第3話 未来も嘘も見えるから!

 放課後、俺は並木先生に呼ばれ保健室に来ていた。保健室に来ると並木先生の隣には深川先生もいた。二人ともいつになく神妙な顔をしている。

「1組の子なんだけど、入学から一週間くらいしてから急に不登校になっちゃった子がいるの。」

「担任の先生も何度かお家に伺ったみたいなんだけど取り合ってもらえないみたいで…」

 先生方は代わる代わる話す。どうも俺に引きこもり支援をしてほしいということのようだ学校に来ていないらしい。本来ならこんなこと一生徒で何のかかわりもない俺に出る幕はない。しかし、俺はその依頼を受けることにした。

 深川先生は学年名簿を出し、俺に見せる。個人情報の緩い時代だ。五年後には大問題だよ。名簿には名前と住所が書き込まれておりそれをメモする。

 ”鈴原 琴美”。もう2週間以上学校に来ていないらしい。学校としてもそれ以上重篤化する前に何とか引っ張り出したいのだろう。

 あとは地図アプリでと考えていたところで並木先生からツッコミが入る。

「住所だけだとわかりづらいでしょ。今日はその子の家まで私も行くわ。」

 そうだ、この時代にそんな便利なものはないのだ。危うく路頭に迷うところだった。

 並木先生と校門をでる。その子の家は学校の徒歩圏にあった。

 先生は「じゃ、おねがいね」と言い残して去っていく。

 俺は意を決してインターホンを押す。少しして、短く「はい」と応答がある。

「あの、僕、琴美さんの同級生の結城と申します。琴美さんとお話できればと伺ったのですが。」

 そこまで言うと、数秒の沈黙の後「どうぞ」と家の中へ招かれた。

 鈴原さんの家に入りお母さんから情報収集をする。

「あの子、ずっと部屋から出てこないんです。もうどうしていいのか…」

「トイレや食事はどうしているんです?」

「食事は部屋の前においてます。そしたら食べ終わった食器がまた置かれてますので。トイレは誰もいないときにこっそり言ってるみたいですが。」

「お家や学校で何かあったとか、わかりますか?」

「いえ、あまり学校のことは話しませんので…家では特に何もなかったと思いますが…」

「わかりました。お母さんは琴美さんにどうなってほしいですか?」

「ただ、部屋から出てきてほしいんです。本当にそれだけで。」

「琴美さんとお話しさせていただきたいのですが、琴美さんのお部屋はどちらですか?」

「階段を上ってすぐの部屋になります。」

「ありがとうございます。では少し二人でお話しさせてください。」

 予想通り大した情報は得られなかったが鈴原さんと話すことに了解を得ることはできた。鈴原さんの部屋の前に来て声をかける。

「鈴原さん、4組の結城です。声を聞きに来ました。いるのかな?」

 返事はない。ノックをしてみる。また返事はない。

「鈴原さん居ないのかな?ノックしたし入るね。」

 ドアノブを回すが当然の如く鍵がかかっていてあかない。

「鍵かけてるの?悪いけど、スペアキーで開けるよ。ごめんね。仕方ないよね。」

 自分勝手な理屈を並べ部屋の鍵穴を適当にガチャガチャする。当然こんなことで鍵は開かない。すると、ドアの向こうでガタタっと音がする。当然だ。突然見知らぬ同級生が来たと思ったらいきなり力ずくでドアを開けようというのだ。鍵が突破された時のためにドアを抑えに来る。

「いるんだね。ごめん、まだスペアキーは預かってなくてさ。返事しなくていいから、聞いてほしい。」

 できる限り優しい声色を心掛ける。かといって変にへりくだったりはしない。相手の心に卑屈さを生むからだ。

「一応、保健室の並木先生に頼まれてきたんだけどさ、学校に来いとか言うつもりはないんだ。本当に単純に、俺が話したくて来ただけで…」

 まるで独り言だ。

「今は難しいかもしれないけど、お母さんに顔見せてあげてほしい。外に出るの難しかったら部屋に呼んだっていいじゃん。部屋の片づけおねがいしたりしてさ。子供にとっていつまでたっても親は親なんだからさ。甘えるのに遠慮なんかいらないんだよ。」

「今出てこなくてもさ、1年もしたらさ、キミは部屋から出るよ。でも、部屋にも家にも学校にも居場所がなくてさ…それでもキミは明るく毎日を頑張るんだ。」

「でも、キミはずっと後悔するんだよ。自分を支えてくれたお母さんにろくなお礼も言えないまま疎遠になって…それでも多分キミはいつか和解してるんだろうなと思う。キミは強い子だから。」

