するとそっちは駄菓子屋になっており見た目はなんの変哲もない。

「駄菓子屋さん?お菓子買うのかな?こういう駄菓子屋さん懐かしいよねー。」

「おいおい、優子さんともあろう方がさっきの模型屋の裏がただの駄菓子屋だとお思いなのか?」

 ニヤリと口角を上げて優子を見る。そして彼女を引っ張り店内に入る。

「おぉー!なんですかここは!?ユートピアです!パラダイスです!シャングリラです!」

 そう、こちらも先ほどのひねくれ硬派店主が一緒にやってる駄菓子屋で外見は一見すると普通の駄菓子屋さんでその実店内の半分以上のスペースを埋めるガシャポン台。なのでここに駄菓子を買いに来るとものすごくがっかりする。

 しかも先ほどの模型屋とは建屋が同じクセして店内からは互いの店が行き来できず、一度店の外から回り込む必要があるという念の入れよう。なので初心者はこちら側の存在に気付くことなく帰ってしまうという。

 ここでも優子は店内に設置された両替機で千円札を崩してはガシャガシャの機械を夢中に回していた。

 その間、俺はおまけ程度にある駄菓子スペースで適当に駄菓子を見繕う。

「いやー、誠君、いや、誠様。こんなとんでもないお店を私に紹介するなんてキミは罪なオトコだよ。」

 ほくほくと優子が言う。いや、アニメネタ使ってるみたいだけどそれ結構危険なセリフだからね。

「結構…いや、かなり買ったな。ていうか、予算オーバーじゃないかそれ?」

 優子の両手にはすでに3つの紙袋がパンパンにぶら下がっている。そのうち2つを手に取りながら歩く。

「おや、イケメンなところあるじゃないですかー。私がオタクじゃなかったら惚れてますよー。」

「はいはい。お腹減ったろ?そろそろ街の方行くか。」

 時刻はもう11:30を回っている。目的の店に着くころにはかなりいい時間になっているころだろう。

 また電車に乗り3駅。中心街までやってきた。そのまま駅の地下街の奥の方、優子の言っていたメイド喫茶にやってきたのだが…

「うわー、混んでますねぇ。」

 さすがの優子も店から延びる長蛇の列を見てうんざりした声を上げる。

「ここらへんでこういう店ここだけだから覚悟はしてたんですけどねぇ。」

「他の店行くか?俺の知ってる店なら多分空いてるぞ?」

「仕方ないですから、そちらにしますかぁ。メイド喫茶はまたの機会にしましょうー。」

 肩をがっくり落とし優子はしぶしぶ俺の提案に賛成する。俺は駅地下から出てすこし山側に歩き住宅街の間にあるこじんまりとした喫茶店に来た。

「ここですか。確かに人はあんまり、っていうか、ほとんどいませんね。大丈夫なんですか?」

 ジトっとした目で俺を見る優子。もうネタフリなんだよね?

「まぁまぁ、見て気付かないなら入ってのお楽しみだからさ。」

 そういいつつ優子を押しながら店内に入る。店に入ってすぐに置いてある”まりり”のフィギュアを見つけ優子は立ち止まる。

「ははーん、さてはここもオタクの店主サンがやってるお店ってわけですかー。流石にこれは二番煎じですなー。」

「はっ!侮ってもらっては困りますな優子さん、俺はそんな底の浅い男じゃない!まだ気付いてない優子さんこそちょっとニワカなんじゃないですかー?」

 そう言いつつ目的の窓際の4人席を取る。

「入ってしまえば普通のお店ですよねー。あったのは”まりり”のフィギュア一つだけ…」

「ここのマスター普通の人だからな。オタクじゃないぞ。注文何するか決めたか?お勧めはミートスパゲティーとハンバーグプレートだぞ。

「はぁ、じゃあ、ミートスパゲティーで。」

 まだ訝し気に俺を見る優子。俺は視線を気にせずマスターにミートスパゲティーとハンバーグプレート。そしてメロンフロートとオレンジジュースを頼んだ。

 そして飲み物が運ばれてくる。マスターも何度かこういう注文を受け慣れているのか俺の方にオレンジジュース。優子の方にメロンフロートを置く。俺は一応マスターに写真撮影の許可を取る。

「うぇ、せっかく頼んでもらっておいて申し訳ないのですが私炭酸苦手なんですよぉー」

「まぁまぁ、オレンジジュース飲めばいいからさ、もうしばし待てだ。」

 ほどなく料理が運ばれてくるこれはフロートが溶けてしまわないようにマスターが料理の提供時間を考えている証拠だろう。

「さて、名探偵優子君。まだ気付かないのかね。」

 俺は勿体ぶって優子に尋ねる。優子はうーんと唸っているがまだ閃かないようだ。

「ヒントをあげよう。料理はこの内容をこの並びじゃないとダメなんだ。そして、マスターはオタでもないのに入り口に置かれた”まりり”のフィギュア。さぁ、まだわからないか?」

 そこまで言うと優子はばっと料理を眺め、視線を近くしたり遠くしたり、そしてたたたっと店の外に出て外からこの席の光景を見る。流石に気付いたようだ。

「こここここ、ここは…もしかして”まりりちゃんの冒険”の…」

「そう。”まりり”のいつも行ってる喫茶店。それはこの店。いわゆる聖地ってやつだ。」

「しかもこの席!このメニューは!いわゆる原作再現!」

 そういうと優子は震える手で携帯の写メを取り続ける。

「まぁ、それも楽しみの一つだが、この店は普通に美味い!冷めてもマスターに悪いし、食べようぜ。」

 そう言って料理を口に運ぶ。この店、アニメに出てくる喫茶店とカミングアウトされたのは確かアニメ公開からかなり後になってからだった。みんなも知らなければ来ようもない。

 なのでここは隠れた名店ということになる。もちろんカミングアウト後はアニメファンでごった返すことになるのだがそのカミングアウトが俺が専門学生時代だったのでまだまだ先のことだろう。

 食事中も終始テンションがMAXまで上がった優子のアニメ談義、今日買ったグッズの解説、”まりり”の原作再現に付き合った。

 その後もゲームセンター、大手アニメショップと数店を回り、再び待ち合わせた駅へと戻ってきた。俺から荷物を受け取り優子の両手はもう一杯だ。

「大丈夫か?家まで送っても良いんだぞ?」

「いえいえ、ご心配はご無用ですって。ウチここからすぐそこなんで。それより今日は本当に楽しい一日でしたよ。」

「ああ、俺も楽しかったよ。あいかわらず優子はオタカツ中は目がキラキラしてていいな。」

 何気なく言った一言に優子は顔を赤くする。はて、今日はもっと過激な発言もいっぱい言ってた気がするのだが。どうやらアニメキャラが入ってきてるときはそんなに気にならないらしい。

「あの…迷惑じゃなかったら、また付き合ってほしいと言いますか…」

 珍しく優子がしおらしくなりながら訪ねる。

「おう。またいっぱい回ろうぜ。迷惑なんかじゃないからな。俺も誘ってもらえて嬉しかった。」

 そういうと、また優子は顔中に笑みを浮かべる。確かに自分の趣味のお出かけは相手も楽しめたのか不安になるからなぁ。

「では、わたくしめは今日は失礼するであります!」

 そう言いながら荷物でいっぱいの手でビシッと敬礼をし、彼女は自宅があるのであろう方に走っていった。

 これが青春というのだろうか。確かに仲のいい友達と出かけたり、お昼食べたり、いろんなことをする。紛れもない青春のはずだ。しかし、違和感が拭えない。理由はわかっている。なぜそうなのかも。もっと流されなければ。飛び込んで。翻弄されて。かき回されて。かき回して。そして、いろんなものに傷をつけていく。昔から何も変わってない。寧ろ躊躇いがなくなっている分性質が悪い。

 そうじゃない。ここだ。ここを変えなければ俺の人生は何も変わらない。しかし、方法がわからない。もしかしたらわかっているのかも知れない。ただ、もう少し、もう少しだけモラトリアムでいたいのだ。それが俺の弱さなのだろう。