「想像で何言ってんだって、思うかもしれない。でも、わかるんだ。見てきたから…わかるんだよ。」

 扉の向こうから、こつんと音が聞こえる。長い沈黙だった。しかし俺の独り言はどうやら聞いていただけたようだ。

「…明日もまた来るよ。迷惑かもしれないけど、許してもらえる限り、毎日来るから。」

 部屋を後にして彼女の母親に明日も来たい旨を伝える。彼女の母親は俺に何度も頭を下げて礼をいう。一応明日も来てもいいようだと胸を撫で下ろす。軽く挨拶をして鈴原家を後にした。

 帰り道、俺は思い出していた。鈴原琴美。俺は彼女を知っている。以前高校生の時俺の放課後はアルバイト一色だった。彼女はその時の同い年の後輩にあたる。

 彼女とは同い年でバイトのシフトもよく同じだったので仲のいいバイト仲間だった。俺の知っている彼女は一生懸命で、よく笑い、同い年なのに先輩先輩と慕ってくれる子犬のような人だった。

「あたし、バカだから、親とかにも迷惑いっぱいかけたし、謝れないし…」

 そんなことを時々彼女が口にしていたのを今でも思い出すことができる。当時はさして気にもしていなかったが、今ならその言葉の意味が分かる。

「まさか同じ学校だったなんてな。」

 俺は彼女は高校に進学そのものをしてなかったのだと思っていた。彼女は辛かったのだろうか。自分が通っていた高校の制服を着てバイトに現れる俺を見るのが…

 ある日、彼女はバイトに来なくなった。それ以来、俺は彼女を見ていない。

 気分が沈みそうになる。ふと習慣で懐の煙草を探して、ふと気が付く。煙草、高校生が持ってるわけないのに。

 翌日から俺は放課後に鈴原家を訪ねることが日課になった。深川先生がものすごく寂しそうな顔をしていたが事情を理解しているので何も言ってはこない。

「携帯って難しいよね。なかなか操作なれなくてさ、未だに番号交換の仕方すらわかんなくてさ。」

「いつも母ちゃんが起こしてくれるんだけどさ、それよりも大体早く起きてるんだよね。」

「学校の中庭の桜がさ、この時期になると毛虫だらけでさ…」

「俺、昔は数学好きだったんだけどさ、最近は現国の方が得意でさ」

「…俺さ、部活やろうと思っててさ、天文部なんだ。新設の部員集めしてるんだけどなかなかうまくいってなくてさ。」

 とりとめのない話をしていると話題はどうしても自分の話になる。あいまいな過去の自分との境界線は意識しないと一気に瓦解しそうだ。

 こつん。

 ここ二、三日。こんな風に扉の向こうから音が聞こえるのが会話終了の合図になっていた。

「また、明日も来るね。」

 鞄をもって扉の前から去ろうとする。

「未来の…」

 扉の向こうからかすかに声が聞こえる。俺は再び鞄を置き扉の前に座る。そして声の続きを待った。

「未来の…あたし、どんな感じだった…」

 先日の俺の話を鵜呑みにしたわけではないのだろう。しかし、彼女の何日ぶりに他人に聞かせたのであろう言葉に、俺は誠実に向き合うことにした。

「いつもニコニコしながらバイトしてたよ。明るくて一生懸命で、自分が俺より遅くバイトに入ったからって俺のこと先輩先輩って呼びながらさ。お客さんからも好かれてた…」

「そんで、たまにさみしそうな顔をしてた。親に謝れないってずっと気にしてるみたいだった。」

「ある日、バイトに来なくなっちゃって、それっきり…俺の知ってる未来の鈴原さん。」

「…そう」

 短い返答の後長い沈黙。そして、こつん。

「明日も来ていいかな?」

 独り言でなく扉の向こうに問いかける。しばらく沈黙の後。

「…来て」

「明日も来るよ。」

 彼女は意思を示した。それは間違いなく、未来を変えるための一歩だったのだろう。俺も精一杯それに応えたいと思った。

 翌日、帰りのHRを終えた俺はすぐさま教室を飛び出る。まだ誰もいない校門を通るとまた昔を思い出す。昔もこうやって誰よりも早く下校してバイトに勤しんだものだ。