 時計を確認しようと携帯を開いたところメールが来ていることに気付く。差出人は並木理子。並木先生だ。

「明日会える?」

 タイトルも装飾もなく本文にたったそれだけ。

 黒い感情が増幅する。

「はい。どこに行けばいいですか?」

 こちらも簡潔に返す。

 明日、どう話したものやら。

***

 翌日俺は並木先生の自宅のマンションに来ていた。時刻は午後2時。エントランスで昨夜メールに書かれていた部屋番号をコールする。

「はい。」

「俺です。結城です。」

 名前を告げると自動ドアが開く。エレベーターに乗り目的階で降りる。エレベーターから先生の自室まではそんなに距離はない。しかし、足取りは重く、やけに遠く感じられた。

「はーい♪待ってたよ!誠君。さ、入って♪」

 俺の気持ちとは裏腹に先生はやけにハイテンションで、俺はそれがかえって不気味に感じた。

 室内は整然としていて落ち着いた家具で纏められていた。リビングに通されソファに腰掛ける。先生は「おまたせ」と言いながらテーブルにコーヒーを並べる。

「砂糖とミルクは?」

「ありがとうございます。結構です。ブラックしか飲めませんので。」

「そういえばそうだったね。」

 置かれたコーヒーを一口啜る。しばしの無言。

「あまりお客さん呼ばなくてさ。マグも普段私の使ってるものでごめんね。」

「いえ、気にしませんよ。意外ですね。深川先生とか、しょっちゅう来てるイメージでした。」

「私はななちゃんの家に行くことはあるけどななちゃんはあまりウチには来ないよ。それより、話し方!固いよ。タメ口でいいからさ、もっと自然に話してくれないと、本題に入れないじゃない。」

 やはりこの人は年齢以上に大人だ。会話に枕を挟み、これから本題に入るとこちらに覚悟を促してくる。

「…わかった。で、本題って言っても、何から話せばいいのか。」

 努めて言葉を崩しつつ壁を作ることも忘れない。

「私から話した方がいいのかな?」

 先生が譲歩の提案をしてくる。

「いや、先生、全部は話さないんでしょ?なら俺から話すから、フェアになるように先生が得られた情報と同じ分だけこっちに返してもらうってのはどう?」

「やっぱり誠君は大人だね。私が得られたと思った分だけ誠君に話せばいいんだよね?」

「いやいや、もちろん足りなければこちらから追加で聞くから。」

 そう、このやり取り、先攻が絶対的に有利なのだ。言いたくない情報は言わなければいい。相手からもその情報が得られないだけで、しかし後攻は相手が開示した情報については無条件で公開する必要が出てくるからだ。

「じゃ、私も聞きたいことがあったら聞いてくからさ。その都度答えてくれる?」

 先生もその点には心当てがあったのか、早速先攻の有利な点を潰しにかかる。この人、どこまでも隙がない。しかし、今日一番大切なことは他にある。おそらく今回の根底と目的地に当たる部分だ。

「じゃ、先生。俺と約束しませんか?俺は今日、隠し事は一切しませんし、聞かれたことにもすべて答えます。牽制も腹の探り合いも今から一切なし。そんで、この約束、飲んでいただけないなら今日は帰ります。」

「その約束が守られるって確証はあるの?」

「信じてもらうしかないな。もちろん、俺は先生を信じる。先生は底の見えない人だ。可愛くて幼い雰囲気でいながらとても年相応とも思えない。しかし、こんなところで変に嘘をつくような人でもない。お互い、全てさらけ出そう。」

 これが今日の一枚目の切り札だ。

「私からも条件があるの。今日は理子と誠でいいでしょ?昔の話をしている時、先生って呼ばれるのはちょっと。」

「先生、いや、理子って結構呼び方とか、話し方とか、こだわるよな。」

「そうよ。あとで話すわ。誠、さっきの約束事…飲むわ。」

「理子、ありがとう。」

 さて、とはいうもののどこから話したものか。考えていると理子は空気を察したのか早速質問をぶつけてくる。

「4月8日からよね。」

「なぜ、わかった?」

 言葉は疑問形だが確信を持った声色だった。

「メール、見たから。」

 バツ悪そうに理子が言う。おそらく連絡先を交換したときだろう。

「見たのか。まぁ、見られて困るものでもないけど。その通り。俺は202X年4月7日から200X年の4月8日まで巻き戻りと言ったらいいのか?確かに自分なんだが、高校生の時に戻っていた。」