 鈴原家に着き中にあげてもらう。鈴原母ももう名前を言うだけで中に招いてもらえるまでになった。

 扉の前に座り軽くノックをする。俺の独り言の開始の合図だ。さて、今日はどんな話をしよう。そう思いを巡らせる。

 かちゃり。

 扉から、今まで聞いたことのない音が鳴った。

 俺は立ち上がり、様子を伺う。

 沈黙、向こうからそれ以上のアクションはない。

「入るよ?」

 向こう側から返答はないが、肯定と勝手に解釈し扉に手をかける。

 カチャ。

 軽い音がして扉が開く。引きこもりのわりに片付いた室内に足を踏み入れる。見渡すとベッドの上で膝を抱えた鈴原琴美がいた。

 俺の記憶にある琴美は長い金に近い茶髪を後ろで束ね、当時の今風メイクでキメる。所謂イマドキギャルだった。

 ベッドの上に座る琴美は髪の色は綺麗な黒でメイクもしてないが、穏やかな目元は確かに記憶の面影を残していた。

「よう。元後輩。やっと会えたな。」

 気さくを装って声をかける。

「あんたの後輩になった覚え…ない」

 琴美は穏やかな目元とは裏腹にそっけなく答える。

「そりゃそうだ。」

 軽く笑いながら答える。俺は琴美の向かいの床に腰掛ける。

「入れてくれて、ありがとな。」

 琴美は声にはしないが、こくりと首を振る。

「…毎日来るし。変な事言いだすし。」

 ボソッと琴美がつぶやく。

「そうだよなー。ほんと意味不明だよなー。」

 確かに、いきなり部屋の前まで来て未来のお前がーなんて正気とは思えない。俺なら確実に門前払いの翌日からはお断りだ。

「でも、こうやって部屋に入れてくれた。」

 俺が言うと琴美はポンポンと自分の隣のベッドを叩く。少し積極的じゃないですかね。

 俺は逆らわず、琴美の隣に腰掛ける。すると琴美は俺の目をじっと見つめだす。ほんとさっきからすごく積極的。部屋の扉だけじゃなく体の扉まで開く気なの?

 我ながらすごくおっさん臭いことを考えていると、琴美は口を開いた。

「昨日の話、もう一度して。」

 琴美の未来の話だろうか。今一つ要領を得ないが彼女なりに何か確認したいことがあるのだろう。俺はもう一度真剣な顔をして俺の知っている彼女の未来について話す。

 彼女はそれを静かに聞いた後、独り言のようにつぶやいた。

「変えられるのかな。私の未来。」

「鈴原さん、信じるのか?自分で言っといてなんだが、かなり意味不明な事言ってるんだぞ。」

「あたし、そういうのなんとなくわかるから。目を見て話すとなんとなく…嘘言ってるのかどうか…わかる。」

「もしかして、それが原因か?」

「友達と話しててもさ、結構嘘って多いんだよね。嫌んなっちゃった。人の目を見るのが怖くなった。そうこうしてるうちに部屋からも出れなくなった。」

「そうか。」

つぶやきながら考える。

「それって昔から?」

「ううん、高校に入る少し前くらいかな。突然そんな感じになって…」

 なるほど、それなら混乱もする。確かに人間は嘘だらけだ。寧ろ嘘のない人間はいない。しかし、知らなければ嘘もまた真実なのだ。それは知らないほうが幸福な事なのだろう。

 よく嘘は幸せで真実は残酷だというが必ずしもそうではない。嘘を嘘と認知してしまうことはさぞ辛かったのだろう。

「俺も、よく嘘つくけどな!」

「そうだよね…みんな嘘つき。」

「だけど、それでいいじゃん。社会出たらさ、そんな能力なくてもさ、他人の嘘には敏感になってくるよ。嘘ってわかっても気付いてないふりをする優しさだってあるんだからさ。」

 言ってて気付く。この言葉のブーメランは深く俺の心を抉る。

「わかんないよ…まだ、高校生だし。」

「だから今はそれでいいんだよ。他人の嘘に傷ついて、逃げて、拒絶したって、人間なんだから、嫌なものは見たくないし逃げたくなる。それが普通だよ。だから学校が嫌なら来なくてもいい。」