 それから俺はもともと32歳のサラリーマンだったこと。もともとの仕事はどんなことをしていたのか。生活はどうだったのか。思いつくことをつらつら話した。理子は俺の話を黙って聞いていた。

「結婚…してたの?」

 それまで黙って聞いていた理子が口をはさむ。

「…してた。と言ってもさっきも言ったけど、俺は一人暮らしだ。つまり、その…」

「バツイチね。冗談だと思ってたけど?」

 言い淀んだところを理子にきっぱりと言われる。

「まぁ、高校生が言うから冗談であってさ。」

「子供は…居たの?」

「居た。元妻が引き取って、たまに会ったりもしてた。」

「そう。どうだったの?」

 主語も述語もなく要領を得ない。

「どうって?」

「関係というか。わだかまりとかなかったの?ほかにも子供に対してとかさ。結婚生活も聞きたいし、何で離婚したのかとか全部聞きたい。」

 俺は理子にすべて話した。

---

 元妻、奈緒子とは専門学校で知り合った。その当時は特別な関係ということはなく、就職後互いに参加した飲み会で再開した。俺と奈緒子の関係は互いに依存と言って差し違えない関係で確かに居心地がよかった。結婚後もそんな関係は続いていた。結婚後しばらくして、奈緒子は子供が出来たと俺に言った。俺はその時なにも問題ないと、そう考えていた。

 生まれた子供は可愛かった。娘だ。名前は玲。奈緒子がつけた。賢い子に育つようにとのことだった。ある日から、俺は玲と奈緒子の視線が、期待が、怖くなった。自分にかかる責任が、重圧が。汚れの知らない無垢な瞳。奈緒子もどんどん澄んでいった。まるで自分だけが穢れ者だ。

 ある日から、俺は家にほとんど帰らなくなった。いろんな女を抱いた。気持ちも何もない女も抱いた。そのうち、女を抱けなくなった。

 そして玲が2歳を迎えた時、俺は耐え切れず奈緒子と離婚した。

 もちろん奈緒子は俺の浮気を知っていた。しかし、奈緒子は俺を責めなかった。最低な俺に対して「私と結婚してくれてありがとう」とそういった。「子供にも時々、節目で良いからあってあげて」と。ますます自分がみじめになった。

 俺はそれまでしていた仕事も全て辞めた。逃げるように地元を出て、遠くで仕事を見つけた。

 そして、俺はそこで本当の恋をした。その人は今までの汚れた自分もすべて包んでくれた。そして許してくれた。厳しく叱ってくれたりもした。そして、俺に言った。「逃げないで。ちゃんと向かい合って」と。

 それは俺の悪癖だ。目を逸らし、話題をすり替え、核心に触れない。今でも変わらない。

 悩んだ。彼女が好きだった。ずっと一緒にいたいと思っていた。でもいられなかった。だって、俺は逃げ続けてきたから。目を逸らし続けていたから。

 また俺は仕事を辞めて地元に戻った。それまでとは全然違う仕事だったがやりがいのある仕事に就いた。奈緒子にも連絡を取った。正直恐ろしくて声が震えた。それまで一方的に連絡を絶っていたから。でも奈緒子はそんな俺を許してくれた。いろんな理由をこじつけては俺に連絡をくれた。

 仕事も順調だった。それなりに上司から評価も貰えた。後輩や同僚も慕ってくれた。

 けして他人からは理解されないと思う。でも、幸せだった。一人でもいいと思っていた。いや、一人でも一人じゃなかった。いろんな人が俺を支えてくれていた。そのことを俺に教えてくれた人がいた。だから、俺は…