「…昨日まではそう思ってた。今日は違う。」

 鈴原は驚いた様子で俺を見る。

「鈴原さん、さっき自分で言ったよね。未来、変えられるかな?ってさ。変えたいならさ、行動しなきゃ!」

 実際もうすでに未来は変わっている。昨日扉の向こうから声をかけた時点で。

「でも今更!どうしたらいいのかわかんないよ!…ッゲホ」

 久々に大きな声を出したのだろう。琴美は咽る。

「嘘だね。俺もわかる。他人の嘘。」

「嘘…じゃない…本当に?」

「鈴原さんほどじゃない。でも、いろんな人を見てきたから、それなりにはな。」

「でも本当にあたし…どうしたら…」

「違うな、鈴原さんがわからないのはどうしたらいいかじゃない。どうやればいいかだ。教えてやるから、行こう。」

「行くって、どこに…」

「わかってるだろ。お母さんにお礼。ちゃんと言わないとな。」

 そう言って琴美の手を取り立ち上がらせる。突然の展開にまだ心が付いて行ってないんだろう。

「そういえば、部屋、案外綺麗にしてるんだな。もっといろいろ転がってるのかと思ってた。ほら、ペットボトルとか…」

「はぁ?何でよ。」

 俺の言葉に琴美が怪訝な顔をする。

「ほら、トイレとか我慢できなくなった時にさ。」

 おどけて言うと琴美が顔を真っ赤にして怒る。

「は、はぁ!?バッカじゃないの!…っゲホ」

 また咽た。が、時には勢いも大切だ。そのまま琴美の手を引く。ドアノブに手をかけると琴美の手が微かに震えているのに気付く。

「怖いか?」

「怖い。でも、このままじゃ、やだ。」

 琴美の意思を確認し、ノブにかけられた手を外す。

「?…どうしたの?」

 琴美は不思議そうな顔をする。

「やっぱ、鈴原さんが開けよう。」

 俺の言わんとすることを理解したのか、琴美は意を決してドアノブを回した。

 カチャ。

 ドアノブは俺が入ってきた時と同様に軽い音を立てて開いた。

 琴美を連れて鈴原母のいる居間に行く。居間に着き、琴美の手を引いてやる。

 鈴原母は琴美の姿を認めるとよろよろとこちらに近寄ってくる。

「琴美…」

「お母さん。」

 それっきり、二人とも黙りこくってしまう。やれやれ、この親子は本当に不器用だ。

「気持ち、ちゃんと言うんだよ。」

 琴美を促す。琴美は口を開くが「あ」「う」とかしか声が出てこない。しかし、琴美の言葉を待つ。琴美ももう救援がないと悟ったのか、言葉を絞り出す。

「お母さん。ごめんね。いつも、ありがとう。」

 琴美の目から涙が溢れ床にこぼれる。感謝の言葉は嗚咽に消えぎえだ。しかし、琴美は確かに口にした。琴美はずっと伝えられなかった言葉を時をさかのぼりついに伝えたのだ。

 鈴原母は琴美を抱きしめる。琴美と同様涙が溢れ床を濡らす。

「琴美、お母さんもごめんね。琴美が辛いなら部屋にいてもいいのよ。お母さんちゃんとご飯も持ってくから。」

「ううん、あたし、大丈夫だから。学校も行く。お母さんに感謝してる。私のそばにいてくれて、いつも守ってくれて、ありがとう。」

 二人は互いを強く強く抱きしめながら泣いた。

 俺は二人に気付かれないよう、そっと鈴原家を後にした。

 駅までの道を歩いていると琴美が俺を追いかけてきた。俺の手を掴み引き留める。

「あ、あの…その…」

 言い淀む琴美を制止する。

「お礼なら、学校で聞くよ。来るんだろ?学校。」

「その、うん。頑張ってみる。」

「よく玄関出れたな。優しい嘘もちゃんとあるだろ。」

「うん。あった。」

 琴美も思い当たるのか、優しい顔でうなずいた。

「そうだ、これ、渡しとくからさ。」

 そう言いながら、俺は紙を取り出して琴美に渡す。

「これ…入部届?」

「言っただろ。俺部活するんだ。バイトはしないからさ。ほら、また一緒に何やかや、やろうぜ。」

「あたしは何やかやのおぼえ、ないんだけど」

 琴美の抗議の視線を受け流し、背を向ける。

「学校で待ってるから。」

 そう言い残し、俺はまた歩を進めた。

***

 翌日、授業合間の休み時間美海がいつも通り、勧誘に行こうと声をかけてきたので二人で1組を目指す。お目当てはもちろん琴美だ。琴美を勧誘する旨は昨日の時点で美海に了承を得ていた。

 1組の扉を少し開け、中の様子を伺う。本当はここに来るのは少し怖かった。彼女は来ていないのではないか。そんなことが俺の頭から離れなかった。しかし、俺の心配は見事に杞憂となったようだ。

 琴美はいた。扉を薄く開けた俺たちの目の前に!

「なにやってんの?」

 琴美が問うが俺は呆気に取られる。小脇の美海が「どの子かな」と無邪気に言っている。

「目の前にいるよ」と美海に言うと美海は琴美を見上げ「おお」と目を輝かせた。

 琴美を廊下に連れ出す。

「入部届。持ってきた?」

「持ってきたわよ。あなた何組なの?クラスにいないからビックリするじゃない!」

「最初に家行ったときに言ったろ!俺は4組だ!ついでに鈴原、俺の名前言ってみろ。」

 問い詰めると琴美はバツ悪そうに視線を逸らしながら答える。

「えーっと、タケシくんだったっけ。」

「どこのジャ〇アンだよ。まぁ、いいや。お昼、今俺ら図書室横の自習室で食べてんの。来いよ。」

「行っても…いいの?」

「あたりまえだろ。入部届、そん時貰うから持って来いよ。名前もその時に教えてやるから。」

 そう言って琴美から離れる。すると遠巻きに様子を伺っていたのであろう女子が俺を呼び止める。

「ちょっと!鈴原さん、せっかく今日学校に来てくれたんだから、変なちょっかい出さないでよ!」

「これからも来るってよ。心配ならもっといろいろ話してやれよ。」

 それだけ言い残し1組を後にする。

「鈴原さん、いい子そうだったね。」

 美海が安心したような口調で言う。

「わかんねえぞー。鈴原あれでギャルだから美海イジメられるかもなー。」

 冗談めかして言うと美海は「うえぇー」と泣きそうな顔をする。

「冗談だよ。お昼、楽しみだな。」

 そういうと美海も表情を一転させて元気よく「うん!」と頷いた。

 昼休み、俺たちは自らの昼食を目の前に置き、お預けを食らっていた!時刻はもうすぐ12時15分になる。

 そう、件の問題児、鈴原琴美の登場を今や今やと待っているのだ。まさか、未だに鈴原が現れないのは予想外だった。

「呼びに行ってあげた方がいいのかな。」

 美海が心配そうに言う。

「いや、待とう。みんな、自分からこの部室に来てる。鈴原は絶対来る。」

 俺が言うと真一が無言でうなずく。

「お弁当、先に食べちゃうと鈴原さん、食べにくくなっちゃうよね。」

 優子が心配そうに言う。

「仕方ない、もしかしたらクラスの人とお昼食べてるのかもな。先に食べて待とうか…」

 言い終わるか否かというとき部室の前に人影が見えて…は通り過ぎた。

「はぁー…」

 そう、先ほどからこんな調子なのだ。俺たちは鈴原の登場を今か今かと待っている。なのでこの自習室の前を人影が通る度に緊張と弛緩を繰り返していた。そんな時。

「あぁー!!もー!」

 廊下から鈴原の声が聞こえた。すると俺より早く美海が反応し廊下に出る。

「鈴原さーん」美海は廊下の鈴原に声をかける。部室にやってきた彼女は…怒っていた。

「ちょっと!自習室なんてないじゃん!私ずっと行ったり来たりしてたのにちゃんとわかるようにしといてよ!」

 そう言われると、確かにこの教室の名前は”多目的教室1”だ。

「う!ごめん。とりあえず、座って、飯食いながら話そうぜ。」

 鈴原を座らせると鈴原もいそいそとお弁当箱を取り出す。

 昼食を食べながら各々が自己紹介を済ませる。すると、鈴原がある疑問を口にする。

「この部活って天文部って聞いてたけどさ、部長って誰がやるの?誠?」

「いや、俺じゃないよ。部長は美海がやるんだよ。」

 当然と思いいうと美海が「えぇぇー」と素っ頓狂な声を上げる。

「もともとこの部を作ろうとしたのは美海だから。そもそも、美海が俺に声かけなかったらこの部はない。だから、部長は美海しかいないだろ?」

 俺が説明するとみんなも納得したようだ。ぱちぱちと拍手する。

「でも、これでやっと天文部が始められるね!」

「ずっと、実態は昼食部。」

「で、天文部って何するわけ?」

 琴美の問いにみんなフリーズする。すると部長らしく美海がポンと手を叩き、提案する。

「よし、みんなでかんがえよう!」

 なんとも勇ましくなったものだ。人と話せず入部届を渡しただけでぽろぽろと泣き出す、そんな美海の姿が遠く感じる。知ってるか?あれからまだひと月も経っていないんだぜ。