---

 そこまで話して俺は自分の頬に冷たいものが流れていることに気付いた。テーブルを見るといくつもの雫が落ちていた。

 理子の細い指が俺の涙を拭う。

「ま、そんな感じ…軽蔑、しましたか?」

「そりゃね。でも、いろいろ納得しちゃった。誠の女たらしはそのころからなのね。」

「中途半端に顔は良かったんで。女には困りませんでした。でもそこに自分が欲しいものは何もなかった。」

「ねぇ、誠君はこれから先、どうしたいの?」

「俺は、ちゃんと高校生して、大学に行く。後悔はいっぱいあったし、特別良い事もなかった。でも嫌いじゃない。あの未来はもう来ない。なら、全力で後悔のない自分になりたい。全てに向き合って、逃げない人生を送る。未来を変える。」

「でも、未来を変えるということはあなたの娘は生まれたことさえなくなってしまうのよ。」

「でしょうね。でも俺が自分の人生を必死でトレースして奈緒子とまた結婚し、子供に玲となずけたところでその玲は俺の知ってる玲じゃない。ならあの子のことは俺の記憶にしか残っていないなら、紛い物で埋めたりしたくない。」

「そう、覚悟してるのね。誠、強いね。」

「まだまだです。俺はまだ向き合いきれてない。もっともっと真剣に全力で向き合いたいし、ほ、ほら、せ、青春だってしたい。」

 恥ずかしさで顔がぼうっと熱くなるのを感じる。

「ここまで話して青春で恥ずかしくなるのね。誠の弱点みっけ♪」

「今の俺が弱点を弱点のまま放置してるわけないじゃないですか。すぐに克服して見せますよ。」

「なーんだ、つまんないのー」

 そう言いながら理子はぶーっと頬を膨らませる。

「俺は新しい人生を掴みたい。でも今までの人生もなかったことにしたいとは思わない。だから使えるものは何でも使う。今までの経験やスキル、後悔も汚さも。」 

 そういうと理子はふっと短く息を吐いて言った。

「やっぱり誠は強くて、かっこいいじゃない。」

「ありがとう。」

「お礼言われることじゃないわよ。本当にそう思っただけ。」

「いや、それもなんだけど、その、話を聞いてくれて。今まで誰にも話せなかった。過去にも。今はなおさら。」

「私も聞かせてもらえて嬉しかったわ。ありがとう。」

 話が一区切り付き外を見るともう薄暗くなっていた。驚いた、そんなにも長く話し込んでしまっていたのか。

「休憩にしましょうか。」

 言うと理子は席を立ちカウンターキッチンでごそごそと何やら準備を始めた。

「晩御飯、食べるでしょ?今日は何時まで居られるの?」

「いただきます。確かにお腹すいたし。時間なら大丈夫。理子さえよければ。」

「私は朝までだっていいのよ。」

「誘ってるんですか?」

「前から随分誘ってるつもりだけど?」

「今の俺は童貞だから刺激が強すぎますよ。」

「今の私も処女よ。初めて同士良いじゃない。」

「大切にしてください。俺はまだ他の男子生徒に恨まれたくない。」

 いつもの冗談の応酬に気が緩む。

 理子が作ったのは和食の肉じゃがだった。とても美味しく、おかわりしようか迷ったが、まだ理子の話を聞いていない。それを考えておかわりは自粛しておいた。

 二人で夕食を取った後、理子がコーヒーを淹れてくれた。それを飲んで一息つく。理子はその間、夕食の後片付けをしている。手伝いを提案したのだが丁重に却下されてしまった。

 片付けを終えた理子が俺の隣に来る。

「私の話だよね。私も誠と同じ202X年から巻き戻ったの。」

「理子も?」

「でもね、巻き戻った先が違う。私は199X年。そう、私が戻った先は私が高校一年生の時よ。そういう意味では同じなのかもね。」

「なにか法則があるのか?」

 同じ日に時間が巻き戻り、お互い高校一年として再スタート。偶然とは思えない。

「誠君に聞きたいことがあるの。よく思い出して。あなたの元の高校時代。保険教諭は本当に私だった?」

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