 男子三日会わざれば、ならぬ、女子三日会わざれば刮目して見よ!ってところかな。などとまたおっさん臭くなってしまった。

そして今更だが、各々が連絡先を交換し合う。が、ここでまた、問題が発生した。俺がガラケーの使い方がよくわからないのだ。

 携帯を持ち「うぅ」とうなりながらにらめっこしていると琴美が貸してみと携帯を取り、ささっと手際よく赤外線で連絡先を交換した。そしてみんなも同じように赤外線で連絡先を交換する。

 みんなすごい。俺も昔は使いこなしてたんだけど…

***

 放課後、俺は琴美と美海と保健室に来た。保健室では相変わらず深川先生がサボりに来ている

「お疲れ様。誠君。鈴原さん、よく来てくれたね。」

 並木先生はいつもの優しい笑顔で俺たちに声をかける。

 美海は深川先生と部活の人数が揃ったことと今後について相談をしている。

「並木先生、ご心配おかけしました。」

 琴美は恭しく並木先生に頭を下げる。

「鈴原さん、天文部入ってくれるのー。私顧問の深川です。部活では、なな先生って呼んでね。」

 深川先生はいつになくテンションが高い。琴美はというとそのテンションにドン引きしている。

「よ、よろしくお願いします。な、なな先生。」

「誠君、どうやったのかな?」

 並木先生が悪戯っぽい笑みを浮かべて聞いてくる。

「どうもないですよ。ただ、話しに行ってただけで。部屋から出たのは紛れもなく琴美の意思ですよ。」

「ふーん、なるほど。琴美ちゃんの。で、どうなの?琴美ちゃん♪誠君とどんなおはなししたのー?」

 矛先は琴美に向かったようだ。琴美はというと並木先生の追及にしどろもどろしながら受け答えしている。

「誠くん、先生、さみしかった。さみしかったんだよー。」

 今度は深川先生がこちらに牙をむく。確かに連日鈴原家を訪れていたので先生とまともに話すのは久しぶりだ。

「これからは部活もありますので、先生にはもっとお世話になりますよ。」

「そうね。誠君、よろしくね。ありがとう。部の申請と部費の確保は先生に任せて。私もみんなのために頑張るから!」

 深川先生は胸を張って俺たちに告げる。その後深川姉妹は活動するための書類作成に保健室を後にした。

 残された俺たちも少しコーヒーを飲みつつ談笑し、保健室を後にした。

 琴美と共に帰路に着く。しばらく二人、無言で歩いていたが、琴美が口を開いた。

「誠。本当にありがとう。」

 琴美本来の話し方ではなく神妙な雰囲気の言葉に足が止まる。

「言っただろ。俺が何もしなくても琴美はいずれ部屋を出たよ。それに本当に俺は琴美と話がしたくて行っただけ。行動したのは琴美の力なんだから胸張っていいと思うぞ。」

「それでも、ありがとう。誠も嘘がわかるようにあたしにも未来が見えるんだよ。きっと、誠が部屋に来てくれなかったら、ずっと、ずっと後悔するんだ。それで後戻りも先に行くこともできなくて、部屋から出てもずっと自分の殻に籠って嘘に怯えながら生きていくんだと思う。」

「もうその未来は変えただろ。まぁ、これからもつらい事なんかいっぱいあるんだから、ちょっと躓いたくらい気にすんなよ。」

「部活のみんなも、いい子ばっかりだったな…」

「そこに気付いているとはお目が高い。安心しろよ。琴美もいい子の仲間入りだぜ。これからは同じ部活の仲間だ。よろしく頼む。」

「うん…。あと、お母さんがちゃんとお礼もしたいし、今度ご飯でも食べに来てくださいって。お父さんもちゃんと挨拶したいって。」

「そうか…。じゃ、都合良い日にまた誘ってくれ。」

「うん。部活、これから頑張ってこうね!」

 琴美は「じゃ、また明日」と元気に手を振りながら去っていく。俺も手を振りながら琴美が見えなくなるまで見送る。

 未来は変わっていったのだろうか。今はまだわからない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る